やがてはしりゆくものたちへ

知らない声、知らない顔。
誰かに一方的に自分が知られているという状況に慣れてはいるものの、怪我した今ではそんな機会はもうないと思っていた。けれど、まだ俺の知らないところで俺を知る人間はいるもので。

「あの……2年の千切豹馬先輩、ですよね」
「ああ、俺だけど……どうした?」
「どうしたら、先輩みたいに走れますか」

この学校の1年生だという彼女――**も、一方的に俺を知るうちのひとりだった。
曰く、彼女は兄を応援しに見に行った体育祭の部活動対抗リレーで第一走者として陸上部チームを真っ先に抜きそのまま優勝をかっさらうのに繋げた俺の姿が目に焼きついてしまい、俺に会いたいからとこの学校への進学を決めたらしい。言われてみれば俺のクラスに妹が陸上競技をやっている奴がいたような気がするけれど、やはり彼女はあいつの妹なのか。
俺は元々走ることそのものは好きな方だし、足の速さへの憧れを持たれることはむしろ嬉しい。けれど陸上競技に関しては何の知識もない以上、アドバイスしてあげられるようなことは何もないのに。

「走れるか、って……それ、俺に訊く?」
「あ……ごめんなさい、わがままですよね……」
「いや、俺としても凄え申し訳ないんだけどさ。俺が目指してるのは世界一のストライカーであって、陸上のことは何も知らねえし。それに――」

それに――俺はもう、あのときみたいに速く走れるかはわからないのだ。
体育祭のときの俺しか見ていないであろう**は知らなくて当たり前なのだが、俺はその後県大会準々決勝で右膝に怪我を負ってしまった。それ以降必死に地道なリハビリや筋トレをこなし、2年に上がった頃にようやく完治はしたけれど、もう全力疾走はできなくなっているだろう。
自慢だったスピードを取り戻せず、かといって退部届も出せず。今や夢を諦める理由を探しているだけの俺に、何も用はないはずだ。

「――だから、俺は何もアドバイスなんかしてやれない。わかった?」
「んー……ちょっと諦めきれないですね」
「やっぱり**、自分で言ってた通りのわがままだよ。俺が言えることじゃないけど」
「しょうがないじゃないですか。だって、私――」

――先輩に、一目惚れしちゃったんですから。
そうきらきらとした瞳で語る彼女は、かつて全力でフィールドを駆けていた頃の俺を思い起こさせるもので。
確かに、夢というものは――願望というものは、簡単に理由を見つけて諦められるようなものではない。そんなこと、今の俺が誰よりも知っている。

「……じゃあ、俺のリハビリがてら付き合ってやるか」
「付き合って……!?あっ、あの、ありがとうございます……!」
「いや、練習にって意味な?」

マイペースと言われて久しい俺なのだが、どうもこうやって全力な奴にはペースを乱されてしまうものらしい。やれやれ、俺はどちらかというと穏やかでおとなしめの子の方が好みなんだけどな。
そんな彼女の練習に付き合ってから割とすぐの時期に俺が青い監獄へと招聘されて、俺が再び情熱を完全に取り戻すのは、また別の話。