ときめいて、恋をして。
目が合うだけで意識したり、手が触れるだけでどきどきしたり。
――そんな時期は、とっくに過ぎた。
夢見ることも期待することも、もうしていない。
見合いは絶対やりません!!!
「朝じゃぞー! 起きぃー!」
心地の良い夢の中から覚醒するのは、毎朝の恒例だった。
聞こえているけれど、聞こえないふりをする。まだまだ眠かった。
「こおら! いつまで寝ちゅーが!!」
「……むつぅ……今日は非番なので何卒……放っておいてよ……」
「何を言いゆーが! 今日もえい天気じゃ! 朝のランニングを習慣づけると、おんしが言うとったじゃろう」
「言ったけどさあ……今日はもういいや……」
ゆさゆさと布団越しに体を揺すられる。それを放置して二度寝に移行しようとする私の耳に、「しゃあないのお」なんて声が入ってきて。今度は、カーテンを盛大に開く音がした。それと一緒に、目をつむっていても分かるくらい周囲が明るくなっていったことが分かった。
「んもおお……」
もう毎日の恒例行事とはいえ、睡眠を邪魔されることは耐え難い。牛のような鳴き声を出しながら布団にくるまりながら丸くなる。不機嫌なダンゴ虫みたいになった私は、例え束の間とわかっていても睡眠を欲して思考を放棄していた。
「ほれ! 起きんか!」
「…………」
「今日の朝餉はほっけじゃぞ! 朝から豪勢じゃろう!」
「……ほっけ?」
「おん! ほっけじゃ! 薬研の坊主と日本号と、あと長谷部が漁にでて釣ってきたがぜよ!」
「えぇ……なんでえ」
「おんしのためじゃ! 最近だいえっとだなんだといって食が細いき、皆心配しちゅーぜよ」
「だってやせたいもん……二の腕とかさあ…」
「何を言いゆーが! 木の枝みたいなもんじゃろう!」
「そんなの……陸奥に比べたらそうだろうけどさあ」
そんな言葉をこぼして、私は仕方なくごめん寝の体勢になる。朝からほっけなんて、確かに豪勢だ。睡眠欲より、食欲が勝ってきた。
「……ほっけなら起きようかな」
「いつでもそれくらい素直に起きるとええになあ」
のそのそと体を起こすけれど、私は布団を被ったまま、あと目も閉じたままだ。
瞼が糊で貼り付けられているみたいだ。ほっけは食べたい。でも、目を覚ましたくもない。
「二度寝はだめぜよ」
「………」
「………」
がしっと布団を引っ張られる感覚にはっとする。
次の瞬間、そのままヘし飛んでいった布団と、朝特有の肌寒い空気。
ぼうっとして、私はしょぼしょぼと目をこすった。
「布団がふっとんだわ……」
「まだ寝とるがか?」
呆れた陸奥は、敷き布団もテーブル引きみたいに引っ張って私を畳の上に転がした。畳が冷ったい。
眠気にあらがえずにそのまま畳の上に横になろうとした私の脇に両腕がさしこまれた。
「ほれ! 顔を洗ってきい! 朝餉はこっちに持ってくるがか」
「はあい……」
そのまま持ち上げられて、強引に立ち上がらされた私の背中をばしっと叩いた陸奥は、とぼとぼと洗面所に向かう私を尻目に布団を外に干しに行った。
「今日はええ天気やき、干しといちゃるぜよ! それまでに着替えまで済ませちょくんじゃぞ!」
「はーい……」
私は大きなあくびをしながら、目をこする。
このやりとりを第三者が見たら、きっと主従というよりも、親子みたいという印象を持たれてしまうことだろう。でも、そうではないのだ。私にとっては。
これでも私は、もうずっと、初期刀である陸奥守に恋をしている。
恋をしているだけで、それ以上のことはないけれど。
「さあて、今日はどんなヘアセットがええんじゃ?」
「なんでもいいよお」
膳に載っけられたほっけは焼きたてほやほやで、ふかふかな身から食欲をそそる匂いにご機嫌な私は、後ろで髪を梳いてくれる陸奥の言葉にそんな返事をした。
これも陸奥の毎朝の日課だ。朝に弱い私を起こして、髪のセットまでやってくれる。とてもかいがいしいけれど、審神者同士の集まりで話したときはそれなりの驚かれたことを覚えている。
どちらかといえば、代わりにやってあげるよりも自分でできるように教えてくれるタイプの刀だと思うのに珍しい、と。面倒見が良い個体なんだね、と。その時は軽く流したのだけれど、私の陸奥が特別なんだと思うと、なんだかとても嬉しかった。
まるで、陸奥の特別になれたような気がして。
「まあたそれか。それが一番困るんじゃがなあ」
「陸奥の腕は信用してるから――いただきます」
「考えるのが面倒なだけじゃろうが。そうじゃなあ。今日は編み込みも入れるか」
慣れた手つきで櫛を使いながら、ヘアセットが行われていく。私は気にせず箸をとって、ほっけ焼きに手をつけた。
「ほくほくだ! 陸奥! 見てこの身! ふっくら!」
「良かったのう。これだけ喜んでたら、あいつらも本望やろう」
「私だけこんなに食べちゃっていいのかな!」
「えいぜよ! おかわりもしっかりするんじゃぞ。もっと肥ええ」
「やだよ! おかわりはするけど……」
もぐもぐとほっけの旨味に舌鼓を打つ。代わり映えのない毎日を彩ってくれるのは、やはり食事。それにつきる。
白米も美味い!美味い!すごくおいしい!最高!
