42 忘れられない温もり




その後も幸村家の二人のペースに桜華が着いていけないでいると、ガチャ……と玄関の扉が開く音がした。
それに、「ああ、花梨が帰ってきたわ」と幸村母。
花梨と言う初めて聞く名前に首を傾げている彼女を見た幸村は「妹だよ」と教えてあげた。


(精市の妹さん……)


その存在をどこかで聞いた事のある様な気がしている桜華。
しかし短時間ではその微かな記憶を辿りきれなかった。


(何だったかなあ……ううーん……)


考えているうちに、パタパタという足音が近付きそしてゆっくりとリビングの扉が開いた。
そこから顔を覗かせたのは、それは可愛らしい天使の様な少女。
その容姿に、桜華は忘れかけていた去年の冬の事を思い出す。


「(あ、この子……)」

「ただいまー……って、あれ?お客様?……あっ!もしかして!」

「おかえり花梨。桜華の事は後で紹介するから」

「え、え!桜華ちゃんなの!?うわあ……!やっと会えた!」

「花梨、嬉しいのは分かったけれどとりあえず荷物を置いていらっしゃい。桜華ちゃんがお菓子を持ってきてくれたから一緒に食べましょう」

「うん!」


にこっと笑ってまたパタパタと足音を立てて二階に上がって行った花梨。
桜華はやっぱりそうだ……と蓮二の推測に流石だと心の中で拍手した。
幸村は彼女の何かを納得したかの様な表情に疑問符を浮かべていた。


「桜華?どうしたの何かすっきりした顔してるけど」

「あ、花梨ちゃんって本当に精市の妹だったんだなって」

「俺、言ってなかったっけ?」

「うん。蓮二が多分妹じゃないかって言ってたのを花梨ちゃんの顔見て思い出したよ」

「そっか。……ね?あの時の事は桜華の勘違いだったんだよ」

「あはは、そうみたいだね」


去年の冬の事を思い出し桜華が苦笑していると、再びリビングの扉が開いた。
こちらに近付いてくる花梨はやはり可愛く、幸村同様学校で絶対にモテるだろうな……と思わざるを得なかった。


(こんな美少女、モテない訳がないよね……!羨ましい……)


桜華が心の中で呟いている中、幸村母の隣に座った花梨は彼女の事をじーっと見つめていた。


「お兄ちゃん、早く紹介して!」

「分かった分かった。……改めて、俺の彼女の桜華だよ」

「初めまして花梨ちゃん。湊桜華って言います。お兄ちゃんとお付き合いさせてもらってます。どうぞよろしくね(こんな感じで大丈夫かな……!?)」


桜華の挨拶が終わった途端、「いつもお兄ちゃんが嬉しそうに話してる桜華ちゃん!可愛い!」と楽しそうに言った。
その花梨の言葉に、彼は一体家族団らんの場で自分の何を言っているのかと、桜華は改めて気になった。


「花梨、自分の紹介もしたら?」

「あ、そっか!私、幸村花梨って言います。お兄ちゃんとは二つ違いで今六年生です!こちらこそよろしくお願いします桜華お姉ちゃん!」

「(お姉ちゃんっ……!)うん!でもお姉ちゃんだなんて恥ずかしいなあ」

「でもいつかは私のお姉ちゃんになるんでしょ?」

「?」

「だってお兄ちゃん、俺桜華と結婚したいと思ってるんだって前に言ってたよ?だから、桜華お姉ちゃんだよ!」

「精市!?」

「ふふ、だって本当の事だし」

「それでもそんな先の話まだ言わなくていいよ!もうっ」

「でも桜華ちゃんが精市のお嫁さんになってくれたら嬉しいわ!」

「精市のお母さんまで……!」


妹花梨も加わり、更に幸村家の空気にのまれる桜華。
でも知らず知らずのうちに何だかんだ楽しんでいる事に彼女自身も気付いていなかった。



その後皆でお茶を飲みながら話を弾ませ、それが終わると花梨にせがまれ一緒に遊んだ。
幸村は最初彼女を花梨に取られ少し機嫌を悪くしたが、桜華が「精市も一緒に遊ぼう?」と一言声をかけるとすぐに機嫌を回復させ、結局三人でゲームをして遊んだ。
そんな三人を家事をしながら見ていた幸村母は、皆やっぱりまだまだ子供ね……とくすくすと笑っていたとか。


遊んでいるとあっという間に時間は過ぎ、現在十七時。
家に帰る時間も含めるとそろそろ帰らなければならない。
切りのいいタイミングを見計らって、桜華は彼に「そろそろ時間だから……」と声をかけた。
彼女の隣で花梨は「帰らないでー!」と駄々をこねた。


