6 全国大会【前篇】
季節は夏……彼らの大きな戦いが始まる。
「もうすぐ全国かあ……」
桜華は屋上で一人そう呟くと、手に持っていた紙パックジュースのストローをくわえ一口飲んだ。
りんごの甘い蜜の味が堪らないはずなのに、今日はあまり甘さを感じない。
今日は夏休み中にある登校日だ。
三年生の進路相談会があるため部活は休みなのだが、桜華は何だか家に帰れる気分ではなくこうして屋上に来ていた。
「暑い……」なんて思いながら空を見上げると、夏独特の燦々とした光が眩しく、思わず目を瞑った。
立海は地区大会、県大会、関東大会を順調に無敗で勝ち進んできた。
上級生の強さもそこらの中学生レベルではないが、それ以上に周囲を驚かせたのは、一年生の三人……幸村・真田・柳の存在だった。
三人は地区大会からレギュラーとして参加し、敵を圧倒していった。
特に幸村は、ここまで1ゲームたりとも落としていない。
敵が決して弱いわけではなく、幸村が強過ぎるのだ。
地区大会からの三人の活躍はあっという間に広まり、全国にその名を知られる様になっていた。
「あっという間だったなあここまで。でも全国は今まで通りいく様な甘いところじゃないよね……どうしよう、何か緊張してきた!」
甘さを感じないのは緊張のせいだと気付いた時、ふと気配を感じ横を見ると、いつの間にいたのかそこにはよく見知った顔があった。
「わっ……雅治っ!?」
「プリッ」
相変わらずの神出鬼没っぷりだと桜華は思った。
仁王はひょいっと彼女からジュースを奪うと、何故か一気に飲み干してしまった。
あー!と、桜華が声を上げた時には時既に遅し。
ジュースは仁王の胃の中に収まった後だった。
「酷いよ雅治!まだ半分も飲んでなかったのに!うう、大好きなりんごジュースが……」
「そう怒りなさんな、幸せが逃げるぜよ?」
「誰のせい!って言うか、今ひとつ私の小さな幸せが逃げて行っちゃったよ!雅治のせいで!」
桜華がしょぼん……と効果音がつきそうな勢いで落ち込んでいるのを横目に、仁王はゆっくり立ち上がった。
悲しそうに仁王を見つめる彼女に、仁王は苦笑しながら「すまんかった」と言って、カフェテラスに売っているちょっと高級なりんごジュースを渡した。
それに一瞬きょとんとした顔をして、でもすぐに我に返って仁王に「これっ…!」と慌てて声をかける桜華。
「飲んでしまったお詫びじゃ。受け取りんしゃい」
「どうして雅治がりんごジュース持ってたの?しかもちょっと高いやつだし……!」
「それは秘密ナリ。……桜華」
「?」
仁王が急に真剣な顔をして見てくるので桜華は思わずドキっとした。
いつもお茶らけてるというか、掴めない表情をしている彼なだけに、余計に。
でもそんな表情を見せたのも一瞬で、仁王はニッといつものニヒルな笑みを浮かべた。
「立海は必ず全国優勝する。……あいつらを信じんしゃい」
「あっ……」
仁王は分かっていたのだ。
桜華が緊張してる事、そして全国大会という大舞台に不安を抱いている事を。
「ありがとう、うん、立海は……みんなは強いもんね!」
「当たり前じゃ」
そう言ってまた近寄り桜華の頭を撫でた仁王は、とても綺麗な笑顔を湛えていて彼女は再びドキッとする。
桜華は心の中で、綺麗な顔というのはやっぱりずるくて罪作りだと感じていた。
(テニス部は綺麗な顔の男の子が多いような気がする!)
