花束に隠しておいた
「**ちゃん、」
「……ん?」
休み時間。隣の席の犬飼くんが話しかけてきた。
先程彼が忘れた教科書を見せたから、多分その関係の話だろうか。
「教科書のこと?別にいいんだよ?」
「あー……そうじゃなくて」
そうじゃない、のならば他の用事だろうか。
理由が気になってそのまま何も言わず聞いていると、彼は思いもしないことを言ってきた。
「手、すっごい荒れてたよね……大丈夫?」
――見られていた、なんて。
普段から家事をしている間に手が荒れている自覚はあったのだが、忙しくて疎かになってしまっていたのだ。教科書を見せる時に私の手を使う形になる以上、こればかりは仕方ないだろう。
「……見てたの?」
「まーね」
好きな相手とかではないのに、どことなく恥ずかしい。
私の手じゃなくてちゃんと教科書を見てよ、と言い返したくなってしまう。
「ちょっと待っててね、」
犬飼くんはそう言って自分の鞄の中を漁りだした、と思えば白い背景に青紫の花が描かれたハンドクリームを出してきた。
彼が姉に譲られたものらしいそれは練り香水のように使えるハンドクリームで、保湿効果の高いシア脂を配合しているためみずみずしく潤いのある状態が長持ちするとのことだ。
「手、貸してくれる?」
「……うん、」
頷いた私の手を取った彼が、小指の第二関節あたりくらいの長さまでのハンドクリームを手の平に出していく。そのまま見ていると両手で軽くすり合わせ、手の平全体に行き渡らせながら塗っていった。
ずっと手の甲から塗るものだと思っていた、けれど手の平で温めてから塗った方が浸透しやすいとのことらしい。
「っ……待って、」
「ん?」
「その……めちゃくちゃ触ってきてない?」
「そりゃあ、ハンドクリーム塗ってるんだから」
手の甲を優しく押さえてきたり、付け根から指先まで指一本一本を丁寧に握るように塗ったり。その間ずっと意識させられっぱなしで、犬飼くんの目を直視できず私は目を逸らした。
洋梨やジャスミンの華やかで甘い香りが、私と彼の手に広がる。
「お待たせ、」
五分くらいして、やっと彼の方を向く。
「わざわざごめんね、」
「気にしないで。あと、これは預かっとくから」
「うん……って、それ普通じゃん」
――どうして、それをわざわざ言ったのだろう。
元々あれは彼の――というか彼の姉の私物だから、それを借りただけの私は返して当然なのに。
「最初はいつでも塗ってもらえるように全部あげようかなって思ったんだけど、やっぱやめた」
「……なんで?」
「こんな甘い香り、俺以外の前でつけてほしくないし」
犬飼くんの中にこれを私にあげるという選択肢があったことも疑問に思うが、
それよりも私は続けられた言葉に耳を疑った。彼によると、このハンドクリームはかなり男性ウケのいいものだと姉が言っていたらしい。
それを私に言った、その意図が私にはよく見えない。
いや、私が見ようとしていなかっただけだ。
「……それ、って」
「あれさ、教科書忘れたところからわざとなんだよね。ちょっとでも意識してくれたらなーって……やりすぎちゃった?」
――ああ、もう。
そんな顔でそんなこと、言わないでよ。
塗ってくれている時から、ずっと私は意識しっぱなしだったのに。
「ずるいよ、」
「そう?……俺、狙った獲物は逃がさない質だからね」
そう言ってまだ香り続ける手を、彼にしっかりと握られてしまったものだから。
――何かに落ちる、音がした。