48 君との約束



桜華の下駄箱がびしょ濡れになった日から数日。
やはり柳の思っていた通り、イジメはエスカレートしていった。
去年と同じ……いやそれ以上の陰湿なイジメの繰り返し。

流石にこの陰湿さには桜華も参りかけていた。
去年はイジメなんてものに対して酷くポジティブだったのだが。
理央も今年はイジメに気付き酷く怒りを覚えていたが、桜華が「大丈夫だから」と笑顔で言うものだからそれ以上何も言えなくなった。

彼女はきちんと何があったかを柳に報告していた。
その報告は逐一幸村の耳にも入っている事を桜華は知らないのだが。




実は柳はこの数日で主犯を見つけ出していた。
今日はその事を桜華に知らせる事にしていたため、再び二人で昼食を取る事にした。


「桜華、イジメの主犯、および仲間と思われる人物を特定した」

「!」

「この数日調べていたのだが、やはりテニス部員……いや、もっと的確に指すと精市のファンだった」

「そっか……」


桜華は「精市ってやっぱりモテるから」と苦笑しながら言った。
その表情が何とも痛々しいが、柳は続けた。


「……バレンタインの時、複数の女子に精市にチョコを渡してほしいと言われたのを覚えているか?」

「あ、そう言えばそんな事あったような……。断ったけどしつこくて大変だったんだよ。精市が助けてくれたけど……」

「その女子達が中心になっているようだ。もう半年以上前の話なのだがな」

「何で今更……?」


桜華は当たり前の疑問を柳に投げかけた。
何故また今なのか、それは誰でも思う事だろう。
柳はふむ……と頷くと、「それには理由がある」とノートを開いた。


「最近精市のファンになった者たちが唆しているようだ」

「唆してる?」

「ああ。バレンタインの時の女子は一部では過激な精市好きで有名だったらしい。それを知った他のファン達が苛めるように煽っているらしい……言わば黒幕だな」

「黒幕……」


もう桜華にとっては全くついていけない話だった。
唆す?黒幕?頭の中は追い付くどころか滅茶苦茶にこんがらがって始末がつかなくなっていた。
すると柳は「それと……」と言葉を続けた。


「その黒幕は勿論一人ではないのだが、いよいよ自分たちも行動に出ようとしているらしい」

「!」

「気をつけろ桜華。本当に何をされるか分からない。女の嫉妬とは醜いものだ」

「蓮二、私どうしたらいいのかな……」

「まだ精市に話さないのか?」


柳は桜華の顔を見ずに、ノートを見たまま言った。
彼女は俯き、うーん……と唸る。


「……私、やっぱり言えない。言うって約束したけど、破っちゃう事になるけど……それでもこの事だけは言いたくない」

「そうか。……桜華が言いたくないのであれば言う必要はない」

「うん……」


不安を隠しきれていない桜華の頭をそっと撫でてやる。
柳は精市の人気にも困ったものだ……そう思いながらも、それは本人にとっては知らない所で勝手に好かれているだけ。
ましてや彼女である桜華からすれば、お互いが好きあっていて付き合っている人物のファンに苛められる、そんな理不尽な事が認められる訳がない。
柳はその女たちに対する嫌悪感を抱きながらも、彼女には気取られないように気をつけた。


「(俺がそんな感情を抱いているいると分かったら、桜華はもっと不安になるだろうからな……)」

「蓮二……?」

「……いや、何でもない。そろそろ昼休みも終わる。教室に戻るか」

「うん」


桜華の笑顔は少し苦しそうで、声も少し弱々しい。
本人は明るく振舞っているつもりでも、やはり精神的にはかなりきつくなってきているようだ。
柳は「桜華、後で和菓子をやろう」と、少しでも大好きな甘いもので元気を出してほしい……考えが幼稚かもしれないがそう思い彼女に声をかけた。


