37 衝動※



「………桜華?」


思いもよらぬ呼びかけに、桜華は未だに入口付近で立ち止まっていた。
何故か返事がない事に不思議に思ったのか、声をかけた人物はゆっくりと彼女がいるであろう方に目をやった。


「桜華?……っ!?」


それは、今見てはいけないものだった。
月明かりだけの僅かな視界ではあったが、彼にははっきりと見えてしまった。
言わずもがな、愛して止まない彼女の一糸纏わぬ姿を。


「(うわっ……ちょっと待って!?どうしようどうしよう、いけない精市これは流石に……!)桜華、とりあえずタオル巻いておいで……っ」

「あ……うんっ……!」


彼女が露天風呂からいなくなった事をちらりと横目で確認し、桜華を呼んだ張本人幸村は、はああ…と深い深い溜息をついた。
そして同時に脳内に映像化される先程の光景。
だめだだめだと思いながらも、しっかりと見てしまった愛しい彼女の身体。
考えないと言う方が無理な話だ。


「はあ……。……まさかこんな形で見る事になるなんて思ってなかったな」


鼓動が異常な位速くなっているのを感じる。
まだそういう事は早いと思ってずっと我慢しているのにな……と幸村は心の中で呟く。
微かに反応してしまった自身を、彼女が戻ってくるまでに落ち着けないとと必死になりながら。


(これから大丈夫かな……というか戻ってくるのかな……?)


何とか落ち着いた自身にほっとしながらも冷静に考えてみれば彼女が再びこの場に戻ってくる可能性は低い。
桜華は彼氏にとは言えど、思い切り裸を見られてしまったのだ。
今頃相当な羞恥を感じている頃だろう。

自分の理性をどこまで抑えられるか分からない状況だから、いっそ戻ってこない方が……と幸村が思っているその最中。


「せ、いち……?」

「桜華……」


桜華は彼に言われた通りにきちんとタオルを巻いて戻ってきた。
入口で立ち止まっているが、何やらそわそわしている。
どうやら本当にそちらに行ってもいいのか躊躇っているらしい。
その姿に幸村の鼓動は再び早くなる。
結局、タオルがあってもなくてもこの様な場所で見る桜華の姿に緊張するのは変わりないようだ。


「……お風呂、浸かってもいい?」

「あ、ああ……いいよ、身体冷えちゃうからね。おいで」


そう促すと、「ありがとう」と言って桜華はゆっくりとそちらに近付き、そしてちゃぷんと音を立てながらお風呂に浸かった。
幸か不幸か、幸村の気持ちを知ってか知らずか、幸村の横にくっつくように座る桜華。
彼はより速くなる心臓の音が聞こえないかと冷や冷やしながら、ちらっと隣にいる彼女を見た。


(っ……ああもう、これは本当にやばいかもしれない)


彼がそう思うのも無理はない。
桜華の頬は仄かに赤みを帯びており、晒された肌は微かに桃色に、そして何と言ってもまだまだ小さいもののある事が分かる胸のふくらみ。
彼女のその様な姿を初めて見てしまった幸村。
思春期の男子にとってそれがあまりにも刺激の強いものである事は間違いない。
彼は先程必死に抑え込んだ自身が再び反応しそうになるのを堪えるのに精一杯だった。


「あ、あの……精市……?」

「え?あ、なんだい……?(だめだ、いちいち緊張しちゃう……)」

「どうして露天風呂にいたの?誰もいないと思ってたからびっくりしちゃった……」


桜華に声をかけられ一瞬驚いた幸村だが、彼女は至って普通に質問してきたので変に思われぬよう、平静を装って答えた。


「露天風呂があるって跡部が言ってるのを聞いてね……お風呂好きだし、ちょっと行ってみようかなって」

「そっか!……他のみんなは?」

「一人でゆっくりしたいから入るなら俺が出てからねって言っておいたんだよ」

「なるほど……って、私がいてもいいのかな?ゆっくり出来ないんじゃない……?」


不安そうに幸村の表情を窺う桜華。
その視線にうっと言葉に詰まる幸村。
理由は簡単だ。


(その上目遣いは反則だよ……ああもうどうしたらいいんだ俺)


