見直し、推敲を済ませた書類をまとめる。
必要分をあわせて紐で縛ったあと、審神者は近侍のためにそばにいた加州清光に目を向ける。


「今日はここまでで良いよ」


まだ日が高い内に審神者がそう言うと、清光は驚いたように目を丸くした。



[chapter:審神者は恋ができないC]



「もう終わりなの? 今日は早いね?」
「ああ、急ぎの分は特にないからね。今日の内に済ませたい分は、これで終わりだ」


この日に空けた時間を使いたいがため、昨日の審神者はひたすら手を進めていた。そのおかげで、まだ明るい内に今日の分の仕事を済ませることができたのだ。
だが、例え必要分が終わったとしても先に出来るだろう仕事にも手をつける性分であることを知っている清光は、審神者が仕事を早く切り上げたことに驚いているようだった。


「何か用事でもあるの? ……だったら、俺手伝えるけど」


すぐにそう聞いてくるあたり、清光は気の回せる良い近侍なのである。嬉しい申し出だったが、審神者は柔らかく微笑んでから、首を横に振った。


「ありがとう。だが、一人で大丈夫だ。折角だから、清光も休むといい」
「……そう。ねえ、何をするのか聞いてもいい?」
「ああ、勿論。手配していた食材が届いたからな、少し、料理をしようと思っている」
「料理? ……ああ、もしかして鳴狐の?」
「そうだよ。だが、褒美という名目だろう? 失敗した料理を出したくはないからな。今日はその練習だ。だから、一人でやらなければ意味がない」
「なるほど、そういうことね」


審神者の返事に、どこか安堵した様子で清光は笑う。


「ね、確か、燭台切にも料理を作るとか言ってなかった?」
「ああ、言ったね。それはまた後日。その時の為の練習も、今日は兼ねている」
「ふーん。主も忙しいのに、大変だね。……でも、練習なんてしなくたって、主は料理得意じゃん? ぶっつけ本番でも大丈夫なんじゃないの?」


言われて、審神者は自信なさげに肩をすくめた。そう言ってくれることは嬉しいが、如何せん料理から離れていた期間が長い。宗三左文字と飲む時のつまみを作った記憶が一番新しいが、それ以外はない。料理の腕が落ちていたとは感じなかったが、だからといって、失敗しないという自信はない。というよりも、褒美の名目で出す料理である。美味しいと思って貰えるものを出さなければ意味がない。


「ありがとう、清光。……けれど、折角だからね。美味しいと言って貰えるものを作りたい」
「主の作る料理は全部美味しいよ? 俺、ぜーんぶ大好き」
「嬉しいことを言ってくれるな。褒めても何も出ないよ、清光」


ふふっと笑って言えば、「本当のことなのに」と清光が言う。純粋に清光の言葉が嬉しくて目を細め、どこか気恥ずかしくなった。そんな審神者の反応を見て、清光もどこか嬉しそうに微笑みを浮かべる。


「主、護衛は必要か。必要なら鯰尾を起こすが」


タイミングを見計らっていたかのように声をかけられ、審神者はそばで正座をしていた骨喰に目を向ける。その近くには、部屋の真ん中で大の字になって昼寝をしている鯰尾の姿があった。鯰尾の寝姿を見て、清光は呆れたように口を開く。


「確かに護衛係は基本的に自由にしてていいって言ったけどさあ、ここまで豪快に気抜いて寝たのなんて鯰尾が初めてだよ」
「兄弟がすまない」
「別に骨喰が謝ることないよ。いや、そもそも謝る必要もないし。ただちょっと驚いただけ」


大きな口を開けて涎を垂らして豪快にいびきをかいている鯰尾に、清光は顔をしかめていた。ちらりと落とした視線の先には、穴の空いた畳がある。


「それに、これは俺のせいでもあるもんね」







話は一時間ほど前にさかのぼる。

護衛係は、有事がなければ何もすることがない。そのためやることがなくて暇なのだと、鯰尾は仕事をする審神者にちょっかいを出していた。机に向かっている審神者の背中に寄りかかりながら、ぐいぐいとその体を押していく。


