13 きっとずっと本当は



目を開くとそこに見えたのは


「桜華……!」


私の名前を呼びながら、いつもは見せない様な必死な表情をした雅治と


(ここは……?)


一面真っ白な天井だった。
少しツンとした薬品の匂いがする……私はどうやら保健室にいるらしい。
目を覚ましたからには身体を起こさないとと思って、片腕をベッドにつきながら起き上がろうとした。
だけど、その瞬間に走る激痛。
思わず顔を顰めてしまう。


「ん……っ、いたあ……」

「無理するんじゃなか、相当やられとるからの……。今はまだ動かん方がええじゃろ」

「ああ、私……そっか……」


何故こうなったのかをぼんやりしていた思考を晴らしながら思い出す。
ここに来る前、自分が何をされていたのか。
幸村君たちのファンの子達に殴られて、蹴られて、踏みつけられて。
蘇る記憶は憎たらしい程に鮮明で、私の心の傷を抉る。


(あの時は本当に死ぬかと思ったけど……雅治が助けてくれたんだね、よかった……)


雅治が来てくれた所の記憶は本当に微かにしかないけど、だけどそれでも雅治が来てくれたから私は助かったのだと思うと感謝してもしきれない。
身体は全身が痛む。
今まで感じた事のない程の痛み。

でも、私はこれ位の身体の痛みなら、平気。
心に受けた痛みよりかはずっとましだし、何よりも一つ。


(彼女達に言った事……私は間違った事は絶対に言ってないって思うから。それに対する代償がこの痛みなんだったら耐えてみせる)


そう思っていると、ふいに雅治に声をかけられた。


「……桜華、何でいじめられとったんじゃ」

「(やっぱり聞かれちゃうよね……)言わないと、駄目……?」

「聞かせんしゃい……。まあ、あいつらの声が聞こえた時に大体分かったが……俺らの、せいなんじゃろ?」

「!」

「女子達が辞めろとか幸村君が……とか言うとったからの。テニス部関係じゃと思った。……それに、いじめとった奴の中に最近俺につきまとってた奴もおった…。俺にも関わっとるんじゃろ……?」

「はあ……みんなに迷惑はかけたくなかったんだけどなあ」

「何にも言わず桜華に倒れられる方がもっと迷惑じゃ」

「……ごめんなさい」

「もうよかよ……ほんに無事でよかった」


雅治はずっと険しい顔を崩さなかったけど、やっと少しだけど表情を緩めてくれた。
声の質もさっきよりも幾分か柔らかい。
そして私の頭をそっと優しく撫でてくれる。
それがすごく気持ち良くて、思わず目を閉じた。


「……いつからじゃ」


雅治は、私の頭を撫でながら再び尋ねてきた。
さっきはあんな風に言われたけど、やっぱりみんなに迷惑をかけてしまう事に変わりない。


(だから、あんまり言いたくはないんだけどなあ……でも仕方ないよね、言わなきゃきっと雅治怒るだろうし。言っても怒りそうだけど……)


そう考えて、私はゆっくりと話し始めた。


「えっと、一週間前位からかな……?」

「下駄箱で別れた時か?(幸村の言っとった時期と一緒じゃな……)」

「うん……あの時は凄かったんだよ、上靴はびしょびしょだし中に色んな張り紙はしてあるし!」

「ほお……」


うう、雅治の顔がまた怖くなってる……!
暗い雰囲気も嫌だからちょっと明るく話してみたけど、雅治には無意味だったみたいで。
ちゃんと話せと言わんばかりに真っ直ぐと私を見据える琥珀色の瞳に、思わず身が竦む。
その瞳は、どうやら全て話さないと逸らしてはくれなさそうだ。
こういう時の雅治には逆らえない。


「あの子達ね、テニス部のみんなが好きなんだって。幸村君とか、ブン太とか蓮二とか……雅治の事を好きな子もいたよ」

「そーか……」

「で、私がマネージャーであってもみんなの近くにいるのが許せなかった……って言う感じで嫉妬したみたい?恋には付き物だけど」

「しかし、いくらなんでもここまでやるのは度が過ぎとるじゃろ……」

「あはは、そうだね。まさか私も女子同士だしここまでされるとは思ってなかったよ。私が我慢してればそのうち収まると思ってたし」


そうだ。私は収まると思ってた。
反応さえしなければ、普段通りにしていれば彼女らもこんな事するのも飽きるだろうって……諦めるだろうと思ってた。
でも、恋する女の子達の気持ちはそんな事では折れなかったらしい。


(そんな風に恋なんかした事ないから分からないんだけどね)


