21 決意と不安
「桜華……?」
俺が桜華の元に駆け寄ろうとした瞬間、何故か勢いよく……と言うかは避ける様に走り去って行った。
急な事で驚いた様子の悠樹さんが叫んでいるけど、その声にも止まる様子はなくて。
結局桜華は何処かへ行ってしまった。
折角会えると思ったのに残念だなと思いながらも、俺はその場にぽつんと残された悠樹さんに近付き声をかけた。
「悠樹さん」
「幸村、ちょっと今あんたに構ってる場合じゃ……!桜華が……!」
「桜華、何で走って行っちゃったの?」
「私だって分からないわよ……!ただ、私が幸村がいるって教えてあげた後急に泣き出しちゃって。あんたが近付いて来ようとした瞬間に走り出したのよ!」
「泣いた?俺を見て……?」
何で桜華が俺を見て泣いたんだろう?
その時は全然意味が分からなくて、思わずきょとんとしてしまう。
(俺桜華を泣かせる様な事したかな……?)
悠樹さんはまだ状況ぶ思考が追い付いていない様で、苛立ちからか興奮している。
「そうよ!と言うか、幸村。貴方彼女放っておいていい訳?あんな所に置いて来て、怒っちゃうんじゃないの?」
「彼女?何の話をしてるんだい?」
「何の話って……しらばっくれても無駄よ。一緒にいた可愛い子、あれ幸村の彼女じゃないの?」
「え?あれ、俺の妹なんだけど……」
「はっ!?え……妹?本当に……?」
「うん。こんな事嘘ついてどうするの。ちょっと今日は買い物に付き合ってもらってたんだよ。女の子の意見が欲しくてさ」
悠樹さんはまだ疑いの目を向けているけど、一緒にいたのは正真正銘血の繋がった妹だ。
それ以外の何でもないし、ましてや彼女な訳がない。
(俺が彼女にしたいって思うのは桜華だけなんだから)
でも、何で桜華は俺を見て逃げた……?
もしかして、俺と妹が一緒に歩いているのを見て悠樹さんと同じ勘違いをしたから……?
俺が女の子といる所を見て、泣いて逃げちゃうなんて……
(……期待しちゃうじゃないか。桜華も俺と同じ気持ちなのかなって)
悠樹さんと別れて妹と家に帰った後も、ずっと桜華の事が頭から離れなくて。
もしかして、妹の事を彼女だと勘違いして嫉妬してくれたのかな……とか。
俺の事が好きで、彼女がいる事にショックを受けてくれたのかな……とか。
それだと嬉しい反面、桜華の事を傷つけてしまったみたいで心苦しいけれど。
別に傷つけるつもりはなかったし、実際彼女ではないからあれなんだけど……間接的にそうなってしまっていたら可哀想な事をしてしまったと思う。
(明日、部活の時にちゃんと説明しよう。それで俺は……必ずクリスマスイブに桜華に告白する)
今日買ったプレゼントを見つめながら、一人ベッドの上でそう決意した。
次の日。
桜華は部活を休んだ。
彼女が部活を休んだのはこれが初めてで、皆が一様に驚いていた。
理由としては病欠。
季節柄仕方のない事なのかもしれないが、昨日一昨日まで元気だった姿を見ていたテニス部の面々は、心の中で心配しつつも寒い中練習に励んでいた。
「桜華が休みなんてつまんねー」
「やる気が出んのお……」
「たわけが!桜華がおらんからといって怠けていてどうする!」
「弦一郎、煩い。少し静かにしないか」
「む……すまない蓮二」
「しかし珍しいですね、昨日まではあんなに元気だったのに。風邪でもひかれたのでしょうか……心配です」
「そうだな……大した事なかったらいーけどよ」
皆が桜華を心配する中、心中穏やかではない人物が一人。
(どうしたんだろう桜華……)
昨日の事を説明しようと意気込んで部活に来た幸村だったが、予想外の桜華の休みに焦っていた。