「和菓子!食べたい!」

「教室にある。戻ったら食べよう(……先程よりは表情が明るくなったな。甘いものがここまで効果を表すとは)」

「やった!えへへ、楽しみ!」


彼女が一瞬だけ本当に笑ったような気がした。
柳は少しほっとすると、桜華と一緒に屋上を出た。








「……と言う訳だ」

「そっか……やっぱり俺が関係してたんだね」

「ああ。その確率は高かったが……やはりというところだな」

「桜華に何かするなら、俺に言えばいいのに」

「お前には恨みはないんだ、あいつらが憎いのは桜華が精市の彼女と言う肩書なんだからな」

「っ……」


放課後。
部活が始まる前の僅かな時間に柳は昼休みの報告をした。
それを聞いた幸村は辛そうに顔を歪める。
自分のせいで桜華がまたイジメに遭っていると言う事実は、いくら強い幸村でもやはりきついものがある。


「桜華はお前に言いたくないと言っていた。初めは言うつもりだったのだろうが……やはり桜華にとっては精市に言って心配をかける事が一番嫌なのだろうな」

「そっか……。……ねえ蓮二、俺もう我慢出来ないよ」

「どうする気だ」

「分からない……でも、俺は桜華の彼氏として、絶対に桜華の事を守らなきゃいけないんだ」


その必死な表情に柳は「そうだな」と相槌を打った。
幸村は「俺が守らなきゃ……」もう一度そう独り言の様に小さく呟くと、ふう……と一度息を吐いた。


その時、ふと柳は辺りを見回した。


「……桜華、遅くはないか」

「そういえば……いつもならもっと早く着替えてコートに来るのに…」

「……嫌な予感がする」

「まさか……!」


幸村は言うが早いか走り出した。
柳はその姿を見つつ、間にあえ精市……と心の中で強く願った。





その頃桜華は非常に危ない場面に直面していた。


「あ、えーっと……何の用でしょうか……?」

「アンタとぼけてんじゃないわよ!あれだけやられててまだ幸村君と別れない訳!?」

「早く別れるって言いなさいよ!」

「アンタみたいなブスが幸村君の彼女だなんて不釣り合いにも程があるの分からない訳?」

「っ……」


着替えてコートに向かおうと思った矢先。
いきなり数名の女子に囲まれた桜華はそのままずるずると薄暗い旧体育倉庫裏に連れて来られた。
ここは前にも連れて来られた場所。
そして、そこにも待ち構えていた女子これまた数人も加わり、現在かなりの人数に桜華は一人囲まれていた。
非常に危ない。

桜華は言葉の暴力を黙って聞いていた。
しかし内心、とても苦しくて辛かった。
同時に芽生える、ある気持ちがより桜華を苦しめた。


(そうだ……私なんかがいいのかな。私みたいな普通の……何の取り柄もないのが精市の彼女だなんて、やっぱり変なのかな……)


いつもならそんな事絶対に思わないはずなのに、弱っている彼女の思考はどうしても悪い方へしかいかない。
桜華がマイナスの思考をどんどんと深水に嵌らせているその時でさえ、罵声は止む事はなかった。


「黙ってないで何とか言ったら!?っていうか、別れるって言わなきゃ解放しないから」

「ブスが幸村君と少しの間付き合えただけでも有難いと思いなさい!いい夢見れたでしょ?もう幸村君を解放してあげてよ!」

「アンタが傍にいるせいできっと困ってるわ!苦しんでるに決まってる」

「っていうかアンタ今無断で部活サボってるんだしねー今頃きっと幸村君愛想尽かしてるよ、アンタなんか所詮その程度よ」

「そうだ部活!部活行かなきゃ……!」

「待ちなさいよっ……!」


囲んでいる一人の女子の言葉に桜華はハッと思い出し、その場から離れようとした。
先程のマイナスな考えも今はなく、とにかく部活に行きたいと言う一心。
が、勿論そんな事が出来る訳もなく、その腕をばっとキツく掴まれた。
桜華はその力に顔を顰める。