幸村の本能との葛藤は続く。
そんな彼の様子を見て桜華はどうしたんだろう……と首を傾げる。
それと同時に、やっぱり自分は邪魔なのかな?と不安になり俯いた。

彼女の様子の変化に気付いた幸村は、はっとして慌てて否定した。
そうではないのだと、邪魔な訳ではないのだという事を必死になって。


「あ、違うんだよ桜華!別に邪魔じゃないから!むしろ嬉しいって言うか……いや、色々やばいにはやばいんだけど……って俺何言ってるんだろう」

「精市……?」

「いやとりあえず、大丈夫だから……このまま俺の傍にいて……?」

「えへへ、よかったあ……私もね、精市の隣にいたかったんだ……」


にこっと笑った桜華に、幸村はもう逆上せる一歩手前だった。
身体が頭が熱くて熱くて仕方ない。
今出れば自分自身きっと楽なのだろうが、折角隣に彼女がいるのに出るのも勿体無いという気持ちがあった。
思春期なのだ、やはり愛しい彼女と露天風呂に入るシチュエーションというのはどうしようもなく堪らないらしい。

幸村は一度息を深く吐き出すと、彼女の肩に手を回した。


「せーいち……?」

「桜華、あのね、その……」

「?」

「さっき、見ちゃったんだ……桜華の……」

「あ……やっぱり見ちゃったよね……」

「ごめんね……」


肩を抱きながらも申し訳ないと言う表情をして謝る幸村。
彼の告白に更に顔を赤くして恥ずかしそうにする桜華は、ぽつりと「……大丈夫、精市だったから」と呟いた。
その言葉に彼の我慢メーターが振り切れそうになったのは言うまでもない。


「ただ桜華……もし俺じゃなかったら今頃大変なところだったよ?(まあ俺だとしても危ないんだけどね……)」

「うん……」

「気をつけなきゃ、ね……?」

「ごめんなさい……」


しゅんと項垂れる桜華の頭を、幸村は肩を抱いていた手で優しく撫でた。
「ん……」と気持ちよさそうに声を漏らす彼女に、更に幸村の我慢は限界に達しつつあった。
そんな彼の葛藤など露知らず、桜華は心地良さから「せーいちぃ……」と少し舌足らずに名前を呼ぶ。
それが益々と幸村を煽る。


「(っ……あ、もう本当にやばいかもしれない……全部が熱くて堪らないや)桜華……」

「せーいっ……ん……!?」

「っ……」


ずっと理性の限界ギリギリの場所で彷徨っていた幸村だったが、やはり隣にいる桜華の今の姿はあまりにも扇情的で。
理性という理性は役に立っていないに等しかった。
舌足らずで可愛らしく自分の名前を呼ばれると言う追い打ちもあり、遂に我慢出来ずにキスをしてしまった。
そこから彼に理性の崩壊が始まる。

一度手を出すと、もう止まらない。


「せーいち……急にどうしたの……?」

「はっ……桜華、もう限界なんだ……」

「限界……?」

「……ちょっと黙って」

「え?んうっ……ふぁ……」


軽い触れるだけのキスから段々と濃厚なキスへと進めて行く幸村。
それはいつもの優しいものではなく、まるで貪るような激しいもので。
微かに開いた唇から舌を捻じ込み、彼女の咥内を犯す。
歯列をなぞり、可愛らしく彷徨っている小さな舌に、自分の舌を絡ませる。

桜華はいつもと違う幸村のキスに戸惑っていた。
こんなキスはされた事がないと……いつもの優しい彼はどこに行ってしまったのかと。

それと同時に僅かに感じる恐怖。


「(精市いつもと違う……)っ……ぁ、せーいちだめっ……」

「ごめん桜華、もう止められないんだ……」


そう言って幸村はもう一度キスをすると、空いている片手を胸に触れさせる。
タオル越しに感じる彼女のふくらみに、幸村の理性は一気に崩壊。
焦る様にその手を動かし揉み始めた。
キスをされているために声を出せず、ただ必死に彼を押し返そうとしている桜華だが、到底力で勝てるはずもなく彼にされるがままだった。

キスが終わっても、やはり幸村の力には敵う訳もなく……桜華は泣きそうになりながら彼からの愛撫を受ける。
そんな彼女の様子にさえ、今の彼は気付かない。


「桜華の胸、まだ小さいね……?……凄く可愛い」

「や、だっ……ぁっ」

「はっ……嫌じゃないくせに……桜華の嘘つき……」


しかしそれは突然の事だった。




パンッ!




