・図書館の可憐な君

幸村精市が彼女を見つけたのは、本当に突然の事だった。


いつもの図書館、いつもの光景。
今日はこれにしようと、ルノアールについての考察本を手に取りお気に入りの席に向かう。
そこは何故かいつも空いていて、彼は必ずそこに座っていた。


(この本はなかなか興味深そうな内容だな……読むのが楽しみだ)


早速今日も同じ席に座り、本を開く。
面白いと思いながらも、少し休憩と言うかの様に視線を本から外した。
そのままぱっと正面を向くと、少し向こうの席に女の子が一人座っていた。
別に何の変哲もない光景。
だが、彼は目を奪われたのだ。


(何だろう……凄く、綺麗だな……)


彼女が本を読むその姿が、幸村にはあまりにも綺麗に見えた。
見られている相手は何も気付いていない。
それをいい事に……と言うよりかは、心奪われ目を離せないまま彼は名前も何も知らない彼女をただただ見つめていた。


(どうしよう、何でこんなにどきどきするんだろ……変だな俺)


彼がそう思っていると、見つめていた相手がふと顔を上げた。
その瞬間ぶつかる視線。
女の子は少し驚いた様な表情を一瞬だけしたものの、すぐにふっと可愛らしく微笑んだ。
彼の心は完全に落ちた。


(ああ、またこの場所で会えるかな……)


幸村はそう思いながら、もう本を読む様な気分でもないとその本は借りて帰る事にした。
この場所で、彼女の傍ではきっと心臓の音が煩くて読めないと悟ったのだ。



その後、幸村は足しげく図書館に通った。
元々図書館に来る事は多かったが、こんなにも頻繁に来る事はなかった。
その度に彼女を探し、きょろきょろとしてしまう。
そして初めて会った日から丁度一週間後、ようやく彼女を見つけた。
前と同じ席に座り、相変わらず可憐な姿で本を読んでいる。
幸村はときめく心を必死に抑えながら、次会ったら絶対に声をかけると決めていたそれを実行する事にした。


「ねえ、何読んでるの?」

「え?」

「ああ、突然ごめんね?その、少し笑いながら読んでたから気になって」

「顔に出てました?」

「うん、すっごく」

「わわ……恥ずかしいなあ」


彼女は照れた様に笑うと、次に意外な事を言った。


「……あの、一週間前位にここで目が合いましたよね?」

「覚えてたの……?」

「はい。だって、その蒼い髪が凄く綺麗だなって思って……瞳も同じ色でとても印象的でしたから」

「そっか……(どうしよう覚えててくれただけで嬉しい)」


彼女がふわりと笑って言うだけで、幸村の胸は高鳴る。
勿論彼が自分に好意を寄せている事なんて知らない彼女は、少し顔が赤くなった彼を見て首を傾げるしかなった。


「顔が少し赤いですが、大丈夫ですか……?」

「え?ああごめん大丈夫だよ……心配してくれてありがとう(そんな分かりやすく出てるのか俺……)」

「大丈夫ならいいんです……あ、よかったら座りませんか?空いてますし」


そう言って彼女が指したのは自分の隣の席。
幸村は緊張した。
突然彼女の隣に座るなんて、これ以上の刺激に耐えられるのだろうかと。
しかし折角の彼女からの誘いを無下にする事は出来ず、幸村は一度小さく息を吐くと頷いた。


「ありがとう、じゃあ座らせてもらおうかな?」

「はい、是非」

「(そうやって微笑む顔が可愛すぎるんだよね……)」


丁寧に椅子を引いてくれる彼女の優しさを感じながら、隣に座る。
幸村は肩がくっつきそうなこの距離感に堪らなく緊張して、同時に嬉しさも感じていた。
そして折角こうして話しかけられたのだからと、聞きたい事を聞いてみる事にした。