「あ〜美味しい! シェフを呼んで!」
「他の魚を廚で捌いとるき、後で自分で会いに行くんじゃな」
器用に髪が編み込まれていく。陸奥守が髪を結ってくれて、薬研と長谷部と日本号が釣ってくれたほっけもこんなに美味しい。
「幸せだなあ……!」
「良かったのう。早起きは気分がええじゃろ?」
「そうだね! ほっけがあるならいつでも早起きできるよ!」
「なくても早起きせえ。どうするんじゃ、今はわしがおるがか、これじゃ嫁の貰い手がなくなるぜよ」
後ろの陸奥の小言に、ほんの少しだけ無言になる。
食べてる最中、咀嚼している間は喋らないから、陸奥は特に気にした様子もないみたいだった。慣れた小言だ。陸奥は私がいつかは嫁入りするものだと思っている。いつまでたっても世話を焼かれている私が、そんな心配されるのは理解できるけれど。
「……嫁には行かないよ。審神者やってるし。死ぬまでやってるし」
陸奥が進んでお世話してくれることに味を占めているけれど、やろうと思えばきっと全部一人で出来る。実際審神者になる前には、ちゃんと一人で身支度していたのだし。
出来だけでいうのなら、そりゃあ、やって貰うのと自分でするのとでは天地の差があると思うけれど。
「何を言っちゅうがか。綺麗な白無垢きて式をあげるおまさんを、みんな見たがっとるんじゃ。あきらめんで、見合いの一つでもしたらどうじゃ」
「嫁入りって、そもそも私ここにずっといるから結婚なんて意味ないし。入らないし。嫁に」
「そうやって話の足上げをとるもんじゃないぜよ」
「とってないし」
聞き慣れた小言だ。好きな相手に言われても、もう特に傷つかない。どうせ今以上の関係になんてなることもないし。
私は朝餉を堪能しながら、それらを全部受け流す。なんてこともない。いつもの光景だった。
「――できた! 今日はまた会心の出来ぜよ!」
見せて、という前に、陸奥は私に手鏡を渡す。それを受け取ってのぞき込むと、編み込みと共にポニーテールにされた頭が目に入った。確かに見事なヘアセットだ。自分じゃとてもこんな風にはできっこない。
それに何か結ってある布が――リボンかな。こんなの持ってたかな。なかったような気がするんだけど。
「陸奥。このリボン……」
「お! 気づいたがか!」
鏡越しに見えた陸奥はふふんと鼻を鳴らして、自慢げにリボンのさきっちょを摘んで、アピールするようにゆらゆらと揺らした。
「おんしへの贈り物じゃ。絶対に似合う自信があったが、予想以上じゃなあ! こんなべっぴんさんはよおおらんぞ」
そういって満面の笑みを浮かべる陸奥に、少しだけ固まる。
「気に入ったがか?」
私は強ばった表情に気づかれないように、手鏡の向きを変えた。
「……うん。この色、好きなんだ」
静かにそう答えると、後ろから「知っちょる!」なんて自信満々な答えが返ってきて、私はふっと笑った。
そのリボンはオレンジ色。陸奥を連想させる色だった。
不毛だ。
そんなことを常々思う。
「やだよ……見合いとかやんないし」
「そう言わずに! 一度だけでも如何でしょうか?」
目の前の液晶パネルに写るプロフィール情報。顔写真はなく、名前も分からず。年齢と性別とか、趣味嗜好とかが並べ立てられている。
「審神者婚活推奨プログラム! 審神者様のように、ぐうたらして自分から出会いを探すこともせずに、独身であることを刀剣男士が憂いている方を対象に婚活サポートする福利厚生ですよ!」
ご丁寧に説明してくれるこんのすけに、私は隠すこともなくうへえと嫌な表情をする。舌を出して反意を示しながら、私は助けを求めるように陸奥をみた。
「やだあ……陸奥、なんとかいってよお。私やだよお」
こんのすけの隣であぐらをかいていた陸奥は、快活な表情でいる。嫌な予感しかしなかった。
「えーえ機会じゃないがか! いっつも本丸に引きこもっておったら出会いもないぜよ! 何も、すぐ結婚というわけじゃないぜき、会うだけ会うてみたらいいぜよ!」
「陸奥ー! やだよお! やだ!」
全く助け船を出してくれないどころか、早々にこんのすけ側についてしまった。
「審神者様。よくお聞きください。わたくしはこう言いました。独身であることを憂いている刀剣男士の要望で!と。発案者は陸奥守様であられます!」
「さいっあく! あられますってなに!」
道理できらきらした目をしてると思った。確かに最近は毎日のように結婚するように小言を言ってくると思った。私に白無垢を着せるつもりだ、陸奥は。主の心刀知らずだ。どんな仕打ちをしているかなんて全然わかってないくせに、私の為を心から思っているんだから性質が悪い。
「おんしにとっても悪い話じゃないき! よく聞くぜよ」
「やだ! やだやだ! 見合いなんて嫌! 顔もわかんない相手と!」
「それは相手も同じことじゃき、我慢せえ。外見がどうでも、中身がいい男じゃったら、それ以上は必要ない!」
「じゃあ陸奥が見合いすれば!?」
「なんでじゃ! ええから聞くぜよ!」
ここは正論で丸め込まれる前に勢いで話をなかったことにするしかない。
「審神者の情報なんて機密情報なので、あまり詳細には明かせないのです! それこそ、実際にお会いするという確約がなければ! 審神者様がお見合いするのであれば顔を確認できます! 当日に!」
「実質会うまでわかんないんじゃん! 出来ないよそんなの!」
確かに、他本丸の審神者の情報をサポートを受ける全員に公開するのは良くないことだろう。それは分かる。けれどこんなの、一方的が過ぎる。大体私は独身は独身で十分満喫している。どっちみち結婚して嫁入りしたところで審神者をやめるわけでもないのに。手間暇が増えるだけじゃないかって思う。
「ええか? 男は顔じゃない! ハートぜよ!」
自分の胸を拳でどんと叩いて名言を残す陸奥に、私はううと唸った。頭が痛い。もうすっかり見合いに出させるつもりだこの陸奥は。
「相手の人だって私がきたらやだよ! こんなかわいくない……ぶ……顔がふっくらとか整ってないっみたいなっ……ブスがきたら可哀想だよ! 顔見て即断られるに決まってる!」
