蝶と蜜
ひらり、ひらり。
蠱惑的なまでに鱗粉を振り撒いて。
甘い蜜を求め、彼女は舞う――
*
かつての同期で、今は上司である****。端麗とまではいかないものの、囮捜査に駆り出されるくらいには整った容姿をしている。それを自覚している様子もないまま周りを虜にする彼女に、いつの間にか苛立ちを覚える自分がいた。彼女自身の瞳は俺の姿しか映していないが、それと周りの反応とはまた別の話である。
「どうしたの?」
ああ――この反応が、また俺の焦燥感を駆り立てる。
**に惹かれるのも。
**の魅力を知っているのも。
全部、全部俺だけでいいはずなのに。
「**…後で部屋においで」
俺の気持ちも知らないまま、なおもひらりひらりと舞う蝶々。
どこかへ飛んでいかないように、捕まえてやらなければ。
***
全く警戒心を持たずに、彼女は俺の部屋を訪れる。俺がこれから何をするかもわかっていないのに。
まあ、こちらが手招けばすぐに来てくれるところもまた可愛らしいが。
「宜野座くんから呼んでくれるなんて珍しいね。何かあったの?」
部屋の扉を閉めるために、**がそちらを向く。
その隙に、後ろから抱きしめて口を塞いだ。
「っ…………んん…っ!」
「ああ、来てくれたんだな――『**』」
耳元でそっと彼女の名前を呼べば、びくりと震える小さな背中。
口から手を離してやると、彼女が呼吸を整え始める。それを落ち着けるようによしよしとそこを撫で、そのまま囁く。
「ん……大丈夫。怖くないぞ、」
「ううっ……宜野座、くん……っ、」
「どうした?」
「なんで…っ、あんな、こと……したの……?」
『なぜ、あのようなことをしたのか』――答えは、既に決まっている。
単純に、彼女を独り占めしてしまいたいからだ。
他の奴らが彼女に虜にされていることが、許し難いからだ。
けれど、今はどうだ。
この場に、俺と彼女以外の者は誰一人としていない。
ならば――このまま、閉じ込めてしまおうか。
「**のこと、独り占めしたいんだ」
「ひとり、じめ……?私…宜野座くんしか見てないよ、」
「知ってる。だからな、**のことを見ているのも俺だけであってほしいんだ。わかるか?」
ネクタイを外し、**の腕を後ろ手に縛る。
彼女はそれで力が抜けたのか、後ろに倒れこんできた。
**の身体をゆっくりと抱え上げ、ベッドへと運ぶ。
既に今の状況を受け入れたのか、抵抗の素振りを見せなくなった彼女に口の端が上がる。
「お前は蝶みたいに、すぐにどこかへ飛んでいってしまうだろう?」
「蝶々……?」
「ああ。けど今は……糸にかかったまま、動けなくなってる」
「それは、宜野座くんが……っ、」
**が蝶なのだとすれば、俺はそれを捕らえる蜘蛛か。
あるいは、蝶を虫籠に閉じ込める人間か。
どちらでもいい。彼女を独り占めできるのならば。
「どこにも飛んでいかないように…翅を切ってやらなきゃな」
翅を切る――というのは、飛んでいく手段を奪うことに他ならない。
例えば蝶でなく蚕であれば、羽ばたきはすれど飛んではいかずにいたものを。
けれど、**は何もしなければ飛んでいってしまう。
それはつまり、彼女を何とかして俺に縋らせることができたなら、ここに留まらせることも不可能ではないということでもある。
そのためには、どうすればいいか。
少し考えた末に立ち上がり、室内のコーヒーサーバー付近を漁ってガムシロップを取り出す。
その足で怪訝な顔をする彼女の側に戻り、口を開かせた。
「……宜野座くん?」
「そう…そのまま開けて、」
「んっ…………んむっ」
彼女を余所に、蓋を捲る。
そして自分の右指にガムシロップを垂らし、**の口の前に差し出して咥えさせた。
そうだ。
先程考えたのは、つまり**に甘い蜜を吸わせてしまうことだ。
蜜を一度口にさせれば、彼女はその先を求めて俺に縋ってくるだろう。
「**、甘いか?」
「んんっ……あまいの…っ、とけちゃうみたい……」
「そうかそうか。…指、噛んだらだめだぞ?」
「…うぅ、」
俺の了見は当たっていた。
彼女は舌を指に絡ませ、時折歯を立てながらその甘さを啜る。
左手で後頭部を押さえるようにゆるゆると撫でてやれば、擽ったそうに首を振る彼女。
これ程ならば、もう解放しても構わないだろう。
ガムシロップと彼女の唾液でべたべたになった指を彼女の口から離し、アルコールティッシュで拭き取る。
「うぅっ……ぎのざ、く……っ、」
「全部舐めとれて偉かったな。もういいぞ、」
**を抱き締めるように後ろに手を回し、その手首を縛るネクタイを解く。
媚薬入りでも何でもない、ただのガムシロップでここまで乱れてしまうのは彼女自身の素養だろうか。砂糖は脳を麻痺させることがあると唐之杜が前に言っていたが、きっとそれだけではないはずだ。
「ね、もっと…ぎのざくん、」
案の定、**はこの先を求めてくいくいと袖を引っ張ってきた。
これでもう、彼女はしばらく俺から離れないだろう。
「どうした、**。もっとほしい?」
「うん、ほしいの…っ」
「それなら…もうしばらく、この部屋にいてくれるか?」
命令するのでもなく、彼女の意思でここにいることを選ばせる。
こうやって優しく温かい口調で接する度に、**は俺に縋ってくれる――その反応が堪らなくて、言い聞かせを繰り返す。
「いる……っ、ここに、いるからぁ…」
「よしよし。いい子だな、」
くたりとベッドに身体を預けた彼女を見下ろし、布団を掛ける。
もう、どこにも飛んではいかせない。
「ああ――やっと、捕まえた」
ひらり、ひらり。
蠱惑的なまでに鱗粉を振り撒いて。
甘い蜜を求めて舞った蝶々は、翅を切られて手の中へ――