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 高校も啓兄と同じところを受けた。啓兄は閉所恐怖症で電車が嫌いだから、家から徒歩圏内の学校だ。
 中学の担任は俺ならもっと上のレベルを目指せるとか言っていたけれど、それは啓兄にとっても同じだったはずだ。それに、啓兄のいない学校に通っても何の意味もないから、そんな助けは歯牙にもかけなかった。
 高校でも啓兄はゴミ共に取り巻かれている。校内で啓兄を見かけると、いつもゴミが数人、蠅みたいに啓兄に纏わりついている。自分の価値を理解していないやつらを見ると、虫唾が走る。
 屑ばかりだ。だが、兼森はその中でも群を抜いて屑だ。
 兼森は啓兄のクラスの担任なのだが、あろうことか自分のクラスの山内(やまうち)という女子生徒を性的な目で見ている。
 山内はそれに感づいて、他の教師に訴えたようだが、取り合ってもらえなかったらしい。兼森は外面だけは良いから、周りの教師の信頼を買っているのだろう。
 それだけならまだいい。啓兄に実害は及んでいない。
 だが、兼森の根性は俺が思った以上に腐っていた。
 山内が啓兄に好意を抱いていることに気付いた兼森は、啓兄を目の敵にし始めたのだ。
 啓兄に面倒な仕事を押し付けたり、成績を露骨なまでに厳しく付けたりする。なにより腹が立つのは、啓兄を侮蔑的な目で見ることだ。俺はそれが何よりも許せない。罵られ、軽蔑されるべきはお前だ、兼森。
 放課後、悶々とそんなことを考えながら、一人教室に残って日直日誌を書く。啓兄は既に校門で俺を待っているだろう。毎日一緒に帰っているのは、小学生の頃から変わらない。これ以上啓兄を待たすわけにはいかないから、適当に記入して終了する。
 教室の鍵を閉め、日誌と鍵を返すために教員室へ向かう。階段を降りて廊下を曲がろうとすると、丁度教員室前の教員用ロッカーから兼森が何かを取り出しているのが見えた。俺は咄嗟に身を隠す。兼森兼森は辺りを警戒するようにきょろきょろと見渡し、明らかに挙動不審だ。兼森は周囲に誰もいないことを確認すると、ロッカーから何やら大きな紙袋を取り出した。兼森はそのまま紙袋を抱えて、教員用トイレに駆け込んでいった。
 俺は思わぬ収穫に、思わず吹き出してしまう。
 兼森が持っていた紙袋からは、赤いジャージが覗いていた。恐らく山内のものだろう。トイレで山内のジャージをオカズにシコっている兼森の滑稽な姿が目に浮かぶ。
 兼森は既婚者だから、ジャージを家に持って帰るわけにもいかないのだろう。だから、学校で人知れず右手とお友達をしている。
 兼森の必死さに笑える。
 だが、俺はやつの弱みを握った。
 ただで殺すわけにはいかないと、機会を窺っていた甲斐があった。
 恥辱にまみれながら、死ねばいい。