「そっか……もうそんな時間か……。……あ、ねえ今日家に泊まっていったら?」

「え?」

「桜華お姉ちゃん泊まっていってよ!お母さんいいでしょ!?」

「ええ勿論。むしろそのつもりで夕飯準備してるところだったわ」

「(知らない間にお泊りが決まってた……!)いいんですかそんな急に……」

「いいんだよ。まあ、元から今日は泊まらせるつもりだったから」

「(そんなの知らなかった……!)」


花梨は「やったー!」と嬉しそうに声を上げ、幸村母は楽しそうに笑っている。
そんな幸村家の人々反応を見ていると帰る方が逆に失礼な気がしてきて、桜華はその言葉に甘える事にした。


「じゃあ……今日はお世話になります」

「お家には私から連絡しておくから。後で電話番号教えてもらってもいいかしら?」

「あ、はい。すみませんありがとうございます」

「ふふ、気にしなくていいのよ」

「桜華お姉ちゃんまた後で遊ぼうね!」

「うん!」

「花梨、桜華は俺のだからあんまりべたべたしないでよね」

「いいじゃん別にー!ねー桜華お姉ちゃん?」

「もちろんだよ!花梨ちゃん可愛いもん」

「えへへー」


花梨の喜ぶ顔を見て桜華は微笑んだ。
二つしか違わないのに何だこの可愛さはと。
彼女は本当の妹が出来たかのように思った。



幸村母に電話番号を教え、きちんと電話をして説明してもらったので桜華は無事にお泊りを許可してもらった。
丁度その時、出かけていた祖母と休日にも関わらず出勤していた彼の父親も帰宅。
二人とも桜華を見るや否や「精市の彼女かな?」と優しく声をかけた。
更に増えた幸村家の人々に彼女は緊張するも、照れながら素直に「はい」と答えた。
その返事に、祖母も父も「これからも精市をよろしくね」と穏やかに言った。


(やっぱり幸村家の人はみんな優しいなあ……)


そう、桜華は心から思った。



暫くして全員が揃ったという事で夕食を頂く事になった。
勿論桜華は彼の横に座らされ、家族全員からの視線を集める事になった。


「わあ……凄く美味しそう!」

「ふふ、桜華ちゃんがいるからちょっと頑張っちゃった」

「お料理上手なんですね!羨ましいです」

「今度教えてあげるわ。なんたって未来の精市のお嫁さんですし」

「へえ。桜華ちゃんは精市のお嫁さんになるのか」

「お父さん!お兄ちゃん前から言ってたよ!」

「ははは、そう言えばそうだったな」

「精市、もう本当にご家族の方に何話してるの……」

「ふふ、桜華が可愛くて仕方ないって話だよ」


幸村は楽しそうに笑いながら桜華の頭を撫でた。
二人を見ていた父は、「精市も成長したんだな」とどこかしみじみとした様子だ。
色んな意味での息子の成長を垣間見たのかもしれない。


「じゃあ、ご飯食べましょう?精市、桜華ちゃんといちゃつくのはまたご飯の後にしなさい」

「仕方ないね、そうするよ」

「(幸村家の人達の会話って心臓に悪い……!)」

「じゃあ、いただきます」


幸村が言うと、次いで皆もいただきますと手を合わせた。
桜華もきちんと手を合わせてから、料理に手を伸ばした。
一口頬張ると、見た目だけでなく味もかなりのもので、彼女は甘いものを食べた時の様な幸せな表情を湛えた。


「凄く……凄く美味しいです!」

「桜華ちゃんのお口に合って良かったわ」

「沢山食べてね?あ、何なら俺の分もいる?」

「い、いいよ!精市のは精市が食べて!」

「そう?」

「そう!」

「お兄ちゃん!桜華お姉ちゃんは女の子なんだから、体重とか色々気にするんだよ!」

「あ、そっか。でも桜華はもう少し食べて太ってもいいと思うけどな」

「太るのはちょっと……!(言えない、本当はもっともっと食べたいなんて!)」


夕飯の時間は楽しく、桜華も緊張こそしていたものの常に笑っていた。
そんな彼女を横目で見ていた幸村は、やっと馴染んできたのかな?とどこかほっとしていた。



「桜華ちゃん、お風呂入って頂戴?」

「え?でもまだみなさん入ってないですよね?」

「こういう時はお客様に一番に入ってもらうものなのよ」

「えっと……じゃあ、お先に失礼します」

「精市!桜華ちゃんにお風呂の説明してあげて。あと花梨、新品の下着あったでしょ?用意しておいてね」

「はーい!」

「何か色々ありがとう花梨ちゃん」

「いいんだよ!だって桜華お姉ちゃんだからね!」

「(可愛過ぎる……!)」

「じゃあ、お風呂に案内するね」

「あ、うん!」


食後。
幸村母に促され桜華はお風呂に入る事になった。
彼に風呂場に案内され、その広さに流石……と思いつつも、幸村家の豪華さに若干慣れてきた自分がいる事に彼女は驚いた。


