11 嵐の中に



始業式から数日が経った。
テニス部の周りをぐるっと囲むギャラリーの数は減るどころか、日を追う毎にどんどんと増えていく。
頑張る人は朝早い朝練にまでやってくる。
朝からあの歓声、部員達は益々うんざりしていた。


(本当に何とかならないかな……私も仕事に集中出来ないっ!)


桜華は、最近この事ばっかり考えながら部活してる気がする……と、深く溜息をついた。
自分に出来る事はないかと考えこそするものの、一人一人にやめて下さいというのは不可能。
だからと言って応援お断り!なんてメガホンで叫ぶのも現実的ではない。
そんな考えに、難しいなあ……と、一人唸る事しか出来なかった。


今日の朝練も終わり、桜華は幸村達と一緒に下駄箱へ向かう。
ここまではいつもと変わらなかった。
何一つ変わらない、彼女の日常だった。


「早く行かないと授業ギリギリだね!急がなきゃっ……!」

「そうだね。でも慌てたらこけちゃうよ?」

「桜華はすぐ躓くからの」

「もうっ、雅治!そんな躓きませんっ」

「くくっ、はいはいそーじゃったそーじゃった。しかしこの間もこけそうになっとったの助けたったのは誰じゃったかのお?」

「うう、雅治君です……」

「正解じゃ」

「湊さん仁王の前でもこけそうになったんだ?俺の前でもこの間……」

「わーわー!もう、幸村君までいいからっ……!(恥ずかしいっ……)」

「ふふ、ごめんね可愛くてつい」


幸村君達にからかわれながらも、桜華は何だか楽しそうな表情で自分の下駄箱の扉を開けた。
だがその中に広がるいつもと違うそれに、我が目を疑った。


「なに、これ……」


彼女は思わず呟いてしまった。
そしてはっとした後、ちらりと幸村達の方を見たが、幸い彼等には聞こえていない様だ。


(よかった……)


そう安堵したのも束の間。
目の前の下駄箱は大惨事だ。
中は、暴言の書かれた紙が幾枚も貼りつけてあって、何故か上靴はびしょ濡れ。
昨日上靴を濡らした覚えはなく、勿論この紙にも全く見覚えがない。


(マネージャーやめろ。ブス、死ね……?うーん……これはもしかして)


いじめというやつなのかなと、桜華は思った。
まさか自分がこんな事に巻き込まれるなんて。
だが彼女はそこに書かれている暴言から、大体の犯人の予測がついた。


(きっと幸村君達のファンの子達だよね、これは……)


何だか少女漫画の主人公みたいだと呑気に考える桜華。
こんな風にされていても、意外に彼女の心の中は冷静そのものだった。
それは、彼女自身テニス部マネージャーという仕事が大好きで、まだ期間は浅いもののそれに誇りを持っているから。
どんな事を言われてもされても、やめる気は更々ない。
そう思っていると嫌にこの下駄箱に施されたそれが陳腐に思えて仕方なかった。

だが、自分の事よりも気がかりな事。
桜華はどうして彼等にだけは知られたくなかった。


(この事、幸村君達に気付かれないようにしよう……絶対心配されるし、部活に支障きたしちゃいそう)


幸村達にはテニスに集中してほしい。
新人戦も近い、そんな時に自分が迷惑をかけてしまったら彼等の負担になる。
マネージャーは部員を支える存在であり、決して負担になってはいけない……桜華はそう思った。


(それにしても、上靴どうしようかなあ……)


びしょ濡れになった上靴を眺めて桜華は考える。
流石にこれを履いて教室には行けない。
顎に手を当て小さく唸る。


「湊さん、どうしたの?」

「ううん、何でもないよ!私ちょっと用事が出来たから、幸村君達先に行ってて!」

「え?用事……?大丈夫?俺も行こうか?」

「そんな大した事じゃないから大丈夫だよ!ありがとう幸村君。それにほら、幸村君達を遅刻させるわけにはいかないから、ね?」

「桜華がそう言うんじゃ、幸村、行くぜよ」

「なるべく急げ。桜華のクラスは一限体育だろう」

「うん、分かってる!じゃあ、また後で!」

「教室で待ってるからね?遅れないようにね?」

「はーい!」


よかった、行ってくれ……と、桜華は胸を撫で下ろした。
登校時間ギリギリだという事もあってか、下駄箱周辺に人はまばらにしか見当たらない。
その方が都合がいいと、彼女は今のうちに下駄箱の中を綺麗にして、上靴は先生にスリッパを借りに行こうと計画した。

