28 特別なもう一つ



そしてあっという間にバレンタイン当日。

桜華達のクラスは今日は朝から異常にざわついている。
ざわついているのは主に男子かと思いきや、このクラスは違った。
少しギラギラとした目をきょろきょろとさせている女子達は、まるで今クラスにいる男子は眼中にないと言わんばかりだ。
彼女達のお目当ての男子とは、このクラス……いや、今や学校中の王子様と言っても過言ではない人物。

そんな事とは知らず、桜華と幸村は朝練を終えいつも通り普通に教室へと入った。
すると一気に幸村が女子に囲まれてしまう。
その恐ろしい程の勢いに、桜華はすぐに輪から弾かれてしまい、たまたまそれを見ていた理央に助けられた。


「っと……桜華大丈夫?」

「うん、ありがとう理央!でもびっくりしたあ……」

「凄いわね幸村……流石に予想以上だわ」

「朝練の時も凄かったよ。今部室にすでに大きな紙袋が三つぱんぱんになって置いてあって、下駄箱にも何個か入ってたし……。でも教室が今の所一番凄いかも」

「桜華って彼女がいるの分かってないのかしら?まあ、私は幸村に桜華を渡したつもりはないけど」

「あはは……。……はあ」 
 

桜華は理央と話しながら、女子達に囲まれて笑ってチョコを受け取っている幸村に視線を移す。
周りの女子はきっと気付いていないだろうが、彼の笑顔はどことなく引き攣っている。
かなり無理をして笑っているようだ。
しかし桜華はどうする事も出来ずに、その光景を見る事しか出来なかった。


「あ、そういえば……はい、桜華。チョコじゃなくてマフィンになっちゃったんだけど、貰ってくれるかしら?」

「理央ありがとう!嬉しい!私もね、作ってきたよ!クッキーとあとパウンドケーキ」

「二つも作ってきてくれたのね!ふふ、嬉しいわ。ありがとう桜華、大切に頂くわ」

「理央の口に合えばいいんだけど……知っての通り料理は苦手だから」

「大丈夫よ、桜華が作ったものは何でも美味しく感じるから。お昼にでも一緒に食べましょう?」

「うん!」


女子達に囲まれながらも理央と桜華の楽しそうな会話を耳にして、幸村は俺も桜華と話したいのにとまた少し顔を引き攣らせた。


(しかも俺まだ桜華から何も貰ってないのに……悠樹さんの方が先に貰ってるなんてずるくないかな)


桜華は朝練の時もここに来るまでにも幸村に何も渡していない。
すぐに貰えるのではと期待していただけに、彼は少しがっかりしていた。
だが、理央にお菓子を渡しているのを横目で見て、そのうち貰えるだろうと気持ちを切り替える事にした。
貰えない事など最近の彼女との会話であり得ないという事は分かっているのだから。


(でもやっぱり俺も早く桜華から貰いたいな……。でも、桜華からくれるの待った方がいいよね。がっついてると思われたくないし)


幸村は心の中でそう呟きながら、未だに終わらない女子達からのプレゼント攻撃をとりあえずの笑顔を湛えながら受けるしかなった。




放課後になっても幸村の周りには女子が群がり、皆が皆顔を赤くしながらチョコやプレゼントを渡していた。
彼が「そろそろ部活に行かないといけないんだ」と言ってもなかなか離してはくれず、ただただ苦笑いを浮かべるしかなかった。
面倒だと思っていても、折角のプレゼントを無下にする事も出来ないし、女子に辛く当たる事も出来ない……彼はやはり優しいのだ。

そんな様子を見て、桜華は段々と腹が立ってきた。
人が部活に行かなきゃと言っているにも関わらず離そうとしないなんて、あまりにも勝手ではないかと。
彼女は、ただ幸村がテニスをする時間を削られてしまうのが堪らなく嫌だった。
そして、やはり彼の周りに女子がずっといる事に、いい気持ちはしなかった。

見かねた桜華は、女子の群れを掻き分け幸村の前に立つと、ぐいっと腕を引っ張った。


「わっ……桜華?」

「精市、部活遅れちゃうよ?行こう?……テニスする時間、短くなっちゃう」

「(ああ、そっか)……うん、ありがとう。そうだね、本当にもう行かないといけないよね。部長にも怒られてしまいそうだ」


笑顔ではあるが、どこか寂しさを含んだ表情で言う桜華に、幸村はどことなく彼女の心情を察し、そして少しほっとしていた。
後ろで女子達がぶつぶつ何かを言っているのが聞こえるが、こういう時の桜華は強いらしく、全て聞こえていないかの様に無視していた。