ブス、と言い掛けて一度やめた。でも、これ以上似合う言葉が思い浮かばなくて、改めてはっきり宣言した。私はブスであると。
今日で一番惨めな瞬間。寝るまでずっとこの瞬間を引きずることは確定した。
「ぶっ……醜女と言うとるがか!? 何を言うとるんじゃ!! こんなべっぴんさん、そうそうおらんぜよ!」
「違うし! 陸奥が主バカなだけだよ!」
実際、私はそうだ。地味で平凡で可愛くない。そりゃあ、指をさされて笑われるほどではないだろうけど、でも、可愛くはないことは確かだ。
私は成人手前ぐらいで審神者になったから、それまでの人生、一般市民として生きていた。
「バカとはなんじゃあ! おんしはかわいいべっぴんさんじゃろうが!」
「違うし! 陸奥は刀剣男士だからわかんないだけだよ!」
だから分かる。一般男性からみた自分が、どれだけ圏外なのか。合コンとかの出会いの場にいっても、相手の人たちは友達にばかり声をかけて、私は空気みたいな扱いだった。勇気を出してアピールしてもうまくいかない。なんとか連絡先を交換してもそれから先進展することだってなかった。
「男の人っていうのは、私みたいなの、相手にもしないんだよ!」
そう叫ぶ。顔の造形がなんであれ、自分の子どもだったらそれだけで愛しい。陸奥がいうかわいいっていうのは、そういう親ばかみたいな感情なのだ。結局、それを信頼して生きていったら、傷つくだけの人生しか待っていないのに。
「おんしの良さがわからん男なんぞこっちから願い下げじゃあ! 大丈夫じゃ! わしも同行するき、安心せえ! もしも見合い相手が失礼したら、わしがげんこつお見舞いするけえ大丈夫じゃ!」
「大丈夫じゃない! 無理無理! もめ事になるじゃん!」
「なんで争う前提なんじゃ! 安心せえ! おんしは世界一のべっぴんさんじゃ!!」
「ううう……そういう話じゃないのにー!」
私は立ち上がって、悔しさに手をぎゅっと握りしめた。
それから、一気に駆けだして部屋から逃げ出した。
「私見合いなんてしないーーー!!! ぜったいしないーーー!!!」
「これ! 待たんかーー!!」
逃げ出した私を引き留める声を無視して、私は叫びながら長い長い廊下を走り去っていった。
「昼は真鯛の刺身だぜ、大将」
「やったー!!」
「天ぷらのご用意も出来ますが、如何しますか? カロリーが気になるのでしたら……」
「ううん! 天ぷらも食べたい!」
「拝命しました。主の天ぷらは俺が直々にあげますので、ご期待下さい」
「主、酒もいいの仕入れといたぜ。一杯やるか?」
「やるー! 最高ー!」
逃げたはいいものの、行く先に迷った私は、とりあえず廚に飛び込んだ。朝焼いてくれたほっけ美味しかったとついでに伝えようと思ったのだ。迷惑にならないか心配だった私だったけれど、鱗とりとか三枚おろしとか色々作業しているにも関わらず、漁業組はそうやって私を歓迎してくれた。
「朝のほっけも美味しかったよ! ありがとう!」
そういうと、皆優しく笑ってくれた。
「どういたしまして。見事なほっけだっただろ?」
「本丸全員分は確保できませんでしたので、主にだけ、特別にご用意させていただきました」
「おーおー。あんな大物なかなか釣れねえぞ」
「うん! 肉厚でふっくらしててさあ、私ああいうの大好きなんだ。おかげで、今朝は寝起きも良かったんだよ」
本当に美味しかった。私は魚が好物なのだけど、それを知っている刀剣男士は、こうしてちょくちょく魚を調達しにいってくれる。主想いの優しい刀だと心から思う。世界とか歴史とか、私にはよく分からないけれど、でも、彼らに恥じない審神者でいたいと思うから、こうしてここにいられるのだと思う。
「ほうかほうか。今朝も随分と布団から離れざったように見えたがのう!」
「げえっ」
背後から聞こえた声に、おそるおそる振り向く。
後ろで仁王立ちしている陸奥は、両腕を組んで鼻息荒く私のことを見下ろしていた。
「こじゃんと楽しそうじゃなあ」
「魚好きなんだから仕方ないじゃん……美味しいんだもん」
「確かにそうじゃな! わしも昼はたらふく食うぜよ!」
そんな強い勢いで言う必要はないと思うんだけど。
「お前もうまそうに食ってたってな」
「勿論! 昼はわしも一杯やるぜよ!」
「おおいいねえ! どうせなら本丸中の酒飲み集めるか!」
「えいのう!」
「騒がしい……酒飲みなら余所でやれ日本号」
「まあまあ、かたいこというなって。俺っち達もご相伴に預かろうぜ」
漁業組と楽しくおしゃべりする隙を狙って、私は陸奥の隣をすり抜けようとする。今の内に逃げよう。今度は女子トイレとかに逃げようかな。でも陸奥なら平気でドアをこじ開けてきそうだな。どうしようかな。
「待ちい!」
すんなり見逃してくれるわけもなく。陸奥はそんな風に呼び止める。なんかこう、切れ味がいい感じに。
「……なに。やだって言ってるじゃん!」
負けじと強気に答えれば、陸奥は少しも動揺した様子もなくむむと眉間にしわを寄せた。
「ええか? ようけ聞いとくんじゃ」
「……なに」
空気がぴりついている。廚組も、何事かとこっちを見ているみたいだった。事情がわからないから見ているだけで、皆も見合いの話をしたら陸奥みたいに言うのかな。それだったら嫌だなあ。
「な、なに? なにってば」
陸奥はがしっと私の肩を掴んで、そのまま勢いよくぐるっと回してしまった。出入り口を向いていた私は、そのまま半回転して、台所作業している三振りを正面から見る形になる。皆のきょとんとした顔が目に入った。
私の肩を強く押さえている陸奥が、背後ですうっと勢いよく息を吸う。
「――おまんら全員に問うぜよ! 素直に全力で答ええ!! ええな!」
「ちょっと陸奥……」
「――うちの主はかわいい!!! べっぴんさんじゃあ!! 全員異論はないな!!!」
耳がきんとするぐらいの大声だった。これって本丸中に響いているんじゃないかって思うくらい。
びりびりと震える空気に圧倒された三振りは、静まりかえる。
私といえば呆気にとられてはいるものの、陸奥が本丸中に響きわたるだろう大きな声でとんでもないことを叫んだことで、あわあわと唇を震わせた。
――恥ずかしいにも程がある!!!