だが、心の中で思う事は一つ。


(はぁ……面倒臭いなあ……。これからどうなるんだろう)


それだけだった。
まだこのいじめはきっと始まったばかりだ。
この先どうなるかなんて桜華自身皆目見当がつかない。
ただ、自分がどうしようがきっといい方向に向かう事は早々ないんだろうなと、それだけは分かっていた。

そしてその勘は、最悪な事に当たってしまう事になる。






下駄箱の一件から一週間が経った。
あの時桜華が思った通り、いじめはどんどん酷くなっていった。

ある時は体操服が刻まれてたり、またある時は階段から突き落とされそうになったり。
下駄箱はやっている本人達も飽きないのかと思うほど、相変わらず毎朝決まって凄い事になってる。
上履きだけは何とか死守しようと毎日持って帰っているため無事ではあるが、それでも実に不愉快だ。


(全然収まらないなあ……。それに突き落とすのって、もう犯罪だよね。本当あの時は心臓止まるかと思った……)


桜華は部活に行くために一人廊下を歩きながらそう思ってた。

いじめの事があってから、彼女は幸村達に先に部活に行ってもらっている。
勿論幸村には「どうしたの?」と少ししつこい位に聞かれたが、適当に言い訳をして誤魔化した。
桜華自身やはり迷惑はかけられない、何より気付かれたくないと言う思いが強かったのだ。


(……まだ幸村君達は何にも言ってきてないからきっと気付いてないよね、絶対。気付かれる前に自分で決着つけなきゃ)


桜華がそう決意した直後。


「湊さん?」

「はいっ……!(わっ、びっくりしたあ)」


このタイミングで突然知らない人に声を掛けられて、桜華は少したじろぐ。
ただ、声をかけてきた人物の学年が自分と同じ事に気付く。
制服についている組証の数字が【T】だからだ。
立海は学年が一緒でもクラスも人も多いため、全員の顔を把握するのはなかなか難しい。

しかし、そんな知らない彼女達の顔は何故か怒っている様な苛ついている様なそんな表情だ。
お世辞にも友好的な感じではない。
桜華は、はっとする。
もしかして彼女達なのではないか……と。


「ちょっと着いて来て。あなたに話があるんだ」

「(やっぱり……!)……行かないとダメかな……?今から部活なんだけど」

「そんなの関係ないから。って言うか部活なら余計に行かせないから」

「え、わ、あの、引っ張らなくても着いて行くから!」


桜華は引っ張られながら、タイミングがいいのか悪いのかと考えていた。
確かに幸村達に気付かれる前に決着をつけたいとは思っていたものの、まさかその直後に呼び出されてしまうとは思っていなかった。
しかもこの部活前の時間に。
彼女が部活に遅れようものなら、きっと幸村達は心配して放ってはおかないだろう。


(どうしよう……っ、やっぱりタイミング悪いっ……!どうかみんなに言い訳できる位の時間で終わって……!)


桜華はただただ彼等にばれたくない思いしかなった。
今から自分が何をされるかなど、二の次で。

そして、同学年の女子達は桜華を引っ張り続け、そのまま彼女が連れてこられたのは人気のない旧体育倉庫の裏。


(うわー……ベタだ、ベタ過ぎる!)


そこにはわざわざ桜華の到着を待っていたのか、友達と思われる女子達が少なくとも十人以上はいる。
どの女子も不愉快そうな表情をしており、全員が桜華の事を敵視している事はすぐに分かった。
そしてそのまま彼女は壁際に追いやられ、周りを女の子たちがぐるりと囲む。
全くと言い程逃げ道がない状況だ。


桜華が「あの……」と言った瞬間、いきなり頬目掛けて平手が飛んできた。


「っ……!」

「ねえ、何でまだマネージャー辞めないの?」

「いや、何でって言われても辞める理由がないからだよ。私はテニス部マネージャーとして部に所属してるから」

「早く辞めてよ!あんた本当に目障りなんだよ」

「そうよ!今度は本当に突き落とすよ?そんな事されたくないでしょ?ほら、私達だってしたくないんだからさあ。湊さんが辞めてくれるだけでいいんだって」

「(この人か、私を突き落とそうとしたのは……!)」


犯人が分かって少しほっとしたものの、やはりその件に関しては許せない桜華。
だが今はそれを問いただしている時間はない。
彼女はただ早くこの場から去って部活に行きたいのだ。

