04

 その日は全く仕事が手に着かなかった。森本にも、体調が悪いのかと散々心配された。そんな俺を見て、本当に体調が悪いと思った上司が、気を利かせて早めに帰らせようとした。しかし、そんな気遣いは今日の俺にとって無用でしかない。どうしようもなく家に帰りたくなかったのだから。
 だが俺の複雑な事情を上司が知る由もなく、半ば無理矢理帰宅させられた。
 太陽が地平線に沈む前に家路を歩いたのはいつぶりだろうか。本当なら嬉しいはずなのに、足取りは頗る重い。
 帰路を辿ってはみたものの、足はすぐに道を逸れ、興味もない店に入ってみたり、商店街を意味もなく往復してしまう。
「はぁ…、最悪だ」
 ため息がとめどなく溢れる。
 目的もなく彷徨ううちにすっかり日が暮れ、いつの間にか自宅の前に辿り着いていた。
 重い足を踏み出そうとするが、なかなか勇気が出ない。玄関扉を開けたら、両親が立っていて、お前はもうこの家の子じゃない!と怒鳴る親父の姿が目に見える。金輪際親子の縁を切られて、二度と顔を合わせることもなくなるのだろう。
「京介(きょうすけ)?」
 びくりと肩を震わせて、振り向いた先には仕事帰りの親父が不思議そうな顔をして立っていた。
「どうしたんだ、こんな所に立って。早く入れ」
「へ?」
 玄関扉を開けて、促す親父を呆けた顔で見返す。
「何変な顔してるんだ。早く入れ。風引くぞ」
 …いつも通りだ。想像と違う親父の反応に困惑しながら、恐々と扉をくぐる。
「あら、京介。今日は早いのね」
 玄関で出迎える母は、エプロン姿で少し驚いたように言う。
「もうすぐご飯できるから」
 慌ただしくキッチンに戻る母を見て、ようやく理解が追いついた。
 この様子だと、まだ両親にはバレていない。圭介は両親に何も知らせていないようだ。思えば、そんな簡単に言えるものでもないのか。
 とにかく、ひとまず安心してネクタイを緩めながら食卓に着く。だが一息吐く間もなく、二階から圭介が降りてきた。圭介が何か言いだしはしないかとハラハラしたが、圭介は俺と目を合わせようともせず、食卓に着いてテレビを見始めた。
 食事中になっても圭介はテレビに集中していて、会話に入ってくる様子もない。それはいつもの事なのだが、俺としては圭介がいつ口を開くかと、そわそわして落ち着かない。
 圭介とは七歳と結構年が離れているので、小さい頃も喧嘩した記憶はほとんどない。圭介の面倒は俺が見ていたし、仲良く一緒に遊んでいた。今でもテスト期間中には圭介に勉強を教えたりするし、仲の良い兄弟だと思う。
 だからこそ圭介の性格も分かっている。
 圭介は好き嫌いがはっきりしている。物や食べ物もそうだが、それは人に対しても適用される。
 一度嫌いになった人間とは、一切関わろうとしないし、何度謝られたとしても、もう二度と元の関係に戻ることはない。
 一年ほど前、しつこく迫ってくる同級生の女の子にうんざりして、手酷い一言でばっさり切ったことを俺は知っている。昔からそうして泣かされた女の子を何人も見てきた。
 だから俺のこともきっとばっさり切ってくるはずだ。圭介はやるときは徹底的にやる。俺を家族という枠組みから完全に除外して、全くの赤の他人に仕立て上げるだろう。
 それぐらい俺は軽蔑されたに違いない。
 中学の時、同性愛者であると自覚した時点で、一人で生きていく覚悟は出来ていたはずなのに、いざその状況になってみると、何とかしてその難を逃れようと足掻こうとしている。
 俺には全く覚悟なんて出来ていなかったのだ。人とは違うのに、普通の人と同じように生きていたいと願ってしまう。一人は嫌だ。もう二度と、高校の時みたいに捨てられた悔しさを味わいたくない。
 美味しいはずなのに、味のしない料理を食べながら、俺はとんでもない計画を思いついてしまった。他の方法はないかと考えを巡らすが、これ以上にいい考えは出てこない。なるべくならやりたくないが、やらなければ俺には絶望的な運命しか待っていない。
 俺は圭介を犠牲にする覚悟を決めた。


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