わたしたち、いつまで見ていられるかな

知りたくなんて、なかった。笑っているのがこれほど苦痛なのだということを。

初めて会ったのは、いつだっただろうか。確か、館林藩に出向いて、婚礼の儀をするときだったと思う。その前は全く知らなかったし、「自分の結婚相手はこういう人なのだ」としか聞かされていなかった。いわゆる政略結婚、というものだ。――それが当たり前なのだと思っていたし、好きなのだろうかと問われても迷いなく肯定できるくらいにはなっている。あの頃はまだ、まさか自分が江戸城に上がり込む身になるとは思っていなかったから、特に重圧を感じることもなかった。
大奥にいるようになってからは、私の心情は複雑になっていった。世嗣ぎの問題があるとはいえ、側室の子たちに構っているのを見ると、どうしようもなく寂しくなる。
将軍はそうすべきなのだということをわかっているのに、少しでも正室という位置に期待してしまった私はどうかしている。正室なんて、雛人形のお雛様と同じ、飾り物に過ぎないのに。――そう、飾り物。カゴの鳥と同じこと。閉じこめられた鳥は端から見たら綺麗だけれど、中の鳥は自由になることを願っている。
「――将軍ってば、」
もう一層の事、飾り物だと最初から言ってくれた方が良かった。
「期待、させないでよ…っ」
「…御台様?」
声を掛けてきたのは、確か綱吉の側用人の。
「隼人…何故貴方がここに居るのよ」
「通りがかっただけです。…上様のことですか?」
「そうよ、綱吉が…っ」
思わず、口をついて出た。普段は綱吉なんて呼ばない。最初から呼ばなかったわけじゃない、これは江戸城に住まう身になってからだ。「自分が将軍の隣にいる身だ」ということを意識し続けるために、あえてそう呼んでいるのだ。
「わかってたのに…仕方のないことだって、わかってたつもりだったのに!」
「まあ、そういうのは俺がどうこうできる問題でもないですから…」
このままだと私はどうにかなってしまいそうで、それが怖くなった。


***


いつも通り政務をしていると、隼人が来た。
「上様!御台様が…」
「信子がどうしたって?」
「早く行って、話を聞いてあげてください!上様のせいかもしれないですから」
…俺のせいで、信子が?
「いつまでも御台様を苦しませてると…俺が御台様を奪い取るかもしれませんよ?」
「…今から行く!」

「信子?」
信子がいる(と隼人が言っていた)御台所居所に駆け寄ったが、俯せになっていたので、顔は見えなかった。
「…遅いのよ、来るのが…っ」
顔を上げた信子は、すぐに俺の装束を掴んだ。
「落ち着けって、」
「貴方は狡いのよ…どうせ飾りだったら最初からそう言ってよ、期待しちゃうでしょう…っ」
怒る、というよりは泣いているようだ。よほど気が高ぶっているのだろう。
「信子、その…すまなかった。見てやれなくて…知らない間に追い詰められていたんだな」
「やっぱり、私には将軍の妻なんて重かったんだわ…館林藩にいた時はこんな重圧なんて感じなかったのに…」
館林藩にいた時――その時はまだ将軍なんて呼ばれてはいない。当然、信子も「将軍の妻」ではなかった。
…そうか。だから信子は俺のこと、江戸城に上がってからはずっと「将軍」って呼んでいたのか。自分の隣にいる存在が国の頂点にいるのだと意識するために。その隣に立っているのだから、それに見合う存在にならなければと、必死に自分を追い詰めて――
「…もう、いい」
「どうしたのよ、将――」
将軍、と言いかけたであろう信子の後頭部に手を回して、引き寄せる。
「あのなあ、ふたりの時にまでそういうこと意識する必要ないだろ?俺が将軍だとか、それに見合う存在でなければだとか」
「…何言って、」
実際、信子以上に御台所として将軍の隣に見合う存在を俺は知らないし。
「館林藩にいた時と同じように接していいから。だからもう、そこまでして自分のこと追い詰めるな、」
「わかった、けどどうして貴方はこれ程までに優しいの、優しすぎるのよ…っ」
「…そうか?」
「だから側室の子たちも惹かれるのね…」
「それは知らない。…けどさ、信子にはいつも特別に優しくしてやりたいと思ってるよ」
――だから顔上げて、な?
「…もう綱吉、貴方って人は…本当に…っ」
言いかけた信子は、泣き疲れたのかすぐに寝てしまった。


御台所居所(みだいどころきょしょ)→御台所の住む部屋のこと。御殿向(ごてんむき、大奥の、大きく分けて三つある範囲のうちの一つ)にある。
館林藩については→1話参照