7 さよなら


「ブン太が、私を好き……?」

「うん、そう。……あ、友達としてじゃなくてそれ以上に好きだから」

「!」


驚いた。
涙も引いてしまう位に驚いた。
ブン太が私の事を好きだなんて……私も好きだけど、お互いに好きは友情の好きかと思っていたのに。
でもブン太の好きはそうじゃないって。
まさかそんな風に思われていたなんて、全然気付かなかった。

ブン太は私を一度開放すると、頭をぽんぽんと軽く叩いてきた。
それに何だかまた泣きそうになる。


「でも、私達親友で……」

「そのポジションにいれば安心だってどこかで思ってたから……。俺、意外にそういう所臆病みたい。桜華との関係が崩れるのが怖くて、今まで言えなかっただけ」

「……」

「幸村君との事だって、やっぱり考えたくなくて。……ごめんな、相談に乗るなんて言っときながら、俺本当は心の中では桜華と秘密を共有出来て喜んでた」


ははっと笑うブン太は、何処か辛そうに見えた。
どんな気持ちだったんだろう。
私が幸村君に抱かれているなんて知って。
私の事が好きだって思ってくれていたのなら、どれ程に嫌だっただろうか。
自分では考えが及ばない程、辛かったのではないだろうか。


(それなのに私はブン太に甘えて、相談なんかして……最低)


彼の気持ちを知らなかったとはいえ、何て無神経だったんだろう。
自分自身に怒りが込み上げる。
そんな私の表情の変化を読み取ったのか、ブン太は優しく微笑んだ。


「桜華が気にする事ないからな!俺が相談してって言ったんだし、それに相談されたのは嬉しかったんだし」

「それでも私、無神経でっ……」

「だーかーら!俺は俺で最低だったんだから。……じゃあ、お互い様って事にしねえ?な?」

「ブン太……」

今度はにかっといつもの様に笑ったブン太に私は何処か安心して。
やっぱり彼とこうしているのは楽しいし安心すると思ってしまう。
例え今こんな話をしていても。


「ありがとう、ブン太……」

「ん。……なあ桜華。俺やっぱりもうこれ以上傷付く桜華の事見たくない」

「うん……」

「今は幸村君の事好きなのかもしれない。だから返事はすぐにはいらない。……でも絶対に桜華を俺の事好きにして見せるから、だから……」


ブン太はそこまで言うともう一度私の事を抱き締めた。
甘いりんごの匂いに包まれる。
安心する匂い、ブン太の匂い。
傷付いた私の心を満たしているのは今、紛れもないブン太だった。


「俺にしときなよ」

「!」


耳元で少し低めに囁かれて思わず顔が赤くなる。
こんなブン太知らない。
今この瞬間、私はブン太を男の子として意識してしまった。
どきどきするのが止められない。


(こんなにブン太にどきどきするなんて……どうしよう、どうしようっ……)


今の私の頭の中はブン太でいっぱいで。
さっきまで幸村君の事で埋まっていたはずなのに。
ブン太の事しか考えられなくなってしまった私は、都合が良過ぎるのかな。


(でもそれでも、今はいいや……だってこんなにもブン太に抱き締められて安心してるんだから)


胸が高鳴りながらも穏やかになる心。
丸井ブン太と言う存在が今、私の中で今まで以上に大きくなるのをひしひしと感じていた。


そして今日、初めて幸村君からの呼び出しを無視した。




『男子テニス部の部室に来い』


次の日の早朝、起床時間よりもずっと早い時間帯に携帯が光って、それで目が覚めてしまった。
こんな時間に誰だろう……と思いつつ画面を見るとそこには幸村君からのメッセージ。
昨日呼び出しを無視しても何の連絡もなかったから、もう関係は終わったのかと少し思っていただけに驚いてしまう。
でもどうして男子テニス部の部室に?
絶対に怒っているであろう彼に会いにそこに行くのは何とも気が引ける。


「でも、行こう……。終わるのなら終わるで、はっきりさせとかないと……」


そう決意すると、私は身支度を整えて早めに学校へと向かった。
かなり早めに出たためか人は疎らで、運動部の朝練組位しかいない様に思う。
そう言えばテニス部は今日朝練ないのかな?


(もう部室にいるのかな……ああもう、心臓煩い)


バクバクと煩過ぎる位になっている心臓を落ち着かせようと深呼吸をしながら学校へと向かう。
校門をくぐって、真っ直ぐ男子テニス部の部室へ。
テニスコートは静かで、今日の朝練はやっていないんだと分かった。
部室の前に着くと、さっきよりももっともっと煩くなる心臓。
油断してたら口から出てきそうなんて、でもそれ位緊張していて。
ドアノブを握る手にじわりと汗をかいているのが分かる。


(開けるしか、ないよね……)


未だに戸惑っている心と葛藤している中、ガチャッと中から扉が開いた。
慌てて体勢を整えて開けた人物の顔を見る。
そこにいたのは勿論幸村君で……表情は無表情に近い。
この顔が私は一番苦手かも知れない。


「おはよう、幸村君」

「そんな所でいつまで突っ立ってるつもり?早く中に入りなよ」

「うん……(案外普通……?今だけかな……)」


幸村君に促されて部室に入る。
こんな女人禁制の様な場所に入っていいのかとそわそわしてしまう。
運動部特有の汗の匂いと、男の子の匂いに少しくらっとする。
こんな匂いに囲まれていても、幸村君はいつもいい香りがするのは何でなんだろうと思わず思う。
だって彼が臭いなんて思った事は一度もない。


