25 女の子の事情【前篇】




それは突然やってくる。

三学期が始まり半月ほど経った。
最後の席替えも無事に終わり、桜華は窓側の後ろから二番目、理央は一番後ろと前後の席になる事が出来た。
しかし幸村だけは廊下側の一番前というほぼ反対の席になってしまい、少し不満気だ。
理央はそんな様子の幸村に、「ざまあみなさい!これで桜華は一人占めよ!」と高笑いをしていたが、彼はその隣で、「授業が終わる度に来るね」と言いながら頭を撫でて彼女を照れさせていた。


そんなある日。
英語の授業が終わって、クラス委員の合図で起立と礼をした時の事だった。
理央はきちんと立って礼をしている前の席の桜華のある部分を見て驚き、大きく目を見開いた。
しかし彼女は何も気付いていないようで、くるっと理央の方を向くとにこにこと嬉しそうに笑う。


「理央、やっと終わったね!英語本当に苦手で、眠くなっちゃうんだよね〜」

「桜華、ちょっとこっち来て!」

「え?理央?どうしたの……?」

「いいから!とりあえず来てっ!」

「?」


理央はぐっと半ば無理やり桜華を自分の前に立たせ背中を押した。
移動する前にそっと彼女の椅子に自分のタオルを敷いておくのを忘れずに。
桜華はいきなりの事で何が何だか分からなくて、頭に疑問符を浮かべたまま、理央にぐいぐいと押されていった。
授業が終わり、彼女の席に行こうとした幸村はその間もなく連れて行かれた彼女を見て、ただ訳のわからない顔をするしかなかった。


(桜華も悠樹さんもどうしたんだろう……?あんな慌てて、何かあったのかな?)


幸村が一人教室でそう考えている間に、二人が着いた先は女子トイレ。
トイレに来るのにどうしてあんなにも慌てて押されてきたのか分からずに、桜華の頭の中は益々疑問符で埋め尽くされた。


「理央、どうしてトイレに?何かあったの?私別に今は大丈夫なんだけどなあ」

「桜華、今日お腹痛かったりしない?何か重いなあとか、そんな感覚なかった?」

「……あ、そう言えば、ちょっと重たい様な気はしてたけど。ん?どうして理央が知ってるの……?」


理央に体調の事は言ってないし、特に顔に出てたとも思えない。
なのに何故自分の体調の事が彼女に分かったのかと、トイレに連れて来られたのには何の意味があるのだろうかと、彼女はそう思うばかりだった。


「あのね桜華、生理ってまだきてないよね?」

「うん、まだだよ?」

「……スカートに血が付いてるの。だから多分、今きてるんじゃないかなって……」

「えっ!?嘘……」


理央の一言に驚いて、すぐさまスカートを回して見てみる。
すると言われた通り、お尻の辺りに赤黒い染みが着いているのが分かった。
その染みを見て桜華は動揺し、瞳を揺らがせた。


「理央!どうしよう……!こんな急になると思ってなかったから、私、何にも持ってないよ!」

「落ち着いて桜華。私今丁度生理中でナプキン持ってるから、下着汚れてて嫌だろうけどちょっと我慢してつけてきな?その間に教室から体操服取ってくるから」

「うん……!」

「終わったら一緒に保健室に行きましょう?多分替えの下着もあると思うし……ね?」

「迷惑かけてごめんね理央……恥ずかしいなあ……」

「何言ってるの、女の子なんだから当然の事じゃない!それに生理が来たって別に恥ずかしい事じゃないんだから。一つ大人になったってだけの話よ」

「えへへ、大人になったのかあ……それはちょっと嬉しいかも」

「でしょ?じゃあ私行ってくるからね?」

「ありがとう、よろしくね!」

「はーい」


返事と同時に理央はポケットから出したナプキンを桜華に手渡し、教室へと走って行った。
それを手に取った桜華は、個室に入り慣れない手つきで下着に着ける。


「うう……下着血だらけだ。気持ち悪いなあ……」


生々しいそれを見て泣きそうになる。
いきなり始まった生理、しかも学校でとなると厄介極まりない。
でも理央が後ろの席にいてよかったと、改めて友達の大切さを実感した。
もし男子だったらと考えると冷や汗が出る。


(例え精市でも、やっぱり恥ずかしいもんね……はあ、理央がいてよかった……)


そこで桜華はぼんやりさっきの理央の行動を考えた。

まず何故背中を押したのか。
それは、スカートに着いている血を自分の身体で隠すため。
椅子に置いたタオルは、椅子にまで着いてるかもしれないと考え置いたもの。
彼女の行動一つ一つに意味があった。
それが分かると、ますます理央の気遣いに感謝する他なかった。
桜華は理央は本当に気の利く子だなあという事を再認識する。


(理央ってやっぱり頼りになるなあ……えへへ、理央と友達でよかった)