「助かったよ桜華。ごめんね、迷惑かけちゃって」

「いいよ!でも精市はちょっと優しすぎる」

「そうかな……?」

「そうだよ。嫌なら嫌って言うとか、たまには強く言わないと!あれじゃいつまでも終わらないよ?」

「ああ、うん……ふふ、そうだね」


彼女の言葉に子供の様にくすくすと笑ってしまう。
桜華はどうして笑うのと言いたげな表情をしているが、彼に「桜華、もしかして嫉妬してる?」と耳元で囁かれてしまい、思わずかあっと赤くなった。
彼女のその反応は図星と言わんばかりで幸村は嬉しくなり、ああもう可愛いなあ……と、もう一度、次は綺麗に笑った。



そのまま部室の前まで引っ張られて来た幸村だったが、桜華は着替える場所が違うのでそこで一旦別れる事となった。
部室に入ると当然だが男ばかりで、彼はやっと少し気を休める事が出来るような気がした。
桜華にここまで引っ張られている間にも、女子達は寄ってこようとしたのだから。


「大丈夫か精市。だいぶ疲れている様だな」

「はは……朝からもうひっきりなしで。流石に俺も疲れたよ。来年からバレンタインは学校休もうかなとさえ思うよ」

「モテる男は辛いな」

「蓮二だって変わらないじゃないか」

「残念だがお前程ではない」

「なあなあ幸村君、これ食べていい!?すっげー美味そうっ!」

「駄目だよブン太、元の場所に置いておいて。大体、自分のがあるだろ?沢山貰ったんじゃないのかい?」

「あるけど足りねー!」

「……砂糖ばかり取って糖尿になっても知らないよ」

「幸村君ひでえ……」


しょぼんと言う効果音が聞こえてきそうな程のブン太の落ち込みように幸村は「全くブン太は……」と言いながら今日何回目か分からない溜息をついた。




幸村が丁度着替えを始めた頃、桜華はお得意の早着替えを済ませコートに向かっていた。
少し遅くなってしまった事を気にして小走りだった彼女の目の前に、突然数人の女子が立ちはだかった。
思わず立ち止まる桜華。
目の前にいる彼女達の目は、やけにぎらぎらとしているような気がした。
しかし桜華はその目を今日嫌と言うほど見てきたので知っている。


「(これはもしかして……もしかしなくても……?)」

「あの……」

「?」

「幸村君の彼女さんですよね?」

「はい、そうですけど(だよね、そうだよね……そうだと思った)」

「これ、幸村君に渡してもらえませんか?」


そう言って彼女達が差し出してきたのは、これ程かと言わんばかりに綺麗にラッピングされた中身は手作りのお菓子であろうそれ。
桜華はそれを見て再度ああやっぱり……と思い少し困った顔をするも、あまり自分の今の気持ちを悟られたくない気持ちも強く、すぐにいつもの表情に戻した。


「(自分で精市に渡せばいいのになあ)……えっと、私から渡すのはちょっと」

「え?別に渡してもらえるだけでいいから!ね、お願い!」

「幸村君に食べてほしくて作ったものなの!だから渡してくれないかな?その、自分で渡すのは恥ずかしくて……」


女子達は無理矢理桜華にプレゼントを押し付けようとする。
それを必死に受け取らないように押しのけようとするが、一人と数人では抵抗した所でなかなか厳しいものがある。

しかしあまりにも彼女達がしつこいため、桜華の苛々も限界に来ていた。


(もう、ちょっとしつこいなあ……!)


桜華はぐっと地面を踏みしめ、力の限り押し返す。
突然のそれに驚いたのか、女子達は豆鉄砲を食らったかのような表情で彼女を見た。
その視線を返す様に、桜華は真っ直ぐに女子達を見つめた。


「ごめんなさい、いくら言われても私には受け取れないです」

「何でよ!彼女だからって幸村君一人占めにしないでよ……!」

「一人占めとかじゃなくて……ただただ嫌なの!」

「はあ!?」

「精市が他の女の子からプレゼント貰うのとか、本当は嫌なのっ。今日はバレンタインだから仕方ないのは分かってる。だけど、それでもどこか胸がちくちくして。……心が狭いかもしれないけど、やっぱり辛いんだよ」