「っ……!」

「アンタ何考えてる訳!?部活になんか行かせる訳ないでしょ!?」

「行かせてよっ……!仕事しなきゃいけないの!」

「本当どこまで頭悪いの!?こんな子が幸村君の彼女だなんて、ますます許せない!」

「そんな顔してもウザいだけだからやめてくれない!?」

「部活、行かせてお願いっ……!」

「だから行かせないって言ってるのが分からないの……!?」


桜華の必死の頼みも空しく、それは相手を更に煽る結果となってしまった。
煽られた女子達は彼女の態度に遂に我慢が出来なくなったのか、表情を更に醜くした。


そして、一人の女子の手が上がる。


「アンタって前も苛められたんでしょ!?本当に懲りないのね……!もう一生幸村君に近付けない様な顔になっちゃえばいいのよ……!」

「!」


ばっと振り下ろされる手に、桜華は目を瞑った。
すぐに来る痛みを想像しながら。


「桜華!!」

「!」

「精市……!?」


しかし痛みは来なかった。
替わりに来たのは、好きで好きで仕方なくて、今一番会いたかった人。
いきなりの幸村の登場に桜華を叩こうとしていた女子の手は振り下ろされる一歩手前の場所で止まり、その表情は驚きを隠せない様だった。
その女子だけではなく、周りで囲んでいる女子も全員同じような表情をし愕然としていた。


「ねえ、大人数で桜華に何してるのかな?」

「こ、これは……」

「とりあえず桜華に振り下ろそうとしてる腕を下ろしてくれる?……早く」

「っ!」


幸村の冷たい視線に女子はビクッと肩を揺らして、言われるまますぐに腕を下ろした。
それを確認すると、幸村は更に冷たい視線を女子達全員に向けた。
女子達は怯えている様で、瞳が揺らいでいる。
桜華は黙ったままその様子を見ているしかなかった。
とても何かを言える雰囲気ではない。


「……で、何をしてるのかな?誰か説明してくれる?」

「わ、私達はただこの子とちょっとお話を……!」

「そんな大勢でかい?話すだけなのに、何で桜華を打とうとしたの?」

「それは……ちょっと話で揉めちゃってつい……!」

「ふーん……」


幸村は気持ちの籠っていない軽い相槌を打つと、すぐに低い声で言葉を続けた。
その声はいつもの彼からではとても想像できない様な、怒りに満ちたような声だった。


「……嘘はいけないよ。ねえ、君達この間からずっと皆で桜華の事苛めてたんでしょ?もう分かってるんだよね」

「「「!!」」」

「(どうして精市知ってるの……!?)」


女子達と同じ様に桜華も心の中でとても驚いた。
どうして知っているのか。
言った覚えは全くないし、バレている様子もなかった。
しかし幸村は確かに「この間からずっと」と言った……それはこの現状を見る前から知っていたと言う事で。
桜華は色々と混乱している頭を更に混乱させた。


「苛めてなんか……!」

「言い訳なんて聞きたくないよ。……ねえ、俺のファンなのか何なのか知らないけど、どうして君達に俺と桜華の事をとやかく言われなきゃいけないのかな?」

「(精市……)」

「俺は桜華の事が大好きなんだ。君達が考えるよりずっとずっと俺は桜華を愛しているし、離したくないと思ってる」

「でも幸村君……!」

「何?……俺が桜華を好きって言う感情を、どうして顔も知らない様な君達が否定するの?俺の気持ちを……桜華の気持ちを否定されなきゃならない事なんて何もないよ」


幸村は淡々と、しかし言いようのない程の怒りを込めた声で言った。
桜華ですら恐怖しそうな程の威圧。
女子達はすでに泣きそうな子達もいる。
しかしそんな事はお構いなしの様で、幸村は更に続けた。


