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「梶井くん、だっけ?ちょっとこれ手伝ってくれないか?」
 笹部先輩に初めて声をかけられたのは、俺が高校一年の時だった。笹部先輩は二年で、二人とも文化祭の実行委員だった。各学年、クラスで二人ずつ選ばれた実行委員は名ばかりで、実際は雑用係みたいなものだった。
 文化祭前日、十月の肌寒い中、実行委員は校庭にテントを張るのを手伝わされていた。
 一足先に自分の持ち場の仕事を終わらせていた俺を、笹部先輩は目ざとく見つけて、テント設営に加わらせた。
 その時はただそれだけだったが、笹部先輩は文化祭が終わった後も、何かと声をかけてきた。
 笹部先輩は、頭もよくて顔も整っており、女子生徒から人気があった。快活に笑う笹部先輩の茶色い髪は、いつもどこかで寝癖が立っていた。完璧そうに見えて、ちょっと抜けている。そんなところが可愛いと評判だった。
 俺は、クラスでは明るく振る舞っていて、友達もそれなりにいたが、いつだって自分は人とは違うんだというコンプレックスが付き纏っていた。自分を偽って過ごすことで、自分で自分の首を真綿で絞めていた。
 笹部先輩はそんな俺の人知れない部分を見抜いて気にかけてくれたのか、廊下ですれ違うたびに、声をかけてくれた。
 放課後にカラオケやゲームセンターに連れて行ってくれたりもした。中学の頃も部活に入っていなかった俺は、仲のいい先輩がいたことが一度もなかったので、気の合う先輩が出来たことが嬉しくて、だんだんと笹部先輩に傾倒していった。
 優しい笹部先輩に、俺はすっかり心を許してしまったのだ。
「何か悩みがあるのか?」
 そう聞かれたのは、初めて笹部先輩の家にお邪魔した時だった。
 ぱっと頭に浮かんだのは、自分の性癖の事だったが、咄嗟に首を振った。
「悩みなんかないですよ」
 軽く笑い飛ばす俺を、笹部先輩は真剣な目で見つめてきた。
「本当か?」
 真摯な姿勢の笹部先輩に、俺の目は泳いでしまった。
 笹部先輩なら、俺の悩みを本気で聞いてくれるかもしれない、そう思ったのが運の尽きだった。
 あの時、上手く場を誤魔化していれば、今の俺はもっと変わった人生を歩んでいたかもしれない。
 俺は自分の悩みを打ち明けた。
 人とは違う性癖を持っていること。その性癖を知られたら、家族も皆、自分から離れて行ってしまうのでは、という不安。
「実は、俺も同じなんだ」
 はっとして笹部先輩の方を見ると、笹部先輩は照れくさそうに笑っていた。
「俺も困った性癖の持ち主でさ」
 笹部先輩は、俺が自分と同じような空気を纏っているのに気付いて、俺に声をかけ始めたという。先輩も昔、俺と同じように悩んでいたらしい。
「やっぱ、そうだったんだ。俺ら、お仲間だな」
 初めてだった。今までひた隠しにしてきた性癖を、偏見なしに認めてくれた人は。笹部先輩にのめり込んでいくのには、十分すぎる理由だった。
 笹部先輩と付き合い始めたのは、それからすぐの事だった。
 笹部先輩のことを、そういう意味で好きだったのかと聞かれれば、今なら違うとはっきり答えられる。
 だが、そのころの俺には、本当の自分を曝け出せる相手は、笹部先輩をおいて他には一人もいなかった。依存を愛情と勘違いするには十分すぎた。
 付き合い始めてから変わったのは、時々訪れる笹部先輩の部屋で、戯れ程度にキスをすることだった。
 笹部先輩は既に経験があるようだったが、俺の心の準備ができるのを、焦らずに待ってくれた。
 そうして時間をかけてゆっくりと、笹部先輩は俺の身体を開いていった。
 この時はまだ、俺は笹部先輩のことを何も分かっていなかった。笹部先輩の本性が現れ始めたのは、付き合って数か月した頃だった。
「これ、使ってみねぇ?」
 笹部先輩の部屋で押し倒されたとき、笹部先輩が手に持っていたのはピンク色のローターだった。
 胸に貼り付けられたローターは、俺に快感の芽を植え付けた。道具に攻められて悦ぶ俺を見る笹部先輩は、目に見えて興奮していた。自分の身体が変えられていくようで、正直怖かった。それでも、俺は笹部先輩に喜んでもらえるのが嬉しくて、それからというもの、笹部先輩からの要求を全て鵜呑みにしていった。
 道具を使えと言われれば喜んで使ったし、フェラをしろと言われれば喜んでした。笹部先輩の精液も飲んだし、目の前で自慰もした。
 恥ずかしい要求でも、俺の頭に断るという選択肢なんてなかった。笹部先輩が喜んでくれるなら、それで良かった。