(いやそんな事よりも、とりあえず言わなきゃ……)


「幸村君、あの……昨日はごめんなさい」

「……」

「呼び出し無視しちゃって……。もう連絡ないと思ってたからびっくりしたよ」


私が謝っている間、彼は何も話さなかった。
これ以上何を言っていいのか分からなくなって沈黙。
あまりにも静か過ぎる状況に息苦しくなる。
そう思っていたら、次に話し始めたのは幸村君だった。


「どうして昨日は無視したの」

「えっと……ちょ、ちょっと体調が悪くて……」

「ふーん……」

「(絶対納得してないなあ……)」

「ねえ、桜華は本当に俺の事が好きなの?」

「え……?」


唐突に聞いてくる幸村君。
私が幸村君を好きかなんて、そんなの決まっている……はずなのに。
即答出来ない、その答えは簡単……頭にブン太がちらつくから。
昨日の彼との甘い時間を、雰囲気を……つい思い出してしまう。


「何?すぐに答えられない様な事なの」

「あ、えっと……好きだよ、幸村君の事……好き」

「そんな慌てて言われても信じられないな。……昨日無視したのはそう言う事?もしかして他に好きな奴でも出来た訳?そいつに抱かれでもしてたの?」

「違うよっ……!そんな事してないっ」


そこは流石に否定する。
だってブン太とそんな事はしてないから。
だけど幸村君は何か気になったようで、もう一度聞いてくる。


「抱かれはしてないんだ……。でもさ、好きな奴が出来たって所は否定しないの?」

「!」

「その顔……間違ってはいないようだね。桜華、俺じゃない別の男の事好きになったんだ」

「それはっ……」


確かにブン太の事は好きだけど、それが本当に恋愛なのかはまだはっきりしなくて。
それに、幸村君の事が嫌いになった訳じゃない……彼の事もまだ好きなんだ。
でもそんな事間違っても言える訳なくて、黙ってしまう。


「桜華のせいで彼女と別れたのにな……その途端別の男に行くなんてね」

「そんな、あれは幸村君がっ……」

「まあ俺も別にあいつの事そこまで何とも思ってなかったから別にいいんだけど」

「(ああ、可哀想だなああの子……)……幸村君にはもう一人彼女がいるでしょ?」

「そうだね、いるね」


あっけらかんと言ってのける幸村君に溜息も出ない。
彼が何を考えているのかがいよいよ本当に分からなくなってきた……何が真実で、どれが嘘で、彼の本当の気持ちはどこにあるの?
私はもう分からなくて、どうせ幸村君との関係はきっとこれで終わりだろうってその覚悟で言う事にした。
思っている事の、全てを。


「幸村君はさ、女の子の事何だと思ってるの……?昨日別れたあの子も、今付き合ってる彼女も、私も……幸村君の道具じゃないよ……?」

「……」

「私ね、本当に幸村君が好きで……大好きで、だから身体だけでもいい、幸村君と繋がっていられるのならそれでいいって思ってた。抱かれてる時は幸せで、やっぱりどこか寂しくて……。でももしかしたら少しでも幸村君に好きになってもらえるかもって、期待してた所もあったんだよ……」

「そう」

「だけどね……昨日幸村君に言われて、ああそうなんだ、可能性なんてないんだって思った。あそこまで言われて傷付いたよ凄く。自分勝手かも知れないけど……」


言っているうちに段々と悲しくなってきて。
ただ彼を好きだったあの頃は、こんな事になるとは全く想像してなかった。
幸村君を純粋に好きだったあの頃に戻りたいと願ってしまう。
何処で間違ったんだろう?
身体だけの繋がりなんて求めた私が馬鹿だったんだろうか。


「……幸村君、私の最初で最後のお願い」

「……」

「今日でこの関係は終わりにして下さい。……幸村君はさ、ちゃんと彼女一人大切にしてあげて?きっと彼女は幸村君の事大好きなんだろうから」


何も言わない幸村君。
それでもよかった、彼にこの事を伝えられたのなら。
幸村君は頭がいいから、何も返事がなくてもきっとちゃんと分かっている。
私はお辞儀を一つすると、「さよなら」と彼に言った。


「……今までありがとう幸村君。幸村君といてね、楽しかった事もあったよ。初めて抱かれたあの時の緊張は一生忘れないだろうし、一緒に電車で幸村君の家に行ったのは恋人みたいで楽しかった。……あんな風に、本当の彼氏彼女で出来たらよかったのにな」


最後にそう伝えて私は部室を後にした。
流れる涙を拭いても、彼との関係が終わったのだと思うと止めどなく溢れてきて意味がない。



「ぅ、ふえ……ぅう……」


嗚咽が漏れる。
止められない、だけどこれで終わりなのだ。
この涙を流して泣き終えたら、もう彼との関係は……彼への気持ちをは自分の中で終わらせる。
だから今のうちに沢山流しておくんだ……後悔のない様に。


(さよなら私のはじめての人)





あとがき

さてラストスパートです。
ブン太はいつでもどんな時でも気丈に男前でいてほしいです。