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「痛ってぇ…」
 家でシャワーを浴びながら、鏡で自分の身体を見ると、腹の部分が青く変色していた。頬が腫れ、唇が切れて血が固まっている。これじゃあ殴られたのが丸分かりだ。来週会社が始まるまでに上手い言い訳を考えないといけない。
 腹を庇いながら手早く身体を拭き、寝間着のスウェットに着替えてから、さっさと自室へ向かう。
 疲れ切った身体では、もう何もする気が起きない。すぐにベッドに横になる。
 笹部先輩と会ってから、散々に疲れた。もうあの人とは二度と会いたくない。顔を合わすのも嫌だ。圭介が嫌いな人を容赦なく切り捨てる気持ちが少し分かった気がする。
 ぼーっとする頭は上手く働かず、すぐに眠気が襲ってくる。
 微睡み始め、夢の中へと誘われる。しかし、すぐに何やら腰のあたりに違和感を感じて目が覚めた。
「圭介…っ」
 背後から俺を抱きかかえた圭介の手が、服の裾から侵入って、腹を伝い、胸へと進もうとしていた。
 眠気が吹き飛んだ俺は、すぐさま起き上がって、ベッドの隅に避難する。
「兄貴?」
 口では嫌と言いながらも、いつも身体を差し出していたのに、今日は本気で拒否するを俺に、圭介は首を傾げる。
「来るなっ!」
 こちらに這い寄ろうとする圭介を制する。
 圭介に抱かれると、胸が苦しい。その苦しさは、苦痛ではなく、むしろ心地いい苦しさだ。だがその心地よさに安住するといけない気がする。弟に抱いてはいけないはずの感情が芽生えてしまうそうになるから。
「もういい。いいから、もう抱くな」
 圭介は固まったように動かない。
「俺の事嫌いなんだろう?なら、抱く必要なんてない。他人に口を割らなかったら、お前との動画も上げるつもりねぇから」
 笹部先輩に触られた部分が、洗い流した今でも気持ち悪い。嫌悪を抱く相手には、触られただけでも吐き気がするんだ。圭介は俺よりも嫌な気分を味わっているに違いない。
 圭介とのセックスは不毛でしかない。もう終わらせる。
「嫌な顔見せられながら抱かれる方の身にもなれよ。やめよう、もう疲れた」
「いつもあんなに善がってるのに?」
 圭介がじりじりと距離を詰める。俺も圭介から距離を取ろうと、後ずさる。部屋が暗くて、圭介がどんな顔をしているのか分からない。
「あんなの演技に決まってんだろ。殴られたくないから、素直に股開いてんだよ」
 背がベッドヘッドに当たって、逃げ場がなくなる。圭介はもう目の前に迫っている。
「下手な嘘だな」
 くすりと笑った圭介の唇が重なる。
「――おい!…やめ…ッ…」
 思わず開いてしまった唇の隙間から、圭介の舌が滑り込み、逃げる俺の舌を絡めとる。背後にはもう逃れる余地がない。圭介は俺の肩を掴んで、舌の交わりを深める。瞬間、唇がぴりりと痛んだ。口の中に薄っすら血の味が広がる。笹部先輩に殴られたときに切れた傷口が、また開いたのだ。圭介の舌は一瞬動きを止めて、すぐに出て行った。
「何だよこれ。誰にやられた」
 怒りを滲ませる圭介に、指の腹で切れた唇を撫でられる。
 素直に殴られたとは言えず、説明に窮する俺を、圭介は布団に引きずり込む。
「圭介…っ!」
 犯されると思った俺は暴れるが、圭介は俺を抱きかかえたまま横になっただけだった。
「何もしねぇよ」
 言葉通り、圭介の手つきに厭らしさは微塵も感じない。圭介は困惑する俺の頭を、なだめるように胸に抱く。
「別に俺は兄貴のことを嫌々抱いてるわけじゃねぇ」
「じゃあ何で…」
 俺を抱く顔はいつも嫌悪に歪んでいるんだ。尻軽な俺みたいなのが兄なのが、気持ち悪いんだろう。
「兄貴を嫌悪してるんじゃない。俺自身が気持ち悪いんだよ」
 圭介の言葉が上手く飲み込めない。圭介は圭介自身を嫌悪している?尻軽な俺の軽率さに嫌気が差しているんじゃないのか?
 圭介の手が困惑する俺の髪を軽く梳く。圭介は少し逡巡したが、やがて口を開いた。
「…初めて兄貴の動画を見たとき、腰が痺れて反応しそうになったんだよ」
 圭介は言葉を絞り出す。
「そんな自分を信じたくなくて、兄貴にきつく当たったんだ。最初は何かの間違いだと思ったけど、やっぱり兄貴にどうしようもなく欲情しちまう自分がいた。そんな自分が信じられなかったし、嫌で嫌で仕方なかった」
 そうして苦々しく呟く。
「……気持ち悪いのは俺の方だ」
 圭介の口から思いもよらない言葉が次々と紡ぎ出される。
「…圭介」
 圭介は実の兄に抱くはずのない衝動を抱いてしまった事に、困惑していたんだ。女性にしか欲情してこなかった圭介には、堪えがたいほどの衝撃だったのだろう。
 俺の存在によって、自分が同性愛者なんじゃないかと不安になったんだ。その不安は痛いほどに分かる。だが圭介はちゃんと女性を好きになれる。彼女がいたことだってあるのだから。
 ただ、男で最初に欲情したのが俺だっただけだ。その感情は他の男女にも抱きうるものだ。
 俺を抱きしめる圭介の手からは優しい温かさが伝わってくる。
 話さなければいけない。今、圭介の不安を理解してやれるのは俺だけだ。最初の理解者の選択を誤った俺のようになってほしくない。
 俺はゆっくりと口を開いた。
 自分は同性しか愛せないのだと打ち明けた。俺はこの性癖を直すことは出来ない。誰とも結婚出来ない俺は、いずれ一人になる。だが女性も好きになれる圭介にはまだ救いがある。
 俺は思い切って全てを包み隠さず打ち明けることにした。
 圭介が尊敬していた兄が、どんな風に変わっていったか。高校時代の笹部先輩との嫌な思い出も、数時間前に、現在はマーシーというホストクラブで働いている笹部先輩と再会したことも、洗いざらい全て話した。
 圭介は俺の頭を撫でながら、終始黙って聞いていた。途中、当時の苦しさを思い出して涙腺が緩みそうになったが、深呼吸をして堪えた。
 俺が話し終えると、圭介は俺の髪に唇を落とした。
「……もう俺以外に抱かれんな」
 圭介は、そう苦しそうに呟く。
 圭介の顔を見ようと上を向こうとするが、圭介は俺の頭を胸にきつく押し付ける。
「見んな。……絶対今、変な顔してる」
 圭介の広い胸に抱かれていると、何故か安心感がある。血の繋がった兄弟だからだろうか。
 長年忘れていた優しい温かさに、胸が満たされる。


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-淫靡なる充足-
-彼の衝動-