桜華が自分の気持ちを正直に言うと、女子達は怯んだ。
しかし次の瞬間には、その言葉にムカついたのか暴言を吐きだした。


「何よ生意気!彼女だからって調子に乗ってんじゃないわよ!」

「プレゼント渡してって言ってるだけなのに何よ!そんな事一つしてくれないの!?」

「幸村君も何でこんな子と付き合ってるんだろ!優しさのかけらもないのにねっ!」


一人の女子の言葉に、桜華の胸が痛んだ。
確かに、何で精市は私と付き合ってくれてるんだろう……そう桜華は考えるが、答えが見つからない。


(そうだ……本当に精市はどうして私なんかと?もっと可愛くて、優しくて……精市にはそっちの方がずっとお似合いだよね。こんな心狭い子なんて……。嫌われ、ちゃうかなあ……)


桜華は心の中で暗くそう思った。
こんな自分では彼に嫌われてしまうのではないか。
どんどんと深く、嫌な考えしか思い浮かばなくなってしまっている思考。

だがそれを断ち切るかの様に、今一番聞きたかった言葉が彼女の耳に、そして心に聞こえてきた。


「俺が桜華の事を愛してるから、付き合ってるんだよ。それ以上でもそれ以下でもないから」

「「!?」」


心を見透かされたような答えに、桜華は思わず後ろを振り向く。
そこには、ジャージを羽織りそれを綺麗に靡かせてながら微笑んでいる幸村が立っていた。
その様子はいつもと変わらない様にも見える。
しかし女子達はいきなりの意中の彼の登場に相当驚いているようだ。


「せいいち……?」

「桜華が遅いから見に来たら、何か言い合ってるからびっくりしたよ」

「あ、その……ごめんなさい……」

「いいよ、桜華は悪くない。それに……」


幸村は女子達に目を向けると、先程とはまた違った冷たい笑みを浮かべた。
その表情の変わり様は流石に彼女達が可哀想になる程。
何を言われるか恐る恐るな様子のその姿に、幸村は冷たく言い放つ。


「ごめんね、桜華が嫉妬するからこれ以上は誰からもプレゼントは貰えないから」

「幸村君……!」

「……それに」


幸村はすっと目を細めると、とどめの一言を浴びさせた。


「桜華の事馬鹿にしたら、俺が許さないから」

「「!」」


言い終わると幸村は優しく桜華の手を引いてコートまで連れて行く。
彼女はされるがままだったが、先程の事を反芻して恥ずかしくなり少し俯いた。


「精市……」

「ん?」

「どこから聞いてたの?」

「え?ああ……私には受け取れないですって所からかな?」

「(ちょっと待って恥ずかしい所全部聞かれてる……!?)嫌いに、ならないの……?」

「どうして?」

「だって私嫉妬して、あの子達のプレゼント受け取らなかったし……心狭いよね。全然優しくない……可愛くない……」


そう言うと、幸村はふふふと声を出して笑った。
その反応に、え?と首を傾げる。
今の会話に笑いどころがあったのだろうかと考えるが、彼女は全く思い当たらない。
桜華は訳が分からなくて混乱する。


(どうして精市は笑ってるの!?)


すると幸村は彼女の気持ちを察した様に優しく言った。


「桜華の素直な気持ちなのに、それで嫌いになる訳ないじゃないか」

「でも……」

「桜華が本当は朝からずっと嫌だって思ってた事知ってたよ?俺も断り切れなくてごめんね……?嫌な思いをさせてしまった」

「そんな事ない……大変だったのは精市だもん」

「ううん、彼女がいるのに俺も少し優しくし過ぎたのかもしれない。……俺は桜華から貰えればそれで十分だって思ってたんだから」

「精市……」

「嫉妬してくれるの、嬉しいしね?」

「そういうものなの……?」

「うん、ああ……俺彼氏なんだなあ、愛されてるんだなあって思えるよ。それに、俺もいい加減にしてほしい所もあったしね。何より、桜華を馬鹿にするような人達からプレゼントなんて貰っても何にも嬉しくない」


そこまで言うと、幸村は少しはにかんだ笑みを見せながら次の言葉を紡ぐ。
きっと彼がこんな表情を見せるのは彼女にだけなのだが、桜華はそんな事には気付いておらず、ただただどきどきとしていた。


「俺が貰って嬉しいと思うのは、桜華からだけだよ。今も、これからも」


その一言に、今までの嫉妬の気持ちや不安な気持ちが全部吹っ飛んでいってしまったかの様に桜華の気持ちは軽くなった。
彼女のほっとしたような表情に安心したのか、幸村は「じゃあ俺は練習に行ってくるね」と言ってそのままコートへと駆けて行った。


(精市、ありがとう)


心の中で感謝しながらも、さっきの彼の言葉を思い出しついにやける。
その姿を見たブン太が不思議そうな顔で桜華を見ていた事に、本人は全く気付いていなかった。




そして今日の部活も終わり、桜華は部室付近でいつものメンバーが出てくるのを待っていた。
暫くして全員揃った形で出てきた彼等と、他愛もない話をしながら帰る。
今や彼女を送って行く事が日常となっていた幸村は、皆と別れた後、そのまま手を繋いで行き慣れ始めた彼女の家へと向かっていた。


