無垢だけを纏う

「えっ、そうなの?てっきり違うと思ってたよ〜」
「あはは、冗談冗談!」
「なるほどね〜!」

同級生の**は、まっさらだ。
マジメで、ブキヨウで、疑うことを知らなくて、騙されやすい。

「あ、空閑くん!今日、うちに来る?」
「うむ、ボーダーの予定はないし、シュクダイも出されてないからな。な、オサム」
「ん?……ああ、空閑にだって戦いと関係のない時間は必要だろ。ぼくは、先に玉狛行ってる」
「やったあ!」

おれの髪の色と同じくらいまっさらなあいつを日本ではジュンシンムクというのだそうで、例えば誰かが何かつまんないウソをついていても、おれがそれをウソだと指摘するまで、あいつはまるっきり本当のことだと信じ込んでいたりする。オサムもそんな彼女を見ていると心配になるようで、おれに向かってよく言う『危なっかしい』はあいつにもよく使われていた。
いわゆるハチョウというものが合うのか、**とおれは付き合ってはいないものの『危なっかしい』同士としてオサムも交えつつ日々行動を共にしていた。あいつはヒトヅキアイとやらが苦手なようで、確かにあいつがおれやオサム以外と話しているときの顔からは無理していることが窺える。それでもおれには心を開いてくれている、それが少しトクベツに思えて嬉しかった。

***

「ここね。いきなりだけど、母さん許してくれるかな」

手を引かれ、**の家にオジャマする。
あいつの母親はまさか**が友達を連れてくるとはと驚いていたものの、決しておれを追い出そうとはしなかった。周りと話すよりは1人でいる方を好む、そんなあいつにちゃんと友達ができるか心配だったらしい。

「で、ここが私の部屋。入っていーよ」
「オジャマします」

学校でもそうだったが、ひとたび興味を持てば**はそれに対してどこまでもまっすぐだった。あいつは日本で言うところのブンガクショウジョであるらしく、棚には色々なペンやボトルなどが整然と並べられていた。

「ちょっと待ってね、」

棚から茶色い箱を持ち出し、机の上で開ける**。
気になってずっと見ているとあいつはその中の一つを手に取り、透き通った細いものをおれに見せる。ガラスペンというらしいそれは氷の雫が冷えて固まったかのような、とても涼やかな見た目をしていた。

「これね、ペン先に溝が施されてて、そこにインクが入り込むことで毛細管現象を利用して、ペン先の先端にインクが流れ出す仕組みになってるんだよ!」
「モウサイカンゲンショウ……ふむ、なかなかおもしろそうだな」
「でしょ?で、普通のものなら一回インクに浸すだけでハガキ一枚分の文字が続けて書けるんだって!凄いよねー!」

そして**は机の上の茶色い表紙の本を広げ、線の上に赤いインクをつけたペン先を走らせた。目を凝らし、角度を気にしながらさらさらと書いていく。
できたよと言われ見てみると、見たことのない文字が書かれていた。学校で習ったローマ字とどこか似ているけれど、これは教科書に載っているそれよりもゴテゴテしていた。

「……ふむ?なんと書いてあるんだ?」
「ああ、これ?ローマ字で『くがゆうま』。カリグラフィーっていって、外国語版の書道みたいなものかな」
「ほう……こっちの世界の文字はフクザツですなあ」

白い紙に赤いインク、飾られた文字で書かれたおれの名前はどこかシンセンに映った。こんな風にかっこよく書かれるのは初めてだったが、単純に悪い気はしない。
おれも書いてみるかと少し興味が湧いて、ガラスペンに手を伸ばす、と。

「空閑くん待って!それ、触らないでよ……!」
「ほう?」
「ガラスペンはとってもデリケートなの!落としたら割れちゃうんだよ!」

腕を掴まれた、ことに気づいて振り返った先の彼女は凄い剣幕で怒っていた。
まあ、わからなくもない。オサムのことをコケにしたミドリカワにおれが怒ったように、大事なものに手を出されたと思えばそりゃ誰だってそうなる。
驚いて手を引っ込め、慌てて謝るおれ。