そこに丁度理央が体操着を持って帰ってきた。
扉をそっと開けて、それを受け取り着替える。
汚れたスカートは、またしても理央の機転で中が見えない袋に入れる事になった。
あまりの手際の良さに桜華は思わず感嘆を漏らした。


「何から何までありがとう理央。本当に頼りになるね!」

「私は小学生の時から生理になってたしある程度慣れてるからね。桜華みたいな子何回か助けてあげた事もあるし……こう言うの慣れっこって言うのかしら」

「でも凄いよ、私なら一緒に慌てちゃうもん」

「あはは、桜華らしいわ」


くすくすと笑いながら二人は保健室へと向かった。
在中している保健医は扉の開く音に気付きこちらを振り向いた。
桜華は少し恥ずかしくてもじもじとしており、いかにもな態度。
そんな中理央が保健医に説明をしてくれたので事をスムーズに運ぶ事が出来た。
幸い、保健室には替えの下着が用意されており、桜華はそれに履き替える事が出来た。


(制服もあればよかったんだけど……まあそんな訳ないよね。とりあえず下着だけでも履き替えられたのはよかったかな)


桜華の準備が整ったところで理央と保健室を出た。
次に職員室へ向かうと、担任の席を見つけ近付く。
どうして体操服なんだ?という視線を感じつつも、理央がきちんと説明した。
男の先生だが事情はきちんと把握してくれたらしく、今日授業のある先生に伝えておくと言って頷いた。
桜華は全て説明してくれる理央に感謝しつつ、それでもやはり恥ずかしい気持ちも隠し切れないようで顔を少し赤らめていた。

そして二人は教室へと足を向けた。
しかし桜華の足取りは重い。


「教室に戻るのなんかやだなあ……はあ……」

「どうして?」

「だって、今日体育ないのに体操服だし……絶対おかしいじゃん」

「大丈夫よ。担任はああ言ってくれてたし、クラスの子達の事は気にしなくてもいいから。私だって傍にいるしね。何とか言って誤魔化してあげるわよ」

「うん……」


理央はそう言うも、桜華は不安で仕方なかった。
特に幸村にどう言ったらいいのかとても迷っていて。
正直に話せば早い話だが、やはりそれは女の子として恥ずかしい。
いくら彼氏であったとしても、生理がきてスカートが汚れた……何て正直に言える事ではない。


(聞かれたらどうしよう……っていうか絶対に聞かれるよね)


頭の中がその事でいっぱいになって溢れそうになる。
しかし結局良い答えが見つからないまま、彼女は教室に着いてしまった。
桜華は更に重くなる足を動かし、理央の後押しを受けつつ教室へと入った。


「よかった、誰も気にしてないみたい」

「次の授業小テストあるし、皆勉強してるみたいね」

「そういえばテスト……!理央、勉強は!?」

「そんなの家でしてきてるから大丈夫、気にしないで」

「そっか……流石理央!どっちかっていと私の方が危ないです」

「ふふ、今から少しだけでも勉強しましょう」


理央が笑いながらそう言うと、桜華はこくりと頷いた。
勉強の出来る彼女に教えてもらえれば何とかなる気がして安心する。
するとそこに、やはりと言うべきか幸村が駆け寄ってきた。
桜華は一瞬顔を強張らせる。


「(どうしようやっぱり来ちゃった……!)どうしたの精市……?」

「どうしたのって、こっちが聞きたいよ。休憩に入ったらいきなり悠樹さんに連れられって行っちゃうから……それに何で体操服なの?」

「え、えっと……(何て答えればいいんだろう……)」

「ちょっと服を汚しちゃっただけよ、ね?桜華」

「う、うん!授業中にちょっとペンのインクが零れちゃって……」

「ふーん……」


幸村は一瞬信じた様な表情を見せたが、それは本当に一瞬の事だった。


「何で本当の事言ってくれないの?」


ドクン。
桜華は心臓の音が大きく鳴った気がした。
幸村の顔は全く笑っていない。
蒼い瞳が冷たく彼女を見つめているだけだ。
いつも自分に向けられる視線と違い、内心焦る。
どんどんと速くなる心臓の音が煩い。

じっと自分を見ているその視線に耐えきれなくなり、桜華は顔を逸らすとそのまま小声で返事をした。


「ほ、本当……だよ」

「嘘」

「本当だってば……!」

「インク位であんなに慌てないでしょ?それとも何?俺には言えない事があるの?」

「幸村いい加減に……!」

「悠樹さんは黙ってて」

「黙ってる訳にはいかないわよ……!桜華は……!」

「もういいよ!」


先程の小声からは比べ物にならない程の大声。
クラス中の生徒が思わず彼女のいる方へと視線を向ける。
目の前にいる幸村は突然の桜華の大声に一瞬驚いたものの、それがより感情を逆撫でしたのか、更に冷たい眼で彼女を見つめた。


「……分かった。もう聞かないよ。何を聞いても嘘しかつかれないなら、もういい」

「っ……」

「幸村!」


幸村は言い終わるとそのまま席へと戻って行った。
その時丁度次の授業の先生が教室へとやってきた。
先生はぱっと視線を桜華に向けると、気遣いなのか優しく微笑んでくれたのだが、今はそんな先生の気遣いも彼女には全くもって無意味。
彼女の頭の中では先程の幸村の事で頭がいっぱいだ。


(どうしようどうしよう……!)