「……――応!!!!」
「当然だろうが!!! 分かり切ったことを聞くな!!!!」
「かわいいぞ! 主! べっぴんさんだぜ!!!!」
最初に薬研が、長谷部が、そして日本号が。
薬研は長谷部はともかく、間違いなく日本号は楽しんでいそうだ。
いたたまれないし恥ずかしいしで、私は顔を覆い隠した。
「そうじゃろうそうじゃろう!!! 世界一のべっぴんさんじゃあ!!!」
「やめて……ほんと……やめて……」
直接見なくても分かる。絶対どやって顔してる。
ほれみい、みたいな顔をしている。
でも違うのだ。このかわいいとかべっぴんさんだとか、この誉め言葉は親ばかのそれと同じ類のものなのに!
本丸の奥からも聞こえる。「かわいいよおー!」「世界一かわいいよおー!」「こんなべっぴんみたことないです!」「最高〜!」とか色々な声が聞こえてくる。ああ色んなところに散弾が……もう顔から火が出そうだ。
「陸奥っ!」
顔を覆っていた手を引いて、恨めしげに陸奥をみる。
「ほれみい、世界一のべっぴんさんじゃろう?」
そこでは予想通り、それこそ寸分も違わずにどやっている陸奥の巣があった。満面の笑顔だ。満開の笑顔だ。
私のことを本当にかわいいって思っている笑顔だ。親ばか――否、主ばかの笑顔だった。
私はわなわなと震えて、ついに耐えきれなくて大きな声で叫んだ。
「陸奥のバカー!! 放っておいてよ!!!!」
そうして本日二度目の逃走を果たしたのだった。
「なんでじゃ!? 何がだめじゃったんじゃー!!」
背後から聞こえる陸奥の声に全部だよ!!!と心の中で叫ぶ。
それなりに長い間生きてきたけれど、流石にこんな辱め受けたのは初めてだよ!!
「そろそろ機嫌をなおしてくれんか? このまま無視されたら、わしも悲しいぜよ。辛くて夜も寝れんき! どうじゃろう? ここは、宵越さんように、今日の内に話し合いをするべきと思わんがか?」
ぱんっと両手を合わせて、目の前で陸奥が申し訳なさそうに頭をさげた。
「……機嫌が悪いとか悪くないとか、そういう問題じゃないし……」
「ほうか。それでも、おんしが何をおもっちょうが、聞かせてくれんか」
寝る前に部屋までやってきた陸奥に、私は素直になれない気持ちで、それを受け入れることにした。というか、数時間前から部屋の前の廊下をぶつぶつ言いながら往復しているのが見えていたから、私としても気になっていたというか。
二度の逃走の後、陸奥はしばらく顔を見せなかったけれど、何か色々考えることがあったのかもしれない。あの後何度かこんのすけが見合いの推奨にきたけど、その度にちゃんと、やんない。無理。やだ。無理。としっかり断ったから、少なくとも見合いが強制されることはないと思いたいけど。
「勝手に入ればいいのに。いつもそうしてるじゃん」
陸奥は私を主と同時に庇護対象とでも思っているのかも。それくらい私に遠慮がなかった。入るぞ!って声かけたときにはもう障子が全開だし。一度、おもいっきり着替えの時に入ってきた陸奥は、すまん!といって障子をしめて、少し経ってから何事もなかったかのように入ってきた。
見られてきゃあと叫ぶほど元気もなく、別に陸奥が相手なら見られても良かったんだけど(ただ無駄毛とか贅肉とかどうだったか気になってしょうがなかった)、何かいつもと違う反応くらい見せてくれてもよかったのにと静かに落ち込んだのは昔の話だ。
「陸奥なら怒んないよ、私」
ただ、どこまでいっても私は陸奥の恋愛対象にはならないんだなあって分かって、なんだかとても空しかった。泣く程じゃないし、意識されないことも初めてじゃなかったから。
ただ、陸奥は私というより、人間そのものへの恋愛感情は持っていない。それだけが私の救いだった。刀剣男士とは、主に対する愛情はあっても、色恋に関するような感情は持たないらしい。
少なくとも、他の誰にもとられない。そして私が私であることが、お断りの理由なんかじゃない。それだけで十分、気持ちは割り切れた。
「ああ、そうじゃろうが……どうにも、落ち込んでな……おんしに嫌な思いをさせてしまったがと……あの後、乙女心が分かってないと叱られてな……」
「なるほどねえ」
乙女心を察する能力の高い刀剣男士はそれなりにいるので、それは驚かない。むしろ良い仕事をしてくれたと感謝をしにいきたい気分だ。
「そうだよ。妙齢の女性に、あんな風にするもんじゃないよ! あれで喜ぶような子どもじゃないからね。私は」
これでもとっくに結婚適齢期は過ぎかけている。とっくに、誕生日はめでたくて嬉しいものではなくなっている。なんなら、自分の年齢も時々曖昧になるくらいだ。
そんな私を、まるで一桁の年齢の子どもが喜ぶようなほめそやしなんてやって。羞恥プレイもいいところだ。
「おんしがかわいいと思う気持ちに嘘はないぜよ」
「……主だからだよ」
「いいや! おんしはべっぴんぜよ! なんでそんな自信がないがか! 誰になんか言われたんか!?」
「言われてないよ。言われてないけど……分かるんだよ。毎日、私、鏡で自分の顔とか見てるし」
あんまりしゅんとして話していたら陸奥が落ち込んでしまうかもしれないから、何でもないように口にする。
「そんなこと――!」
「ああ、待って。陸奥。待って」
これ以上やっても堂々巡りだ。
私は部屋を指さして、陸奥に小さく笑った。
「陸奥。さっきから部屋の前うろちょろしてたでしょ? そろそろかなーって、お茶いれてたんだ。中で話そうよ」
「お、おん……」
