3

かろうじで出る声を喉の奥から絞り出して、答える。

…でも、本当に聞き覚えはないはずなのに。
母に、そんなことを言われた記憶はなかった。

ただ、記憶にあるのは、…。


「…(…あれ…?)」


大量の汗が額から流れてくる。
でも、思考は凍ったようにうまく働かなくて、

おかしい。わからない。
そんなはずない、と頭を手で押さえて必死に記憶を探る。


「…な、んで…」


…お母さんの顔が、思い出せない。
今思えば、ずっと母さんの顔が分からなかったような気がする。
わからないはずがないのに。中学生になるまで、ずっと一緒にご飯を食べてたはずなのに。

見えるのは、顔にモザイクをかけられた女の人らしい影だけ。
これが、俺の母親なのかな。

でも、肝心の顔だけがわからない。


……母さんの、顔…は、


「…っ、」


一瞬だけ、何かの光景が脳裏に蘇った。

思い出そうとすればするほど、ピシッと何かが壊れるような音がして、ガンガンと割れるような頭痛が、やまない。
煩いほど、警鐘のように甲高い音が頭の中で響く。

思い出してはいけないと、記憶を探ってはいけないと、脳が告げていた。


「そうか、お前のタブーは母親の言葉、か」

「…っ、」


笑いを含んだ気配に、ビクッと身体が跳ねた。
狼狽える俺に尚も問いかけてくる声。


「俺を見ろ」

「…、はい」


俯いていた顔を、顎を掴んで無理矢理上げさせられる。
視界は真っ黒で見えないのに、じっと見つめられているのが分かる。


「お前は、母親にこう言われたんだろう?」

「…え?」


直後、聞こえてくる声。


「”真冬…どうしてそんなに私を苦しめるの?”」

「…ッ、」


一瞬その声が誰の物なのかわからなかった。
不意に耳に届いた女性のような美しい声音に、身体に戦慄が走ったような気がした。
さっきまであんなに低く若い男のようだった声が、まるで別人のように女性の声に変化した。

恐怖に、声が出ない。

聞こえる声に、言葉に、目隠しの向こうにいるのは今までそこにいたはずのご主人様だと、脳が認識できなくなる。
一気に泣きたくなるような、生まれたばかりの赤子のような感情で胸がいっぱいになる。


「”貴方がもっといい子でいれば、私はもっとあの人に認めてもらえたのに”」

「…っ、やめッ、やだ…っ」


その声は、本当に記憶の中にある声とそっくりで。
聞いたことない言葉のはずなのに、その言葉は何故か懐かしくて。

鳥肌が立つ。
胸が、痛い。苦しい。
心臓が、握り潰されているような感覚。

「…は…ッ、は…ッ」と過呼吸になりかけていた俺が少し落ち着くのを待って、御主人様は元の低い声に戻して、俺に問いかけた。


「なぁ、お前の母親って、今どこにいんの?」

「…っ、どこって、」

「一個だけ、ここに面白ぇことが書いてあんだよ。お前、そんな無害そうな顔して、元々ちょっとおかしかったんだな」


記憶を探ろうとするな。
何も考えるな。

思考するな。


「…え?」


でも、そんな意思とは無関係に、俺の頭は思考の定まらないまま、その意味深な言葉に引き寄せられるように耳はその声を聞こうとする。


「お前さ、……小学生の時 自分の首を絞めてきた母親に、」

「…ッ」

「”何”をした?」


何を。何を。何を。

…何も、思い出せなかった。
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