26 女の子の事情【後篇】




「桜華!」


後ろから聞こえた鈍い音に柳は慌てて振り返った。
そこにはさっきまで笑っていた桜華はおらず、代わりに気を失っている様にぐったりと倒れ込んでいる彼女がいた。
柳はすぐに近寄ると桜華の体を抱き起こし、表情を歪ませた。


「っ……思った以上に辛かったのか。俺とした事が、迂闊だった」

「蓮二!桜華どうしたの!?」

「精市……」


流石の幸村も桜華が倒れたとなっては無視している事も出来ずに、二人がいる場所へと駆け寄る。
彼女を抱いている柳に軽く嫉妬しつつも、今はそんな時ではないし、何より彼の歪んだ表情に何も言えなくなった。


「説明は後だ。精市、俺は桜華を保健室に運ぶ。お前は部長に伝えて来てくれ」

「どうして桜華は急に倒れたの!?蓮二は事情を知っているのかい!?」

「説明は後だと言っているだろう。冷静になれ精市。お前は今するべき事をしろ」

「でも……!」

「早く行け精市」

「っ……」


保健室に連れて行くのは、本当は彼氏である自分の役目であってほしかった……そう心の中で悔むが、桜華の異常に一番初めに気付いたのは柳だ。
そう思うと幸村は悔しくて仕方なくて、思わず歯を強く噛み締める。


(何で俺は……駄目だ、自分が嫌になるな。もう少し大人にならないと……)


先程の柳と同じ様に顔を歪ませた幸村は、ぐっと溢れ出しそうになる気持ちを抑えながらも桜華が倒れた事を説明しに行った。




「………ここは?」

「桜華、目が覚めた……?」

「せ、いち……?」


桜華はぼーっとする頭を抱えながら起き上ろうとするが、幸村にそれを阻止される。
彼女は少し歪む視界でぼんやりと周りの景色を捉えた。


(ここは、保健室……?)


白いベッドに、白いカーテン。
保健室独特の薬品の匂いを感じ、桜華は首を傾げた。


(どうして保健室に……)


「無理して起き上がらなくていいよ、まだ横になってて」

「うん……(精市、もう怒ってないのかな?いつもみたいに優しい……)」


いつもと変わらない幸村の優しい声色に、桜華はほっとした。
しかし、自分は一体どうしたのだろうか?何故保健室にいるのだろうかと、未だに状況を全ては把握出来ていなかった。
その様子を察知したのか、幸村は彼女の頭を撫でながら説明を始めた。


「桜華、部活中に倒れたんだよ。先生が言うには、軽い貧血だって。ここまでは蓮二が運んでくれたんだ」

「あ……(なんだ、そういう事か)」


彼の言葉で思い出した。
自分がどうなったのかを、どうしてこうなってしまったのかも。


(私、あの時やっぱり耐えきれなくて倒れちゃったんだ……)


その時の出来事が、未だにぼーっとする頭に徐々に蘇ってくる。


(でもどうして精市が……?)


ここまでは柳が運んでくれたらしいのに、今彼女の目の前にいるのは幸村で。
さっきまで怒っていて自分の事を無視していた幸村がこの場所にいるのは何とも不思議な感じだ。
しかしまた怒ってしまうのではないかと思うと理由を聞くのも若干引けてしまい、桜華はすっかり黙り込んでしまう。

そんな彼女の様子に気付いたのか、幸村は苦笑しながら言葉を紡いだ。


「どうして俺がここにいるのか気になってるんだよね?」

「!」

「蓮二がここまで桜華を運んでくれた後、俺も後を追ってここまで来たんだ。そしたら蓮二に、『桜華の傍にいてやれ、それが彼氏である精市の役目だ』って言われてね」

「そっか……」





桜華が目覚める少し前。
部長に説明を終え保健室に駆け付けた幸村は、柳に冷たく睨まれお叱りを受けていた。


『桜華の体調の異常に何故気付かなかったんだ精市』

『それは……』

『今日は二人とも部活開始前から様子が変だとは思っていたが……彼女の体調くらいきちんと把握してやれ』

『分かってるけど、でも……』

『でもなんて言葉は逃げだ。お前は桜華が好きなのだろう?大切なのだろう?だったら、気に入らない事があったからと無視するのではなく、ちゃんと話し合え。でなければ取り返しのつかない事になるぞ』