入るタイミングが分かるのは、やっぱりそれなりに長いつきあいだったからだろう。向き合うようにおいた座布団に座るように促して、先に自分も座る。
ゆっくりと腰をおろした陸奥が、湯飲みなんて見ることもなく、まっすぐ私を見ていることに気づいて、私はへらっと笑った。
「見合いは断ったよ。だって嫌だもん。自分に自信がないっていうのも、確かにそうなんだけどね」
私はお茶を飲むタイミングなんて気にしないから、遠慮なく湯飲みを手に取る。水面をのんびり見下ろしながら続ける。時間をおいてお互いクールダウンできたおかげで、私は思ったより落ち着いて話せている。
「結婚願望なんてないけどさ。もしもするなら、好きな相手がいい。だから、そっとしておいてほしいんだ。それ以外は望まないからさ」
そう言って、一口お茶を飲む。そうしてそっと顔を上げると、ぎゅうと顔にしわを集めている陸奥の顔が目に入った。しわくちゃで顔が面白いことになっていて、それが予想外だった私は思わず吹き出した。
「あっはは! 陸奥、顔すごいことになってるよ! しわくちゃじゃん!」
長く一緒にいるけれど、初めてみる表情だった。
陸奥は私の言葉に更に顔にしわを寄せて、絞り出すような声で言った。
「……おんしは、わしの主は……ええ女なんじゃ! そんな風に卑下するところなんて見たくないぜよ! わしのおんしは、おんしのことをよお知らん奴らに卑下されるような器量でもない!」
その言葉に笑いはひっこんで、私は困ったように眉尻を下げた。
「ありがとう。陸奥」
陸奥の言葉を、優しさを、疑っている訳じゃないけれど。
でもその言葉は、私が欲している感情からこぼれる言葉ではないわけで。どんなに嬉しい言葉も、手放しで喜ぶことができないことが残念なところである。
「それだけでいいよ。陸奥がいたらさ、私、それだけで幸せだもん」
陸奥がどれだけ私を心配していても、私にはそう言うしかない。
本当に、今までみたいに陸奥がそばにいてくれたのなら、それで良いと思っている。
「しかしそれじゃ、おんしはいつまで経っても一人で……」
「陸奥がいるじゃん」
「もちろん! やけんど、人の身じゃないき。いつ折れるかも分からん戦場におる以上、わしはいつおんしを置き去りにするか……置き去りにしてしまったおんしは……自分で起きて自分で身支度まできっちりやらないかん。それを想像すると、こう、たまらん気持ちになるんじゃ……」
そう言った陸奥の瞳が、悔しそうに細められた。そのまま視線を膝の上に置いた自分の拳に移して、続けた。
「折れるつもりはない! じゃがな、わしのせいで、おんしが出会うべき、結ばれるべき相手を奪ってしまうことになるかもしれん今が、どうしても気がかりなんじゃ……」
「陸奥……」
それを聞いて、私はうーんと考え込む。
確かにそうだ。陸奥のいう可能性はゼロじゃない。陸奥は戦場で折れる可能性もあるし、私だって、いつ死ぬか分からない場所に立っているとしても、その可能性は戦場にいる彼らよりも随分低い。
言っていることは分かる。どれだけお守りや装備を揃えたとしても、万が一があることを忘れてはいけない。そうならないための策はなんだって打つけれど、確実なものなんて何もないのだ。
「じゃからなあ。無理に話を進めるような真似はせんき、いっぺん、外に出てみんか?」
「人を引きこもりみたいに。私別に外に出るときは出るよ。インドアなだけ」
「じゃのうて、わしは一歩踏み出してほしいと願っとる。おんしの良さを、良い男ならば気づかんはずがない」
それを聞いて、私はお腹の奥がずんと重くなったのを感じた。ストレスで胃痛が起こる一歩手前みたいな感じだ。
「頼む! どうか見合いを受けてくれんか! この通りじゃ!」
両方の拳をだんと畳にたたきつけるように置いて、陸奥はそう懇願した。
頭も下げて、畳に額がくっつきそうなくらいに。
――数年片思いをしている相手から、見合いをしてくれと頭を下げられている。
こんな皮肉なこと、あるだろうか。
私はお腹を優しくさすって、胃もたれしたようなだるさを軽減しようとする。いやこれは本当に胃もたれなのかも。好物だからと、魚料理食べ過ぎたかもしれない。後で胃腸薬飲んでから寝よう。
現実逃避をするように遠い目をしながら、私はそんなことを考えていた。
(どうしようかなあ、これ……)
私にはもう、見合いを受けるしかないのだろうか。
嫌だなあ。私は別に、両思いになりたいとか、意識してほしいとか、そんな贅沢なことは期待していないのに。ただ私は、今までみたいに陸奥にそばにいてほしいだけなのに。
それ以上なんて求めなかったのに。でも、こんな仕打ちを受けるんだ。今までだって我慢してきて、これからも我慢する覚悟だってあったのに。陸奥にこの気持ちを伝えず、墓まで持って行くつもりだったのに。
ぷつんと、糸が切れたみたいだった。
もうどうでもいいと思った。
「――陸奥。顔を上げて」
考えるよりも先に、感情で体が動く。湯飲みを脇に避けて、陸奥のすぐ目の前に移動する。陸奥の耳の横に手のひらを当てて、力を込めて無理矢理顔を上げさせた。
「わしは本当に――…」
陸奥は何か言い掛けていたけれど、私はそれを無理矢理遮った。
油断している陸奥の顔を手のひらで挟んで固定して――そのまま、自分の唇をその失礼な口に押しつけたからだった。
やり方なんて分からない。初めて勢いに任せてやったキスは、前歯ががちっと当たって正直痛いだけのものだった。でも痛みに怯んで退くようなことはしたくなくて、負けじとそのままぎゅうと唇を押し当て続けた。