(……もうすぐ桜華の家着いちゃうけど、そういえばまだバレンタイン何も貰ってないな)


幸村は段々と貰えるか不安になってきていた。
彼女を見ても、一向に鞄から何かを出す気配はなく、余計に不安を煽られる。
もやもやと考え、そうこうしているうちに桜華の家に着いてしまった。
貰えると高を括っていただけあって、そのショックは大きい。


(どうしてだろう……くれないのかな……)


幸村は、それはそれで仕方ないと思うしかなかった。
彼女も色々と大変で、だから自分は桜華といられるだけで十分だと半ば諦め気味に笑った。
すると桜華は、あっ!と思い出した様に自らの鞄を漁りだした。
まさか忘れてたのだろうか?そう思うも、やっと貰えるのかと幸村は心底安心した。


「色々あって渡すの忘れてた……!精市、はいこれ!あんまり大した物じゃないけど……」

「ありがとう……すごく嬉しいよ(貰えないんじゃないかと思ってた分余計にね)……中身は何?」

「理央にもあげたんだけど、クッキーとパウンドケーキ!あと精市にはやっぱり定番のチョコも入れてみました。美味しいか分からないけど、良かったら食べてね?」

「ふふ、ありがとう。これは食後のデザートにするよ。大切に味わって食べるね」

「いいよそんな!大したものじゃないし!味わうほどじゃ……!」

「何言ってるの?俺にとってこれは何よりも特別な物だよ。桜華から貰った初めてのバレンタインのプレゼントなんだから」


そう言って嬉しそうに無邪気に笑う彼を見ると、桜華はそれ以上何も言えなくなってしまう。
その代り、こんな物でもこんなに喜んでくれるなんてやっぱり優しい……と心の中で呟き、そして今日一番の覚悟を決めた。


「ねえ精市、目瞑ってくれないかな……?」

「目?……ん、これでいい?」

「良いよって言うまで、絶対に開けちゃだめだよ!?」

「うん(何なのかな……?)」


目を瞑らされた幸村は、そのままじーっと何かが起こるのを待っていた。
桜華はどきどきと煩い自分の心臓の音を聞きながら、恥ずかしそうに幸村の顔を見つめ、そして次の瞬間。


ちゅっ


「!?」

「……もう一つ、バレンタインのプレゼントです……(ああもう、恥ずかしすぎるっ……!)」

「(ヤバい俺今桜華からキスされた!?あー……駄目、今なら幸せで死んじゃえそうだな)」


突然の事に驚き、これ程かと顔を真っ赤にする幸村。
その反応を見て同じように顔を赤くする桜華。

暫くの間、二人の間に無言の時が流れる。


自分にキスをされてから何も発しない幸村に、流石に不安になってきた桜華は恐る恐る声をかける。


「せ、いち……その、嫌だったかな……?」

「いっ、嫌な訳ないじゃないか!むしろ嬉しくて死んじゃいそうで……こう言うのは反則だよ桜華、俺幸せ過ぎて死ぬんじゃないかって思った」

「し、死んじゃ駄目だよ!」

「いやそういう事じゃなくて……ああもうとりあえず死んじゃいそうな位嬉しかったって事。ありがとう……今までもらった中で最高のプレゼントだ」



そして二人で笑いあう。
桜華と幸村の初めてのバレンタインデーは、彼にとって『初めて桜華からキスしてもらった日』と言う素敵な記念日にもなったのだった。





(桜華がこれから毎年バレンタインには自分からキスしてくれるなら、この日も悪くないかな)
(えっ!?やだ恥ずかしいもん!)
(だめ?俺、すっごく嬉しかったんだけどな……)
(私は、精市からしてもらう方がいいもん……)
(俺からのキス、好きなんだ?)
(……だって大好きな精市とするんだもん、好きじゃない訳ないよ)
(!(俺いつか桜華が可愛過ぎるのが原因で死ぬんじゃないかな?))





あとがき

バレンタイン、幸村君には最後の最後に渡しましたが、実はその前に柳達にはきちんと渡しておりました。
全部省略してしまいましたが、すみません。
またどこかでバレンタイン話書く機会があればその時にでも。
ちなみに幸村君。夕食後、これほどかってほどに味わって桜華さんからもらったお菓子を食べました。
そして夜は桜華さんからのキスを思い出してなかなか寝付けなかったとか。
そんな中学生らしい幸村君がこの連載の幸村君です。