「じゃ、俺は行くき。それ飲んで元気になりんしゃい」
「もちろん!えへへ……実はこれ飲んでみたかったんだ!ありがとうね雅治!このお礼はするから!何でも言ってね!」
「ほお、何でも……その言葉、忘れるんじゃなかよ?」
「む、無理な事は無理だからねっ……!」
「クク、それはまたのお楽しみじゃ」
「雅治っ!」
軽やかに身を翻し、仁王はあっという間に屋上から出て行った。
その姿を見届けた後、桜華は小さく「ありがとう」と呟いて微笑んだ。
(自分の持ってきたジュースを飲んでほしくて、桜華の持ってたジュースを飲んだのはやり過ぎやったかの。……ジュースに嫉妬とは、我ながら情けないぜよ)
「まあそれだけ惚れとるって事か」と、一人くくっと笑うと、仁王はそのままテニスコートへと足を向けた。
今日の部活は休みだけど、自主練習に規制はかかってないので俺はテニスコートに来ていた。
俺の他にも真田や蓮二、柳生にブン太、ジャッカルも来ている。
このメンバーは本当に強くなる事に貪欲だと思う。
新入生の中でも群を抜いている。
俺が言うのも何だけどね。
貪欲な奴は俺の知る限りもう一人いる……はずなんだけれど、今日は姿が見えない。
(珍しいな……仁王が自習練を休むなんて)
何だかんだ言って仁王が自主練をサボった事はない。
飄々としていて掴み所がないけれど、根は真面目で熱い男である事は見ていてすぐに分かった。
「精市、どうした?」
「ねぇ蓮二、今日仁王来てないよね?」
「そうだな……まあ自主練だ、別に強制ではないのだからおかしな事ではないだろう」
確かにそうだ。
だけどなんだろう、この感じ……あまりいい予感がしない。
「いないと言えば、桜華も来ていないな。自主練の時はいつも来ていたはずだが」
「!」
俺ははっとした。
何か足りないと思ったら、湊さんがいないんだ。
いつも傍にいる人がいない。
気付いてしまったら、その不安は湧き上がるばかりで止まらない。
湊さん、自主練の事知らなかったのかな。
それか何かあったのかな。
まさか体調不良とか……?
だめだ、縁起でもない事が頭に過りだした。
出会ってまだ数か月だと言うのに、いないだけでこんなに不安になるなんて。
(俺の中の湊さんの存在って本当に大きいな……)
でも、この気持ちが何かは分からないんだよね。
「仁王おっせーよ!お前何してたんだよ!来ないと思ったぜぃ」
「まあまあ、ちょっと寄り道してただけじゃ」
湊さんの事を考えて少しぼーっとしている間に、仁王が来た。
心なしか、あの仁王が嬉しそうな顔をしている様に見える。
あまり表情に出さない仁王が……珍しい事もあるものだ。
そんな仁王が何だか気になって、声をかけてみた。
「仁王」
「なんじゃ幸村」
「どこ行ってたの?それに、何だか嬉しそうだね」
「ああ……」
仁王は何故か考え込むように俯くと、思い出したかの様にくすくすと笑いだした。
いつもの仁王からは考えられない。
やっぱり少し変だ。
「桜華が屋上におっての、ちょっと二人で話して来たんじゃ」
「え、湊さんが?」
「!(何だよ仁王ずりー!俺だって桜華とふ、二人きりで話したいのに……!)」
湊さん、よかった……体調不良とかじゃなかったんだ。
何だかブン太もやけに反応してるな……どうしたんだろう?
……じゃなくて!
「湊さん、何してた?」
「ん?一人でぼーっとしながらりんごジュース飲んどったよ?」
見た目にはあまり出さないようにしてるが俺が焦っているのに仁王は気付いてるらしく、ニヤリと笑っている。
本当にそう言う勘は以上に鋭いんだから……。
仁王の奴、覚えてろよ。
ああでもそんな事よりも、俺は何だか居ても立っても居られなくて……と言うか、湊さんが気になって仕方なくて屋上に向かう事にした。
「蓮二、ごめん俺ちょっと行ってくるよ」
「ああ(精市が桜華の所に行く確率、100%)」
すぐに湊さんの所へ行きたくて、走って校舎へ行こうと仁王の横を通り過ぎようとしたその時。
彼が小さく呟いた一言を、俺は聞き逃さなかった。
「俺は桜華が好きじゃ。……桜華は渡さんぜよ?」
「!?」
動揺した。
仁王が湊さんを好き?渡さないって……?
何で、俺に……?
色んな事が頭の中で錯綜しててもう整理出来なくて、それでも今は早く湊さんに会いたくて……俺は無視して屋上へと向かった。
「そろそろ帰ろうかなあ……。暑いし、アイスでも買って帰ろ!」
日陰に入っていたけど流石に夏だし、暑いのには変わりない。
これ以上肌が焼けるのも嫌だから、そろそろ帰る事にした。
雅治のおかげですっきりしたし!