そうしてわたしは、十秒くらいしてから、唇を離した。
ぷはっと息を吐いて、吸う。ずっと息を止めていたし、初めてだったし、今更緊張してきたし、前歯もじんじんと痛い。これ歯がずれてたらどうしよう。鏡を見るのが怖くなってきた。
「――無理。好きな相手がもういるから、無理」
それだけ口にすると、陸奥はぽかんとしていた表情のまま固まって、何も喋らなくなった。その後、はわわ、みたいな顔していたと思う。
今更になって緊張して、むっとして、私はじいっとその間抜けな表情を見下ろしていたけれど、今度は無性に恥ずかしくなって、放り投げるみたいに陸奥の顔を解放した。
立ち上がって移動すると、障子をすぱんと勢いよく開いて、振り返って陸奥を見た。はわわの表情のまま唇を隠してあわあわしている陸奥に、むうっと顔をしかめて、私は部屋の外を指さす。
「分かったら出てって。寝るから」
顔が熱い。気づかれる前に出て行ってほしいけれど、明かりついているんだから気づかれてないわけがない。
「………」
「………」
「………出てってってば!」
けれど一向に動かない陸奥にしびれを切らして、私はそう言い放った。いつまではわわしているつもりなのかしらないけれど、この空気のままここにいられては叶わない。
「陸奥」
「…………すまん」
言われて、私は静かに目を丸くした。
傷つきはしない。だって、陸奥が私を恋愛対象としてみないことなんて知っているから。親は子に恋をしないし、刀も主に恋なんてしない。分かっている。常々覚悟なら出来ていた。
「うん。いいよお」
私も急にあんなことしてごめん、なんて言ったら、もっと陸奥は気にしてしまうだろうなあ。そんな風に思ったら、なんでもないようにそう返事をすることしか思い浮かばなかった。
陸奥はゆっくりと立ち上がって、覚束ない足取りでこっちに歩いてくる。そんな足取りになるほどショックだったのかと思えば、今度は後悔があふれてくる。
陸奥が私の横を通り過ぎて、廊下に出て行った。
その瞬間思い浮かんだことは、もう陸奥は進んでここには来ないかも、ということだった。明日はきっと、陸奥は私を起こしにきてくれないし、髪だって結ってくれないだろうな、と。それを実感してやっと、寂しい気持ちになった。
「――期待に応えられなくて、ごめんね。陸奥」
それを思うと、自然とそんな言葉がこぼれてきた。
きっと私が、陸奥の言うとおりに見合いを頑張っていたら、陸奥の心労だって軽減できていたのかなって思う。
陸奥は私と顔を合わせないまま、背中を向けた状態で廊下に立ったままだ。
それから流れた静寂は、少しの間だったのに、とても長い時間に感じられた。
「――……わしは、おんしに合わせる顔がない」
「なんで?」
そう来たか。なんでと聞いたものの、詳細を聞かなくても大体予想できた。
「別にいいよお。こっちこそ、無理矢理唇奪ってごめんね」
言いながら、こっそり前歯がまだちゃんとあるか唇の上から触って確かめる。ちゃんと歯は残っていたので安心した。
「……すまん。わしはおんしをそんな風には……思えんき。どうにもなれん……」
二度目だ。もうこの短い間に念を押されて二度も振られた。ここまできっぱりだと、私としてはもう笑えてくるレベルだ。
「知ってるよ。それでいいんだ」
笑えてくるレベルというか、笑ってしまった。
すごく深刻そうに言うものだから、そんな大層なことじゃないのにって思う。
「別にこれ以上何もしないし、どうにもなる気なんてないよお。興味もあんまりないなあ。見合いを勧めないでほしいだけで」
既に割り切った気持ちだ。折り合いならとうについている。ただ、振り回されたくないだけで。私はただ、私のこの小さな恋心を、踏まないでほしいだけなのだ。それだけのことしか、私は望んでいない。
「――今、なんと言うたがか」
陸奥も気が軽くなるだろうと思ってそう告げた。のだけれど。
陸奥は凄むような声でそう言って、私の正面に立った。その際に見えた陸奥の表情は先ほどまで見えていたはわわ顔じゃなく、怒髪天の一歩手前みたいな形相だった。
「え、なんで怒ってるの」
全く分からない。どこに陸奥の地雷が埋まっていたのだろうか。空中にでも浮かんでいたのかな地雷。
「興味もないのに、あんなへったくそな接吻でわしの初めてを奪ったんか!?」
「ええー……そこなの……? 下手くそなのは許してよお。私って初めてだったんだから、勝手がわかんないのはしょうがないじゃん」
接吻て。キスが上手だったら陸奥の中ではセーフだったのかな。やっぱ陸奥も私みたいに痛かったのかな。だからこんなに怒ってたのかな。
「……好いた相手がいると、あんなに期待を持たせるような接吻までして――それが全部嘘だったというがか! 見合いがそんなに嫌じゃったらわしは――……」
その言葉に、私はまたぷつんときた。
私がどれだけ陸奥を大好きしてきたかなんて全く知らないし言わなかったらこの先も一生知らなかっただろうに、なんなら違う男アテンドしてきそうだったくせに。
私は手をのばし、今度は陸奥の着流しの襟を掴んで、引き寄せた。ちょっとしか私の方には体が傾かなかったけれど、それでも、口を閉じるくらいの驚きはあったらしい。
「もう一回する? 今度は、さっきよりちゃんと伝えられるかも」
ぐっと唇を閉ざした陸奥は、今度は困惑した表情で私を見下ろしていた。ころころ表情が変わるところが、こんな時になんなんだけど、とても可愛いと思った。