「……それで?」

「ああ、うん。それで今日遂に呼び出しされて……マネージャーの事馬鹿にされたからちょっと反抗したらこんな感じにされちゃいました」

「怖いの……あんなん見たら、女性恐怖症になりそうじゃ」

「はは、みんながみんなそうじゃないよ。今回のは私も運が悪かっただけだし、相手の子の気持ちもちゃんと考えてあげられなかったって言うのもあるし……」

「桜華がそんな事思う事なかよ。……それにしても、あいつらは何にも分かっとらん」

「え?」


そこまで言うと雅治は私をゆっくりと抱き締めた。
突然の出来事に私は自分でも驚く位緊張して、そして動けなくなった。


(え、え!?何これ、どう言う事!?どうして雅治に抱き締められてるのっ……!?)


でも、この感覚が何故か初めてじゃない様で、不思議だった。
雅治にこんな風に抱き締められたのなんて、初めてのはずなのに……。
それに雅治が少し震えている様な気がして、私はその腕を無下に振り払えなかった。


「あいつらの声援がなくとも俺らはテニスに集中出来る……いや、おらん方が集中出来る。じゃが桜華がおらんかったら俺らは集中してテニスが出来ん」

「雅治……」

「桜華というマネージャーがおってこそ、俺らはテニスに集中出来る。ほんに感謝しとるよ?先輩も、俺達も」

「ありがとう……すっごく嬉しい」

「ようやくちゃんと笑ったの?」


雅治の優しさに思わず泣きそうになった。
こんな状況で、あんな嬉しい事を言われたら誰だって泣きたくなる。
だけど泣くのは何だか気恥ずかしくて、ぐっと堪えた。

雅治は納得したのか、ゆっくりと身体を離すとまた優しい顔に戻っていた。
やっぱり、この顔の雅治が一番好きだ!


「とりあえず俺は戻る……多分今頃柳生あたりがかんかんに怒っとるじゃろうからな……。おーこわ……想像しただけでも嫌になるぜよ」

「あ、私の事部長に伝えてもらってもいいかな……?ちょっと体調不良でって事で」

「了解。また部活終わったら来るから、大人しく寝ときんしゃい」

「ありがとう。あはは、分かったよー!」


そう言うと雅治は私の頭をぽんぽんと軽く叩いてから保健室を出て行った。
静かになった保健室……何だか少し淋しい。
だけど、同時にほっとした。
本当はちょっとだけ一人になりたかったのかもしれない。


(こんなに弱いところ、雅治には見られたくないもん)


ゆっくりと緩む涙腺。
その瞳から溢れる涙は止まらない。


「う、ひっく……っ」


怖かった。
本当は、暴力を受けてる時怖くて怖くて仕方なかった。
頬を殴られて、お腹を蹴られて……途中からは何をされていたかも曖昧で。
本当に死ぬかと思った。
それに、結果的に雅治に迷惑をかけてしまった。
自分で全部解決しなきゃって思っていたのに、結局助けられてしまって……。
何だか自分が情けなくて、悔しくて。


「もお、ばかだ、わたしっ……」



ガラッ



「!?」

「……湊さん、いるかな……?」

「この声、幸村君……?どうしたの……?」

「湊さんと話したい事があるんだけど……。カーテン、開けても大丈夫かな?」

「あ、うん……いいよ!」


いきなりドアが開いたのにびっくりしていたら、聞こえてきたのは幸村君の声だった。
何で幸村君が……?と思ったけど、幸村君の声が凄く辛そうに聞こえたから、私は急いで涙を拭いて幸村君を迎えた。


「どうしたの幸村君……?」

「湊さん、泣いてたの……?」

「え?あ、ちょっとねっ……!でも大丈夫だか「ごめんっ……!今まで気付いてあげられなくて本当にごめんっ!」……幸村君っ!?」


気が付いた時には、思い切り幸村君に抱き締められていた。
今日は何故か抱き締められてばっかりな気がする。
何なんだろう今日は。


(すっごく恥ずかしい……!)


