29 素敵なお誘い
バレンタインも終わり、幸村の誕生日も終わり、学年末の試験も終わりと、三学期は驚くほど速く過ぎて行った。
そして本日無事に終業式を迎える事となった。
それと同時に、桜華達は中学一年生と言う時間を終えた。
今は春休みの真っただ中。
とは言っても、二週間ほどしかない休み中は毎日と言っていい程部活で埋め尽くされている。
唯一ある休みが明日だけという事で、各々はそれぞれに予定を立てていた。
「明日やっと休みだなー!って言うか、明日しかないけど」
「そうじゃの。俺は毎日部活で身体が限界じゃ……」
「これ位でへばるとは……仁王、たるんどる!」
「はー?お前さんが異常に体力があるだけじゃよ真田。どちらかと言うと俺はまともな方じゃ」
「確かに弦一郎元気すぎる位元気だよね!羨ましい位!私にも少し分けてほしいなあ」
「そ、そうか……?」
「桜華は別に褒めている訳ではないぞ弦一郎(……とでも言っておくか、面白いからな)」
「なっ!?そうなのか……!」
「(え!?普通に褒めてるんだけどなあ……うーん、まあいっか!)あ、そう言えば明日はみんなどう過ごすの?」
桜華がそう尋ねると、ブン太は「明日は一日家でごろごろゲームでもするつもり!弟達もいるしなー」と楽し気に言った。
その言葉に「ブン太は弟君達のお世話もちゃんとして偉いね?」と言われ桜華に可愛らしく微笑まれては、彼は瞬間で顔を赤くするのだった。
「俺もブン太と一緒じゃのお……なかなかに疲れとるし、家でまったりするぜよ」
「休みだからと言ってたるんど「俺も明日は身体を休める意味で、家で過ごすつもりだ弦一郎」……蓮二もなのか」
「私も明日は家で読書でもしようかと思っています。読みたい本が溜まっていて、読み切ってしまいたいので」
「俺も明日は家にいるかな。特に行きたいとこもねーし、やっぱ疲れてるしな」
「そっかー……やっぱり唯一の休みだしみんなお家で過ごすよね。私はどうしようかなあ……」
桜華は未だに予定を決めかねていた。
折角の休みだしどこか出掛けようかなとも思ったりした。
ただ、皆が皆家で過ごすと言うので、それならいっその事自分もそうしようかとも思い始めていた。
マネージャーも楽ではない……身体が疲れているのは、彼女も同じなのだ。
しかし、そう思い始めていた彼女に声をかけたのは幸村だった。
「桜華、明日もし何も予定がないのなら、俺とデートしようよ」
さっきまで全く話に入ってこなかった幸村からの突然のデートのお誘いに、桜華の動きがぴたっと止まった。
それは彼女だけではなく、周りにいた彼等も同様に。
真田に至っては「たる、たる……たるんどる……!」と何故か顔を赤くして何とかしてたるんどると言う言葉を口にしていた。
彼にはデートと言うものが少々刺激的だったようだ。
「で、どうかな……?あ、桜華もマネージャー業で身体疲れてるから、明日は家で休みたいかな?」
「ううん!そんな事ないよ!身体は確かに疲れてるけど、でも……」
「ん……?」
「精市とデート出来るなんてすっごく嬉しいから!それだけで疲れなんて吹っ飛んじゃう!」
「ふふ、よかった。じゃあ、明日十時に桜華の家の最寄り駅でいいかな?」
「うん!えへへ……楽しみだなあ」
「俺も凄く楽しみだよ。丸一日のデートも部活が忙しくて中々出来ないからね」
「そう言えばほとんどした事ないね?」
「だから明日は目いっぱい楽しもう?桜華と一緒にしたい事が沢山あるんだ」
「何だろう?明日のお楽しみかな?」
桜華がふにゃりと頬を緩め笑うと、幸村も優しく微笑みながら「うん、そうだね」と言って彼女の頭を撫でた。
そんな二人の姿を見ていたメンバー達は、秘かに明日の自らの予定を改める。
勿論それは、真田以外。
(明日桜華と幸村君デートなのかよ……くっそー気になる……!)
(デート、どこに行くんかのお。……よし、明日の予定は変更じゃ)
(ふむ、デートか……。……中々いいデータが取れそうだな)
(デートですか……。……仁王君が良からぬ事を考えそうで心配ですね)
(あの二人デートすんのか。あー……ブン太が変な気起こしそうだな……)
理由はそれぞれ違うものの、それでも結局行きつく所はただ一つ……二人のデートをこっそり尾行するという事。
何はどうあれ、彼等の決心は堅かった。
皆がそんな事を計画しているとは露知らず、桜華は早速明日のデートに想いを馳せていた。
(精市とデートかあ、楽しみだなあ。あ、でもどうしよう今からもうドキドキしてきた……何着て行こう?わーもう今日の夜寝られるかな!?)
