7 全国大会【後篇】




全国大会、決勝戦当日。


桜華の不安を全てふっ切るかの様に、全国でも立海は無敗でここまでやってきた。
特に幸村はこの全国という強者だらけの場所においてもなお、相手に1ゲームも取らせず勝利を収めた。
この尋常じゃない強さに、いつの間にか彼は『神の子』と呼ばれる様になっていた。


そして、いよいよ決勝。
相手もここまで勝ち進んできた猛者達であり、力を持つ者ばかりである。
ここにきて、桜華の緊張はピークに達していた。


「いよいよ決勝戦かあ……。うう、緊張しすぎで胃が痛い……」

「湊さん、大丈夫?」

「幸村君。うん、平気……ありがとう」


準決勝までは桜華も普通だったのが、やはり決勝戦の独特の雰囲気にやられたらしい。
見るからに彼女の顔色は良くない。
幸村含め、部長や柳、真田達も心配する程だ。


「桜華、これを飲んで少し落ち着け」

「ありがとう蓮二!」


そう言って桜華に緑茶を渡す柳。


「しっかりしろぃ!ほら、俺のガムやるから、な?」

「ブン太いいの?大切なガム……」

「気にすんな!」


人に滅多にお菓子をあげないのに、今は笑顔でお菓子を差し出すブン太。


「桜華、ゆっくり深呼吸ですよ」

「比呂士……ん、深呼吸深呼吸」

「落ち着くでしょう?」

「うん!」


優しい声で桜華に深呼吸を促す柳生。


「緊張とはたるんどる!と言いたい所だが、俺も少し緊張している。……その、なんだ。心配する事はない」

「弦一郎、ありがとう」

「……うむ」


不器用ながらも、彼女の緊張を解そうとする真田。


「胃の痛みが酷くなったら言えよ?無理はいけないからな」

「うん、わかった!心配させてごめんねジャッカル」

「いや、俺も同じ様なもんだからよ」


ははっと笑いながらも心の底から心配するジャッカル。


「桜華、緊張が弱まるおまじないじゃ」

「ちょ、何してるの雅治!?」

「おまじない言うたじゃろ?」


どさくさに紛れて桜華の髪にキスをする仁王。




そして……


「湊さん、手、出して?」

「うん、こうでいい……?」

「はい、これ。預かっておいてくれないか?」

「これって……!」

「俺のお守りみたいなもの。今は湊さんに持っていてほしいんだ」


そう言って幸村が桜華に渡したもの、それはいつもつけているヘアバンドだった。
部活や試合の時にいつもつけている、清潔感のある白いヘアバンド。
テニスをしている時の彼のトレードマークの様なものである。


「こんな大切なもの、預かれないよ……!」

「お願い。……湊さんが持っててくれている方が、勝てる気がするんだ」

「幸村君……」

「だから、ね?任せたよ」

「ん……分かった!しっかり持っておくね!」

「ふふ、やっと笑った。湊さんはその方が可愛いよ」


幸村がくすくすと笑いながら頭を撫でてきたので、桜華は仄かに頬を朱色に染めた。
最近やたらとスキンシップが多いと思うのは気のせい……?と、彼女はそう思うも、彼からのそれが嫌ではなく心地良いと感じている自分がいる事に、照れた様子で幸村を見つめた。


(でもみんな、本当に優しいなあ……。あ、雅治のはセクハラだけどっ!)


それぞれが自分を心配する気持ちが彼女自身ひしひしと伝わってきて、桜華は何だか泣きそうになる。
それと同時に、ゆっくりとではあるが緊張や胃の痛みが和らいできた様な気がした。


「さあ、そろそろ時間だ。レギュラーは整列の準備を」

「「はい!」」


部長の山倉の号令がかかり、周りが一層の緊張感に包まれた。
試合に出る幸村・真田・柳は山倉の元へと向かった。


「ジャッカル、試合始まる前にちょっとお手洗い行ってくるね」

「ああ、そうした方がいいな。広いから迷うなよ?」

「うん!じゃあ行ってくる。部長によろしくね」


試合中に行きたくなったら大変だからと、桜華は今のうちに済ませておくことにし、会場のお手洗いを探す。
しかし広い会場で中々見つからない。
見つからない理由は会場の広さだけではなく、彼女の極度の方向音痴のせいもあるのだが。
しばらく迷って、漸くお手洗いを見つける。
その時点で既に試合開始まであと僅かという時間だった。


