18 幼き帝王の訪問




「ここが立海か……」


言わずと知れた神奈川の名門校、立海大附属中学校。
その校門の前に凛として立つ一人の男……いや、男の子と言った方が正しいだろうか。
その彼の目的は、ただ一つ。


「待ってろよ……湊桜華」


そう一人で呟くと、彼は綺麗過ぎる位に整った顔に不敵な笑みを浮かべ、ゆっくりと門をくぐった。
向かう先は決まっている。







「ふう……今日も洗濯物が多いなあ」


桜華は今日もいつもの通り部活に励んでいた。
秋で少し肌寒くなってきたとは言っても、長時間練習をする部員達には関係なく、大量の汗をかく。
それは必然的にタオルやユニフォームの洗濯物が減らないという事だ。
彼女は洗濯しては干し、洗濯しては干しの作業を繰り返していた。


「でもみんなが頑張ってる証拠だもんね、私も頑張らなきゃ!」


しかしそれは同時に部員達の頑張りの証でもあると思うと、桜華は素直に嬉しかった。
コートから聞こえる声、ボールを打つ音を聞きながら、彼女は再び洗濯機を回した。


「えっと、次はドリンクの準備をして……それから……」

「見つけたぜ、湊桜華!」

「え?」


後ろから大声で名前を呼ばれて桜華が驚きながらも振り返ると、そこにはフランス人形も吃驚な綺麗過ぎる程の顔をした男の子が立っていた。
その人物を捉えた瞬間、彼女の機嫌は一気に下がる。
何故か思い切り指をさされている事にもイラッとしてしまう。


(人の事を指でさしちゃいけないって習わなかったのかな?)


そう思うも、それよりも何故彼がここにいるのか、そっちの方が気になって。
桜華はあまり友好的ではないと言わんばかりの声で彼に話しかけた。


「あなた、全国大会の会場で私の事を男子トイレに連れ込んだ変態さんですよね?」

「変態じゃねえ!それにちゃんと名乗っただろうが……忘れたのか」

「……覚えてるよ、跡部景吾でしょ」

「ちゃんと覚えてるじゃねーかよ、アーン?最初からそう呼べ……」

「だって、やっぱり変態さんだし……何かちょっと……」

「だから変態じゃねえよ!なあ樺地……」


その少年、もとい跡部は「樺地」と言いながら後ろを振り返った。
しかしそこには誰もいない。
桜華の目の前にいるのはどう見ても跡部一人だけだ。
どうしたのだろうと桜華はきょとんとする。
今日は自分一人だったと気付いた跡部は、慌てて舌打ちをして前に向き直った。


(何だったんだろう……?)


桜華の視線に気付いたのか、跡部は少しばつが悪そうな顔をした。
だがすぐにニヒルな笑みを浮かべて偉そうに言った。


「お前、氷帝に来い」

「はい!?いやいやいや、いきなり何言って……無理に決まってるでしょ!?」

「無理じゃねえ、来るんだ。そのための準備なら俺が全てしてやる」

「そんな簡単な事じゃないから、無理です!」

「アーン?全部してやるって言ってんだろ」

「だからそれがもう意味分からないから!」

「物分かりの悪い奴だな……」

「これで分かる人がいるのなら連れて来てほしいよ……!」


跡部は当たり前のように桜華を氷帝へと誘った。
氷帝と言えば、東京にある裕福な家庭の子達や芸能人の子供……それこそやはり立海よりもお金持ちが通う学校と言うイメージが強い。
確かに前に跡部は氷帝テニス部の部長だと桜華に名乗ってはいたが、それでもいきなり彼女に自分の学校に来いだなどと言う意味が桜華にはさっぱり分からなかった。
彼女は自分の気持ちを無視されて話を進めてくる跡部に苛立ちを募らせる。


(冗談じゃない!もう、いきなり来て何なの跡部は……!)


桜華の真っ向からの否定に、当の彼も不機嫌剥き出しの表情に変わっていた。


「俺様が直々に来いと言ってやってるのに断るとは、どういう事だ」

「直々にって言われても別に頼んでもないし、行く気もないです。私は立海に来たくて来たんだから、氷帝に行く意味がありません」

「氷帝が立海に劣るとでもいうのか?……今年の優勝は確かに立海だった。しかし言っておくが、来年再来年、これから先全国大会を制するのは我が氷帝学園と決まっている」

「意味分からないから!来年だって再来年だって、立海が優勝するんだから!それに、立海の事、みんなの事馬鹿にしたら本当に許さないからね!」

「本当の事だ、侮辱じゃねーよ」

「!」


かあーっと頭に血が上るのが分かる桜華。
彼女が普段の生活の中でここまで苛々する事はなかなかない。
いきなり来たと思ったら氷帝に来いと言われ、それを断ったら今度は立海の事まで言い出しすとはなかなかの自己中俺様っぷりだ。
久しぶりに込み上げる怒り。
こんなに苛々したのは、テニス部のファンの子達と言い争いをした時以来だ……と心の中で思う桜華。


