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食堂を見渡せば、いつもより遅めの時間に夕食を摂る穂香の姿。

「やはり、穂香は疲れていたんだな……」
「ああ。無理をさせたくないから遅らせたよ」
「親父こそ、穂香に何もしてないだろうな」

俺も親父も、なんだかんだ頭の中は彼女のことでいっぱいなのか。
そう思えば益々妬けてくる。

「…何とか言え、親父」
「してねぇよ。伸元は心配性だな」
「ならいいんだが…したなら許さないぞ」

笑う姿勢を崩さないまま、親父は答えた。
親父は俺の穂香に対する想いを知っていて、その上で彼女に接している。

「言うようになったなぁ……」

その目は、本当の父親と変わらない。
変わっているとすれば、向ける対象が親戚の娘であること。
それも、息子である俺が想いを寄せている相手だ。俺と穂香が結ばれたら事実上彼女の義父になるとはいえ、あまりにも近すぎる。。
気づかないうちに、穂香への独占欲と父への嫉妬が広がっていく。
今日の夕方までこの感情を自覚していなかったのが、嘘みたいだ。

「何のつもりだか知らないが、例え親父でも穂香は譲らないからな」

言い切ってしまえば、反論もできまい。
食堂を一瞥し、彼女の部屋へと足を進めた。

きっとまだ穂香は部屋に着いていないだろう。
近くの壁へと寄りかかり、何ともないふりで彼女が戻ってくるのを待つ。

「おかえり。…すまない、まだ眠いか?」
『うん…だからお願い。お兄ちゃん、今夜はさ…』
「…何だ?」
『今夜だけ、一緒に…っ、』
「一緒に…寝たいのか?」

食事から戻ってきた穂香は何を思ったのか部屋の襖を開け、すぐ近くにいる俺の手を引き布団に倒れこむ。
確かに彼女がいるのは明日までで、それなら最後の夜くらいは一緒に寝たいという気持ちは俺もまた同じだった。

「それって…こういうことか?」

少し驚きつつも、穂香側から誘ってきたのだから応えなければなるまいと唇を重ねる。

『んんっ……っあ…!』
「穂香…『一緒に寝たい』なんて軽く言うものじゃないぞ?」

ただ触れるだけのそれの後で、彼女の頭を撫でながらも窘めるような声音で言う。
穂香は俺以外に対しても、そういうことを強請るのだろうか。
もしそうなら、俺はその相手を許せないだろう。

「少なくとも、俺以外に言うな。な?」
『うん…お兄ちゃんに、だけ…っ』

与えられるそれを抵抗もせずに受け入れながら、家に帰すのが惜しい程に艶のある顔で微笑む穂香。
夕方に縄で縛った跡が浴衣にうっすらと残っているのを確認し、彼女に見せつけるようになぞる。

『お兄ちゃ…っ、くすぐったいよぉっ…』
「よかった……縄の跡、まだ残ってるんだな……」

穂香はくすぐったくはあるようだが、嫌がってはいない。
今も見えない縄で彼女を縛っているような気になる。
こんな形でしか、独占欲を満たすことができない俺。

「大丈夫…もう何もしないから」
『それって、今日は…ってことかな?』
「ああ。何もしない」

穂香に触れるだけ触れて、あとは布団で寝るだけ。
手を出してしまいそうな自分が怖い。

「もう今日も遅いし…な?」

彼女に布団を掛け、俺もその隣に横たわる。二人分の体温はとても温かい。

「……穂香」

布団の中で、そっと手を繋いだ。

「穂香…ゆっくりおやすみ」

***
 
布団の中でゆっくり目を覚ますと、隣にお兄ちゃんの姿があった。
そうだ、昨日一緒に寝たんだった…。
ずっと寝たかった彼としたことを、布団の中で思い出してみる。
指を絡めて、脚も絡めた。

「穂香、起きちゃったのか?」

寝起きの頭ではうまく思い出せないけれど、夢のような心地だったことは覚えている。

『うん…昨日のこと思い出してた』

二人の体温が残る布団を離れるのが惜しい。
それを押さえ込み、朝食を摂りに食卓へと一人で向かう。

「早いな、お嬢ちゃん」
『あはは……さっき目が覚めちゃって』
「今日向こうに帰るんだったな。寂しくなるなぁ……」

廊下の途中、寂しげな顔のおとーさんとすれ違う。
半日もしたら、私はもうここにはいない。
それが惜しいのは私も彼らも同じなのだと気づかされる。

「気をつけて帰れよ?」
『おとーさんは気が早いなぁ…ご飯もまだなのに』
「すまねぇな、心配しすぎた」

見送られて着いた食堂のバイキングで、旅館での最後の朝食を摂る。
好物を選んだのに、どれも喉を通らなかった。
あっという間だったな…。『今日でお別れなんて、流石に短すぎるよ……っ』
「それなら、もう何日か先まで帰るのを延ばすか?」
『……えっ、今……なんて言ったの…?』
「泊まり続けているか…って」

