14

 頭ががんがんして吐き気がする。吐き気を堪えて薄っすらと目を開ける。
「やっと起きたか?」
 煙草を燻らす笹部先輩は部屋の中央に位置したテーブルに腰掛けている。その周りを取り囲むように大きなソファが半円を描いている。頭上にはシャンデリアが煌き、室内には高級感が漂っている。笹部先輩の背後の壁には、マーシーという文字が間接照明に照らされている。笹部先輩が働いているホストクラブの店名だ。個室になっており、部屋には笹部先輩と、その周りに四人の男が立っている。男達の服装は様々だ。笹部先輩に金で雇われたのだろう。薄汚い笑みを浮かべて、俺を見下ろしている。
「笹部先輩…」
 どのくらい眠らされていたのか分からない。部屋には窓がなく、外はまだ夜なのか、もう朝になったのかも判別がつかない。
 身体を起こそうとしたが、手は後ろでにロープで縛られ、足も拘束されているため、身を捩ることしか出来ない。おまけに身体にはワイシャツしか纏っていない。
「何でこんなこと…」
 呟いてから気づいた。笹部先輩を馬鹿にした報復だ。
 昔、どん底に突き落として精神をずたぼろにしてやった相手に、挑発されたのが気に喰わないのだ。自分がいつもその場の空気を支配していないと癇癪を起す人だ。完全に下に見ていた俺にプライドを傷つけられたままでは済ますわけがない。
「叫んでも無駄だぞ。ここはビップルームで防音室だからな。助けなんて来ない」
 既に成す術のない俺に、笹部先輩は絶望的な事実を告げる。
「京介、これ何か分かるか?」
 笹部先輩はスマホを俺の目の前に翳す。その画面には女物の下着を膝までずらし、スカートの中に手を入れて自慰をする俺が映っていた。一年ほど前にサイトに上げた動画だ。
 驚きに目を見開く。
 笹部先輩はこれが俺だと気づいたのか?だが、そんなはずはない。下半身しか映っていないのに、俺だと分かるはずもない。
 震えそうになる声を押さえる。
「何ですかこれ?」
 笹部先輩は、惚ける俺がおかしくて堪らないという顔をする。
「惚けんなよ。どう見てもお前だろうが」
「どこがですか」
 俺だと判別できる要素はどこにもない。そこには細心の注意を払って撮影している。
「太腿のほくろだよ。三つ縦に並んでるだろ」
 笹部先輩の指は、動画に映る内腿を指さす。確かにそこには三つのほくろがあった。
「お前にもあるだろ、昔から」
 笹部先輩はソファに乗り上げ、ナイフで俺の足を拘束するロープを切る。笹部先輩は俺の右足を持って、俺に見えるように広げる。
「ほらな」
 さすられた内腿には、動画と全く同じ位置にほくろが存在した。
 動画の人物が俺だという事が、露呈してしまった。しかも、一番最悪な人物に。
 言い返す言葉もなく歯ぎしりする俺を、笹部先輩は心底おかしそうに嗤う。
「他人に自分の自慰動画見られて興奮して、一人でオナってたのか?」
 笹部先輩の嗤いに同調して、周りの男たちも嗤いだす。
 笹部先輩は俺に覆いかぶさって、耳元で囁く。
「なぁ、京介。この動画、ご両親が見たらどう思うだろうなぁ」
 笹部先輩はそう言いながら俺の耳朶を軽く噛む。ぞわりと身の毛がよだつ。すぐさま顔を逸らすが、頭を掴まれ、今度は耳殻に舌を差し入れられる。ぴちゃぴちゃと不快な水音が響く。脚で笹部先輩を蹴り上げると、首筋を強く噛まれた。
「痛ッ!」
 ぶちりと皮膚が切れた音がして、痛みに身体を強張らせる。
 上から俺を見下ろす笹部先輩の唇は、俺の血で濡れていた。
「会社にバレたら首が飛ぶだろうな」
 舌なめずりをする笹部先輩の眼は、俺を屈服させる悦楽に浸っていた。
 サイトまで知っているんだ。探偵か何かに調べさせて、家族構成から会社まで、全て調べ上げているのだろう。
「…何が望みですか」
 俺を強請って何を得ようとしているんだ。ただ俺を社会的に抹殺したいなら、両親や会社に言えばいいだけだ。それをわざわざ俺を攫うとは、動画を材料に笹部先輩は俺からそれ以上の何を奪い去ろうというのか。
 金か、矜持か。だが笹部先輩の要求は、そんな生半可なものではない。
「俺の玩具になれ」
 笹部先輩は俺のワイシャツのボタンを一つ一つ外していく。
「ふふっ、性奴隷とでも言うべきか?」
「――痛ッ!」
 現れた乳首を千切れそうなほどに抓られる。
「痛いの好きだろ?」
 唇を塞がれる。食いしばった歯を、顎を掴まれて無理矢理開かれる。侵入ってきた舌は、容赦なく俺の口内を蹂躙する。噛み切ってやりたいのに、強く掴まれた顎が動かない。もがく腕は、ロープに擦れてひりひりと痛む。