「あのね!お金持ちで顔が良いからって、何でも貴方の言う通りになると思ったら大間違いだよ……!」

「アーン!?」

「私は私!跡部のものじゃないから!いくら何を言われても、頑張って入った大好きな立海に居たいの!だから絶対に氷帝にはいかないから……!」

「ふふ、桜華の言う通りだよ跡部」

「幸村君っ……!?(どうしてここに!?)」


怒りに任せてつい声を張り上げ、あと少しで桜華と跡部が無駄な言い争いをしそうになった時、どこからともなく幸村が現れた。
驚いて桜華が目を見開くと、幸村は優しい表情で彼女を見つめた。
いつもならその表情にドキドキするのだが、今日はそんな事よりも跡部の事の方が大きくて。
しかし彼がこの場に来た事に桜華は少しほっとしていた。


「幸村君ごめんね、騒がしかったかな……?ここは大丈夫だから練習に……「跡部、立海まで来て桜華たぶらかそうとしてるの?」……幸村君!?」


桜華の言葉を遮りながら、いつもより数段低い声で跡部に敵意を見せながら話しかける幸村。
内心、どうしよう何故か幸村君が怒ってる……とひやひやしてしまう桜華。
それに気付いているのか否か、跡部は彼に向かって挑発的な視線を送っている。
一触即発とはこの事である。


(何か事態悪化しちゃった………!?)


「たぶらかす?そんな訳ないだろ?ただ、コイツを氷帝に連れて帰るだけだ」

「意味分かんないんだけど。それをたぶらかしてるって言っているんだよ俺は。そもそも何で桜華を氷帝に?大体どうして桜華の事知ってるの?」

「そんな事を、お前に話す必要はねーな」

「ふーん……跡部がその気ならまあ別にいいけど。とにかく桜華は立海の大切なマネージャーで、俺の大切な子だから何があっても氷帝になんか行かせないし、跡部にも渡す気ないから」

「!」


大切な子。
その一言に桜華の胸が高鳴る。
幸村の大切と言う意味は絶対に友達としてと言う事だとは分かってはいるが、それでも彼に言われるとどきどきして止まらなくなる。
体育祭の時に言われた好きと同じ位どきどきすると、彼女は一人顔を赤らめた。


(幸村君は素でそう言う事言うからずるい……だめだ、どきどきして苦しい……)


桜華がそんな事を考えているとは知らず、幸村と跡部は話を続けていた。


「幸村、お前コイツの事が好きなのか?」

「跡部には関係ないだろ。……ただ、否定はしないよ」

「フンッ……そういう事かよ」


跡部は幸村の言葉の意味を理解したのか、桜華の顔と幸村の顔を交互に見た。
その視線がやけに品定めしている様で少し腹立たしいなと二人は同じ事を思っていたが、そんな視線もすぐにまた挑発的なものへと戻った。


「幸村、悪いが俺様は欲しいものはどんな手を使ってでも自分のものにしなきゃ気が済まない性質でな」

「それが何?」

「湊桜華をみすみすこのままお前に渡すつもりはない……と言う事だ」

「……跡部、そう言う冗談は俺に勝ってからいいなよ?」

「そんなの今すぐにでも勝てるに決まってるだろ」

「口が減らないね……お坊ちゃんは」

「ふ、二人とも落ち着いて……!駄目だってば喧嘩しちゃ……!」  


二人の言い争いを聞いているうちに冷静になった桜華は、慌てて止めに入った。
このままだと本当に喧嘩をしかねない。
殴り合いの喧嘩等幸村達がするとは思えないが、それでももしもの時に両方に怪我でもされたら大変だ。
争ってる内容が自分の事って言うのがまた何とも恥ずかしいとは思っているが、これ以上の騒ぎになったら彼女の身も心も持たない。

しかし興奮しているのか桜華の静止の言葉なんて耳に入っていない様で、未だに二人は睨みあっている。
どうしたらこの二人を止められるんだろうと彼女は頭の中で必死に考える。


(どうしたらどうしたら……!ああもうっ!誰か助けて……!)