『……蓮二には何でもお見通しなんだね』

『お前たちの様子を見ていればすぐに分かる。……桜華が目覚めるまで、傍にいてやれ。それが彼氏である精市の役目だ』

『うん、分かったよ。ありがとう蓮二』

『あまりに桜華を蔑ろにするなら、今すぐにでもお前から奪うぞ。……お前以外にも桜華を好いている人間がいる事を忘れるな』

『肝に銘じておくよ』


柳のただならぬ雰囲気に、幸村は苦笑しつつも内心焦っていた。
柳も桜華の事が好きなのだ。
それも自分よりずっと前から、彼女の事を想っていたのだ。
そう思うと、柳の奪うという言葉がやけにリアルで、背筋に少しの寒気を感じた。


(俺も変な意地を張っていてはいけないな……)


柳のお叱りに幸村はやっと気持ちの落ち着きを取り戻し、桜華の眠るベッドの脇にある椅子に座った。


(早く目覚めて桜華……)


そしたらちゃんと君に謝れる。
そう心の中で呟きながら、彼女の頬をそっと撫でた。







「……精市」

「どうしたの……?」

「ごめんなさい」

「!」


まさかの桜華からの謝罪に幸村は焦った。
自分から謝るつもりでいた分、彼女からの謝罪に胸が苦しくなった。
体調が悪い時に自分が与えた精神的な苦痛はかなり堪えただろうに、それでも自分から謝ってくる事に、幸村は非常に情けなくなった。


「私が嘘ついたから、嫌だったんだよね……。私ももし精市に嘘つかれたらいい気はしないもん」

「嘘をつかれたのは凄く悲しかったけど、何か理由があるんでしょ……?もしかして倒れた事と関係が……?」

「うん……」

「嫌ならもう無理には聞かない。ただ、桜華の事が心配なんだ……今日もこうして倒れたし。俺じゃ頼りないかな……?」

「そんな事ない……!」

「そっか、よかった。それだけで今は十分だよ」


十分だと言いながら笑う幸村の表情には少しの寂しさが混ざっているようで、桜華は胸を締め付けられた。
自分が悪いのに彼は許してくれてる。
その幸村の優しさに桜華は恥ずかしい気持ちをぐっと抑えて、座る様に起き上がるとゆっくりと口を開いた。


「……あのね」

「ん……?」

「私、今日生理が来たの」

「え……?」

「その、突然今日始まったからびっくりしちゃって……」

「せいり、って……」


桜華のまさかのカミングアウトに一瞬幸村の動きが止まった。
生理……彼はその言葉に聞き覚えはあるが、男の自分には大して関係ないものだと思っていた。
しかし目の前の彼女はその生理になったらしいのだ。
男には分からないが、女子としては気恥かしいものがあるのだろう。
それを彼氏に言うとなると尚更恥ずかしいに違いない。


(そういう事か……なるほど、合点がいった)


だから桜華はあの時本当の事を言えなかった。
理央が慌てて彼女を連れて行ったのも、体操服だった事も、全てそれのせいであったのだと納得した。
それなのに自分は子供みたいに彼女を攻め立ててと、あの時の事を酷く後悔する。


(もっと冷静になって話を聞くべきだった……はあ、本当にまだまだだな俺は)


もし自分だったら彼女に赤裸々に言えるだろうか。
自分自身の性に関する事、他にも恥ずかしくて人に言うのが憚れる様な事。
いくら彼氏彼女であっても、全てを包み隠さずと言うのは難しいものだ。

幸村の目の前で桜華は顔を赤くして俯いている。
その姿を見て居ても立ってもいられなくなった幸村は、ぐいっと自分に引き寄せ彼女を抱き締めた。
言ってくれてありがとうと言う気持ちと、何も知らずに当たってごめんという気持ちを込めて。