 昔みたいにオナリングに戻れって?冗談じゃない。
「…んんッ…、やめ…ッ…」
 綯い交ぜになった唾液が口端から零れていく。笹部先輩の唾液なんか、飲みたくもない。
 いつの間にかローションで濡れた笹部先輩の指が、俺の後ろを掠める。
「…ッ!…やめろ…っ…!」
 指が侵入ってきた瞬間、俺は笹部先輩の股間を思いっきり蹴り上げた。
「――ぐぁッ!」
 股間を抑えて笹部先輩が蹲る。
「京介…ッ!」
 涙目になりながら、顔を真っ赤にして睨んでくる。
 俺は床に唾を吐き捨てる。
「バラしたけりゃバラせばいい。あんたに犯されるよりマシだ」
 学生時代に笹部先輩を求めて止まなかった身体は、今ではもう笹部先輩を全く受け付けない。
「そんなに相手に困ってるなら、犬のケツにでも腰振ってりゃあいい」
 侮蔑を込めて吐き捨てると、周りの男たちの失笑を買う。
 笹部先輩のこめかみに幾筋もの青筋が浮かび上がる。怒りに身を震わせ、頭に血が上っていく。
「殺せ!こいつを殺せ!」
 笹部先輩は俺を指さして喚く。他の男たちは顔を見合わると、俺に近づいてくる。
「な、何だよ……あがッ!」
 男はジーパンの前を寛げて己の一物を取り出すと、俺の顔の上に跨り、いきなり口の中に突っ込んできた。
「…うぐ…っ、…ぁ…」
 男根のむっとした匂いが鼻をつく。唯一自由な足で暴れるが、すぐに他の男によって押さえつけられる。ラブドールに腰を振っているかのように、無遠慮に喉奥をがんがん突かれる。えずいて吐き気が込みあげる。
「おい、俺等にもやらせろ」
 他の男が不満げに声をあげる。俺に跨っていた男は名残惜しそうに、俺の口から一物を引き抜く。
「うえッ…、げほっ、げほっ」
 咳き込む俺を男はうつ伏せにひっくり返し、腕の拘束を解く。自由になったのもつかの間、髪を引っ張られ、無理矢理顔を上げさせられた先には半勃ちになった男の一物がある。苦しい息を整える間もなく、口に突っ込まれる。
 四つん這いになった俺に、男は容赦なく腰を振る。逃れようと暴れると、背中に焼けるような痛みを感じた。
「…んんッ…!」
 肉の焦げた匂いが漂う。
「暴れたら根性焼きするから」
 冷淡な笹部先輩の声が背後で響く。
「…んんんっ!」
 再び煙草を背中に押し付けられる。痛がる俺を見て、笹部先輩は高らかに嗤う。
 別の男が俺の手を取って、自分のモノを握らせる。
「扱け」
 従わなければ、また煙草を押し付けられる。その恐怖から、嫌々でも手を動かしてしまう。
 素直に従う俺を見て、笹部先輩は勝ち誇ったように嗤う。
 乳首を他の男の一物が擦る。後ろには誰の手か分からない指が、侵入ってくる。ローションに濡れた指は、俺の中を広げて本数を増やす。
「…んん…、う…、んんんッ…!」
 口の中で男のモノが爆発し、喉奥に精液が叩き付けられる。
「えほっ、…げほッ」
 喉に絡みついて気持ち悪く、生理的な涙が溢れる。
 以前までの俺なら、複数の見知らぬ男に犯される展開に遭遇したら、期待だけでひとりでに腸内が濡れるほどに悦んだだろう。突っ込んでくれるなら誰でもよかった。だが、今は不快感しかない。悦ぶはずの状況にも、全く気持ちが上がらない。
 気持ち悪い。
 男達に触れられている部分全てが。口も手も、胸も後ろも。触られた部分がどす黒く汚れていくように感じる。俺のモノは反応を示すことなく、萎えきったままだ。
「いい気味だな」
 前方に移動した笹部先輩が、スマホを構えてこちらに向けている。新しい脅しの材料にでもするつもりか。
 俺の顎を持ち上げて、涙や鼻水や精液でぐちゃぐちゃになった俺の顔を撮る。
「もっと悦べよ。男に突っ込まれて、あんあん喘ぐのが大好きなんだろ?」
 あぁ、この人は俺に似てるのか。唐突に霞む頭でそう思った。笹部先輩と自分を重ねて見ているから、こんなにも嫌悪に襲われるんだ。
 他人を信じられない。
 誰と話していても、一線を引いてしまう。この人は俺のことを本当は軽蔑しているんじゃないか。いつか裏切られるんじゃないか。そう思ってしまうんだ。
 俺も、笹部先輩も。
 だから普段はいい人を演じて、本当の自分を出さない。そうして傷つくのを無意識のうちに避けている。本当の自分を出したら嫌われる。だって、俺達は人とは違うのだから。
 でも、どこかで発散しないと生きていけない。自分を演じ続けるのは苦しい。
 俺は性欲に走り、笹部先輩は他人を自分の支配下に置くことで、鬱屈とした感情を晴らそうとした。
 世間から逸脱した人間は、どこか壊れている。
