09

 あれから毎晩のように圭介が夜這いをかけてくる。
 何度やめろと言っても、圭介は聞いてくれない。
 昨日も意識が飛ぶほどに揺さぶりをかけられた腰は、座っているだけでもずきずきと痛む。
 俺はセックスをするのが何よりも好きだ。現実のことも、嫌なことも、何もかも忘れていられて、満たされた気になるからだ。
 だがさすがの俺でもほぼ毎日はきつい。身体のだるさがいつまでも抜けない。
 少し前までは、溜まってきたら、ゲイバーやハッテン場に適当な相手を見つけに出かけていたが、最近はめっきり行かなくなった。今は溜まるどころか、むしろカラカラになるまで搾り取られている。
 それに、圭介とのセックスは気持ち良すぎる。怖くなるぐらいに。快感神経を直に触られているかのように敏感になってしまう。でも俺を抱く圭介の顔は、いつだって嫌悪に染まっている。だがその手つきは壊れ物を扱うように優しい。この矛盾が何から生まれるものなのか、いくら考えても答えはでない。
「――ぃ、―梶井?」
「あ?…あぁ」
「何ぼーっとしてんだよ。もう酔ったのか?」
 目の前ではアルコールで顔を赤くした森本が、ビールのジョッキを持ちながら、俺の顔を覗き込んでいる。
「お前の方が酔ってるだろ」
 酒の弱い森本は、一杯飲んだだけですぐに顔が真っ赤になる。そのくせ酒を飲むのは好きなのだから、困ったものだ。その隣に座る上司である辻さんは相変わらず酒豪とも呼べる飲みっぷりで、あっという間にビールジョッキを空にする。
 駅前にある全国チェーン店の居酒屋は、週末の夜であるせいか、客の入りもよく、店員が忙しそうに動き回っている。俺は喧噪な雰囲気があまり好きでないため、頻繁には来ない。だが今日は、大きな仕事が片付いた打ち上げにと、上司に誘われてしまったため、あまり乗り気ではなかったが、付き合いもあるし、付いて来てしまった。
 だが案外に来てしまえば楽しいものだ。入社当初から共に働いている仕事仲間だからということもある。時間が経つにつれ酒が回り、会話も盛り上がる。
「これ見てくださいよ。可愛いでしょ?」
 すっかり酔っぱらった森本が、辻さんにスマホの画面を見せびらかす。
「もう何回も聞いたよ」
 酔うたびに愛娘の写真を見せる森本に、さすがの辻さんも飽き飽きしている。
「ほら、可愛くね?」
 森本は俺にも写真を見せてくる。
「はいはい、可愛いな」
 いい加減に返す俺に、森本は不満そうに頬を膨らませる。
「ちゃんと見たか?」
「おぉ、見た見た」
 興味のなさそうな俺を見て、森本はぶつぶつと不満を呟く。
「まぁ、自分の子供は目に入れても痛くないって言うほどだからなぁ」
 感慨深く呟く四十代半ばの辻井さんは、既に高校生と中学生の息子が二人いる。
「ですよねぇ。梶井も結婚して、子供が出来たらこの可愛さが分かるよ」
 梶井は頬をだらしなく緩めて、でれでれしながら写真を眺める。
 俺は曖昧に笑いながら、ビールを煽る。
 梶井に悪気はない。俺が一生結婚できないことも知らないし、女を抱けないことも知らない。
 何度も遭遇してきた状況なのに、この類の会話になると、居心地の悪さが抜けない。
 俺は自然に会話の流れを変えて、世間話にすり替える。再び他愛もない話が始まり、結婚の話は霧散していく。
 完全に酔いつぶれた森本を、タクシーに詰め込み、帰路が同じ方向の辻さんも、一緒に乗り込む。
「お疲れ様でした」
 タクシーを見送ってから、俺も自宅へ向かって歩き出す。既に深夜の十二時を回っているが、繁華街は看板の電飾がいくつも光っていて、昼間のように明るい。週末ということも手伝って、居酒屋帰りのサラリーマンや、夜の仕事に出かける人、居酒屋の客引きなどで、道行く人は多い。
 俺は酒が強いほうだが、今日は少し飲みすぎてしまったようで、顔が赤いのが自分でも分かる。
 早く帰って寝ようと、足を速めたその時、背後から誰かに声をかけられた。
「あれ?京介?」
 振り向いた先には、高級そうなスーツを着て、髪を派手な金髪に染めた男が立っていた。ホストだろうか。だが俺は、夜の仕事をしている人に知り合いはいない。相手が誰だか分からず戸惑う俺に、男はずかずかと近づいてくる。
「あれ、分かんねぇ?俺だよ、笹部孝明(ささべ たかあき)」
 聞いたことのある名前に、一気に酔いが冷める。忘れるはずもない。金髪になって見た目の雰囲気が変わってはいるが、目の前の顔はあの笹部先輩だった。
「笹部先輩…」
「九年ぶりか?久しぶりだな」
 思ってもみない再会に、笹部先輩は嬉しそうに笑う。人畜無害な笑顔は相変わらずだ。この無邪気な笑顔で、数々の女性客を骨抜きにしているんだろう。
「俺は今、すぐそこのマーシーって店でホストやってるんだけど、良かったら飲んで行かねぇか?男の客でも大丈夫な店だからさ」
 そう言って優しく笑う笹部先輩の本性を、俺は嫌というほど知っている。今更関わり合いになるなんて勘弁だ。
「折角ですけど、遠慮しときます。明日も仕事あるんで」
 笹部先輩は、さっさと踵を返す俺の腕を掴んで引き止める。
「明日は日曜だろうが。相変わらず嘘が下手だな。嫌ならもうちょっとましな嘘吐けよ」
 笹部先輩はそのまま俺を近くの路地に引きずり込む。手を振り解いて逃げようとするが、がっちり掴んだ手はびくともしない。
「ちょっと、笹部先輩っ!」
 必死の抵抗も虚しく、暗い路地の奥まで引っ張っていかれる。
 乱雑に置かれたごみ袋に蹴躓いてよろけた俺を、笹部先輩はビルの壁に押し付ける。
「相変わらずクソビッチやってんのか?」
 顎を持ち上げられて、否が応でも笹部先輩の下卑た笑みが浮かぶ顔が目に入る。先ほどまで浮かべていた無邪気な笑みは、その顔に微塵の欠片も残っていない。この人の激しい二面性に、昔の俺は踊らされたんだ。二面性があるのは今の俺も同じか。そう気づいて自嘲気味に笑う。
「そりゃあもう、毎日ヤりまくりですよ」
「ははははっ、だよなぁ」
 笹部先輩は心底おかしそうに声をあげて嗤う。そんな笹部先輩を、俺は冷めた目で見つめる。
「お前が淫乱になったの、俺のせいだもんな」
 そう言って重ねられた唇から、舌が侵入ってくる。舌は無遠慮に俺の口腔を舐めまわし、俺の舌を絡めとる。
 笹部先輩は、相変わらず人を陥れて馬鹿にするのが好きなままだ。
 胸糞悪い。
 冷めた頭でふと思った。


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