40 もう少し、待っててね



「そういえばさ……」

「ん?」

「跡部と何話したの?」

「(何か精市顔怖い……!)」


仲直りした後手を繋ぎながらコートに戻っている最中、幸村がニコッと笑って彼女に尋ねた。
もちろん笑ったと言っても、それは楽しいからではない。
桜華はやばいかも……と思いながらも、言わないとますます彼の機嫌が悪くなってしまいそうな気がしたので、仕方なしと一部始終を話す事にした。


「えっと、私と精市の様子が変だったのが気になってたらしくて……それでちょっと話を……」

「へえ、そっか」

「(笑顔が引き攣ってるよ!)そ、それでね!お前も女としての自覚が足りないって……その状況での我慢は拷問だって教えてくれて」

「そうだったんだ。……何だ、跡部も案外話の分かる奴じゃないか」

「え?」

「ううん、何でもないよ」


何故か急に楽しそうに笑った幸村。
その表情の変化に桜華の考えは追い付かず、頭に疑問符を浮かべる。
何でもないと言う幸村だったが、彼女は気になって仕方なかった。


「そうだ、精市この後練習試合だったよね?」

「ああ、そうだった。何だかんだもうお昼過ぎちゃったね」

「本当だ!ご飯!……って言うか私何にも仕事出来なかった……!」

「大丈夫だよ。氷帝は多分樺地君がやってくれてるだろうし」

「あ……そう言えば跡部が何か頼んでいたような……?」

「こっちも蓮二に任せてあるから大丈夫だよ」

「うう……でも後で一応皆に謝らなきゃ」


仕事が出来なかった事を悔んでいる桜華を「大丈夫」と慰める幸村。
そんな事をしているうちに、練習試合が行われるコートに到着した。
すでにコートに集まっていた全員の視線が彼女達に集中する。


「遅かったじゃねえか。ハッ……その様子だと元に戻ったんだな」

「跡部、桜華に助言をしてくれたそうだね……礼を言うよ。このお礼はテニスで」

「別にいらねえよ」

「是非貰ってよ、遠慮せずに」

「アーン?じゃあ俺様に負けるって言うのか?」

「冗談。目一杯叩き潰すのが礼ってものだろ?」


跡部はフンッと偉そうに笑うと、「試合を始める!」と高らかに言った。
どこか嬉しそうな、楽しそうな……そう見えるのは気のせいじゃないはずだと桜華は思う。

そしてその合図に氷帝と立海の面々は準備に取り掛かった。



暫くして試合が開始された。

試合が始まる前桜華は氷帝側のベンチに行き、きちんとマネージャーの仕事を出来なかった事を謝罪した。
特に樺地には深々と頭を下げ「ごめんね樺地君」と謝ると、彼は優しい表情を浮かべ「大丈夫、です……」と言ってくれたため彼女は胸を撫で下ろした。
同時に、成程跡部が気にいる訳だ……と満場一致で思ったとか。


試合は順調に立海が勝利を収めていた。
今は丁度ブン太とジャッカルがダブルスであと一ゲームで勝利するところまで来ていた。
桜華が二人に渡すドリンクを準備していると、丁度柳が近くにいた為先程の事を謝罪しようと一度手を止めた。


「蓮二」

「どうした桜華」

「さっきはマネージャーの仕事なのに色々してくれたみたいで……ありがとうね」

「そんな事か……気にするな。桜華こそ、精市と元に戻れたみたいでよかった」

「ありがとう蓮二……ごめんね、迷惑と心配かけちゃって」

「だから気にするな。俺はお前達が元に戻れたのならそれでいい」

「やっぱり優しいね……えへへ、蓮二大好き」

「ああ、俺も桜華の事が好きだぞ」


柔らかく柳が笑うと、桜華もつられて笑った。
二人の甘い雰囲気を見ていた幸村は、少しむっとした顔で近付くと彼女を後ろから抱き締め「蓮二、駄目だよ」と言ってけん制した。
柳は柳で楽しがっている様で「さあ、どうだろうな?」と彼を茶化し、二人に挟まれている桜華はあたふたとするしかなかった。


「(あそこの二人絶対俺達の試合見てねえ)……おーい、勝ったぜぃ」

「ドリンク欲しいんだけど……桜華あるか?」

「え?わわ、ごめんね二人とも!ドリンクはそこに……って、わー!何で雅治飲んでるの!?」

「ピヨ」

「おい何してんだよ仁王!俺のドリンク……!」

「仁王君人のを飲むなんてはしたないですよ!」

「たるんどる!」

「全くお前たちは何してるんだか……ねえ、桜華は俺に集中して?」

「だめだよ精市!私も仕事しなきゃ!」

「えー……」

「えー……じゃないのっ!」


一瞬緩んだ幸村の腕をすり抜け、桜華は仁王に飲まれてしまった二人のドリンクを入れ直す。
逃げられてしまった幸村は「残念だなあ」と言いつつ、楽しそうに笑っていた。
さっきの雰囲気とはまるで違う、いつもの二人の雰囲気に戻った事で、内心皆ほっとしていた。


