02

 何かが、いる。
 こちらに近づいてきている。
「北折…?」
 北折が助けに来てくれたのだろうか?それとも、救助隊員だろうか?
「北折?返事しろよ…」
 窺うように声をかけるが、返事がない。
『この山、熊が出るらしいぞ』
 脳裏に北折の言葉が甦る。
「…まさか」
 じりじりと後ずさりながら、草むらの一点を見つめる。
 飲み込もうとした唾が、喉に引っかかる。
 永遠とも思える緊迫から、ガサリと音を立てて出てきたのは、北折でも熊でもなく、見たこともないほど大きな体躯をした真っ白い狼だった。ギラリとした黄金色の鋭い眼光が、俺の瞳を射抜く。
「ヒッ――」
 喉の奥から声にもならない叫びが漏れると同時に、俺は一目散に逃げだした。訳も分からないまま、喰われるという恐怖に取りつかれ、ただひたすらに足を動かす。飛び出た枝が、足や腕に切り傷を付けるのもお構いなしに駆ける。
 道なき道を無我夢中で走り続けたところで、ようやくちらりと背後を確認するが、狼が追いかけてくる気配はない。
「はぁっ、はぁっ」
 木の幹に手を着いて、乱れた息を整える。
 ひとまず落ち着く場所を探そうと、ふと前方を見ると、目の前の崖に、人ひとりが通れそうなほどの背の低い穴がぽっかり開いているのを見つけた。辺りを警戒しつつも、恐る恐る近づいていく。頭をかがめて中に入ると、そこには意外にも広い空間が一つ広がっていた。洞窟のようだ。ひとまずここで落ち着こうと、壁際に腰を下ろし、服の袖で額に浮かんだ汗を拭う。
「なんだよ、今の…」
 あれは狼なのか?日本に狼はいないはずなのに。体長も大人の俺を優に超えるほど大きかった。
 震える身体を落ち着けようと、深呼吸しようとしたその時、ガサリ、と洞窟の外で何かが草を踏みしめる音がした。反射的に身体が強張る。
 あの狼が追いかけてきたのだろうか。だとすれば最悪の事態だ。俺は気配を消すように、息を殺す。
(頼む…、北折であってくれ…!)
 切実な願いも虚しく、ゆっくりと洞窟の前を横切ったのは、あの真っ白い体躯だった。幸いなことに、こちらには気づいていないようで、そのまま悠々とした足取りで通り過ぎて行く。
 狼が草を踏むと音が聞こえなくなってしばらくしてから、やっと息を吐く。
「…死ぬかと思った」
 知らぬ間に強張っていた身体を弛緩させる。それでも手の震えは止まらない。震える手を握りしめ、祈るように目を瞑る。
「北折…、早く助けに来てくれ…」
 呟く声が、か細く震える。
 瞬間、ゾッと背筋が凍り付く。


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