昨日のうちに電話でもして事情を説明すればよかったと思いつつも、時すでに遅し。
休んだ理由が病欠だと聞かされたが、幸村は内心違うのではと思っていた。
幸村と理央にしか分からない、昨日の出来事。
(昨日の事ひきずってたらどうしよう。俺のせいで桜華が部活を休んでたら……)
考えても考えても悪い事しか出てこない。
このまま考えていてもどんどんどんどん深みにはまる一方だと、幸村はぶんぶんと頭を振って、とりあえず今は練習に集中する事にした。
そして本日の部活終了の時間となった。
部長の号令に続いて、部員の「お疲れ様でした」と言う声がコートに響く。
一年はそのままコート整備や片付けがあるので、コートに残り仕事をこなす。
いつもならここに桜華もいるのだが、今日はいない。
その事が部員に与える影響はかなり大きい様で、華のないコートに溜め息が漏れる。
「やっぱり桜華がいねーとつまんねえ!部活終わってもやっぱりつまんねえ!あー桜華と喋りたいぜぃ……」
「はあ……ほんに今日は一日やる気が出んかったのお」
「仁王君は全く……怒られてしまうのではないかと冷や冷やしましたよ」
「……明日、桜華は来られるだろうか」
柳の一言に、皆がはっとした。
明日。
明日と言えば、いつものメンバーでクリスマスパーティをする日。
だが、一番楽しみにしていた桜華は今日部活を病欠している。
ブン太や仁王が「桜華がいないなんて嫌だ」と駄々をこねている中、幸村はどうするべきか悩んでいた。
帰りに彼女の家に行ってお見舞いがてら説明して、明日来られるか聞きに行ってもいい。
ただ、自分が行っても良いものなのか……泣いて逃げられた張本人が行ってしまったら、余計に辛くなるかもしれない。
桜華が泣いた事情がちゃんと分からないから何とも言えないが、自分が関わっているのは確かだと幸村は顔を歪めた。
「どうした精市」
「え?」
「顔色が悪い。表情も歪んでいるぞ……何かあったのか」
「いや、大丈夫だよ、ありがとう……」
「そうか…ならばいいが。……俺はこの後桜華の家に寄って少し様子を見て来ようと思うのだが、精市も行くか?」
「!」
柳は桜華と家が近いため、帰りにお見舞いに行く事にしていた。
「時間が遅いためあいつらには内緒だが」と小声で幸村に伝えた。
夕方の時間帯に流石にこの人数で押し掛けるのは迷惑極まりない。
しかし柳は幸村だけはと思って誘ったのだ。
柳は彼からの同意が返ってくると思っていたが、返ってきた答えは全く逆のものだった。
「……いや、今日は遠慮しておくよ」
「(珍しいな……これは何かあった確率93%)そうか、では何か伝言があれば伝えておくが」
「ううん、大丈夫。……あ、早く元気になってってだけ伝えてもらえるかな」
「了解した」
柳はそう言うと軽く首を縦に振った。
その後暫くして、皆と別れた柳はそのまま桜華の自宅へと向かった。
「はあ……」
桜華は部屋のベッドの上で一日溜め息をついていた。
昨日の事を考えてと言うのも理由の一つだが、部活を仮病で休んでしまったという罪悪感が彼女の気分をより低くした。
泣き腫らした目が少し痛む。
「どうしよう……このままだとどんどん気まずくなっちゃうかな……」
うだうだ考えていても仕方ないと自分自身分かっているのだが、どうしても一歩踏み出す事が出来ない。
一歩踏み出そうとすると、昨日の光景が頭を過って邪魔をする。
あの出来事は、桜華にとってとてつもなく影響を与えるものだった。
彼女は再び深い溜息をついて、ベッドの上でうー……と唸りながらじたばたと足を動かした。
その時、家のチャイムが鳴った。