『主さん! 主さん! お仕事終わりました!? 遊びましょうよ! 折角こんなにいい天気なのに!』
『鯰尾。仕事中は遊べない。暇なら、遊んで待っていて構わないよ』
『えー!? 俺護衛係なんですよ!? 主さんのそばから離れちゃいけないんです! だったら、主さんと遊ぶしかないじゃないですか! ね? だからいいでしょー?』


そういわれると、弱い。護衛係など審神者の個人的な理由から定められた役目なのだから、それを理由にされてしまうと、審神者も心苦しくなってしまう。とはいえ、手を止めることもしたくない。鯰尾に押されているせいで筆が使えず、作業も遅れているのだ。急ぎで仕上げる書類ではないからその点は気にしないが。

審神者は少し考え込んでから、口を開いた。


『……今は清光がそばにいる。その間なら、離れても構わないよ。それで、良いだろうか? 清光』


そろそろと、まるで機嫌を伺うかのように清光を見れば、清光はじいっと、何か言いたげな目で審神者のことを見下ろしている。そうして、ため息をつく。観念したようだ。


『――いいよ。俺がいる間だけね。鯰尾、暇なら外で遊んできなよ。骨喰も連れていっていいから』


これで鯰尾も喜ぶだろう。審神者はそう思ったが、どうやら鯰尾の望みはそれではなかったらしい。体を反転させて、じゃれるように審神者の背中を手のひらでぱたぱたと打ちながら、まさに駄々をこねるという言葉がぴったりな反応をみせていく。こら、と清光が窘める声が聞こえた。


『それじゃあ意味ないじゃないですか! 俺は主さんと遊びたいんですよ〜!』
『主は今仕事中だから駄目。遊びたいなら大人しく待つ! いい?』
『ええっ、でも、俺主さんの護衛係なんですけど!』
『知ってるっつーの。だから、主と遊ぶのが仕事じゃないの。護衛係の仕事は、主の護衛!』


鯰尾は、清光に注意されてふてくされていたようだった。


『ちぇっ。つまんないの。――じゃあいいです! 外で遊んできます! 後で遊んで欲しいって言ってきても遅いですからね! 後からそんなこと言ったって――まあ遊んであげますけどね!? でも、遊べる時間が減っちゃうんですよ!? いいんですか!? 知りませんよ!?』
『いやいや、結局遊ぶんじゃん。いいから行ってきなって』


清光は、ぽつりと突っ込んだ。構わず、鯰尾は今度は骨喰の腰に抱きつきにかかる。


『骨喰、遊びに行こう! 手始めに馬糞で――』
『すまない。俺はここに残る』
『へあっ!? なんで!?』
『護衛係だからな。主からは離れない。いち兄にも、しっかり言いつけられている。決して仕事を放棄して、薬研以外の刀に主をみすみす渡すことがないように、と』
『大丈夫だって! 加州さんいたら誰も主に手を出さないって!』


鯰尾の言葉に、骨喰は静かに首を横に振る。


『加州は一番の驚異だ。主を籠絡する可能性が一番高いのは加州で間違いないといち兄は言っていた。俺もそう思う。二人きりにはさせるべきではない』


そうしてきっぱりと放たれた言葉。骨喰の声は鯰尾の声よりもずっと小さいはずなのに、それでもそれは審神者の部屋に響きわたっていた。当然それは審神者の耳にも清光の耳にも入って、審神者は困ったように眉を潜めてしまう。清光に至っては、額を押さえていた。


『あのねえ……』
『一期一振までそのようなことを言っているのか?』


審神者を刀剣男士の誰かとくっつけさせようと考える刀剣男士の存在は知っている。だが、どこの誰が誰を審神者と結ばせようとしているのか、まだその全ての把握は出来ていない。


『粟田口は全員、主に薬研とくっついてほしいんですよ〜。なんていっても、一番主にぴったりの相手ですからね〜』
『主は薬研の何が不満なんだ? 言ってくれ。直すように伝える』