「……次は精市、お前の試合だぞ」

「え、もう?……よし、行ってくるか」

「お前なら心配ないと思うが……勝て幸村」

「真田、誰に言ってるの?俺は立海大附属の幸村精市だ……負けるなんて事は万が一でもあり得ないよ」

「精市、頑張ってきてね!沢山沢山、応援してるから!」

「ありがとう桜華。見てて?跡部に綺麗に勝って見せるよ」


言い終わると幸村は綺麗に笑った。
そして華麗にジャージを翻すと、凛とした態度でコートへと入って行った。






「いやーやっぱ幸村君強すぎだぜぃ!」

「あの跡部君ですら手も足も出ませんでしたもんね。流石幸村君です」

「しかし五感奪われた跡部が打ち返した時は焦ったの」

「ですが、それでも幸村君の強さは圧倒的でした」

「うむ。見事な勝利だった」

「いいデータが取れたぞ精市。これは部長とコーチに渡すとしよう」

「皆褒めすぎだよ。跡部も強かったし……これから俺達のライバルになるのは確実だね」

「氷帝が何人でかかってこようと、俺が倒してやるっすよ!」

「頼もしいのお赤也は」


現在時間は午後十一時。

昼に行われた試合は見事な幸村の勝利で幕を閉じた。
総じて完全勝利を成し遂げた立海は、氷帝に圧倒的な力の差を見せつけたのだ。
一年である赤也も同学年の日吉と試合をし、きちんと勝利を収めた。
その結果に、誰も口にはしないが頼もしいルーキーだと皆内心同じ事を思っていた。


夕飯も食べ、入浴も全員済ませた立海メンバーは部屋で他愛もない話をしていた。
昨日とは打って変わった夜のひと時に安心したのはきっと一人ではないだろう。
「明日も朝が早い、そろそろ寝ようか」その幸村の一言で全員が布団に戻り消灯しようとしたその時。


コンコン


「誰かなこんな時間に?」

「俺が出よう。……誰だ?」

「弦一郎?あの、桜華です……」

「桜華……?」


真田は桜華の声に反応しゆっくりと扉を開けた。
そこにいたのは何故か枕を抱え、瞳が潤ませている桜華の姿。
全員の視線が彼女の方に向いた。

幸村は桜華が来た事に心配になり布団から出て、彼女の元に近付いた。


「桜華、どうしたの?こんな時間に……(枕……?)」

「えっと……早めに寝たんだけど、その……」

「ああ、もしかして怖い夢でも見ちゃったとか?」

「!」


その言葉にはっとした表情を浮かべた桜華は先程見てしまった夢を思い出したのか、勢いよく彼に抱き着いた。
突然の事に驚いた幸村だったが、微かに震えている彼女を可愛いと思いつつ優しく頭を撫でた。


「どうする桜華……ここで一緒に寝る?」

「幸村それは……!」

「煩いよ真田。いいじゃないか別に……それか何?お前まさか寝ている隙に桜華に手を出すつもりじゃ……」

「そんな訳ないだろう!」

「桜華先輩も一緒に寝ましょうよ!明日で合宿最後ですし!(桜華先輩と一緒とか嬉し過ぎ……!)」

「男だらけでむさかったからのお……桜華がおればええ夢見れそうじゃ(枕抱えて可愛過ぎじゃろ)」

「私も構いませんよ。この中に良からぬ事を考える人物なんていないと思いますし(このまま部屋に返すのは可哀想ですしね)」

「そう言う事なら俺がもう一組布団を敷くとしよう。場所は精市の横で端が最適だな(俺もつくづく桜華には甘いな)」

「怖い夢見ちまったのに一人はこえーよな……一緒に寝ようぜぃ桜華!みんないるからもう怖くねーだろぃ?(ちょっと泣きそうな桜華も可愛い……!)」

「だな。桜華、俺達とで良ければここで寝ろよ」

「みんな……」


皆の賛成があり、桜華はそこで寝る事になった。
柳の敷いてくれた布団に彼女が潜ると、他のメンバーも改めて布団に入った。

そして真田が部屋の電気を消すと、暫くしてあちこちからすやすやと寝息が聞こえてきた。
やはり疲れていたのか、無駄話する事もなくあっという間に彼等は夢の世界へと落ちて行った。


そんな中、やはり怖い夢を見てしまったためになかなか寝付けない桜華は、布団の中でごろごろと寝返りを打っていた。
皆がいるのは分かっているが、やはり目を瞑ると先程の夢の光景が浮かび上がってきてどうしても眠る事が出来ないのだ。


「……桜華、起きてる?」

「せーいち……?起きてるよ……?」

「皆は寝ちゃったみたいだけど……大丈夫?怖くて眠れないんでしょ」

「うん……」


桜華が返事をすると、「やっぱり」と幸村は小さな声でくすくすと笑った。
彼女は幸村がまだ起きていた事に安心すると、ゆっくりと横の布団……彼のいる場所へと移動した。
勿論その行動に幸村が驚かないはずがなかった。


