欲は溢れて湯となった

「嵐山くんだね?」

広報の仕事が終わり、帰る直前。
俺の前に、見慣れないスーツ姿の男性が姿を現した。おそらく、スポンサーの関係者だろう。

「はい、なんでしょう?」
「ああ。ちょっとついてきてもらいたいんだが……」

新しい案件だろうかとも思ったが、それなら真っ先に根付さんに連絡がいくはずだ。そうでないということは、おそらく俺個人への用事だろう。
とりあえず充に遅くなる旨のメッセージを入れ、そのままスーツ姿の彼についていった。



「で、嵐山くん」

誰もいないホテルの一室。俺がその声に反応したのを確認した彼は、机に置かれたアタッシュケースの蓋を開いた。
中に入っている幾つもの包みの中身は、言われなくとも肌で感じられる。

「……これ、って」
「そうだ。わかるだろう?」

芸能界の人間というものは、こと薬物との距離が近い。事実、ここ数年の間に薬物で逮捕された芸能人は何人もいる。俺はボーダー隊員だが、メディアに露出しているという意味では広義の芸能人に含んでいいだろう。
彼は袋をひとつ手にして、「あげようか」と甘言を嘯く。

「すみません、お断りします」
「どうして?」
「大学だって退学になるでしょうし、それに……」

何より、そんなことをしたら家族に合わせる顔がない。罪を犯した兄なんて、副も佐補もきっと歓迎しない。
そして、もう家族の一員になりかけている恋人の**だって、そうだろう。

「俺は、家族や恋人を裏切ることはできません」
「真面目だねえ、嵐山くんは。別に、必ず君が使えと言っている訳じゃないんだよ?」
「……どういうことですか?」

その言葉の意図が分からず聞き返せば、思いもよらぬ返答が来た。

「その恋人さんに、使ってあげればいいじゃないか」

恋人に、使う。
つまりは、**にその薬を盛れとでも言いたいのだろう。あるいは、それを盛ったあとの酩酊状態の彼女と行為に及べとでも言いたいのか。確かにそうすれば抵抗しないのだろうけれど、いくらなんでもさすがに良心が痛む。
再度断るが、彼はなおも食い下がってきた。

「いえ、ですから」
「彼女さんの見たこともない姿、見れるかもしれないよ?」

彼のその言葉で思い浮かんだのは、**があられもなく乱れる姿だった。
どんな声で俺を呼んでくれるのだろうか、どんな仕草で俺を求めてくれるのだろうか。それが手に入るのかと思えば、今まで断り続けていたのが嘘のように使いたくなってしまう。
先程まで感じていたはずの良心の痛みも、感じなくなるくらいに。

「本当……ですか?」
「ああ、」

――拒むことなど、今の俺にはできなかった。

「……では、」

***

そして無事誰にも知られずに辿り着いた、**の待つ家。副と佐補は学校の宿泊行事で家を空けており、両親や祖母も出掛けている。
あとは、あの男性にもらった薬を彼女に盛るだけだ。

「お帰り、准さん」
「ん?……ああ」
「……准さん?」

そわそわしていたのに感づかれたのか、心配そうな面持ちの**にこちらを伺われた。嘘が下手な俺のことだから、上手く隠しきれていないのだろう。
それならば、仕方がない。こうなったら、堂々と飲ませてしまおう。

「いや?今からココアでもどうかと思ってな」
「ありがとうございます、」
「俺が淹れてやるから、**は少し待っててくれるか」
「はい、」

俺は2人分のココアのスティックの封を切り、マグカップに空けて湯を淹れる。
それと、彼女の分にだけあの薬も混ぜて。

「……よし、」

さて、どんな風に乱れさせてやろうか。
それだけを考えながら、俺は2つのマグカップを載せたトレイを** の待つソファーに運んだ。