「こっちに捻ったらシャワーが出るから。温度は合わせてあるけど、もし変えたかったらここ押したら変えられるから」

「うん、分かった!ありがとう精市」

「どういたしまして。ゆっくりしておいで?……あ、よかったら一緒にはい「入らないよっ!」冗談だよ(勿論入りたいけどね)」


幸村の冗談には全く聞こえない冗談を断固拒否した桜華は、少し顔を赤くしつつ「お風呂入るから!」と言って彼を追い出した。
追い出された幸村はくすくすと笑いながら、「着替え後で持ってくるから」と言ってその場を離れた。
暫くして足音が遠のいた事にほっとし、桜華は服を脱ぎ始める。


(あの拒否の仕方……桜華ってば緊張しすぎだよ。まあ仕方ないか、俺があんな事したって言うのもあるし)


幸村は桜華の着替えを取りに行きつつ考えていた。
以前の合宿の際に自分の行動によって彼女を傷付けてしまった。
その事実は何時まで経っても変わらないが、彼女は許してくれたし、何より自分に触られるのが嫌な訳ではないと言ってくれた。
幸村はそれが何よりも嬉しかったのだ。
桜華を抱き締めながら寝たあの時の感触は、彼にとって忘れられないものになっていた。

そして今日。
再びその機会が訪れようとしている。


(また桜華を抱き締めて眠れるかな……。許して、くれるかな)


思春期ならではの期待に胸を馳せ、幸村はお風呂場へと着替えを持って行った。
そこにちょっとした悪戯心を込めて。




その頃、桜華はあまりの気持ち良さに鼻歌を歌いながら湯船に浸かっていた。
そこに丁度幸村が来たため、慌ててそれをやめて何事もないように装った。
しかし勿論ながら手遅れで。


「ふふ、鼻歌歌うほど気持ち良い?」

「(やっぱり聞こえてた!恥ずかしい……!)う、うん!広いしすっごく気持ちいいよ!」

「それはよかった。あ、着替えここに置いておくから、出たら真っ直ぐ俺の部屋においでね?」

「分かったー!」

「じゃあまた後で」


何故真っ直ぐ彼の部屋なのかと疑問に思ったが、リビングには今行ってはいけないのかも知れないと考え、然程気にしない事にした桜華。
しかし彼女は後に気付く、どちらにしても絶対にリビングには行けない事に。


暫くしてお風呂を出た桜華は、彼が置いていった着替えを見て首を傾げた。
一つ、あるべきものがないのだ。


「何でないんだろう……?」


どこを探しても足りないものは置いておらず、どうする事も出来ない桜華はとりあえず置いてある物だけを着て幸村の部屋へと向かった。
階段をとんとんと昇り、以前入った事のある幸村の部屋の扉を開いた。


「思ったより早かったね?……桜華、凄く可愛い」

「ねえ精市、これじゃ足りないよ……その……」

「それでいいんだよ。今日はそれで寝てね?」

「恥ずかしいんだけどなあ……!」

「恥ずかしがるところを見るのも、俺にとっては楽しみなんだよ」

「ずるいっ……!(こんな姿じゃどっちにしてもリビングには行けない……!)」

「ずるい俺は嫌い?」

「その質問もずるい……!」

「ふふ、ごめんごめん」


彼女が恥ずかしがっている理由。
それは幸村の悪戯心で、桜華の寝巻は幸村のシャツしか用意されていなかったのだ。
なので勿論彼女の現在身につけているものと言えば、下着とそのシャツだけ。
足は晒している状態なのだ。
恥ずかしくない訳がない。


「可愛いから、ね?大丈夫大丈夫」

「うう……」

「じゃあ俺もお風呂行ってくるからここで待っててね?すぐ出てくるから」


幸村は彼女の頭を撫でると、自分の着替えを持ってお風呂へ向かった。
桜華は彼のいなくなった部屋で一人どきどきしながらも、とりあえずベッドに腰掛ける。


「それにしても何だろうこの部屋……凄く安心するなあ」


部屋に入ってからずっと感じていたそれ。
この格好は色んな意味で相当危険な気がするのだが、それとは別に何故か安心感を抱いていた桜華。
その理由を必死に考えていると、あっという間に時間は過ぎていたらしく幸村が帰ってきていた。