「桜華……!?」

「……一人怖いの」

「(でも流石にこれは……)……桜華、駄目だよ……俺っ……(駄目だ駄目だ、こんなの触れたくなっちゃう)」


昨日の露天風呂での事がやっと解決した直後だと言うのに。
幸村は彼女の危機感のなさに改めて危険を感じざるを得なかった。
跡部の説得もあまり意味をなしていなかったのだろうか。

悶々と考えていた彼のそれを読んだかのように、桜華は小さな声で話し始めた。


「精市、誤解しないでね……?」

「え……?」

「私、別に精市に触られるのが嫌とかそういう事じゃないからね……?」

「うん……(それだけで嬉しいな)」

「その、精市に触られるのは好きだし……その……」

「?」


桜華は言葉を切ると、とんでもない行動に出た。
幸村の右手をゆっくりと自分の胸に触れさせたのだ。
あまりの衝撃に彼は目を見開き息を呑んだ。
昨日触れたその感触がまた自分の手にある事にどうしようもない緊張感に襲われ、動けなくなってしまう。


「ちょ、桜華っ……!?」

「ちょっとね、いきなりでびっくりしてっ……でも本当嫌とかじゃないのっ……!」

「っ……」

「……もう少し、待って下さい」


暗くて良くは見えないが絶対に顔を真っ赤にしているであろう彼女の精一杯のお願いに、幸村は自分の顔も赤くなっていくのを感じた。
自分に触られるのが嫌じゃなかったのだと分かった彼の心は軽くなり、そして待ってという言葉に安堵した。


「(桜華本当反則だよ……)うん、ありがとう。嬉しいよ、凄く、嬉しい……」

「うれしいの……?」

「ああ、凄く凄く、ね……?」

「そっか、良かった……」


桜華はふにゃりと笑うと、幸村に胸を触れされたまま抱き着いた。
密着する身体に更に心臓が速くなるのを感じた幸村だったが、昨日の様に衝動に駆られる事はなかった。
ぎゅっと抱き着いている桜華を、彼は胸から手を離し優しく抱き締めた。
心地の良い温かさに眠気が襲ってくる。


「あのね桜華……」

「何……?」

「俺、いつも桜華の事食べる食べるって言ってるでしょ?」

「うん……?」

「あれはね、本当に桜華の事を食べちゃうって意味じゃないんだ……噛みちぎるとかそう言うのじゃなくて」

「違うの?」

「……桜華にえっちな事しちゃうよって意味なんだ」

「!」

「ごめんね、桜華が分かってないと思ってずっとこんな事言ってて」

「そうだったんだ……」


今まで思っていた食べるの意味とは全く違っていた事に桜華は驚いた。
何度も食べると言われていたと言う事は、少なからず幸村はそういう行いをしたいと言っていたのと同じなのだ。
桜華は過去の事を思い出し更に顔を赤くしたが、彼に抱き着いているためその表情を見られる事はなかった。


「精市は、そういう事したいってずっと思ってたの……?」

「ずっとっていうか、まあそうだね……。男だから、好きな子に触りたいと思うのは自然な事だと思うよ……?」

「……精市のえっち」

「男は皆そういう生き物だよ」

「……まだ待ってね?いつかはしてもいいから……」

「ふふ、それはいつ頃になるのかな……?」

「あ……えっと、私の心の準備が出来てからっ……!」

「桜華の心の準備が早く出来る事を期待してるよ」

「もうっ……」


「精市本当にえっち!」ともう一度言うと、桜華はもっとぎゅうっと彼に抱き着いた。
照れてて可愛いと心の中で思っている幸村は、そっと髪にキスをすると「そろそろ眠れそう……?」と耳元で囁いた。


「うん、眠れそう……」

「そっか、よかった……。おやすみ桜華、良い夢見れるといいね……」

「精市と一緒だから大丈夫だよ……」

「そっか、よかった……」

「おやすみなさい……」

「ああ、おやすみ」


暫くして聞こえてきた彼女の寝息を確認しくすっと笑うと、幸村もゆっくりと目を閉じた。
寝る前に小さく呟いた「桜華が出てくる夢が見れたらいいな……」という言葉は、誰にも聞かれないまま静かに消えた。




(ななな、何をしている二人とも……!)
(俺らがおっても関係なし、か)
(ん……もう朝……?って、みんなどうしたの?)
(桜華、何故お前は精市の布団の中にいるんだ)
(え?ああ……やっぱり怖くて精市に一緒に寝てもらったの)
(っていうか幸村君熟睡してるぜぃ……)
(桜華の事思い切り抱き締めてますね)
(幸村先輩ずるいっす……!)
(精市、朝だよ起きて!)
(ん、ああ……桜華あったかい……)
(ちょ、わわっ!だめだよ離してー!)
((後十五分は離さないだろうな))






あとがき

仲直りし、そして最後の夜を幸せに過ごす事が出来ました。
やはり二人には仲良くしていてほしいものです。