「いけない、もう試合始っちゃう!早く戻らなきゃ……っ!?」

「!」


桜華はハンカチで手を拭きながら慌ててお手洗いを飛び出した。
とても急いでいて前をきちんと見ていなかったため、そこに人がいることに気が付かなかった。

彼女の体に鈍い痛みが走る。


「っ……すみません!急いでてぶつかっちゃって……!」

「チッ……!」

「んう!?」


桜華に思いもよらぬ出来事が起きた。
突然今ぶつかったであろう人に口元を塞がれて、何故か男子トイレに引きずり込まれたのだ。


「少し静かにしやがれ……」

「ちょっ、耳元やめて下さいっ……!っていうかここ男子トイレなんですけど……!!」

「黙ってろ」


少し高めではあるが、とてもいい声を耳元で聞かされ桜華は顔が赤くなる。
それにいつの間にか腰に手が回されていて、身動きが取れない状況に。
彼女は頭の中で、この人は一体誰!?と言うかこの状況は何!?と状況を把握出来ずにいた。

暫くすると、外から数人の声が聞こえてきた。


「景吾坊ちゃまはどこに行った!」

「早く見つけろ!間に合わなくなるぞ!」

「御当主にばれる前に何とかしなければ……!」


その声は次第に近くなってきて、二人がいるトイレの前までやってきた。
桜華は関係ないはずなのに、何故か緊張して体を強張らせる。
彼女の口を塞いでる人物の手にも微かに力が入った様な気がした。      

やがて先程の声の人物達は諦めたのか、別の所へ行ったようだ。
足音が遠のくのが分かる。
その場に人気がなくなると、やっと桜華を拘束していた手が緩まる。


「ぷはっ!ちょっと、何なんですか!いきなり人の口塞いで……挙句、だ、男子トイレに引きずり込むなんて……!」

「悪かった。だがこっちにも事情ってもんがあるんだ、仕方ねえだろ」

「……とりあえずここから出たいんですけどっ」

「ああ、そうだな」


やっとの事で男子トイレから脱出し、出た瞬間桜華は安堵から溜め息を漏らした。
それからくるっと振り向き、自分を拘束していた人物を見据えた。

その瞬間桜華は目を奪われた。


「(何この人、めちゃくちゃ綺麗……!男の子、だよね?お人形さんみたいだ……)」

「アーン?何じろじろ見てやがる」

「あ、いや、すみません」


思わず謝ってしまったが、この顔を見てじろじろ見ない方がおかしい様な気がする。
日本人離れした端整な顔つき。
小さな顔にすっと通った鼻筋……そして何と言っても、吸い込まれそうなアイスブルーの瞳。
ハーフなのだろうか?桜華はそう思った。

しかし、頭の片隅でこの顔に見覚えがあるように感じていた。


「あ……えと、とりあえず事情を説明してもらえませんか?」

「説明する必要性がないな」

「(何それっ!)……無理矢理人の事男子トイレに引きずり込んで、あなた変態さんですか……?私には聞く権利があると思います。言わないのなら今から中体連にこの事を話してきますから」

「ハッ……言うじゃねーの。俺様は気の強い女は嫌いじゃねえ」

「私は俺様みたいな男の人は嫌いです!」

「アーン?」


話がどんどん変な方向に傾いてる、そう思った桜華は何とか軌道修正して先程の事について聞けるように持っていこうとした。
このままでは埒が明かない。


「とりあえず……あなたはさっきの人たちに追いかけられてた、景吾坊ちゃま?」

「跡部景吾だ。……チッ、あいつら、後で覚えてろよ」

「ていうか、何で追いかけられてたんですか?」

「今日は家の大事な用事があったんだが、氷帝学園テニス部部長としてはどうしても全国大会決勝を見ておきたくてな。抜け出してきたらこの様だ」

「あなた、氷帝の部長さん……?」

「この会場に来てて俺を知らないとは……お前、相当疎いな」


何て自信満々な人なんだろう……!と桜華は心で思いながらも、すぐにしまったと感じた。
見た事あると思ったのは、以前柳に少しだけ写真を見せてもらった事があったからだ。
人の顔を覚えるのが苦手な桜華は、その人物の事ををすっかり失念していたのだ。


「ところで、お前は誰なんだ。人の事を聞いておいて自分の素姓を晒さないのはフェアじゃねえだろ?」

「えっと、私は……」

「おーい!」


桜華が言いかけた所で、こちらに向かって叫ぶ声がした。
振り返っ見てみると、そこにはジャッカルと仁王、ブン太の姿が。


「ジャッカル、雅治、ブン太まで!みんなどうしたの?」

「どうしたの?じゃねーよ!ったく、もう試合始ってるぜ?ってかもう一試合終わっちまったから!」

「うそ!ええ、一試合終わっちゃってるの!?」

「おまんがなかなか帰ってこんから、探しに来たナリ」

「心配したぜ、たく……。胃が痛すぎて倒れたのかと思った」

「わわ、ごめん!すぐ行かなきゃ!」


試合に遅れるなんて、マネージャーとして大失態だ。
桜華はとにかく急がなきゃとその気持ちだけですぐに駆けだすと、後ろから聞こえる声に振り向いた。
声からは不機嫌さが伝わってくる。


(やばい、存在をすっかり忘れてた……!!)