声に気づいて振り返れば、二人の姿があった。

「そうだろ、親父?」
『……えっ』
「ああ。嬢ちゃんの頼みなら、安芸さんに連絡して延ばしてもらうぞ?」

そう言って玄関に向かったおとーさんの声が、遠くで聞こえる。

「もしもし、お嬢ちゃんのことなんだが…」

***

受付に向かい、安芸さんの番号へと電話を掛けた。
安芸さん自身は出なかったものの、繋いだ先の従業員が取り次いでくれたらしく、何分か経った後に折り返しで延長の許可が下りた。

「…よかった」

その返答に俺は安心する。
こんなにもあっさり通るなんて、思っていなかったけれど…
延ばせることへの喜びには代えられなかった。

「…親父?」
「伸元、嬉しい報告だ」
「穂香のことか……?」
「ああ。…帰りの日、延ばせたぞ」

気になっていたらしく、姿を見せた伸元。
向き直り、結果を報告する。

「そうか。じゃあ今夜も穂香はこの旅館にいるんだな…?」
「ああ。とりあえず、何日か延ばしてもらえることになった。帰りは未定だが」
「穂香自身は、それでいいと思っているのか…?」
「さあな。もし嫌なら変えるが…」

二泊三日では短すぎだと言ったのは、元は娘さん側だったからなぁ…。

「なるほど……親父、ありがとうな」
「礼はいらねぇよ、」

伸元のいなくなった受付前に、次は娘さんの姿が見えた。延ばせた旨を言うと顔を綻ばせる。

「お嬢ちゃん、」
『やったぁ…もう少し、ここにいられるんだっ』

彼女の『もう少し』という言い方が刺さる。
そう、少しだけだ。
ずっとここに置いておくわけにはいかないのだ。

「ああ。安芸さん次第だがな」
『ありがと。おとーさんのお陰っ」
「お嬢ちゃんまで…はは」

伸元と同じような反応を返す娘さんを見、笑みが零れる。
やはり、あの二人は似た者同士だな…。

『うん、どうかしたのー?」
「伸元と似てるなぁ、って」
『お兄ちゃんと?…あはは、そんなにかなー?』
「ああ。結構似てたぞ」

延ばしてもらえた喜びに浸っている娘さんを見ていると、俺も同じだと言ってしまいたくなる。
似ているのは、俺もだった。

「まあ、俺もなんだがなぁ……」
『うん?どうしたの、おとーさん?』

こうやって話をする度、調子が狂わされていく。
けれどそれは決して嫌なものではなく、むしろその先に期待する俺がいる。
娘さんに狂わされるのなら、本望じゃないか――

「何でもない、」

心配した様子の娘さんを宥めようと、微笑み返す。

「別れが惜しいのは誰だって一緒だろう。俺もそう、ってだけの話だよ」

――そうだ。この気持ちは普通のこと。俺だけが狂っているわけじゃない。
そう言い聞かせなければ正気を保っていられない域にまで達してしまった。
妻や息子というものがありながら、俺は一体何を考えているのだろうと自嘲する。

「はは…っ」
『そっか、そうだよね……』
「まあ…な。すぐ帰すのが普通なんだがな」

他の客なら、何もない限りはそう。
だが、彼女は――

「お嬢ちゃんは他の客とは違う。特別だぞ?」
『親戚だから…かな?』

話し込んでいると、再び伸元がこちらに顔を出す。

「親父、こっちに穂香はいるか」
「ああ…今俺と話していたところだ」
「そうか。穂香は無事か?」
「勿論だぞ、伸元」
「よかった…なら、戻るぞ」
「お嬢ちゃんと話していかないのか…?」
「この後、用事なんだ」

用事の内容も告げないまま、伸元は早々に部屋に戻っていった。

「寂しいのか?」
『少しだけ…っ』
「伸元のこと好きだもんな」
『うん、好き…』
「…俺は?」
『それ、どういう……』
「いや…忘れてくれ、な?」

俺と彼女と伸元の間の赤い糸。
結ばれているのか。
それとも、絡め取られているのか――

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