重たい瞼を閉じればそこは誰もが見るネバーランド

「今日は我らが将軍様の誕生日だからな!」
側用人の武にそう告げられてから一時間くらい後。寺院で祈祷をしてもらった後で、餅や酒を配っている。
このようなことが本格的に行われるようになるのは3代目将軍――つまり、綱吉の父親で、私の義理の父である家光様の頃。当時義父様は無気力・不眠・拒食症などのうつ症状に悩まされており、気晴らしの催しが多く行われていた時期だったらしい。
これをきっかけに、内輪だけのイベントから幕府の公式イベントへと将軍の誕生日パーティに変化が生まれていったとのこと。
「しししっ♪将軍サマの誕生祭か…♪」
「…何故こんなに盛り上がっているのかと思えば……!」
黒髪を降ろした人と、金髪で目を隠した人…あれがオランダ商会から来ている者達か。金髪の方とは一度簾越しに会ったかもしれない。
「おい、そこの金髪、餅を切れ」
その二人に声を掛けるのが側用人の隼人。
「餅?誰の分だそれ?」
「お前は何もわかってないな…大名達や幕臣達に、酒と一緒に餅を配るんだ。外科医なんだから物を切るのなら得意だろう?」
「そういうこと…了解♪」
「商館長、お前も上様に挨拶するべきだ」
「…仕方ない」
隼人は相変わらず綱吉至上主義だなあと、軽く感心してしまう。

もちろん、私達大奥も総出である。
「綱吉さん、今日は正装なんですね!」
ハルは夜が明けてからというもの一日中テンションを上げている。そりゃそうだ、彼女は人一倍綱吉への想いが強い。
「…誕生日だから、じゃないの?」
「そうそう。信子も正装しなきゃいけないんじゃないのかしら?」
そう笑いかけるのは、将軍付上臈御年寄のビアンキさん。
「え…どうして私までそうなるのよ」
「だって信子さんは、正室でしょ?」
京子までそう言ってくる。
「それもそうね。…全く、ただでさえ十二単は着づらいのに…」
「大丈夫だよ。あの子達が着せてくれるよ」
…将軍の妻というのも大変なものだ。


***


「御台様、」
隼人が、そろそろ行く時間だとでも言うように覗き込んでくる。
「…もうすぐかしら」
「そうです。歩けますか?」
「歩けるわよ、やりづらいけどね。…行ってくるわ」

行く途中で金髪の――確か、外科医だっけ――と出くわしたので、どこにいるのかを訊く。
「ねえ、そこの貴方。綱吉はいるかしら?」
「将軍サマのこと?それならあっちの方に行ってる」
「あらそう。ありがとう」

やっと見つけたと思ったら大広間にいた。
「…綱吉!」
「信子か、どうした?」
「その…お誕生日おめでとう、綱吉」
「ああ。ありがとう」
相変わらず端正な微笑みを崩さない。
「今日は別に側室は呼んでないから、安心してくれ」
「…そうね、待ってるわ」
なんとなく意味は察している。私は彼の顔を直視することが難しくなって、目を伏せて戻った。


上臈御年寄(じょうろうおとしより)→江戸時代の大奥女中の役職名。単に上臈と称されることもある。将軍や御台所への謁見が許される「御目見(おめみえ)以上」の女中であり、大奥における最高位。本編だとビアンキさんがこの職。
十二単(じゅうにひとえ)→平安時代の10世紀から始まる女性用の装束。