03

 駅前に出て、国道沿いに三分ほど歩き、脇道に入ると繁華街に出る。電飾の輝きの中で、飲み屋を求める仕事帰りのサラリーマンが道を行く。
 居酒屋に入ると、平日にしては、そこそこ客が入っている。これから夜が深くなるにつれて、客足も増えるだろう。
「おはようございます」
「あ、沖山(おきやま)くん、おはよう」
 ホールにいた浜口(はまぐち)さんに挨拶すると、浜口さんは忙しそうにビールジョッキを両手に持って、奥のテーブル席に運んでいく。浜口さんが動くと、後ろで縛った長い黒髪も一緒に揺れる。
 浜口さんは俺より一つ上の女子大生で、ここでのバイトも俺より長い。俺が新人として入ってきた時には、教育係として仕事内容を親切に教えてくれた。サバサバしていて決断力もある浜口さんは、困ったときも頼りになるいい先輩だ。
着替えるために店内奥のバックヤードへ向かう。他のバイトの人たちは、既にホールや厨房に入っていて、バックヤードには誰もいない。
 俺は上に来ている服を全て脱いで、自分のロッカーから店名の入ったティーシャツを取り出す。だが着ようと腕を通した瞬間、ドアの方から生暖かい視線を感じた。恐る恐る横目で見ると、案の定、店長が壁に寄りかかりながら、こちらをじっと見つめていた。
 四十代前半の鹿田(しかだ)店長は、腹の出ただらしない体型で、生え際の後退した額は脂ぎり、てかてかと光っている。そのせいか、未だに独身だという噂だ。
 俺を見る店長の視線はじっとりとした厭らしさを帯びている。瞳の奥に父さんと同じような陰鬱な気配が潜んでいるのが、どうしようもなく気持ち悪い。
 バイト中に寒気を感じると、必ずどこかから店長がこちらをじっと見ているのだ。雇われ店長として鹿田店長が入ってきた二週間ほど前から、ずっとこの調子だ。
 何度か注意をしているのだが、上手くはぐらかして、改める様子は全くない。店長はただこちらを見ているだけで、何をしてくるわけでもないのだが、さすがにストレスが溜まる。
 着替え終わって私服をロッカーの中に片づけていると、ドアの傍にいたはずの店長の顔がすぐ横にあった。
「うわっ!」
 気づかぬ間に店長がすぐ傍に立っていて、瞬間移動のような素早さに、思わずびっくりしてしまった。
「驚かさないでくださいよ、店長」
 何だか気味が悪い。ロッカーを閉めて、距離を取ろうとすると、横からいきなり店長が俺の尻をがっと掴んで、揉みしだいてきた。
「――ッ!?]
 声にならない声をあげ、驚いて飛び退った弾みに、床に置いていたリュックに脚を引っ掛けて、派手に転んでしまった。
 身を起こそうとする前に、店長に上に乗られ、肩を腕でがっちり押さえ込まれた。
「何するんですか、どいてください!」
 起き上がろうとしても、びくともしない。店長は興奮しているのか、息が荒く、上気した顔で俺を見下ろす。
「ねぇ、沖山くん。僕とセックスしよう」
「…は?」
 店長の言葉が瞬時に理解できずに、間の抜けた声が出た。
「一回だけでいいから。口でしてくれるだけでもいいから」
 切羽詰まったように言う店長の股間が、スラックスを押し上げているのが目に入った瞬間、一気に全身の身の毛がよだった。
 夕方に見た父さんの夢が、脳裏にフラッシュバックして、恐怖に身体が固まる。声をあげて助けを求めようにも、喉に何か引っかかったように、声が出ない。
「好きなんだ、沖山くん」
 股間を触られた瞬間、たまらず店長を突き飛ばしていた。店長は机の角に頭をぶつけて、悶絶する。
  俺は脇目もふらず、リュックを引っ掴むと、逃げるように店を飛び出した。


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