「桜華どうしたの?ぼーっとして」

「え?あー……何か精市の部屋って安心するなあと思って」

「そう?別に普通の部屋だと思うけど」

「うーん?何でかなあ……」


桜華が考えている最中、幸村はそっと彼女の隣に座った。
するとそれで何かに気が付いたのか、「そっか!」と声をあげた桜華。
そんな彼女の様子に幸村は首を傾げた。


「分かったよ精市!」

「何だったの?」

「この部屋、精市の匂いでいっぱいだから安心するんだよ!」

「!」


彼女の一言に幸村は驚き、そして一気に顔を赤くした。
桜華はにこにこと笑い、一人で「そうだそうだ、精市の匂いだ!」と納得していた。
彼にとってはかなりの衝撃だったらしく、ただそれを隠す様に隣で無邪気に笑っている彼女を思い切り抱き締めた。


「わわ、精市!?」

「桜華、そう言うのは反則だから……」

「?」

「俺の匂い、安心するの……?」

「うん!今も精市の匂いでいっぱいですっごく安心してるよ……?」

「そっか……(あーだめだ、やっぱりこの格好にしたのはまずかったかな)」

「このシャツも精市の匂いがするし、精市の匂いでいっぱいだよ今!」


桜華は幸村の腕の中で嬉しそうにしていた。
そんな彼女の身体へと目を向けると、無防備に晒された足に彼は緊張するのを感じていた。
失敗だった……と言う幸村の心の叫び空しく、桜華は幸村を見上げ「大好きな精市の匂いだもん!」と可愛らしく言ってのける。


「本当今すぐ食べたくなっちゃう……」

「だ、駄目だからね!まだ、だめだからね……」

「分かってるよ、安心して。……だけど、抱き締めて寝るのはいい?」


そう彼女の耳元でそっと切なそうに囁く。
桜華は恥ずかしがりながらも、小さな声で「……いいよ」と返事をした。
その返事が嬉しくて、幸村は更にぎゅうっと抱き締めた。


その後、まだ眠るには早いと言う事で部屋で話をしたりのんびりと過ごした二人。
そんな他愛のない時間が二人にとってとても幸せで。
桜華の希望で幸村のアルバムを見せてもらったりもした。
今より幼いものの、すでに整った顔をしている幸村に、彼女は精市は精市だ!と心で呟いた。


そうしているうちにあっという間に夜は更けた。
「そろそろ寝ようか」と言う彼の言葉に桜華は頷き、一緒にベッドに入った。


「桜華……」

「あ、精市……っ(どうしよう緊張するっ……)」


ベッドに入って早々、幸村は桜華の身体に腕を回した。
先程もされていたと言うのに、何故かベッドの中だと変に緊張するらしく桜華は早過ぎる心臓の音が彼に聞こえないかと心配していた。


「やっぱりこうしてると落ち着くなあ……」

「そう……?」

「桜華は緊張してるんでしょ?」

「な、何で分かるの……!」

「だって顔に書いてあるよ?」


幸村は自分の額を彼女の額に合わせると、くすっと笑った。
そんな唇がくっつきそうな距離に更に緊張してしまう桜華。
それも彼にはお見通しなのだが。


「桜華……」

「せ、いち……?」

「大好きだよ……誰よりも」

「私も、精市が大好き……」

「ふふ、可愛い」


そのままゆっくりと唇を合わせた。
軽いキスから、段々と深いキスへ。
それは合宿の時の様なものではなく、ゆっくりと優しさをいっぱいに込めたもの。
少し角度を変えて何度もキスをする。

部屋に小さく響く、ちゅっ……という音に二人ともがドキドキとしていた。



「っ、はあ……桜華」

「せーいち……っ」

「目、とろんってしてるね……?凄く可愛い……」

「だって何だか気持ちいいから……」

「それは光栄だな」

「……?」


幸村は嬉しそうな表情を浮かべると、彼女を抱き締め直しながら「おやすみ」と柔らかな声で言った。
それに安心した桜華も、「おやすみ精市」と言って、静かに瞼を下ろした。




(ん……)
(おはよう桜華)
(せーいち……?おはよ……)
(まだ眠いの?)
(んー……ねむい……)
(じゃあまだ寝てていいよ。時間になったら起こしてあげるから)
(……せーいちもいっしょに)
(ああ、そうだね。じゃあもう少し寝ようかな……)
(えへへ……)
(また後でね桜華。おやすみ)



あとがき

一話が長いですね。
とりあえずお泊り編は終了です。
次回は全国大会のお話になるかと!