「……もうしわけない」
「さっきはぎりぎり触る前だったからセーフだけど、これガラスでできてるの。もし割れたら、空閑くんは手を怪我するかもしれないんだよ?」
「ふむ?おれ、ケガとかしてもすぐ治るけど……」
「それでも、そんなとこなんて見たくないの!私のせいで誰かが傷つくのは、もう嫌なの……っ!」

『もう』嫌だと、そう言った。
マジメで、ブキヨウで、それゆえに壊れやすい**だ。あいつはきっとおれの知らないところで周りに傷つけられ、また傷つけもする人生を歩んできたのだろう。それでも、あいつは周りとうまくやろうと、あいつなりに頑張っているのだ。
それが、あいつの優しさなのだ。

「わかった。**は優しいな」
「あのねえ……普通、ガラスでできてるもの触られたら、落として割れるかもって心配になるでしょうが」
「ふむ、」
「あ……ごめん、言いすぎた。触らないなら、好きに見てていいよ」

笑顔を取り戻した**は、また再び机に戻る。
おれはというと、あいつのオコトバにアマエて部屋を見て回ることにした。棚の中にはさっき使っていたペンやボトルの他にも、羽がついたペンや模様が描かれたビンセン、濃い赤色の持ち手をしたスタンプ――あいつに訊いたところシーリングワックスというらしい――など、よく見ないとわからないようなものまであった。
そしておれが少しでもわからないという顔をすれば、その度**はおれがギモンを持ったものについてテイネイに教えてくれた。それはまるで学校の先生みたいで、けれど決してその先生達は教えてくれないようなことばかりだった。

こちらの世界には、おれの知らなかったものがたくさんある。
それと同じで、こちらの世界にはおれ以上に馴染めない、生きづらい奴だっているのだ。

「ごめん空閑くん、トイレ行くね」

そう言って、**は部屋を出て行った。
あいつの机に目を移すと、映ったのはさっきおれの名前を書いていた紙。その隣に、同じような文字でおれの知らない言葉が書かれていた。

「ん?なんだこれ……じぇー、いー、てぃー……」

と、そこであいつが戻ってきた。
覗き見たことを知られたくなくて、慌てて机から離れる。

「あ……それ、見て……ない、よね?」
「ん?見てないよ」
「よかった!」

珍しくつまんないウソを、ついた。
それを信じてしまう**だから、きっとおれがあらふね先輩に勧められた映画で見たコクハクの台詞をそのまま言ったとしても、それが本心なのだと受け取ってしまうのだろう。

ふと時計を見ると、午後5時半を指していた。
そろそろ、玉狛に帰る時間だ。帰ると**に伝えたおれはあいつとあいつの母親に見送られ、また明日と手を振り家を出た。


 
「空閑……失礼なことはしなかったんだろうな?」
「してないしてない。で、オサム」
「ん、どうした?」

オサムに訊くと、さっきあの紙に書かれていたのはフランスという国の言葉で『好きだよ』という意味らしい。何が好きなのかはわからないが、きっとそれはおれに向けられたものだろうとオサムが教えてくれた。

――ああ、そうか。
――あいつは、おれにいわゆるレンアイカンジョウなるものを抱いているのか。

だから**はああやって、見られたかもしれないと焦ったのだろう。
ジュンシンムクなあいつらしい。

「ふむ……」
「空閑、お前はどうなんだ?」

さっきとは逆に、今度はオサムにおれが問われる。
今初めて気付かされたが、そのレンアイカンジョウとやらはおれがあいつに向けているものでもあるようだ。確かにあいつはおれにとって大事なトモダチで、一緒にいると心地いい。あいつの部屋に招かれた時も、あいつとおれ以外に誰もいないという状況にどこかソワソワしていた。

「そうか、おれも……」

明日、おれはあいつにどんな顔をすればいいのだろうか。
こんなことで悩んでいるなんて、おれらしくもない。

と、そこにこなみ先輩が通りがかってきた。

「あら遊真。何に悩んでんのよ?」
「こなみ先輩?」
「そんな顔してないで、個人戦しましょ!」

こなみ先輩には、おれが悩んでいることくらい丸分かりのようだ。
見ていられないからと、先輩はおれの腕を引きずりブースへと連れて行った。