「湊さんっ……!」
「えっ?幸村、君……?」
いきなり屋上の扉が開いたから驚いてそっちを見たら、少し息を切らして私の名前を呼ぶ幸村君がいた。
でもどうして?驚きながらも声をかける。
「え?どうして……?あれ、今日は部活なかった……よね?」
「今日は自主練だったんだよ。湊さんには伝わってなかったのかな?」
「ええ!わ、早く行かなきゃ!ごめんね、わざわざ探しに来てくれたの?」
自主練だったなんて……知らなかった。
みんなが頑張って練習している中、一人屋上でぼーっとしてたなんて……申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
ん?でも雅治も知らなかったのかな……?
「違うんだ……」
「え……?」
幸村君は何だか真剣な顔をしてこっちを見ている。
今日はどきどきさせられてばっかりな気がする。
私がそんな事を考えている中、いつの間にか幸村君が目の前に来ていた。
そして、何故かいきなり両肩を掴まれた。
(すごく、近いっ……!)
でも本当にどうしたんだろう…?
「仁王、と……」
「雅治と?」
「仁王と、何話してたの……?」
幸村君に真っ直ぐに見つめられて、すごく恥ずかしい。
でも、その目が真剣……それでいて少し不安そうで。
私は幸村君に雅治との話をした。
「恥ずかしい話なんだけどね……」
「うん」
「私、全国大会に怖気づいちゃったというか……その、緊張しちゃってて」
私が苦笑いしながら「マネージャーがこんなのじゃ駄目だよね」って言ったら、幸村君は「そんな事ない」って否定してくれた。
それだけでも嬉しくて、気持ちが安らぐ。
「で、ここでぼーってしてたら何故か雅治が来て。隠してたつもりだったんだけど、私の気持ちあっさり見破られちゃって。それで、雅治が言ってくれたんだ。立海は必ず優勝する。あいつらを信じろって」
「そうだったんだ……(仁王……)」
「うん。雅治のその一言のおかげで色々ふっきれた!だって、立海が……先輩や弦一郎、蓮二。それに、幸村君が負ける訳ないもんね!」
「!」
「雅治に感謝だよ」
幸村君にそう言って笑いかけると、何故だか幸村君の顔が赤くなった。
どうしたのかな?幸村君黙っちゃうし……。
私変な事言っちゃったかな!?
思わず戸惑う。
(湊さんの言葉、嬉しかったな……。それに笑顔が可愛すぎるよ。だけど、一つ気に入らない事がある。何だろう、この気持ち)
幸村君はまだ何も言わない。
心配だ……!
(ああもう分からない。少しむしゃくしゃしするし……。……湊さんを抱き締めていたら落ち着くかな)
「ゆ、幸村君……!?え、わわ、どうしたの?」
「ごめん、何か分からないんだけど……今はこのままじゃ駄目かな……?」
何となく幸村君が悲しそうな顔をしているような気がして、嫌なんて言えなかった。
それに私自身、嫌だなんて思わなくて。
むしろ心地良いと思ってるなんて。
きっと泣いてはないけれど、幸村君をあやす様にそっと腕をまわして、背中をぽんぽんと軽く叩いてみた。
「ふふ、俺、湊さんには甘えちゃうみたいだ。何だか安心する……」
その言葉に、今までよりずっと幸村君が近くなった気がした。
ちょっと……ううん、この状況はかなり恥ずかしいけど。
だけど幸村君には相変わらず不思議な力がある。
人を安心させる、勇気づける力。
安心しているのは、幸村君だけじゃないよ?
……なんて、恥ずかしくてとてもじゃないけど言えないなあ。
「湊さん、俺頑張るから」
「幸村君……?」
「絶対勝つから……だから信じて?」
全国大会まであと一週間。
本当の戦いは、これから。
((湊さんが仁王と二人きりだったのが、凄く嫌だったんだ。これって何でなんだろう……))
((いきなり抱き締めてくるなんて………幸村君、どうしたのかな……?))
((幸村もはよお気付きんしゃい。……まあ、気付かん方が俺としては好都合なんじゃが。それじゃ面白くなか)))
((仁王、桜華を好きなのはお前だけじゃないぞ))
あとがき
後半の幸村君との場面に多く修正をかけました。
このもやもやしてる感じが懐かしいです。
うちの立海っこ達は引っ付き虫が多い。