「好きじゃない相手に接吻できる女だっていう誤解も、解けるかも!」
強い口調でそう言い放つ。陸奥の体が、こわばったのが分かった。
私は今度はわらって、手を離した。
「ずっと前から好きだったけど、もうとっくに諦めてるんだ。だからもう、何も望んでないよお。何もしなくていいし、してほしくないし。――見合いさせようとするのだけやめてくれればそれでいいや」
そう続けたら、陸奥はなんだかすごく、何かを言いたそうにしていた。けれど何を言うかは決まらなかったらしい。うつむいて、視線が床に落ちるのを見た。
「じゃあね。陸奥。おやすみ」
私は好きだと伝えた。陸奥はそれを断った。
私はそれを了承して、見合いを勧めないでほしいと告げた。
これ以上のやりとりは、もう必要ない。
陸奥の性格上、まだ見合いを勧めることだってもうしないだろう。
目の前でそう言って、障子を閉める。待って、と言われても、もう待つつもりも、話すつもりだってなかった。
障子を閉めて、数歩後ろに下がる。
少しの沈黙をおいた後、障子の向こうで足音が遠ざかっていくのが聞こえた。そうなってしばらくして、ようやく私は肩の力を抜いた。
「だよねえ」
陸奥が私を好きになることはない。大事にしてくれても、好きにはなってくれない。
悲しいけれど、涙は出ない。
選ばれないことには慣れている。私らしい終わり方だった。
――審神者になりたての頃。
私は毎日のようにこっそり泣いていた。
今までのうのうと平凡に生きてきた私が、刀剣男士を指揮する審神者にいきなりなったところで、大したことは何も出来ない。
戦略だとか陣形だとか何もかもが初めてで、どれだけ座学だとか実践研修を受けたとはいえ、毎日の戦果はぼろぼろだった。
傷を負ってくる刀剣男士の傷を時間をかけて手入れをして――自分の部屋を戻って、私は毎日泣いていた。泣きながら勉強をして、自分の欠点を少しでも無くそうと焦りきって。自分のふがいなさが悔しくて泣いていた。少しでもちゃんと戦の指揮がとれるような、今よりまともな主になりたくてしょうがなかった。
『――何を一人で抱えちゅうが!!』
『ひいっ!!』
そんな日々を送っていたある日、たまたま近くを通ったという陸奥が障子を無遠慮に開けて乱入してきた。そうやって私の許可なくずかずかと部屋に入ってきた陸奥は、鼻水と涙でぐちゃぐちゃな顔を見て、きっと睨みつけたような表情をしていた……と思う。
涙で視界はよく見えなかったから。
『わしがおる』
ただ、そう言って私を抱きしめてくれた腕の温かさが、どうしようもなく染みて。目も開けられないくらい、目に染みた。赤ん坊の夜泣きみたいに泣きじゃくる私の背中をぽんぽんと叩きながら、陸奥は言ってくれた。
『初期刀にわしを選んだからには、一人で抱え込むなんて許さんきに。大丈夫じゃ。おんしなら絶対、立派な主になる。わしが言うんだから間違いないぜよ』
そう言ってくれた陸奥の言葉は、あれからずっと、何年経っても私の心の大事な軸になってくれている。あの言葉のおかげで、平凡で、地味で、なんてことない私が主として、審神者を今も続けていられるのだ。
陸奥への想いを自覚したのはそれから一年後ぐらい。
あれからずっと、陸奥への恋心を抱いたままだった。
「――主!!!!」
「ひいっ!!!」
なんて回想をぶち壊したのは、すぱーんと開いた障子と大きな声を出してきた陸奥だった。私は驚きで心臓がばくばくと脈打つのを感じて、自分を落ち着かせるように深呼吸を繰り返した。
「な、なに? さっきの今でその開け方ある!??」
「すまん!! 許せ!!!」
「許すけど!! なに!?」
いい加減ノックを覚えてほしい。寝てるときや着替えの時はともかく、告白して失恋した後の回想中くらいそっとしていてほしい。せっかく思い出に浸っていたのに。
ずかずかと部屋に入ってきた陸奥は、また私の目の前に立つ。そうして私の両肩を、上から押さえつけるように手の平をおいて、そのままがしっと掴む。痛みを感じるほどではないけれど、強めの力だった。
「あれから考えておったんじゃ。おんしがどんなつもりで、わしの話を聞いておったかを。わしはなんちゅう無神経なことをしよったがと。あまつさえ、わしはおんしの気持ちを疑うてしもうて……」
「そんなこと? いいよ別に」
「良くない! わしは、おんしを大事にしとるんじゃ! なのにこんな風におんしを傷つけてしまうなんて、わしはもう耐えられん!!」
陸奥はそういうところがあるなあ。なんて楽観的に考えて。
「だからな! 今すぐおんしをそういう意味で好いてということは難しいがか、じゃがな、真剣におんしを好きになろうと思うがよ!」
「え?」
今なんて言ったのだろう。私の聞き間違いならいいけれど、多分、聞き間違いではない。
「よお考えれば、おんしを一番大事に出来るのはわしじゃ! おんしが一番可愛いと思おとるのもわしじゃ! だったら、わしがおんしを嫁に貰うのは道理じゃと思わんか!?」
思わんよ。どうしてそうなった。
私はぽかんとして、陸奥の真剣な表情を見上げている。
そう言われたことをきっと、私は喜ぶべきなのだと思う。夢みたい、と言ってしまえばそれだけかもしれないけれど。
「わしと、結婚を前提に、結婚してくれとおせ!!」
「陸奥……」
私はじんと目頭が熱くなるのを感じた。陸奥は本当に真っ直ぐで、私は陸奥のそういうところが大好きだった。結婚を前提に結婚って何。もう何から何までおかしい。