頭に浮かぶのは先程の幸村の冷たい視線。
思い出してまた早まる心臓の鼓動を必死に抑えようとするが、どうしてもあの視線が浮かぶ度に心臓が煩くなる。
とにかく怖い、それしかなかった。
真田に同じ様な視線が向けられているのを見た事はあるが、まさか自分に向けられるなんて思っていなかった桜華は、自分の席に座っている幸村の後姿を見つめて目を潤ませた。


その時。
桜華の視界がぐらっと揺れた。


(なに……?)


一瞬驚きはしたものの、このタイミングでとなると始まったばかりの生理が関係しているのかと考えた。
先程からどんどんと痛みを増す下腹部の鈍痛と幸村との事も相まって、彼女は誰にも見られないように俯いて辛そうに顔を歪めた。




そして放課後。
理央に「また汚さないように気をつけてね」と小さな声でアドバイスされ、それに桜華はしっかりと頷いた。
彼女の返事に安心したのか、「じゃあまた明日ね!」と言って理央は部活へと行ってしまった。
いつもならすぐに幸村が来て、「部活行くよ」と微笑みながら言ってくれるのだが、今日はもう教室に姿が見えない。


(凄く怒ってるんだよね……嘘つかれたって事に)


幸村は完全に桜華の話を嘘だと確信している。
彼にとっては、嘘をつかれた事、何より理央は知っているのに自分は知らない事が心底悔しかったらしい。
桜華自身も嘘をつかれるとショックだし、自分だけに話してくれないとなるとやはり寂しくなる。


(だけど、これだけは恥ずかしくて言えないよ……)


桜華は少し溢れそうになる涙を堪えて、一人部活へと向かった。


結局幸村は部活が始まる前も始まった後も桜華に目を向ける事も、話しかける事もなかった。
彼女はそれを気にしながらも、益々と酷くなる下腹部の痛みに身体が倒れそうになるを必死に我慢していた。
しかし、体調はどんどんと悪くなる一方。
段々と視界の揺れも激しくなってきた。


(どうしよう結構やばいかも……でも仕事しないとみんなに迷惑かかるし……)


気を抜けば今にでも倒れてしまいそうだ。
あまりの辛さに桜華はお腹に手を当て顔を顰めた。


(……桜華?)


そんな彼女の様子に気付いた人物が一人いた。
彼は少し小走りで近付くと、そっと手を添えて桜華の身体を支えた。


「蓮二……?どうしたの?」

「どうしたと言いたいのはこっちだ。顔色が悪いぞ。表情も辛そうに見えるのだが。……お腹が痛いのか?」

「だ、大丈夫だよ!何でもないって!ほら、元気元気!」

「(無理矢理にしか見えないな)……桜華、もしかして」

「?」

「こんな事を聞くべきか迷うが、もしや今生理中なのか……?」

「!」


柳のその一言に桜華ははっと目を見開く。
彼女の表情を見て確信したのか、やはりな……と言いつつ柳はそっと頭を撫でた。
驚いた表情からすぐに恥ずかしそうな顔へと変わった桜華は、俯いたまま言葉を紡ぐ。
何故か彼にならという気持ちがあったのは、彼女が柳の事を心のどこかで兄のように思っているからだろう。


「無理はするな……女子なんだ、避けられない事だろう」

「ごめんね、心配掛けて」

「気にするな。お腹はどれ位痛むんだ……?それ以外も何かあるのか?」

「お腹はそうだね……最初より痛みは増してるかな。あとちょっと貧血気味で……でも大丈夫だよ!そんな大した感じじゃないから」

「何かあったらすぐに言うんだぞ。マネージャーの仕事も無理はするな」

「うん!ありがとう蓮二。あ、ほら先輩が呼んでるよ、練習に戻って?」


そう言って柳に笑って見せる。
その表情に少し曇りがあることを気にしつつ、柳は練習に戻ろうとしたその時。


ドサッという鈍い音がコートに響いた。




あとがき

女の子事件前篇です。
長くなったので分けました。
生理になるって結構な事件ですよね。
そしてそれを言うのはとても恥ずかしい…ということで、付き合って最初のすれ違いです。
幸村君もまだまだ幼いのです。