 結婚して、子供が出来る。そんな普通の人生を俺達は歩めない。当たり前のことができない。
 俺は孤独に溺れて、のたれ死ぬのが怖い。
 笹部先輩もきっと同じだ。
 脅してまで、他人を自分と同じ土俵に連れてきて、自分の孤独を紛らわせようとしている。
「堕ちてこい、京介」
 笹部先輩が、耳元で甘く囁く。
 後ろには誰かのモノが宛がわれる。
 頭が痛い。思考回路が歪んでいく。
 笹部先輩は俺の孤独を埋めてくれるだろうか。空虚な俺を、満たしてくれるだろうか。
 笹部先輩の唇が、徐々に近づいてくる。舌を差し出そうとしたその時、大きな音を立てて扉が開いた。
「兄貴ッ!」
 そこに立っていたのは圭介だった。こちらに駆け寄ろうとするが、背後からガードマンらしき男に羽交い絞めにされる。圭介はガードマンに頭突きを食らわし、拘束から逃れる。
 圭介は俺を犯そうとしている男を殴り飛ばす。あまりの剣幕に、笹部先輩たちは本能的に俺から離れる。
 何でこんな所に圭介が突然現れたのかは分からないが、救世主が現れたことに変わりはない。
 圭介は自分が着ていたコートを俺に羽織らせると、血走った眼で周りの男達を睨む。
「誰だ、笹部ってのは」
 男達の目線が笹部先輩に集まる。
「ち、違う」
 笹部先輩はぶんぶんと首を振るが、金で雇われただけの男達には、笹部先輩を庇う気は全く起きない。
 圭介は笹部先輩に飛びかかって馬乗りになると、顔を拳で殴りつける。
「ま、待てッ!」
 殴り続けようとする圭介を笹部先輩が制する。
「お前、京介の弟だろ」
 圭介が黙するのを肯定と受け取ったのか、笹部先輩は早口でまくしたてる。
「お前ら、兄弟でセックスしてるだろ。全部調べはついてるんだ。お前を社会的に抹殺することだって出来るんだぞ!」
 圭介は息を切らす笹部先輩を、冷めた目で見下ろす。
「だからどうした。バラしたきゃ、勝手にバラせばいい。その代わり、お前が強姦魔だって世間にバラしてやるよ。どうせ今回が初めてじゃないだろ。証人ならいくらでもいる。お前は社会的に抹殺されるどころか、刑務所に入れられて、陽の目を見ることすら出来なくなるだろうがな」
 笹部先輩の顔からさっと血の気が引いた。
「き、気持ち悪いんだよ!兄弟でセックスしやがって!どうせ兄貴のケツじゃないとイけないんだろう!キモいんだよ、インポ野郎が!」
「ほざけ、クソが。兄貴に相手にされなかった奴がいくら吠えても、負け犬の遠吠えにしか聞こえねぇんだよ」
 圭介は侮蔑に満ちた声で低く唸ると、笹部先輩を何度も拳で殴りつける。腕で顔を庇おうとする笹部先輩の手を払いのけ、顔に何度も拳を入れる。
「圭介…っ」
 圭介は血走った眼で無慈悲に殴り続ける。
 骨と骨がぶつかる音が部屋に鈍く響く。もがいていた笹部先輩の身体から、力が抜けていく。周りにいた男達は、笹部先輩を助けようともせず、青ざめた顔で我先にと部屋から逃げ出す。
「圭介っ!…もういいっ!もういいから!」
 俺は圭介の腕に縋り付いて止めようとする。しかし、圭介はそれでも殴るのを止めようとしない。
 このままでは笹部先輩が死んでしまう。
「圭介ッ!」
 耳元で大声で叫ぶと、ようやく圭介の動きが止まった。
 肩で息をする圭介の下では、笹部先輩が腫らした顔から血を流して倒れている。意識を失ってはいるが、浅い呼吸を繰り返していることにほっとする。
 だが、しばらくホストの仕事は出来ないだろう。
 俺は圭介の腕を引っ張って、立ち上がらせる。
「圭介、俺は大丈夫だから。もう帰ろう」
「何が大丈夫なんだよッ!大丈夫な訳ねぇだろ!」
 胸倉を掴まれ、怒鳴られる。その手は怒りに震えている。圭介は悔しそうに唇を噛みしめる。怒りに満ちた圭介の顔は、今までに見たことがないほど苦渋に満ちている。
「……帰るぞ」
 圭介は俺の胸倉から手を離して肩を抱き、出口へ向かう。
 踏み出した圭介の足に、床に転がっていた笹部先輩のスマホが当たる。録画画面のままになっており、それだけで全てを悟った圭介は、脚を振り下ろす。何度も踏みつぶされた画面は粉々に砕け、中の部品が飛び出し、無残に破壊される。
「圭介…」
 圭介は俺を横抱きにして、再び出口へ向かう。
 廊下にはホストクラブの従業員が青ざめた顔をして立っていた。圭介が足を踏み出すと、飛びのくように廊下の隅に移動し、圭介の足を止めようとする者は誰もいなかった。


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