でも――うれしいと思う気持ちが二。いやそれは困る、が八だった。
「いや、それはいいや」
深刻に言ってもなあと思ったので、さっと断りを入れる。
そんな義務みたいな感じでそんな告白されても空しいだけというかなんというか。流石にそんな理由で頑張って好きになりますとか言われても困る。頑張らないと好きになれないとか言われているみたいでそこも引っかかるし。
「そうか! じゃあ早速皆に――……おん?」
「いや、結婚しないってば」
これがハネムーン期か。いや、そうじゃないか。こういうときに使う言葉じゃなかったか。
今度は鳩が豆鉄砲食らったような表情を陸奥が浮かべている。
「とっくに陸奥を諦めてるから、そういうのいらない。なんていうか……そんな頑張って好きになられても? ……みたいな」
そんな空しさの塊抱えたまま生きていくなんてごめんだ。
もしもそんな生活を送らなければならないとすれば、だとすれば、嫌々見合いに全力投球して違う人と連れ添った方が、私にとってはその方が幸せだ。
「……おんしは、それでいいがか」
「いいよお。いってるじゃん。別に何もしなくてもいいって」
「じゃが、わしのことを好いておるんじゃろう?」
「好きだよ。ずっと好き。でももう諦めてるからいいんだって」
告白されつつも拒否されるなんて、陸奥の立場からしてみれば難解複雑なことだろう。それでも、これは分かって貰わないと困る。見えないけれど、きっと今陸奥の頭の上に、はてながいっぱい浮かんでいることだろう。
「好きな人が、そんな風に縛られてるとこ見たくないから。いいの」
時間はかかるかもしれない。でも、これは陸奥にも理解できる日がくるはずだ。乙女心の分かる面々に相談してくれても、それは構わない。
「おんしがわしを特別好いておるのに、手を出したらいかんがか?」
「いかんよ」
ロジックどうなってるんだろう。テンションが盛り上がっているからといって、手を出さないといけないって方向に意識がいっているのは真面目が過ぎると思う。
「私が陸奥を好いているからじゃなくて、陸奥が私を好きで好きでたまらなくてどうにかなりそうで困ります!っていうなら、出してもいいけどね」
「わしは真面目に……」
「私も真面目だよ」
手をのばして、陸奥の頬に触れる。温かい。とっても。
私の大好きな、温かいあなたを。
「――陸奥。大好き。ずっと大好き」
私のこと恋愛対象として見ていないくせに、私のことを嫁に貰おうなんて。めちゃくちゃな行動をとってしまうくらい、私を大事にしてくれて、寄り添ってくれるあなたが大好き。
でも、その優しさだけは貰えない。
「好きだから、無理しないでほしい。私の大好きな陸奥じゃなくなっちゃうからさあ」
私を見つめる陸奥の瞳が、小さく揺れた。戸惑った表情で、私の肩を掴む手から力が抜けた。
私はもう片方の手をのばし、今度は両手で陸奥の頬をむにむにとさわって、えへへと笑った。
「明日また、あのリボンで髪を結ってよ。それで私は幸せなんだ」
気を遣って言っているわけではない。でもこの気持ちは、今の陸奥にどれぐらい伝わるだろうか。
陸奥の手が、私の肩から離れていく。代わりに、陸奥の頬を挟んでいた私の手首をつかまえてしまった。
「………」
何も言わずに私を見つめる陸奥から、読みとれる感情は分からない。なにせ、ここ数年いっしょにいたのに初めて見る表情ばかりだ。今日は色んな陸奥の表情が見れて、幸せだ。
陸奥は眉を下げて、しゅんと肩を落とす。
少しは冷静な状態になったのかもしれない。
「わしがおんしを好いたら、ええのか?」
「うん? ……うん」
何のために聞いている質問か分からないけれど、そう返事をする。陸奥が私を恋愛対象としてみれないことはもうとっくの昔に知っている。特に期待はしない。
「……………………なら、今日のとこは出直すき」
「うん。おやすみ、陸奥」
陸奥が、ぱっと私の手を解放する。そしてそのまま少しの間私を見つめてから、とぼとぼと廊下に出て行く。その背中は失恋した私よりも意気消沈していたように見えた。真っ直ぐなところは大好きだけれど、真っ直ぐすぎるのも困りものだ。
それを軽く手を振りながら、見送る。廊下を数歩進んでから一度立ち止まった陸奥は、なんだか不満そうな目をして私のことを見ていたように思えた。
「――明日の朝も、起こしにいくき。今度はどう結ってほしいのか、考えとくんじゃぞ!」
ばしっと私を指さしていった陸奥に、私はとても嬉しくなって。ぎゅうと、幸福感でこみ上げてきた。
「――うん! 待ってるね!」
目を細めて笑ったら、一瞬固まった後、陸奥はぱっと背中を向けて早足でいってしまったのだった。
良かった。陸奥は明日も来てくれる。今までみたいに、私のそばにいてくれる。例えそこに恋愛感情なんてものがなくても、一向に構わない。
私はにやける頬を押さえながら、部屋に入る。
今日は陸奥が干しておいてくれたから、布団もぽかぽかだし、もう見合いを勧められることもなさそうだし。私にとっては良いことづくめだ。
これからは陸奥への気持ちを隠している罪悪感もないし、気が軽くなった。
「今日はアロマ焚いて寝よっと」
今夜は特別、良い夢がみれそうだった。
ご機嫌で布団を敷きにいった私は、まさか今日この日から陸奥の心変わりが始まるなんて――全く知る由もなかったのだった。
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