「名前、聞いてもいいかな?」

「あ、湊桜華って言います」

「湊さんか……」

「私も聞いていいですか?」

「ああ、幸村精市だよ。改めてよろしくね」

「はい、よろしくお願いします幸村君」


彼女の口から自分の名前が出ただけで嬉しいと思う幸村。
名字なのが残念だけど……何て思いながら、いやいや順序があるから慎重にいけ精市と自分自身に言い聞かせる。


「その制服……近所の公立校だよね?」

「そうです、ここのすぐ近くなんです。だから通いやすくて」

「近くていいね?」

「ふふ、はい。幸村君は……立海大附属ですね!凄い、名門校じゃないですか」

「それ程でもないよ、私立ってだけでね」


自分が褒められた訳じゃないけれど幸村は少し嬉しくなった。
彼女になら何を言われても嬉しいのかもしれないな……と、そう心の中で感じながら話を続ける。


「本が好きなの?」

「小説を読むのが好きで。色んな世界に入り込める感じがいいなあって思って……幸村君はどんな本が好きですか?」

「俺も小説は好きだよ。あとは、画集を見たり花に関連する書を読んだり……」

「花が好きなんですか?」

「ガーデニングが趣味なんだ」

「わあ……素敵ですね。幸村君がガーデニングしてる姿が目に浮かびます」


小さく、それでも可愛らしさは十分な笑みを浮かべた桜華。
幸村はもうどうしようもなくきゅんとしていた。
甘酸っぱい、その言葉が良く似合う。

だけれど、一つどうしても気になっていた事があるのでそれについては言っておかなければと彼は思った。


「湊さん、多分俺と同じ学年だよね?」

「あ、そうかもしれませんね!組章の数字同じですし」

「うん、だから敬語じゃなくてもいいよ?」

「あ、そっか……。でも、いいんですか……?」

「ふふ、うん。だって俺も敬語じゃないし。それに、普通に話してくれた方が俺は嬉しいかな?」

「そっか……じゃあ、普通に話すね。ありがとう幸村君」

「そっちの方が全然いいよ(まあ敬語は敬語で可愛かったんだけどね)」


少し距離が縮まったその感じに幸村は喜びを覚える。
これから彼女とより距離を縮めていくにはどうしたいいかを考えながら。


(絶対に湊さんともっと仲良くなって……それで、必ず俺に振り向かせて見せるから)


そこから幸村の作戦が始まった。
桜華に声をかけてから一週間後、彼は早速彼女の連絡先をゲットした。


「湊さん、よかったら連絡先交換出来ないかな?」

「連絡先?私なんかの連絡先で良ければ是非!」

「よかった……じゃあ、教えてもらってもいいかな?」

「うん!」


桜華が戸惑いなく教えてくれた事に嬉しさを感じながら、彼は無事に第二段階をクリア。
焦らず、じっくりと彼女との距離を詰めていく。

その一週間後には、携帯で連絡を取っていた事もあり仲がより深まっていると感じた幸村は桜華にこう言った。


「名字じゃなくて、名前で呼んでもいい?」

「!」

「あ、無理にとは言わないからね。ただ、もっと仲良くなりたいと思って」

「嫌とかじゃないよ、むしろ嬉しくて!ふふふ、幸村君と話してるの楽しいからそう思ってもらえるの凄く嬉しいなあ」

「じゃあ、桜華って呼んでも……?」

「うん、勿論いいよ!」


にこっと笑いながら言う彼女がまた可愛らしくて、幸村はきゅんきゅんとする心を抑えられない。
しかし表情には出さないようにぐっと我慢しながら、誤魔化し桜華に微笑んだ。
すると彼女から意外な言葉が出てくる。


「あ、じゃあ私も名字じゃなくて名前で呼ぼうかなあ」

「!?」

「幸村君が良ければ、だけど!私だけ名前で呼ばれてるのも何か変な気がするし、私だってもっと幸村君と仲良くなりたいし。どう、かな……?」


桜華の言葉にどきどきしながらも、幸村はそんな申し出拒否する訳ないじゃないかと思いながら優しく返事をした。


「いいに決まってるよ。桜華に名前で呼んでもらえるなんて思ってなかったから少し緊張してるけど」

「緊張?ふふふ、精市君って案外緊張しやすいタイプなのかな?」

「そうなのかも(桜華に関してはね)……って、精市君って言った今?」

「うん、もう早速呼んでみちゃった!」

「(駄目無理可愛過ぎて我を忘れそうになるなあ……はあ、早く俺にモノにしたい)」


幸村が心の中でそんな考えを募らせている事など、桜華は全く知らない。
彼は幸せだった、彼女とこうして図書館で会える日々が。
学校は違うけれど、こうして図書館で会って、お互いの好きな本の話をしたり好きな事の話をしたり……それだけでも幸村にとってはテニスと同じ位楽しいと思えた。