「さっきからどうしたんだ、二人とも」

「山倉部長……!!(このタイミングで来てくれるなんて……!)」

「今はもう部長じゃないけどな」


そう言って笑う山倉。
助けが来たと心の中で喜ぶ桜華。
それになんて頼もしい人が来てくれたんだろうと彼女は思った。
きっと彼なら二人を止められると確信出来る程に山倉はしっかりしている。

山倉は優しい声で二人に声をかけた。
頭ごなしに怒らず、まずは優しく話しかける所だけでももう、やっぱり山倉部長は素敵な人だと桜華は改めて思う。


「こらこら、幸村も。えっと君は……ああ確か氷帝の部長さんだね。何で立海にいるのかは分からないけど、他校で喧嘩するのは良くないよ」

「立海の元部長か……。だがこれは喧嘩じゃねーよ」

「でも駄目だ。大体、無断で他校性が敷地内に入ることは禁じられているんだよ?知っていたかい?今なら見逃してあげるから、早く氷帝に帰りなさい」

「チッ……邪魔が入ったな。……幸村、次会った時は決着をつけるぜ。勝った方が桜華を貰う。いいな?」

「ふふ、受けて立つよ。て言うか桜華の事名前で呼ぶのやめてね、馴れ馴れしくて腹が立つから」

「そんなの俺様の勝手だろ。……じゃあな桜華、氷帝の事真剣に考えておけよ」

「何回言われたって行きませ……!?(えええっ!?ちょっと待って何が起きてるの……!?)」

「!?」


桜華の身体は完全に固まっていた。
その理由は、突然の跡部からのキス。
とは言っても、場所は頬であり唇ではない。
だが純日本育ちの彼女にとっては、頬であってもキスはキスで変わりなく、あまりに突然のそれに固まるしかなかった。
顔を赤くし固まっているその様子を満足気に見ている跡部はしてやったりと言うような表情を湛えている。
そして踵を返すと、そのまま彼女に声をかけた。


「じゃあな、桜華。氷帝に来ると言うまで、何度でも迎えに来てやるよ」

「跡部の、跡部のばかあ……!!」


混乱と動揺で訳が分からなくなっている桜華は、つい大声で叫んでしまった。
彼女が今跡部に出来る行動で思いつくものがこれしかなかったのだ。


「ばかばかばかばかばかばか!跡部のばかっ……!もうぜーったい知らないんだから……!」

「威勢があっていいじゃねーの。更に気に入ったぜ。……覚悟してろよ桜華。お前は必ず俺様が手に入れる」


彼女の罵声なんてモロともせず、むしろ楽しんでいるようにも見える跡部。
彼はちらっと顔だけをこちらに向けそう言うと、クスクスと笑いながらその場から立ち去った。
はあはあと息を切らす桜華。
いきなり大声で叫んだせいで一気に疲れたようだ。


「はあはあ……もう、何なの……。疲れたあ……」

「桜華、大丈夫……?大変だったね……」

「幸村君……ごめんね、迷惑かけちゃって」

「俺の事はいいんだよ……俺は俺のしたいようにしただけだから」

「うん、ありがとう……。えへへ、でも、氷帝に行かせないって言ってくれて嬉しかったなあ……」

「当たり前じゃないか。……桜華は立海テニス部の……俺の大切な人だから。……跡部の奴、次会ったら本当に覚えてろよ(今日の事を後悔させてやる……)」

「わっ!あのっ、幸村君!?(幸村君までどうしたの……!?は、恥ずかしいっ……!)」

「ん?何……?」

「はは、若いって良いな」

「山倉部長……!(何で今は見てるだけなの……!?)」


幸村は君が大切なんだと言わんばかりに優しく桜華を抱き締めた。
彼女の心は跡部からの頬へのキス、そして幸村からの抱擁でダブルパンチをくらい、恥ずかしさの限界に達しようとしていた。
山倉は、はははと他人事の様に笑ってるだけで、特に桜華を助けようとかそう言う感じではない。
出来れば先程みたいに助けてほしいと心の中で祈る彼女だが、その気持ちは全く届かない。

焦る桜華の様子に、幸村は少し寂しそうな子供の様な表情で彼女を見つめ言った。


「今だけ抱き締めてちゃ、駄目……?……今はこうしていたいんだ」

「幸村君……(その表情は、ずるいよ……)」


ずるいと思いながら、これ以上は何も言えなくなる桜華。
彼にそんな表情をされては、もはや彼女に勝ち目はない。
だから恥ずかしいと思いながらも幸村からの抱擁を受け入れる事を選んだ。