「っ!?」

「せーいちのばかっ……!!」


幸村が我を忘れたかの様に彼女の胸に触れていると、いきなり左頬に走った衝撃。
じん……と痛む頬。
目の前には涙を溜めて震えている桜華。
そこでようやく自分がやっていた事、そしてこの状況を理解した。
それ程に彼は見失っていたのだ。


(俺は何をしてたんだ……!)


彼は慌てて声をかけようとしたが、桜華は逃げる様に露天風呂から立ち去って行った。
その後ろ姿を見て幸村は酷い罪悪感に襲われた。

無理矢理身体に触り、大切な彼女を恐怖させてしまった。
この状況に興奮してしまったとはいえ、あってはならない事。
後悔しても、してしまった事をなかった事には出来ない。
幸村は自分自身に対するどうしようもない憤りに、ぐっと唇を噛み締めた。





「どうしようどうしようどうしよう……!」


桜華は幸村を平手で叩いた勢いで露天風呂を飛び出し、急いで着替えた。
着替えている最中に幸村を叩いてしまったという罪悪感に駆られたものの、同時に蘇る先程の彼の表情や手の動き。
いつもと違う優しさのかけらも感じられない様な激しいキスをされ、熱っぽく見つめられ、そして胸に触れられて。
全てが初めての体験で、桜華の頭はまるでついていけていなかった。

ただ感じたのは恐怖。
いつもの彼ではない……それが彼女には怖くて怖くて仕方なかった。


(精市にどういう顔して会えばいいんだろ……)


着替え終わった桜華はそれ以上お風呂にいたくなくて、走ってその場を立ち去った。
前も見ず、ただ下を向きながら部屋までの廊下を走る。


「……桜華?」

「!」


下を見ていて気付かなかった桜華は、急に名前を呼ばれはっと顔を上げた。
そこにいたのは、不思議そうに、しかし驚きを含んだ顔をした仁王だった。


「まさはる……?」

「……どうしたんじゃ、その顔」

「え……?」


仁王はすっと桜華の顔を両手で包むと、その指で目元を優しく撫でた。
彼女はその仁王の行動に訳が分からず、きょとんとした表情を湛える。
彼は表情を険しくして、そのまま話し出した。


「何で、泣いとるんじゃ……」

「!?」

「まさか気付いとらんかったんか……?」

「え?……あ、うん。……私泣いてたんだ」

「全く……」


仁王は一度溜め息をつくと、真剣な表情で桜華を見つめた。
その何もかも見透かしてしまいそうな瞳に彼女は視線を逸らそうとしたが、「逸らしたらキスするぜよ」と言う彼の一言でそれは叶わなかった。


「誰かに何かされたんか……?」

「何もされてないよ……」

「じゃあ何であんな急いで………何かあったからじゃろ?」

「な、ないってば本当……!」

「ほんまの事言いんしゃい。それとも俺には言えん事か……?」

「……べ、別に本当に何でもないってば!あ、ほら、目にゴミが入っただけだよ!」

「桜華……」

「心配させてごめんね雅治……ありがとう!でも本当に本当に大丈夫だから!じゃあ、部屋戻るね……?雅治も夜更かししないようにねっ」


彼から逃げる様にその場を立ち去った桜華。
これ以上あの瞳で見つめられて、何か優しい言葉でも掛けられてしまったらもっと泣いてしまいそうで。
桜華はぱたぱたとスリッパの音を響かせながら自分の部屋へと走って行った。

その後ろ姿を仁王は寂しそうな瞳で見つめる。


(俺じゃ頼れんのか……?桜華……)


そう、心の中で呟いた。
そして彼女の事を考えながら仁王は晴れない気持ちのままメンバー達の待つ部屋へと戻って行った。





(明日本当にどうしよう……精市に普通に接する自信ないよ……)
(俺、最低だ……。我を忘れてあんな事を……。どうしよう……だめだ考えれば考えるほど何も浮かばない)
(桜華は何で泣いとったんじゃ……。髪濡れとったし……まさか風呂で何かあった……?)






あとがき

思春期な幸村君を書きたかったのです。
二人の中での小さな大騒動。
あの状況下で我慢できる男の子はなかなかいないのではと。
仁王君は答えを導き出せるのでしょうか?
ではまた次回。