「これ以上俺と桜華に関わらないでくれないか。もしこれ以上桜華に何かしたら……もしこれ以上桜華を傷つけたら、俺が絶対許さない」

「ひっ……」


一人が思わず声を漏らした。
幸村はもう一度女子達を冷たい視線で見渡すと、「……俺の前から消えてくれないかな」と一言、彼女達をどん底に突き落とした。
ただでさえ彼のファンである女子達の中には遂に泣きだした子も出てきてしまったが、その一言を聞き全員がその場から立ち去った。
桜華はその様子をずっと黙って見ていた。
正確に言うと、声が出なくなってしまったのだ。


全員が行ったのを確認すると、幸村はそっと桜華に近付いた。
その表情は先程の怒りに満ちたものではなく、必死さが滲み出ているものだった。
桜華は幸村の表情にやっと安心したのか、深く深く息を吐いた。


「桜華、よかった……怪我はない?怖かっただろ?」

「精市何でここが……?」

「前もここだったからね……もしかしてと思って」

「そっか……」


幸村は優しく桜華を抱き締めた。
そして耳元で「無事でよかった……」と本当に安心した様な声で言った。
その声も先程のものとは全く違い、桜華は安心した。


暫くと抱き合っていた二人だったが、桜華はふと思い出した疑問を幸村に尋ねる事にした。


「ねえ精市?」

「どうしたの……?」

「何で私が苛められてる事知ってたの?気付いた……?」

「ああ……。……実は内緒で蓮二が教えてくれてたんだ」

「蓮二が?」

「桜華と蓮二が二人きりでお昼を食べた事があっただろ?その時俺が蓮二に問い詰めたんだよ……どういうつもりなのかって。そしたらね」


「聞いちゃってごめんね?でも蓮二は責めないでやってくれ」と幸村は続けた。
桜華は柳が幸村に話していた事に驚いたものの、そのおかげで今こうして怪我なく無事でいられている、その事に感謝した。


「ごめんね精市、迷惑かけちゃって……」

「迷惑な訳ないだろう。むしろ俺のせいでこんな……本当にごめん、辛い思いさせて」

「精市のせいじゃないよ!精市は何にも悪くないから……!……私がこんなだから、みんな釣り合わないって思ってるんだよ……だから仕方ないんだ」

「桜華……っ」


彼女の言葉を聞いた幸村は、抱き締めている腕の力をぐっと強めた。
いきなりの事で驚いたが、その腕が震えており桜華は何も言えなくなった。


「お願いだからそんな事言わないで」

「精市……?」

「釣り合うとか釣り合わないとか……俺は桜華を愛しているし、桜華も俺の事を好きでいてくれてると思ってる……それだけでいいじゃないか」

「好きだよ、精市の事……誰よりも大好き」

「ありがとう。だから、もうそんな事気にしないで……俺の隣にはいつだって桜華がいてくれなきゃ駄目なんだから」

「うん……そう、だよね」


幸村の言葉に桜華はやっと自分が馬鹿な事を考えていた事に気付いた。
自分は精市が好き、それだけでいいんだ……彼女はそう改めて思うと、幸村を見上げゆっくり笑った。
その笑顔に幸村もほっと安心したように微笑んだ。


「助けられてよかった」

「ありがとう、精市が来てくれて凄く嬉しかった!」

「去年、桜華の事を守るって誓ったからね」


「早速誓いを破るわけにはいかないよ」と幸村は優しく桜華の額に自分の額を合わせた。
彼女は近くなった幸村の顔に少し顔を赤らめながらも、心の中では幸せを感じていた。


「これからも、守るから……桜華の事ずっと」

「ん……ありがとう精市」


桜華の返事を聞いた幸村は、その事を誓う様にゆっくりとキスを落とした。





(でも桜華、今度からは何かあったらちゃんと俺に話してね?)
(あ……えっと……うん!)
(あと、蓮二と二人でご飯も禁止)
(どうして?)
(……俺が嫉妬するから駄目)
(!?)
(蓮二にだけ話すのも駄目だからね……俺は凄く嫉妬深いんだから)
(以後気を付けます)
(桜華も約束ね?)
(うん、約束!)







あとがき

今回はさくっと終わらせました。
幸村君に助けさせてあげたかったお話。
次回からは海原祭に突入です。