しかし、桜華も聞いておきたい事があった。


「あの、どうして私はマネージャーを辞めないといけないのかな?」

「は?本気で言ってんの?」

「はい」


桜華の言葉に、女子達の表情が益々険しくなった。
彼女は確信が欲しかったのだ。
自分が何故この様な目に遭っているのか、その原因の。
勿論粗方の予想はついている。
それでも彼女達の口から聞きたかった。


(その権利位あるよね……?)


「私達、テニス部にいる男の子の事が本気で好きなの!」

「入学した時からずっとずっと幸村君が好きなの!私以外にも好きな子いるし、あんたみたいなのが近くにいるの見るの本当に不快!私の王子様に寄らないで!」

「仁王君に近づかないで……!仁王君も絶対迷惑してるよ!いっつもいっつも貴女みたいなのが傍にいられて」

「柳君と小学校が一緒だったってだけでべたべたしちゃってさ!マジで調子に乗らないで!」

「丸井君の事お菓子で誘惑してるんでしょ!やめてよそういうの!」


分かってはいた。
皆それぞれ幸村達の事が好きで、マネージャーとしてでも近くにいる桜華の事が許せなかった。
桜華自身、好きな人の傍にずっと、特に目立って可愛い訳でもない子が近くにいるのは嫉妬してしまうかもしれないと思った。
ましてや彼女達からしたらそれが自分……と、少し自嘲気味に笑って。

だがそんな事は関係ない。
それが理由で人を苛めていい言い訳にはならない。
苛めは、最悪人の気持ちを、心を壊す。

桜華は冷静に、だが怒りを込めて彼女達に向けて言う。


「身勝手もいい加減にして」

「「「!?」」」

「みんなの事が好きだって事は、苛められてる時から分かってたよ。下駄箱の中に貼られた紙とか見てたら絶対そうだろうなって」

「何それ、じゃあ分かってて無視してたわけ!?」

「無視も何も、私はテニス部のマネージャーなの。あれ位されただけでいきなり部活辞められないよ、私にだって任されてる仕事がある。マネージャーだって一人しかいないんだし」

「そんなのどうでもいいから、あんたが皆の近くにいるの不快だからマネ辞めてって言ってるじゃない!話聞いてるの!?」

「あんたが辞めた位で、テニス部どうもならないんじゃね!?たかがマネージャーでしょ?」

「たかがって言うけど、こんな不器用な私でも、今みんなに必要とされてる自信があるよ。私がマネージャーの仕事をやってるから部員の皆が集中してテニス出来てるって、そう思ってる。……それにさ、私を苛める時間あったならマネージャー一緒にやってくれればいいのに。そしたらみんなの近くにいられるよ?」

「マネージャー?嫌よそんなの、面倒臭いし」

「雑用とか絶対無理。爪割れそうだし、汗掻きたくないんだよね」

「大体、好きな人以外とか興味ないし。私は幸村君の近くにいられればそれでいいんだから」


聞けば聞くほど呆れた。
桜華ははあ……と溜息をついて、言葉を続ける。
それは彼女達への怒りよりか、自分の大好きなマネージャーと言う仕事を、そしてテニス部自体を侮辱された気がする、その悔しさを込めて。


「好きな人だけ支えていれば、いいと思ってるの?……そんな自分勝手な人を、みんなは好きになるのかな?」


(いつもありがとう湊さん、本当に湊さんはよく頑張ってくれてて凄く助かるよ)

(こんな細い腕のどこにこれを持つ力があるんじゃ……よっと)

(あ、雅治!洗濯物返して!)

(嫌じゃ。これはもう俺が運ぶ事に決めたぜよ)

(ふふ、ありがとう雅治)

(仁王?俺にも持たせなよ)

(残念。俺一人で十分じゃ)

(幸村君?)


桜華は止まらなくなりそうな自分を必死に抑えながら続ける。


「本当に好きなら、もっと努力したら……?本当、私なんかに構ってないで。爪位どうにでもなるじゃない。そんな所ばっかり構ってても皆は振り向かないよ」


(っ、たあ……!)