「おい!ちょっと待ちやがれ!」

「ああもうごめん今急いでるの!また今度にしてくれない!?」

「アーン?俺様を待たせるだと?いい度胸じゃねぇか」

「とにかく今は無理!みんな行こう!」

「い、いいのか?なんか怒ってるぜ?」

「いいの!ジャッカル早く行こう!」


ジャッカルは跡部の威圧に少しおされてビビっている。
その横で、何故か仁王とブン太は跡部を睨んでいた。


「うちのマネージャーにちょっかい出すのやめてくれんかのお?」

「ホントだぜぃ。油断も隙もねえ」

「マネージャー?ハッ、知らねえなそんな事。第一、俺はそんなガキに興味はねえよ」

「それならよか。……ブン太、行くぜよ」

「おう!」

「(どうしたんだろう?っていうか早く行きたい!)」


知らない所で勝手に自分をめぐる争いが勃発しているなんて露知らず、桜華はとにかく一刻も早くコートに行きたくてそわそわしていた。


「ほら!みんな早く行こう!」

「そうじゃの」

「待ちやがれっ!」


跡部が後ろで喚いているのを軽く無視して、桜華と三人はコートへと向かった。
コートに着くと、既に先輩達の試合が終盤に差し掛かっていた。
このまま行けば勝利を収める事が出来るだろう。


「はあはあ、っ……急ぎすぎちゃった……苦しい……」

「湊さん、大丈夫?なかなか帰って来ないから本当に心配したよ。……お水飲んで落ち着いて、ね……?」

「ありがとう幸村君!……それとごめんね、ちょっとお手洗い行ったらごたごたに巻き込まれて……(跡部、覚えてろよー!)」

「ごたごた……?(トイレに行って何があったんだろう……気になるな)」

「あ、実は……」


桜華が幸村に事情を説明しようとした時、審判のコールがかかった。
それは先輩達の勝利を知らせるものだった。


「やった!!」

「ふふ、これで立海の優勝まであと一勝。責任重大だな……」

「あ、そっか!次のシングルス2、幸村君だもんね」

「ますます負けられなくなったよ」


「大変だ」何て言いながらも、幸村は笑っていた。
むしろ楽しんでいる様にも見える。
幸村はプレッシャーすら力に出来るらしい。


「幸村……最後、決めてこい」

「はい、山倉部長」

「幸村君、頑張って!」

「うん、絶対に優勝決めてくるよ」


そう言うと幸村はコートへと向かった。
だがコートに入る瞬間、突然くるっとこちらに顔を向けた。
立海の面々は皆「どうした?」と顔を見合わせる。
桜華もきょとんとした顔で彼を見た。



「幸村君……?」

「湊さん、今は俺の事だけ……」

「?」

「俺の事だけ、見てて……?」




そう言った幸村はとても綺麗に微笑んでいて。
桜華は何だかいつもよりドキドキしていた。
彼女が恥ずかしくて返事を忘れていると、幸村がずっとこっちを見ているのが分かって彼女は慌てて何度も頷いた。
すると幸村はまた綺麗に笑いながら「ありがとう」と言って、再びコートへと歩いて行った。



(湊さんのいる前で負ける訳にはいかないな……)
(幸村君、頑張って……!絶対勝つって信じてるからっ!)
(幸村の奴、あれは宣誓布告なんかのお……)
(全く、精市は無意識に大人気ないな)





おまけ



「ったく、あいつ……」


俺様にぶつかってきやがった女が今しがた去って行った。
俺様には名乗らせておいて、自分は名乗りもしなかった。
いい度胸じゃねぇか……アーン?


(しかし……)


「あいつを迎えに来た奴ら、あのジャージは確か神奈川の立海だったな……」


そして、銀髪野郎があいつの事をマネージャーと言っていた。


「ってことは、あいつは立海テニス部のマネージャーか。だとすると……」



俺は考えながらはっとした。
あんな平凡な女、何故ここまで気にかける必要がある?
そう思いながらも考え出すと何故だか面白くて仕方なくなった。


「ククッ、早速調べるか」

「跡部こんなとこで何してんねん!」

「忍足じゃねぇか……」

「跡部、何かええことでもあったんか?顔にやけてんで」

「アーン?なんでもねえよ」

「さよか」


忍足と話しながらも俺の心の中はアイツでいっぱいだった。
俺様らしくもねえがな。


(面白いモノを見つけたな……暇つぶしにはなりそうだ)





あとがき

氷帝と言うよりかは跡部の登場です。
彼には長い事お世話になる予定です。
また、桜華さんはトイレに行く際ジャージは置いて行ってました。
なので跡部は分からなかったという補足説明。
幸村君の事だけ見てられたら幸せですね。