生憎桜華以外家には誰もいない。
一瞬居留守をしようかとも考えたが、大切な荷物やお客様だと困ると居留守を諦めた。
リビングに降りてモニターを確認すると、そこに映っていたのは柳の姿。
思わず桜華はどきっとしてしまう。
今日休んだ事を聞かれるのは明白で、彼女は再び出るのを躊躇ってしまった。
だが柳なら居留守にすぐ気付かれてしまうだろうと、桜華はやっぱり諦めて出る事にした。
「……蓮二、どうしたの?」
「桜華か。身体の具合はどうだ?」
「うん、平気だよ……何とか」
「見舞いに来たのだが。……俺一人だから安心しろ」
「ありがとう蓮二。ちょっと待っててね、今行くから」
「ああ」
柳一人だと聞いて少しほっとした桜華は、ゆっくりと玄関の扉を開けた。
その場には柳しかおらず、彼は言っていた通りに本当に一人でやってきたようだ。
だが彼女は扉を開けた事を後悔した。
泣き腫らしたと丸分かりの顔を柳に晒してしまった恥ずかしさでいっぱいになる。
この顔を見た柳はきっとすぐに気付いてしまうだろう、彼に限らず見たら誰でも気付くだろうが。
「お見舞いありがとう蓮二。でも大丈夫だよ……?心配かけてごめんね……」
「そんな顔をしている奴が言っても説得力がないぞ。……桜華、少し話をしよう」
柳はそう言うとふっと柔らかい笑みを浮かべ、桜華の頬を優しく撫でた。
その表情と手の暖かさに、昨日から緩みっぱなしの涙腺から再び涙が溢れそうになったが、彼女は必死に我慢した。
そんな様子に気付いているかは定かではないが、柳は靴を脱ぎ丁寧に揃えると家へと上がった。
そのままリビングまで柳を連れて行き、「こんなものしかないけど」と言いつつ柳に和菓子と日本茶を出した。
受け取った彼は礼を言い、そしてゆっくりと話し出した。
「今日はどうした。病欠というのは嘘だろう……?」
「分かってたの……?」
「確率的には65%だったが、先程の桜華を見て一気に100%……確信に変わった」
「ごめんなさい……嘘ついて休んじゃって。いけない事だって分かってたんだけど……それ以外思いつかなくて」
「桜華が嘘をつかなければいけなかったのには何か理由があるのだろう。俺には話してくれないか」
真っ直ぐに見つめてくる柳の視線に少したじろぐ。
言ってもいいものなのか。
もしかして彼は幸村の彼女を知っているのかもしれない。
それに言わなければ、ただ本当に理由なく仮病で休んでしまった事になる……桜華は考えた。
色々な思いが頭の中を巡っていたが、少し混乱しながらも意を決して話す事にした。
「……昨日、理央と一緒に買い物に行ったの。みんなとのクリスマスパーティで交換するプレゼントを買いに」
「ああ」
「それで、そこで幸村君を見たんだけど……」
「精市を?……そう言えば精市も買い物に行くと言っていたな」
「……幸村君ね、すっごく可愛い女の子といたんだ。お人形さんみたいな子、学校では見た事ない感じだったけど……」
「女子と……か」
「幸村君に彼女さんがいるなんて知らなくて、びっくりしちゃって……それで、思わず逃げちゃったの。だから今日会い辛いなって思って休んじゃった……本当にごめんね」
桜華はその辛さを誤魔化す様にははっと笑った。
だが柳からの返事はない。
話を聞いた柳は、手を顎に乗せ何かを考え込んでいた。
何を悩んでいるのか彼女には全く読めない。
その姿に思わず疑問を投げかける。
「何を考えてるの……?私何か変なこと言ったかな?」
「いや……精市に彼女がいると言う話は初耳だったからな。俺のデータにはなかった話だ(それに、そんな訳はないのだが……)」