(桜華!?どうしたんだよ!)

(ああ、ブン太……ちょっと爪割れちゃって)

(どれ、見せてみろ)

(蓮二……ごめんね)

(いったそー……大丈夫か?俺に出来る事があれば言ってくれよな……!)

(うん!痛いけど、これ位どうってことないよ。マネージャー頑張ってる自分の証かな?なーんて!)

(全く、無理はするな。……女の子だろう)

(蓮二、えへへ……ありがとう。ブン太も、ありがとうね)

(まっかせろぃ!)


だが込み上げる。
抑えきれない。


「みんな毎日頑張ってるよ?幸村君も雅治も蓮二もブン太も。他の皆だって毎日毎日沢山汗掻いて……それを気持ち悪い?皆の努力の汗を気持ち悪い?自分達は何の努力もしないで、ただ傍にいる私を苛めるだけで。さっきの事本気で言ってるなら私、あんた達の事許せない!私の事悪く言うのはいい、だけどみんなの事悪く言わないで!あんた達にみんなを好きになる資格なんて全然ない!」


(桜華、いつも洗濯ありがとうございます)

(比呂士、これが私の仕事だから感謝される事じゃないよ!)

(そんな事はありません。いつもの事だからこそ、感謝するものです)

(……臭いは気にならないか?)

(何言ってるの弦一郎。皆が頑張った証拠でしょ?気になる訳ないじゃん!)

(いつも悪いな。俺なんか特に汗っかきだからよ)

(ジャッカル、それ位の方が洗濯のし甲斐があっていいよ。ほら、みんな練習練習!)


桜華が全てを言いきった瞬間、囲っている女子達は唖然とした表情をしていた。
彼女もはっと我に返ると、次には部活の時間がやばい……!と、考えをそちらにシフトさせていた。


「(そろそろ行かないとまずいよね……!)言いたい事言っちゃってごめんね!とりあえず私部活行くから!じゃあね!」

「ちょっと待ってよ!」


グイッと音がしそうな程の力で襟を引っ張られ、桜華の首が締まった。
そしてその勢いで後退して、思い切り尻もちをついた。


「(いったあー!)ちょっともう、何するの!?」

「あんたをこのまま帰せない!マネージャー辞めるって言うまで帰さないから!」

「本当あんたムカつく!偉そうに!」

「ブスのくせに調子のんな!」


そうして、本日二度目の平手が桜華の左頬に飛んできた。
いくら女子の力と言えど、思い切りの力でやれば痛いどころではない。
桜華は口の中に血の味がするのを感じた。


「っー……!」

「もう容赦しないから!やっちゃお!」


一人が言った途端始まった集団での暴力。
お腹は蹴られ、足は踏まれ、髪は痛いほど引っ張られていた。
それに抵抗したくても、身体を抑えられてて身動きが取れない。
彼女はされるがまま、殴られ、蹴られ続けた。


(やばい、ちょっとキツイかもしれない……目が霞んできた)


甘く見ていた自分が馬鹿だったかな、何てこんな時に呑気にそう思ってしまうのは何でなのか。
桜華はそれでも、さっき彼女達に言った事を後悔はしていない。
その言葉の報復がこれなのであれば、痛くても甘んじて受けてやると思った。


(だって私は絶対に間違った事は言ってないから)


「さっさと辞めるって言いなよ!言ったら蹴るのやめてやるからさっ!」

「こいつ本当に頑固!意地張ってたっていい事ないよ!?死んじゃうよ!?」

「マジムカつく!幸村君みたいな王子様にあんたみたいなブスが近づいていい訳ないでしょ!?」


女子達は桜華に向かって暴言を吐き続けるも、彼女にはあまり聞こえていなかった。
もう、意識が飛ぶ寸前まで来ていたのだ。
桜華は薄れ行く意識の中で、何故か咄嗟に彼の事を思い浮かべた。


(幸村君……)


何故幸村を思ったのか、それを桜華自身考える事はもう出来なかった。


そして。


「桜華っ……!」


誰かが自分を呼ぶ声を最後に、彼女は意識を飛ばした。





あとがき

ほとんどメンバーが出ていませんね、すみません。
次回はもっと幸村君達を出していきたいと思います。
こんな苛めには遭いたくないですね。
この話は大幅に加筆修正しました。