でも雅治と同じで、幸村君の腕も震えていて。
恥ずかしいけどやっぱりこの腕も私には振り払えなかった。


「俺、同じクラスなのに……何で湊さんがいじめられている事に気付けなかったんだろう……」

「私が何とか幸村君達に気付かせないようにしてただけだから、幸村君は気にしなくていいんだよ……?」

「でも、俺は湊さんのすぐ傍にいたのに。……仁王にも言われたんだ、何で気付かなかったのか……って」

「雅治に……?」

「うん。……怪我、痛むよね……」

「大丈夫だよ、そんなに大した事ないから!ちょっと痛い位だよっ……!」

「嘘。……腕なんか痣だらけじゃないか。これで大した事ないなんてそんな訳ないよ」

「うう……」


幸村君は抱き締めながら、ここに来てからずっと変わらない辛そうな声で言った。
その声に、優しさに、また泣きそうになった。
幸村君は……ううん、幸村君に限らず、テニス部のみんなは本当に本当に優しいと思う。
こういう状況になって改めて感じる優しさはとても心に染みるものがある。


「湊さん……」

「ん……?何……?」

「泣かせて、ごめん……」

「幸村君に泣かされた訳じゃないから、ね……?気にしないで……?」

「俺が泣かせた様なものだよ。本当にごめん……謝る事しか出来ないのが凄く悔しいけど」

「私こそ、ごめんね。こんな事で心配かけて、迷惑かけちゃって……」

「湊さんが謝る事じゃないよ……湊さんはよく頑張ったんだから。……ねえ」

「?」

「これからは、もっと俺を頼って……?何かあったらすぐに相談して……?どんな小さな事でもいい、湊さん自身があんまりよく分かっていない事でもいい。気になる事が出来たら何でも俺に伝えてほしい……」

「幸村君……」


そう言うと幸村君は私を真っ直ぐに見つめた。
雅治とはまた違う、綺麗な蒼い瞳に目を奪われる……逸らせない。


「これからは、俺が守るから」


この幸村君の一言に、私は今回の事で初めて人前で涙を流した。


(ありがとう、幸村君)


この時抱いた気持ちを、私は一生忘れない。











かなり躊躇ったけれど、どうしても気になって湊さんの所に向かった。
仁王が出て行くのを確認してから、ゆっくりと保健室に近付いた。
静かに扉を開けるとカーテンの閉まっているベッドが一つあって、すぐにそこに湊さんがいるって分かった。


「……湊さん、いるかな……?」

「この声、幸村君……?どうしたの……?」

「湊さんと話したい事があるんだけど……。カーテン、開けても大丈夫かな?」

「あ、うん……いいよ!」


湊さんの声が少し掠れていたのが分かって、俺は緊張しながらカーテンを開けた。
そこにいたのは勿論湊さんだったけど、いつもと違う気がして。
俺は一瞬動きを止めて湊さんを凝視してしまった。
真っ赤に充血した目、掠れた声……もしかしなくてもと俺は悟った。


(ああ、きっと俺が来るまで泣いてたんだな)


俺が黙ってしまったからか、湊さんは不思議そうにしていた。
はっと我に返って、俺は湊さんに直接聞いてみる事にした。
こんな事聞くのもどうかとは思ったけど。


「どうしたの幸村君……?」

「湊さん、泣いてたの……?」

「え?あ、ちょっとねっ……!でも大丈夫だか「ごめんっ……!今まで気付いてあげられなくて本当にごめんっ!」……幸村君っ!?」


湊さんが泣いていた。
本人がそれを肯定した瞬間、居ても立っても居られなかった。
俺はなりふり構わず湊さんを抱き締めていた。
謝罪の言葉と共に。


「俺、同じクラスなのに……何で湊さんがいじめられている事に気付けなかったんだろう……」

「私が何とか幸村君達に気付かせないようにしてただけだから、幸村君は気にしなくていいんだよ……?」

「でも、俺は湊さんのすぐ傍にいたのに。……仁王にも言われたんだ、何で気付かなかったのか……って」

「雅治に……?」

「うん。……怪我、痛むよね……」

「大丈夫だよ、そんなに大した事ないから!ちょっと痛い位だよっ……!」

「嘘。……腕なんか痣だらけじゃないか。これで大した事ないなんてそんな訳ないよ」

「うう……」


何で湊さんはそんなに強がるんだろう。
ここまでされてどうしてそんなに人前で明るくいられるんだろう。
その姿がどこかやっぱり痛々しく見えて、俺はぐっと胸が締め付けられた。

それに、さっきも見た身体の痣。
保健室の電気に照らされて、白い肌によりはっきりと浮かび上がるそれはとてもじゃないけれど綺麗なものではない。
ただ痛々しい……俺の頭に浮かぶのはその言葉と、怒り。
湊さんをこんな目に遭わせた奴らへの、激しい怒りだった。


(湊さんの身体にこんな痣を残した奴らの事、俺はきっと許す事は出来ないな……だけど……)


そして、それと同時に心に押し寄せる淋しさ。


(この原因を作ってしまったのは俺なんだよね。……そんな俺がこんな事を思ってしまうのは間違ってるかもしれないけど、それでももっと俺の事を頼って……)


