07

「レイちゃんさ、最近なんだかノリ悪いよね」
 いつも指名してくれる常連客が、シャツを羽織りながら俺に愚痴をこぼす。
「そうかな? いつも通りにしてるつもりだよ」
「でも今日も僕とシてる時、他のこと考えてたでしょ。最近ずっとだよ」
「はは、ごめんごめん」
 俺は空笑いをして、その場を取り繕う。
 あれからというもの、店を出禁になった親父に今度は店の前で待ち伏せされるようになった。その度に金を無心され、断ると酷く罵られる。頭の中では母親の奇妙な歌が鳴り続け、睡眠不足もたたって仕事に身が入らなくなっていた。
 なんとか親父を追い払おうと店長も対処してくれているが、あの親父が素直に引き下がるわけもない。


 桐渕の自宅高級マンションの入り口前で座り込んでいると、しばらくして桐渕が帰ってきた。
「懲りないやつだな」と桐渕が眉毛を引きつらせる。「舎弟が住所を漏らしたのか」
「素直に教えてくれたよ」
「チッ、あいつら…」
「それより早く中に入れてくれよ。さすがに身体が冷えた」
 待っている間に日が落ちた。夜とになると肌寒い。
「勝手にしろ」
 桐渕の部屋には必要最低限の物しか置かれていなかった。部屋は広いが生活感がなく、寝るためだけに使っているといった感じだ。それでも隅々まで掃除が行き届いている。少しでも埃が落ちていると我慢ならないのだろう。
 桐渕は真っ先に寝室に向かうと、俺をベッドに押し倒す。
「さっさと脱げ」と桐渕が命令する。
「相変わらずムードねぇな」
 俺は服を全て脱ぎ去る。桐渕もスーツを脱ぐ。
「そういえば桐渕の裸、初めて見た」
 いつもスーツを着たままだったから、思わず見とれてしまう。程よく鍛え上げられた身体には、普通の仕事をしている人には付かない傷跡が幾筋にも入っている。
「『さん』を付けろと何度言ったら分かるんだ」
 仕置きで乳首をきゅっと抓られ、背中が反れる。
 桐渕はローションを取り出すと俺の後ろに垂らし、狭まった胎内に指を挿入する。
「…ッ、…ん」
 桐渕の指が俺の中を擦る。感じるところを執拗に押される。いつもなら何も考えられなくなるくらい気持ちよくなるのに、今日は親父が頭の中からなかなかどいてくれない。
「…ぁ、…んぁっ」
「…チッ」桐渕が舌打ちをして、指を抜く。
「おい、なんでやめるんだよ」
「演技してるだろ、お前。そんなやつ、抱く気にもならない」桐渕はベッドの縁に腰掛けて、煙草に火をつける。「バレないとでも思ったのか? 俺も見くびられたもんだな」
「………」
 桐渕には何もかもお見通しだ。
「金はやるから、さっさと帰れ」
「……ごめん」
 差し出された千円札を受け取ろうとすると、頭にズキンと鋭い痛みが走る。
「――痛ってぇ…」
 酷い頭痛で身体を起こしていられなくなり、ベッドに倒れこむ。
 桐渕はそんな俺を横目で見て、「うぜぇな」と悪態をつく。
 俺はそのまま気を失うように眠りについた。


 桐渕から貰った千円で馬券を買ったら当たった。ギャンブルで勝ったのなんて、いつぶりだろう。ジャージのポケットの中で、五千円札を握りしめる。
「五倍になった…」
 飛び上がるほど嬉しいことなのに、沈み込んだ心は晴れない。
 細い路地に面している通用口から店に入ろうとすると、急に誰かに腕を取られ、背後から壁に押さえつけられる。
「なにすんだよ!」
 肩越しに後ろを見ると、親父がいた。ぼーっとしていて、近づかれたことにも気づかなかった。
「金は用意できたか?」
「お前に渡す金なんてねぇよ」
「おいおい、雫はいつになったら俺に従順になるんだ?」
 親父は俺のジャージのポケットをまさぐり、入っていた五千円札を奪い取る。
「持ってんじゃねぇか」
「返せ!」
「もっと持ってるだろ」
「持ってねぇよ」
「本当か?」
 親父は確かめるように俺の身体をまさぐる。
「本当に持ってないのか。用意しとけって言ったよな?」
 親父は俺を押さえつける力を強める。
「痛いっ…!」
「そうか、雫はお仕置きしないと分からないか」
 親父が俺の履いているジャージをずり下げる。
「ッ! やめろっ!」
 暴れる俺の股間を、親父が強く握る。
「――痛っ!」
「暴れたらこのまま握りつぶすからな」
 親父は露出した俺の尻に、猛った自身の屹立をあてがう。
 ぐっと力を込められた瞬間、俺は押さえつけられていた力から急に解放された。驚いて振り返ると、吹き飛ばされた親父が脇腹を押さえて蹲っている。
「え……?」
 どこから現れたのか、桐渕と玄野が立っていた。玄野は苦しむ親父を素早く拘束する。
「桐渕、なんでここに…?」
 桐渕は困惑する俺を無視して親父に歩み寄る。
「お金は用意できましたか? 露崎孝憲さん」
「も、もうちょっと待ってください! 金は息子が、息子が持ってるんです」
 親父は桐渕に必死にへりくだる。
「あなたがお金を用意するあてがあると言ったから、我々は返済を待ってあげたんですよ」
「雫が身体を売って稼いだ金があります…! それをお支払いしますから」
「面白いことを言いますね。あなたの息子さんが稼いだ金は、もうすでに貰っています」
「え…? どういうことですか?」
「息子さんもうちに借金してるんですよ。今はそれを働いて返してもらっている最中なんです」
「そ、そんな……」
 親父の顔から血の気が引いていく。
「お、俺の借金も雫が稼ぎますから…!」
 桐渕の鋭い蹴りが親父の顔面に突き刺さる。ボキッと鈍い音がして親父の鼻が折れ、滝のように鼻血が吹き出す。
「自分の落とし前は、自分でつけないといけませんよ」
 桐渕が悪魔のように微笑み、親父は恐怖で失禁した。
 玄野が泣き喚く親父を引きずっていき、車の中に押し込む。
 俺は去っていこうとする桐渕の腕を掴んで引き留める。
「桐渕、なんで俺を助けてくれたんだ…?」
「お前を助けたわけじゃない。あいつの借金を取り立てに来たら、たまたまお前がいただけだ」
 桐渕はぶっきらぼうに言うと、そのまま車に乗り込んだ。
「なんだよ、それ…」
 助けてくれたんじゃないのかよ。
 俺は一人、暗い路地に取り残された。
 お前にとって俺は、本当にどうでもいい存在なんだな。


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