彼女は頭の中で自分のクローゼットの中を漁り、あれでもないこれでもないとデートに着ていく服をもう選び始めていた。
幸村は隣でううーんと悩んだ様な表情をしている桜華を見ながら、何となく彼女の考えている事が分かりくすくすと笑うと、「楽しみだね」と声をかけるのだった。
そして当日。
時刻は午前九時四十五分
幸村は既に待ち合わせ場所の駅前に到着していた。
ちょっと早かったかな……?と思いながらも、待たせるよりはいいかと、腕時計に目を落としながら思っていた。
一方同時刻。
桜華は非常に焦っていた。
(やばいやばい、このままじゃ確実に遅刻しちゃう……!)
必死に駅までの道のりを走っているが、どう考えても彼女の脚力で間に合う距離ではない。
何故この様になってしまったのかと言うと、早い話寝坊である。
昨日の夜、必死に服を選んだりデートの事を考えていたりしていたら、気付けば日が昇る一歩手前の時間となっていた。
彼女はこのまま起きていようかと思いもしたが、デート中欠伸なんて出来ないと少しだけでも眠る事にしたのだ。
しかしその結果がこれだ。
起床した時にはすでに九時を回っていた。
いつも三十分はかかる準備を何とか十分で済ませ今に至るのだが、何にしても間に合わない事は確実だ。
(初めてのちゃんとしたデートなのに遅刻なんて最悪だ……!)
桜華が半ば泣きそうになっていたその時。
「おい、何走ってんだよ」
「!(何かこの声聞き覚えがあるっ……!)」
横から聞こえてきた声に桜華はぱっとそちらに顔を向ける。
そこにいたのは、自分が想像していた人物で間違っておらず、彼女は小さく溜息をついた。
車内から声をかけた人物、その彼ははっと笑いながら「髪が乱れてるぜ」と意地悪に言った。
その言葉にむすっとしてしまう桜華。
「急いで走ってたんだから仕方ないでしょ跡部っ」
「はっ……その急ぎ様、待ち合わせか。……幸村だな?俺様の眼力で丸見えだぜ」
「そんな事眼力しなくてもいいですっ!第一、ここでこうやって跡部に拘束されてる時間が勿体ないんだけど!もう本当に遅刻ギリギリで!じゃっ……!」
「まあ待て桜華」
跡部はニヤリとした表情を湛えながら既に走り始めようとしている桜華に声をかけた。
彼女は何なのかと少しイラッとしながらも彼を見てそして顔を顰める。
ただでさえ待ち合わせに遅れそうなのた、そんな表情になってしまうのも仕方がない。
「何その顔!もうっ、人の事みてニヤニヤするだけなら私行くからね!?」
「さっき遅刻ギリギリだと言ったな?」
「そうだよ、だからこうして急いで……!」
「そうか、なら待ち合わせ場所まで送って行ってやるよ」
「えっ……?」
「ククッ、何だその顔……驚き過ぎだ」
「だってそんな事言われると思ってなかったから……」
「俺様は桜華が思っている以上に優しいんだよ。覚えておけ」
「う……」
跡部の一言に桜華の心が揺れる。
彼に送ってもらうのは大変癪だが、しかしこのままだと幸村との待ち合わせに完全に遅れてしまう。
現に今跡部とやり取りをしているこの時点で時間を大幅にロスしているのだ。
頭の中で、大幅に遅刻する事と彼の申し出を受けて素直に送ってもらい少しでも時間を短縮するかを天秤にかける。
ゆらゆらと揺れる天秤……そのどちらかでもどかしい葛藤をしていた桜華だが、思ったよりか時間はかからずに答えが出た。
(やっぱり精市との待ち合わせに遅刻はしたくないっ……!)