だが、学校が違うと自分の知らない所で彼女が何をしているか、誰と話しているかを知る事が出来ない。
それをこの日、彼は嫌と言うほど感じる事になってしまう。

今日で桜華と知り合ってから一か月。
直接会った回数はたかが知れているが、電話もメールも沢山しているから仲はかなり良くなったと彼は感じていた。
そんな中、図書館に向かう途中に彼女からのメールで『今日は相談したい事があるんだけどいいかな?』との事。
自分に相談してくれるなんて嬉しいと思いながら、『勿論いいよ。何でも相談して』と返事をする。
しかしこの相談は、彼にとっては不愉快なものでしかなかったのだ。


「今日ね、クラスの男の子にその……告白されて……」

「!」

「よく話してたし、仲良くしてくれてるなーとは思ってたんだけど……まさか好きだって言われるとは思ってなくてびっくりして」


桜華は戸惑いながらそう言った。
幸村はフリーズしたかのように動かない。
そう、学校が違えば彼女がそこで誰とどうしているか、また男からどう見られているか等を窺い知る事が出来ない。
このような事態になるのも時間の問題だったのだ。


(……でもそうだよね、こんなに可愛い桜華を桜華の学校の男子が放っておく訳ないよね。はあ、油断してた)


溜息しか出ない自分の浅はかさ。
彼女と自分はまだ出会って一か月、しかし告白した男子はきっと桜華と仲良くなって長いのだろう。
幸村はそう考えるだけで嫉妬に苛まれた。
自分の知らない桜華を彼は沢山知っているのだろうと、顔も名前も知らないその男に対して激しく。


「あの、ごめんね突然こんな相談……。同じ学校の子に話すのは何だか恥ずかしくて、精市君ならって思ったんだ……迷惑だったよね」

「迷惑なんかじゃないよ、大丈夫。……桜華はその男の事が好きなの?」

「え?……うーん、好きな事は好きだよ?でも、恋愛対象かって聞かれたら少し違うのかも……付き合うとか、そういうのとはまた違う好きかなあ」

「(ああ、好きじゃないんだよかった……って、いやいや安心するのはまだ早いぞ精市)でももしかしたらそう言う好きになるかもしれないよ?」

「そうなのかな……?ううーん……こういうの慣れてないから、難しいなあ」


顎に手を当てて悩んでいる様子の桜華。
彼女が唸りながら悩んでいる中、幸村は考えていた。
桜華は恋愛に慣れていない……いや、彼自身慣れているとは思っていなかったが、先程の言葉でそれは確実なものとなった。
だからこそ、意外に今このタイミングに攻め込めば落せてしまうのではないかと。
彼女の事を自分のものに出来るのではないかと、そう思った。


(……人間こういう状況の時の押しには弱いものだよね)


幸村は桜華にばれないように小さくにやりと笑うと、次には少し困ったような表情を見せた。
それは勿論彼の作戦であり演技なのだが、そんな事に彼女が気付くはずはない。


「精市君……?どうしたの?」

「あのね桜華、聞いてほしいんだけど」

「?」

「さっきは、そう言う好きになるかもしれないなんて言ったけど……本当はそうなってほしくはないんだ。桜華にその男の事好きになってほしくない」

「どうして……?」


首を傾げ聞いてくる彼女に、幸村は困った顔は崩さずにそこに小さな笑みを重ねた。


「俺も、桜華の事が一人の女の子として好きだからだよ」

「え……?」

「初めて見た時、本を読む姿が凄く綺麗だと思って目が離せなくなって。それからどうしても仲良くなりたくて話しかけた……図書館に来る度いないかな?って探したんだよ。……まだ知り合って一か月位しか経ってないけど……それでも桜華の事が好きだよ。好きじゃなかったらこんな風に会おうとは思わない」