俺はそれを湊さんに伝えたくて、言葉を紡いでいく。


「湊さん……」

「ん……?何……?」

「泣かせて、ごめん……」

「幸村君に泣かされた訳じゃないから、ね……?気にしないで……?」

「俺が泣かせた様なものだよ。本当にごめん……謝る事しか出来ないのが凄く悔しいけど」

「私こそ、ごめんね。こんな事で心配かけて、迷惑かけちゃって……」

「湊さんが謝ることじゃないよ……湊さんはよく頑張ったんだから。……ねえ」

「?」

「これからは、もっと俺を頼って……?何かあったらすぐに相談して……?どんな小さな事でもいい、湊さん自身があんまりよく分かっていない事でもいい。気になる事が出来たら何でも俺に伝えてほしい……」

「幸村君……」


湊さんはさも自分が悪い様な言いぶりで、おまけに苦笑いしている。
君は何も悪くないのに。
一人で泣いてしまう位辛い目にあったのにどうして?
悪いのは湊さんを守れなかった俺、気付いてあげられなかった俺なのに。

俺は決意するかのように、真っ直ぐに湊さんを見つめる。
少し緊張した様な表情を見せる湊さん。
その表情もこんな場面だけど可愛いと思ってしまった。
そう、俺は湊さんの色んな表情が見たい。
笑った顔も、怒った顔も、どんな顔だってきっと可愛いんだろうな。

だけど、あんな悲しい顔だけはもうごめんだ。


(湊さんの涙は見たくないんだ)


「これからは、俺が守るから」


湊さんはびっくりしていたけれど、すぐにいつもの可愛い笑顔を向けてから、俺に抱き着いて涙を流した。


暫くすると、湊さんは泣き疲れたのか俺の胸で眠ってしまった。


(寝顔可愛いな……)


可愛い寝顔に不釣り合いな泣き腫らした跡に心苦しくなるけど。
だけど俺は決めたから。
湊さんにもう二度とこんな涙は流させないと。


(俺が、守るんだ)


そう誓ったんだ。
でもどうしてだろう。


(湊さんの事こんなに思うなんて。もしかして……俺は……)


ああそうか、そうだったんだ。

俺は確信した自分の心に「何で今まで気付かなかったんだろう」と自嘲気味に呟きながら保健室を出た。
そこには、俺が思った通りの人物が待っていた。


「……仁王」

「幸村、お前……」

「湊さんを守れなかったのは謝るよ。悪かった」

「……」

「だけど、これからは何があっても絶対に俺が湊さんを守るから」


俺は言い終えると、ゆっくりと仁王の横を通り過ぎる。
仁王は何も言わないけど、俺の言葉はきちんと届いているらしい。
その証拠に、若干仁王の表情が崩れた。
「俺が」と言う言葉にきっと引っかかったんだろうな。

それでも俺は続ける。


「それと仁王」

「……何じゃ」

「これからは、本当のライバルだから。きっと本当はもっとずっと前からライバルだったんだろうけどね?……改めて、よろしく」


そこまで言うと、仁王は一瞬はっとして、でもすぐにいつものニヒルな顔に戻した。
それでこそ仁王。
俺の言葉を理解したであろう彼は、何だか楽しそうにも見えた。


「……そーか。まあ、俺は誰であっても桜華を渡すつもりはなか。必ず俺に惚れさせてみせる」

「ふふ、その言葉そっくりそのまま返すよ?俺も湊さんを誰にも渡すつもりないから。俺じゃなきゃいけないって、湊さんに絶対思わせるから」


俺が湊さんを好きな気持ちは、誰にも負けない。


(きっと初めて会った時から君が好きだったんだ)




(それにしてもどきどきしたあ……雅治にも幸村君にも抱き締められるなんて……。あ、この事ファンの子達が知ったら次こそ本当に命が危なそうだなあ。……でも幸村君のあの真剣な目、何だろう……ああもう、変な気持ちっ!)
(やっぱり幸村も気付いてしもうたの……。はあ、ええのか悪いのか。まあそれも時間の問題じゃったか……。それでも、俺は負けんよ?テニスでは勝てんでも、桜華の事では俺は……)
(俺、湊さんに会った時からずっと好きだったくせにどうして気付かなかったんだろう?……そう言うの鈍感な方なのかな。でもいいや、湊さんの事好きって気付けたんだから……これからは、俺を好いてもらえる様に頑張らないとな)



あとがき

とりあえずいじめ編はこれで終了です。
そしてやっと幸村君が桜華さんへの気持ちに気付きました。
ここからはまた今までと違う幸村君が見られるのではないでしょうか?
幸村君が恋のライバルだと相手は負ける気しかしない気がします。