そう結論を出すと、桜華は跡部が顔を出している窓の淵を掴む。
「跡部!」
「何だよ」
「……ちょっと癪なんだけど、私の事この先の駅まで送って下さい」
「一言多いんだよ。……まあいいだろう、とりあえず乗れ」
「うんっ、ありがとう!」
跡部はフッと笑うと、中から扉を開けて桜華を車内へと招いた。
恐る恐る乗り込む桜華。
流石リムジンと言ったところか、素人が見ても椅子や内装全てが豪華だ。
すごい……と一言漏らし興味津津に車内を見回している彼女を見て跡部は「子供かお前は」とクスクス笑った。
「この先の駅だと言ったな?……運転手、駅まで行ってくれ、友人を送る。時間に余裕がないらしい、急ぎで頼むぞ」
「かしこまりました景吾様」
何か凄すぎてついていけない、桜華はそう思うしかなかった。
だがそれと同時に、彼女の頭にふっと一つの疑問が浮かんだ。
「ねえ跡部……なんで神奈川にいるの?」
「ああ、これからちょっと家の用事があってな。大した事ではないが」
「ふーん……家の用事でこんな所まで大変だね?」
「そんな事ねーよ。どうせ家から車に乗っていれば着くしな」
「本当にお坊ちゃまなんだね」
桜華がそう言うと、跡部は「俺の所に来たら苦労させないぜ?」と聞く人が聞けばプロポーズの様な言葉をさらりと言ってのけた。
しかし言われた本人はそんな意味が含まれているとは全く分かっておらず、「えー……ちょっと遠慮したいかなあ」と若干引き気味だ。
「跡部の家に嫁いだら、別の苦労がありそう……」とぽつりと漏らしながら。
そうしているうちに、車はあっという間に駅前に到着。
時刻は十時十分。
遅刻には変わりないものの、自らの足で走って行くよりかは相当早く到着する事が出来た。
「おい、着いたぞ桜華」
「車に乗せてもらえたお陰で、遅刻は遅刻だけど早く着いたよ!」
「それはよかったな」
フッと綺麗に笑った跡部に桜華は思わずどきっと胸を高鳴らせた。
顔は無駄に綺麗だから困る……と心の中で呟きつつも、送ってくれた事にはやはり感謝しなくてはならない。
彼女は車から降りると、窓を開けてこちらを見ている跡部に向かって微笑んだ。
「ありがとう跡部!本当に助かったよ!乗せてもらえて本当によかった……このお礼はまたいつかさせてね?」
「気にするな。まあどうしてもって言うなら受け取ってやらん事もないがな」
「もう、一言多いの!……でも、跡部もたまにはいいとこあるんだね!ちょっと見直したよ!」
「たまにはって何だよ。俺様はいつでもこうだ」
「ふふ、そっか!あ、家の用事が何かは分からないけど頑張ってね?」
「ああ」
跡部は「じゃあな」と言うと窓を閉めた。
それと同時にゆっくりと車が動き始める。
その様子を桜華はじっと見ていた。
そして、一つ思う事。
(跡部って案外いい奴なのかな……?うーん……でも何にしても悪い人じゃないのは確かだよね。これからはもう少し優しくしよう)
行ってしまった車を見つめながら考えていたが、ぱっと頭に幸村との待ち合わせが過ったためその考えは一瞬で消え去った。
桜華は急いで既に彼が待っているであろう場所へと向かった。
「精市……!」
「桜華!」
急いで行くと、やはり幸村は待ち合わせ場所にいた。
そこにいた彼は腕時計を見たり周りをきょろきょろと見回したりと、かなり心配している様子なのが彼女にもすぐに分かった。
それに対して申し訳なくなりながらも、少し声を張って彼の名前を呼んだ。
すぐに声に気付きはっとこちらを見た幸村は、心配そうな表情からほっとしたような表情へと変化させ、桜華に駆け寄った。
「ごめんなさい遅刻しちゃって……昨日中々寝付けなくて、寝坊しました」
「そっか……いいよ。それよりも桜華、大丈夫?何もなかった?」
「え……?」
「心配だったんだ、何か事故にでも巻き込まれてるんじゃないかとか色々な事を考えてしまって……。電話しても出なかったから……」
「!」
慌てて携帯を見ると、何件も表示されている彼からの着信。
その時間は丁度跡部の車に乗り送ってもらっている最中だったため、携帯を見る時間はなく気が付かなかったのだ。
「ごめんね……全然気付かなかった」
「ふふ、いいよ。桜華が無事に来てくれただけで」
「精市……ありがとう」
「どういたしまして」
幸村は優しく笑うと、桜華の手を取った。
そのままゆっくりと指を絡ませ、そしてぎゅっと握る。
桜華は照れ臭い気持ちを隠しながら、彼に応える様にその手を握り返した。
それだけで二人は幸せに包まれるようだった。
「じゃあ、デート行こうか」
「うんっ!」
デート、スタートです!
(そういえば)
(どうしたの?)
(さっき黒いリムジンが見えたんだけど……やっぱり迫力あるね。この辺りじゃ滅多に見ないし驚いたよ)
(!)
(桜華……?)
(す、すごいねリムジンなんて!見たかったなあ)
(ふふ、また通るといいね?)
((言えない……それが跡部のリムジンだなんて、しかもさっきまで乗ったなんて絶対に言えない……!))
あとがき
幸村君の出番が少なくて申し訳ないです。
その代わりに跡部君に出ていただきました。
彼は何かと有能です。助かります。
今後もちらほら出てくれるかと。
ちなみに幸村君は待っている間に女の子に声を掛けられて心底うんざりしていたようです。