「ちょっとだけだよ……?凄く恥ずかしいから……」

「うん、ありがとう……嬉しい」

「ラブラブするのもいいが、幸村も桜華も、満足したら部活戻ってこいよ」

「分かってますよ、山倉部長」

「だからもう部長じゃないって」


山倉部長は陽気に笑いながらテニスコートへと戻っていった。
優しいのはとてもいい事だが、優し過ぎるのはまた困りものだという事を思い知らされる桜華。

その後暫く幸村は桜華の事を抱き締めていた。
顔を押し付けられているせいか、胸の中がは幸村の匂いでいっぱいになるのを感じる桜華。
少しの汗の臭いも混ざっているけど、全然臭いとかではない彼の匂い。
何故かとても落ち着く匂いに、不思議と安心した。


「……ねえ桜華」

「どうしたの……?」

「氷帝になんか、行かないでね……?」

「行かないよ?だって私は立海が大好きだから。立海以外なんて考えられないよ」

「……俺の事は?」

「好きに決まってるよ!体育祭の時も言ったでしょ?私は幸村君も、それにテニス部のみんなの事も大好きだから……。あ、勿論理央の事も大好き!」

「うん、そうだよね……。絶対に、俺の傍から離れないで……ずっとここにいて」

「うん、離れないし私でよければ幸村君から離れないよ?……約束、ね?」


そう言いながら桜華は顔を上げて微笑むと、幸村も同じ様に綺麗に笑っていた。
その笑顔にまたどきどきと胸を高鳴らせる桜華。
彼女はどうして幸村君にはこんなにもドキドキするんだろうと、今まで見て見ぬふりをしていたその気持ちを改めて考えてみる事にした。


(顔が綺麗だから?優しいから?テニスが上手だから?……ううん、きっとそれだけじゃない。私は……)


「……桜華、そろそろ部活戻ろうか。皆が心配してる頃じゃないかな」

「あっ、そうだね……!早く戻らなきゃだよね!……さっきは本当にありがとう幸村君!」

「どういたしまして。……桜華のため、と言うよりかは自分の我儘の方が強かったのかもしれないけれど。桜華を連れて行ってほしくないって言う……ね」

「え……?」

「ううん、何でもないよ。さあ行こう」

「(どうして幸村君はそんな事ばっかり言うんだろう……ずるい。こんなの期待しちゃうよ……)」


抱き締めていた腕を解き、次には彼女の手を引く幸村。
そんな一挙一動、一言一言に翻弄される桜華だが、決して嫌な訳ではない。
むしろ嬉しいと感じていた。
幸村に触れられた部分が熱くなるのが分かる。
嬉しくて、恥ずかしくて……それでもやっぱり嬉しくて。
他の人にはこうはならない……桜華は心の中でこの気持ちを今しっかりと確信した。


(私は好き、なんだ……幸村君の事……。クラスメイトとしてじゃなくて、同じテニス部員としてじゃなくて……一人の、男の子として幸村君の事が好き……)


桜華は自分の気持ちに気付くと、一気に顔を真っ赤に染め上げた。
しかし幸村はそれに気付いてはいない。
彼女は今繋がれている手がより熱くなっている気がして、ばれるのではないかと気が気ではなかった。
それでも解けないのは、彼と手を繋いでいるそれだけで幸せだから。

それは、青春の甘酸っぱい恋心。




(おっ!桜華心配したぜ!?どこ行ってたんだよ!)
(ブン太ごめんね、ちょっと色々とあって……)
(って言うかめっちゃ顔赤くね?大丈夫?もしかして身体しんどいの……?)
(ほんまじゃ……って言うか幸村その手を離しんしゃい)
(ふふ、いいでしょ?……?(あれ?今まで感じなかったけど、何か桜華の手熱い……?大丈夫かな……?)桜華、本当に大丈夫……?手が熱いよ……?)
(え、な、何でもないよっ……!じゃ、じゃあ私マネージャー業に戻るね……!(うわあばれちゃうばれちゃうっ……!))
(うん、頑張ってね(ああ、何だか寂しいな……ずっと桜華と手を繋いでいられたらいいのに))
((なんじゃあれ……桜華の顔の赤さ、もしかして……。……いや、考えん方がええの))







あとがき

遂に桜華さんも気付く事が出来ました。
跡部様様と言うのでしょうか、噛ませ犬の様で申し訳ないです。
しかし、気付いたからには今後大変な桜華さん。
次回以降も良ければお付き合いくださいませ。