「精市君……」


幸村はそこに更に追い打ちをかける……彼女の逃げ場をなくすかの様に。


「ねえ桜華、俺じゃダメかな……?学校は違うけど寂しい思いはさせない様にするし、もし寂しいって思った時はその気持ちがなくなるまで嫌って程甘えさせてあげる……まあ、そんな事なくてもいつでも甘えてくれていいんだけどね」

「ま、待って精市君そんないきなり……!」

「俺にとってはいきなりじゃないんだよ?……桜華と初めて目があった時、一目惚れしたんだよね」

「そうなの!?」


桜華は驚きからか思わず大きな声を出してしまった。
しかしここは図書館、周りから注目を浴びてしまう。
幸村はくすっと笑って、「桜華、しー」と口に人差し指を添えながら言った。
彼女は恥ずかしげに俯くと、みるみる顔を赤くした。


「ふふ、桜華大丈夫?」

「全然大丈夫じゃない……」

「大丈夫じゃないの?んー?どうしてかな?」

「だって、精市君が私の事好きだって……一目惚れだなんて言うから……」

「でも本当の事だよ?……桜華が他の男に告白されたって知って嫉妬したし焦った。そいつの事知らないけど、桜華を渡したくないって思ったんだよ」


そっと彼女の手を握る。
そしてじっと桜華の目を見つめ、自分はこれ程に真剣なのだと言う思いを込める。
それはしっかりと伝わっているようで、彼女も何かを決意したのか一呼吸置くと小さく話し始めた。


「告白されたって話だけど……」

「うん」

「その男の子に好きって言われた時、本当に戸惑ったしどうしようって焦ったんだけど……でもね……」

「……?」

「その時、頭に精市君の顔が浮かんだの。どうしてか分からなくて、それよりも告白の事で頭一杯でちゃんと考えられなかったけど……きっと、好きって言ってくれた相手が精市君だったらって心のどこかで思ったからなのかもしれないなって……」

「桜華、それって……」

「……私も精市君が好きです。きっと、初めて目が合った時にその蒼い髪と瞳に心奪われて、その後精市君を沢山知って中身にもときめいて……。えへへ、本当はね精市君と会えるこの日の事が待ち遠しかったんだ。好きだって自覚したのはついさっきだけど」


照れた様に笑う桜華。
その姿にまたきゅんとしてしまう幸村。
しかしもうこのときめきを抑えなくてもいいのだと思うと、彼の心は喜びで溢れた。


「桜華、好きだよ……大好き」

「も、精市君恥ずかしい……ここ図書館だからね……?」

「……じゃあ違う場所に行こう?ここじゃ桜華に俺の気持ち伝えきらない」

「わっ……!」


彼女の手を取り嬉しそうに歩き出す幸村。
そんな彼の姿を見ているとそれ以上何かを言う気にはなれなくて、桜華は小さく笑うと彼に歩幅を合わせた。


「今度部活見に来てよ、テニス部」

「精市君がいいなら見てみたいなあ」

「図書館以外での俺も沢山知ってほしいからね?」

「ん、分かった。じゃあ……来週時間があるからその時にでも見に行こうかな?」

「いいよ、いつでも待ってるから」

「ふふふ、楽しみ」

「桜華が来るってなると気合入れなきゃな」


お互いまだまだ知らない部分も多いけれど、これからゆっくり知って行けばいいのだと彼等は同じ事を考えていた。
これから色んな彼を、彼女を知れる事を楽しみに思いながら。



(桜華、来てくれたんだね)
(うん……ねえ精市君?私もしかしてすっごい人とお付き合いしてるのかな?)
(え?どうして?)
(だって……女の子みんな幸村くーんって言ってる……!)
(ふふ、もしかして嫉妬した?)
(え、や、違うっ……!)
(大丈夫だよ、俺には桜華だけだから。彼女達はただのファンって言うのかな?そう言うのだよ)
((ファンがこれだけいるあたりでもう凄いんだけどなあ……!))
(そんな事よりも、俺のテニスしている姿たっぷり見て行ってね?頑張るから。……よし真田、試合しようか)
(頑張れ精市君!)




あとがき

お題箱よりいただきましたお題で書かせていただきました!
ありがとうございます。
とても楽しく書かせていただきました〜!
少しお題とは違う部分もあるかと思いますが、お許し下さい。
他校生は初めて?だったので新鮮でよかったです。