  *


 俺はもう既に数人をこの手にかけている。
 クソ親父は勿論、中学生だった啓兄からカツアゲしようとした高校生三人組。他にも殺したけれど、あまりちゃんと憶えていない。憶えていても何の得にもならない。記憶容量の無駄だ。あぁ、そういえば、その道を通る度に啓兄に向って吠えていた飼い犬も殺した気がする。
 俺は極力啓兄と一緒にいるようにしているし、啓兄の周りには常に目を光らせている。ゴミはゴミらしくあるべきだ。思いあがった行動をすれば、俺がすぐさま制裁を加える。
 もちろん、俺は犯行が露見しないように、細心の注意を払っている。入念に下調べを行って、計画的に進める。その際、メモに使っているノートがあるが、それさえ見つからなければ、捜査の手は俺には及ばないだろう。いざとなったら燃やせばいい。
 教員室前の廊下がざわめきだし、続々と生徒が集まってくる。俺はそれを廊下の陰に身を潜めて、こっそりと眺める。
 野次馬の中の一人が悲鳴を上げる。山内だ。山内は大勢が見ているにも関わらず、パニックになって泣き叫ぶ。
「どうしたんだ」
 案の定悲鳴を聞きつけて、教員室から体育教師の古田(ふるた)が出てくる。古田は無駄に正義感が強いから、こういう時真っ先に出しゃばってくる。
 古田は状況から騒ぎの原因を察すると、すぐさま大声で兼森を呼ぶ。
「何か用ですか?」
 何も知らない兼森が、のこのこと教員室から出てくる。
「兼森先生、あなたのロッカーからこんな物が出てきたんですが、どういうことですか」
 古田が手にするのは、兼森のかぴかぴのザーメンに塗れた山内のジャージだ。
 ジャージを誰かが見つけるように、兼森のロッカーからはみ出させておいたのは勿論俺だ。
 兼森は眼を見開いて固まり、ゆっくりと首を振って後ずさる。
「ち、違う!俺じゃない!」
「言い逃れは出来ませんよ。あなたのロッカーから出てきたんですから。ここにいる生徒たちがその生き証人です」
 兼森を糾弾する古田は生き生きしている。それもそのはずだ。兼森は教師や保護者からも評判がいい。それに対して古田は、体育教師によくいる熱血な言動と暑苦しい見た目から、生徒から毛嫌いされている。同期であることも手伝って、兼森の人気に嫉妬しているのだ。
 だから、教員室に引っ込んで話せばいいものを、わざわざ大勢の生徒の前で兼森を晒し者にしようとしている。
「俺じゃない!誰かが俺を陥れようとしているんだ!」
 兼森は唾をまき散らしながら喚き、必死に言い逃れをしようとする。
「誰がそんなことをするんですか」
「お、お、沖山だ!沖山啓太郎だ!あいつはずっと山内のことを厭らしい目で見てた!俺は知ってる!」
 それをまさか啓兄のせいにするとは、予想していなかった。主張が支離滅裂すぎて、逆に自分がやったと言っているようなものだ。
 個人的な恨みから、啓兄に犯行をなすりつけようとする兼森は、真正のクズだ。
 兼森は目をひんむいて、啓兄に罪を被せようと必死に弁明を試みる。
 今すぐにでも殺してやりたい。汚い口で啓兄の名を口にするな。啓兄の名を口にする権利すら、お前にはない。
 兼森を殴り殺したい衝動を必死に押さえる。強く唇を噛みしめると、口の中に血の味が広がった。
「沖山くんが、そんな事する訳ないでしょ!」
 俺の気持ちを代弁するように、山内が兼森を睨みつけて、ヒステリックに叫ぶ。
「そうよ、恵(めぐみ)のことを変な目で見てたのあんたじゃん!」
 山内の周りの女子も同調して、兼森を責めたてる。
「ち、違う、俺じゃない」
「恵に近寄らないで!」
 すがるように山内に近づこうとする兼森を、周りの女子が一蹴する。
「…俺じゃ、ない」
 へなへなと座り込んだ兼森に、野次馬の生徒たちが罵詈雑言を浴びせかける。
 兼森の最期を彩るには、最高のスパイスだ。


  *


 その日の午後、兼森は自宅で首を吊って自殺した。
 深夜に仕事から帰宅した妻が発見したが、すでに兼森は息絶えていた。
 学校の評判低下を恐れた学校側が本人への事実確認に手間取り、警察への連絡は翌日に行うと取り決めていた。しかし、それを待たずに兼森は死んだ。警察に窃盗罪で逮捕され、自らの社会的名誉が失墜することを恐れた末に自殺。誰も兼森の自殺を疑う者はいない。
 だが、本当は自殺ではない。
 古田はその日、何件も居酒屋を梯子して、泥酔状態で帰宅した。そして、すぐさま玄関で気絶するように眠りに落ちた。そこで俺は鍵の開けっぱなしにされた部屋に侵入して、古田の付けていたネクタイで古田の首を玄関のドアノブにくくり付た。そしてそのまま玄関扉を閉めて、俺は悠々とその場から立ち去った。
 警察は他殺の線を視野に入れようともしないだろう。動機もはっきりしているし、酒を飲んで自暴自棄になり衝動的に自殺したと判断できるため、遺書がなくても不自然ではない。遺体に不自然な点もない。誰がどう見ても自殺だ。
 これは啓兄を辱めた罰だ。尊敬されるできた教師を装っていた外面は剥がれ、女子生徒を性的な目で見ていた変態教師という兼森の本当の汚い部分が曝け出す。
 ちょっとしたニュースになるかもしれないが、兼森を軽蔑する人数が増えるなら、それはそれでいい宣伝効果になる。
 死してもなお、唾を吐きかけられるようなことを、兼森は犯したのだから。
 次は山内を断罪する方法を考えよう。啓兄を性欲に塗れた目で汚した罰だ。
 殺すほどでもないし、足を折る程度が妥当だろう。


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