 そうしてエスカレートしていく笹部先輩の要求に、俺の身体はどんどん淫らに開発されていった。
 ある日、いつものように放課後、笹部先輩の家を訪ねると、部屋には笹部先輩と、見知らぬ男が一人座っていた。男は他校の制服を着ていた。男は俺の顔を見ると、目を見開いた。そして、笹部先輩と顔を見合わせ、にやりと笑うと、吸っていた煙草をもみ消し、腰を上げた。
「早くヤろうぜ」
 男は俺をベッドに押し倒すと、制服をはぎ取っていった。男の方が明らかに体格がよく、力で敵うはずがなかった。
「笹部先輩…っ!」
 笹部先輩に助けを求めても、笹部先輩はにやにやと俺を見て嗤うばかりで、一向に助けに入ろうともしない。代わりに笹部先輩は俺の耳元に口を近づけて、甘くこう囁いた。
「俺、京介が他の男に犯されてるのが見たいんだ」
 笹部先輩にそう言われると、男を拒もうとする気は失せた。俺は身体は完全に笹部先輩の言いなりになるように躾られてしまっていた。
 知らない男に組み敷かれて喘ぐ俺を、笹部先輩は煙草を吸いながら、ベッドに腰掛けて眺めていた。
「……あぁ、っ……、はぁ…ん…、あぁッ…」
 何度もイかされて、俺の腹の上は己の精液でまみれ、中に出された精液が律動に合わせて、ぐちゅぐちゅと音を立てた。
 俺は男の上に抱きかかえられるようにして座り、男のモノを後ろで咥えて、自ら腰を動かした。快感を追うことしか頭になかった。咥え込んでいるモノが笹部先輩のモノでなくても、十分に興奮できた。
「俺も混ぜて」
 傍で座っていたはずの笹部先輩は、いつの間にか俺の後ろに移動していた。耳元でそう囁いた笹部先輩の声は、小学生が遊びに混ぜてもらうような気楽さだった。
「……――あああぁぁッ…!い、痛い…ッ!」
 既に男のモノを咥えている後ろに、笹部先輩のモノが侵入ってきた。みちみちと後ろが悲鳴を上げた。
「…むり…っ、…入ん、ない…ッ…!」
「入るだろ?京介」
 笹部先輩は構わず腰を進めた。目の前に火花が散り、男にしがみつく手に力がこもる。
「…あぁ、痛ッ…、あぁ…、…はぁ…ッ」
「ほら、全部入った」
 笹部先輩が指で軽く叩いたそこは、二人のモノを完全に飲み込んでいた。
「すっかり雌穴になっちゃったな」
 そう言って笹部先輩は俺の首筋を甘噛みした。
「…あァ……、ぁ…」
 涎が流れ落ちる口を閉じるという考えすらも思いつかなかった。眼は虚ろに開かれ、これから絶頂へと高まる期待感に胸を高鳴らせていた。
 そうして俺は、身体を満たしてくれる笹部先輩に依存していった。
笹部先輩に連れて行かれるクラブで、毎日のように誰かに抱かれた。笹部先輩に抱かれる事がほとんどだったが、時には笹部先輩は俺に一切手を付けず、すぐ隣で他の女を抱いていた時もあった。俺がその女に対して嫉妬を抱くと、笹部先輩は愉快そうに笑っていた。 笹部先輩がいれば、心も身体も全て満たされる。笹部先輩がいれば、それでいい。笹部先輩がいれば、自分を偽らずに生きていける。俺には笹部先輩が全てだった。
 だが、笹部先輩は卒業と同時に姿を消した。
 当然戸惑った。毎日のように顔を合わせていた人が、突然いなくなったのだから。
 周りの友人からは、他県の大学に進学したらしいという噂を聞いたが、どの大学かまでは分からなかった。
 なぜ俺に一言も無しに行ってしまったのかと、怒りと困惑に悩まされたが、すぐにその理由が分かった。
 家で鞄から教科書を取り出した時に、一緒に先輩の手紙が出てきたのだ。それを手紙と呼べるのかは微妙だが、雑にちぎられたノートの切れ端に、笹部先輩の字で一言だけ走り書きされていた。
『オナリング』
 すぐさま真っ二つに千切って、ごみ箱に投げつけた。
 笹部先輩の優しさは嘘だなんて、とっくに分かっていた。俺の寂しさに付け込んで、からかっていたのだ。でも、笹部先輩を俺は切り捨てられなかった。俺の勘違いなんじゃないか、笹部先輩がそんな事するはずないと、どこかでまだ笹部先輩を信じていたかった。
 でも、俺の予感は的中していた。俺を弄ぶために笑顔で近づいて、遊ぶだけ遊んだら、情け容赦もなしに切り捨てた。
「…ハハッ」
 自分の情けなさに笑けてきた。笹部先輩は俺の唯一の理解者なんかじゃなかった。
 笹部先輩を喜ばそうと、一心不乱になっていた自分があほらしかった。あっさり捨てられた自分が悔しかった。
 笑けてくるのに、溢れる涙が止まらない。
 俺の中で、崩れかけていた何かが、音を立てて瓦解した。


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