蒼と血と浴衣
しばらく歩いて、人気が全くない部屋の前で、彼女が立ち止まった。
「ここよ」
「…」
(…ここ、は…)
この屋敷の中でも特に一番吐き気がするほど近寄りたくない場所だった。
見覚えのある扉に、今までにないほど心臓が早鐘を打っているのがわかる。
蒼が、ここにいる。
嫌な記憶以外刻まれないように造られた部屋の中に、彼がいるということは。
…つまり蒼が今も無傷で無事でいるという現実は消えたに等しい。
握った拳に汗が滲む。
「…本当に、ここに蒼がいるんですか?」
「あら、相変わらずつまらない反応。貴方って本当に揶揄い甲斐がない。空っぽのお人形みたい」
確認するように問う俺に対して、はぁと嘆息を零して彼女は、後に俺の言葉を肯定するように頷いた。
(…っ)
やっぱり、蒼が屋敷の中で自由に動けたはずがなかったんだ。
思い出す。
幼い頃に何度蒼がこの部屋で酷い仕打ちを受けたか。
そして、短期間とはいえ俺がここで何をされたか。
実際にやられたからこそ、この部屋にいるということは死ぬことより酷い仕打ちを受けているのだろうと想像するだけでも身の毛がよだつ。
もう少し、もう少しくらいマシな状況だと思っていた。
もし、蒼が動ける状況なら、少しは蒼を真冬くんに会わせることができる可能性があったのに。
取っ手に手をかけた瞬間、椿さんに「待ちなさい」と制止の声をかけられた。
「なんですか」
逸る気持ちをおさえながら振り向けば、彼女は言う。
「今回の約束は居場所を教えるだけよ。つまり、部屋の外から実際にいるのを確認するだけ。見るだけ。仮に貴方が約束を破って、蒼に近づきでもしたらすぐに蒼を殺すわ」
「…、はい」
念をおすようにキツめの口調で淡々と告げる椿さんに言い返したい気持ちをぐっと抑えながら頷く。
開けたくない。でも、開けなければ蒼が本当に生きてるのか、ここにいるのか確認できない。
息を吐いて、震える手にかろうじで力を込めながら、ドアを開けた。
「…ッ」
初めに鼻に匂ってきたのは、部屋いっぱいに漂う血の匂い。
意識しなくても、強すぎて鼻で感じられずではいられないほどの……むせかえるような血の匂い で
でも、
それでも、
それほど濃い匂いなのに、俺の意識を捉えたものはそれではなかった。
…――ただ、ひたすら別の”モノ”に、目を奪われた。
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