「最近出来たのかな?内緒にしてたんじゃない?ほら、知られるとファンの子とかが何するか分からないし……」
「……妹、という可能性もあるな」
「妹さん?」
「ああ。精市には二つ下の妹がいる……もしかして桜華が見たのはその子じゃないのか」
「分からないけど、どうなんだろう……」
妹。
そうであればどれだけ嬉しいかと桜華は心の中で思った。
しかしそれが勘違いで、今の彼女という考えが正しかった時のショックはもっと計り知れないものになってしまう。
そう思うと、どうしてもその考えを素直に受け入れる事が彼女には出来なかった。
「しかし桜華。ようやく自分の気持ちに気付いたのか」
「え……?」
柳は彼女の頭を軽く撫でると、ふっと笑みを零しながら言った。
「精市の事が好きなのだろう?」
「!」
「全く分かりやすいな。精市の事が好きだから、知らない女子といるのを見てショックを受けた……違うか?」
「あはは、蓮二には何でもお見通しだね。恥ずかしいなあ」
「この柳蓮二の事を甘く見られては困るな。……精市の事が好きな桜華に一つ、良い事を教えてやろう」
「良い事……?」
桜華の返答の後、柳はゆっくりと言葉を紡いでいった。
その言葉に、彼女は思わず顔を赤らめる。
「……それって本当?」
「俺のデータを信じられないのか?」
「そう言う訳じゃないけど、でも……」
「安心しろ。俺は嘘はつかない。今言った事は事実だ」
「ありがとう蓮二。何だか気持ちが軽くなったよ。……よかった、蓮二が来てくれて」
「そうか。俺こそ桜華と話せてよかった。……それと伝言だが、精市が早く元気になってと言っていたぞ」
「……うん、ありがとう」
柳はまたふっとした笑みを浮かべると、「そろそろお暇する」と言って立ち上がった。
時計は十九時を指している。
桜華の家族は未だ誰も帰っては来ないが、家が近いからと言っても夜分に長居するのはよくないと思ったのだ。
玄関まで見送りに行った桜華は、柳が来た時とは打って変わった明るい笑顔を浮かべていた。
その表情に、柳はほっと胸を撫で下ろす。
「今日はありがとう蓮二。元気出た!」
「桜華はそうやって笑っている顔が一番似合うな」
「恥ずかしいよ蓮二ってば」
「本当の事だ。……そういえば、明日のクリスマスパーティの事なんだが」
「あ……そういえば明日だったね!……どうしよう。気まずいなあ」
「何も気にする事はない……普通にしていろ。それが一番だ。桜華にとっても、精市にとっても」
「うん……そうだよね」
「それに、明日桜華がいなければ、仁王と丸井が暴動を起こしかねないからな」
「大袈裟だよ!でも、みんなにも会いたいし、楽しみにしてたし行くよ!」
「では明日、十三時頃に迎えに来よう。準備して待っていてくれ」
「ありがとう、待ってるね!」
「ああ。それでは、おやすみ」
「おやすみなさい蓮二」
桜華が手を振ると、柳も軽く振り返してくれる。
しばらく振っていたが段々と彼の姿が見えなくなったので、振るのをやめてゆっくりと扉を閉めた。
「明日、かあ……」
桜華はドアにそっともたれかかると、ぽつりと一人呟いた。
不安な気持ちもある。
だけれど折角のパーティだから楽しみたい……その思いが入り混じってどうしようもない気持ちになる。
そして柳が言った言葉。
本当ならどれだけ嬉しいかと思うが、真実は本人にしか分からない。
その同時刻、帰宅中の柳が幸村に電話をして、ある事を話しているなんて露知らず……桜華は小さく溜息をついた。
あとがき
次回はクリスマスパーティになります。
幸村君と桜華さんはどうなるのでしょうか?
幸せな気持ちで読んでもらえるものにしたいです。