「せ、精市!?」

「桜華、ごめん……!」

「何で精市が謝るの……?」

「俺、そんな事だって知らないで桜華の事子供みたいに無視して……本当にごめん。大人げなくて、ごめん……」

「精市は悪くないから。私が嘘ついちゃったのがいけなかったの……だから謝らないで?」

「桜華……」


桜華の手が優しく幸村の髪に触れる。
その温もりに幸村は安心したように目を細めた。


「桜華、大人になったんだね」

「大人って言っても、特に変わった事はないよ。ただこれから毎月大変になるだけ!くるのもう少し遅くてもよかったのになあ……」

「……でも生理って確か子供が産める準備が整ったって事じゃなかったっけ?」

「そういう事なのかな……?」

「……じゃあ、桜華は俺の子を産める身体になったって事だね」

「!」

「ふふ、桜華面白い顔になってるよ」

「だってだって、子供なんてそんないきなり……!」

「今すぐにじゃなくて、大人になってからの話だよ」

「あ、そっか……!」


納得したかのようにぱあっと表情を明るくした桜華に、幸村はくすっと笑う。
俺達まだキスまでしかしてないのに……と心の中で思いつつ、いつかはなんて思いも同時に募る。


「(桜華との子供を見られる位、ずっと一緒にいられたらいいな……まあ俺はそのつもりだけど)」

「ねえねえ精市!」

「どうしたの?」

「私、元気な赤ちゃん産めるように頑張るね!精市との赤ちゃんかあ……絶対に可愛いんだろうなあ」

「!?(頑張るって何を頑張るんだろう……?それにその発言って……ああもう、桜華はたまにこういう所あるからなあ)」


桜華の突然の発言に幸村は思わず顔を赤く染めた。
赤ちゃんがどうやって出来るか知らない訳じゃないよね……と桜華の知識を疑いながら、それと同じくして脳裏に浮かぶ、自分達がそういう行いをしている光景。
中一で、しかも彼女の目の前でこんな事を考えてるなんていけないと思い、幸村は脳内にどんどんと映像化されるソレを必死に消した。
そんな事を彼が考えてるとは知らず、桜華はにこにこと可愛らしい笑顔を湛えていた。


「精市、私精市とずっと一緒にいたいから……だからこれからは何でも精市に言うね。嘘もつかないよ。約束する」

「俺も、もうつまらない意地は張らないよ。ちゃんと桜華の話を聞く。それに、俺も約束するよ……嘘をつかない、何でも桜華に言うって」

「うん!だって私は精市の彼女で、精市は私の彼氏なんだもんね!これからも仲良くしようね?」

「(だめだ桜華が可愛過ぎる……)」


顔を赤らめつつ笑顔で言った桜華に、幸村の胸はもういっぱいだった。
可愛くて可愛くて、丁度ベッドの上だしこのまま押し倒してすぐにでも食べたくなる……なんて、またもや浮かんでくるソレを頭を振って靄にする。


(でもいつかは……いつかは、ね)


彼女との未来を想像して、幸村はふっと笑うのだった。





(精市、そろそろ部活行かなきゃ!)
(桜華はもう大丈夫なの?)
(うん、もう平気だよ!ありがとう)
(じゃあ行こうか。でも無理だけはダメだよ?辛いってなったらすぐに休んでね)
(こんな事で倒れてたら、精市の赤ちゃん産めない気がするから頑張る!)
(……桜華、俺の前以外でそういう事言うの禁止ね?絶対に。約束)
(え?うん、約束……!でもどうして?)
(それはそのうち分かるよ)
(?)








あとがき

二話に渡ってお送りしましたが、いかがでしたでしょうか?
女子なら大体この時期あたりに体験する事ですよね。
早い方は理央のように小学生の頃に始まるみたいですが。
桜華さんは別に変な意味が合って赤ちゃんを産むと言った訳ではないです。
ただ幸村君との赤ちゃんは絶対に可愛いんだろうなあと思い発言した感じです。
そんな彼女の発言にわたわたする幸村君。
彼も思春期真っただ中です。