『不満などない。審神者である以上、私はどの刀剣男士とも交際はしない』


頭痛がしそうだと、そう感じるほどの悩みの種だった。
審神者である以上刀剣男士とは恋仲にならない。否、なれないと表現した方が適している。だがそれを認識している刀剣男士は、審神者が率いるこの本丸の中に一体何振りいることだろうか。例え護衛係などという役目が出来たとしても、その中に何れかの刀剣男士と審神者に結ばれて欲しいと考える刀がいたのならば、意味がないのではないだろうか。


『別に良いじゃないですか。減るもんじゃないし』
『俺たちは、主がどの刀と交際しても困らない。だが、相手は薬研が良いというだけだ』

『減る減らないの問題ではない。審神者が刀剣男士に手を出すなど、あってはならないことなんだ。分かってくれるな?』


はっきりと、審神者は軽く話す二振りに向かってそう言い放つ。けれど、鯰尾は軽い口調のまま、審神者に向かって、言い返すのだ。


『でも、主さんが手を出される側ならいいんじゃないですか? 女役は主さんなんでしょう? 知ってますか? 薬研はああ見えて、酒に強くないんです。酔っちゃうとすぐにぽろっと本音をこぼしちゃうんですよねえ。その時に、薬研から色々聞いているんですよ〜?』
『? ……何をだ?』


嫌な予感がする。眉間にしわをつくり、おそるおそる問いかける。そんな審神者の心中など全く考えていないだろう鯰尾は、いとも簡単に口を開くのだった。


『押し倒した後、涙目で睨んでくる主さんの表情が一番ぐっとくるって。強がってるのがバレバレなところがすっごい興奮するらしいです』
『……!』


無邪気な笑顔を浮かべながら、つらつらと鯰尾は言葉を並べていく。審神者の顔からサァーっと血の気が引いていく。


『あと、口吸いになれてないところも可愛いってのろけてました。上手く息継ぎできなくてへたっちゃうところもすごい興奮するって――』


ザシュっと音がした。鯰尾の言葉を途切れさせたのは、間違いなく、その音である。その音がどこからきているのか、この部屋にいる全員が理解していた。


『あのさ。主の仕事の邪魔するならつまみ出すよ』


顕現した加州清光の本体が、鯰尾の前の畳に突き刺さっている。
鯰尾は目の前に突如突き刺さった清光の刃に写る自分の存在を確認したせいか、絶句している。


『遊ぶのはいいよ。主が仕事を終えて、遊んでいいっていったらね。骨喰も連れてこの部屋出て遊んで待っても良い。でも、これ以上主の仕事の邪魔するなら許さないから』


普段感情の起伏があまりない骨喰でさえ、ぐっと唇をとじ合わせていた。清光がここまで怒りを露わにする姿を見るのが初めてだったのだろう。

審神者もまた、そうだ。絶句している。清光が戦以外で刀を顕現させていることも、その刀で畳を突き刺している光景など初めて見たのだ。息も止まってしまうとはこのことだろう。


『で、どうすんの』


静かに、けれど敵を前にしたような殺気を身に纏った清光の問いに、鯰尾は顔面蒼白で無理矢理固められたような笑顔を浮かべたまま、震えた声で口を開く。


『あ、主さんの仕事がおわるまで大人しく待ってます…』
『そう。わかった』


言われてようやく、清光は刀の顕現を解いた。突き刺さっていた箇所には、細い穴が空いてしまっている。その穴が消えぬ限り清光の怒りも消えないような気がして、審神者はまだ動けないままである。


『清光。この本丸で刀の顕現は――…』
『出陣や敵の攻撃がなければ禁止、だよね。分かってる。ごめんね、畳、穴空いちゃった。二度としないから』
『……ああ。そうしてくれ』


それ以上審神者に有無を言わせないような口調であった。


『護衛係の仕事は主を護衛することで、他の刀との仲を取り持つことじゃないから。そのへんは、ちゃんと理解しててね?』


にっこりと笑う顔の中、目だけは笑っていない。審神者は固まったまま、鯰尾と骨喰はこくこくと静かに頷いた。


『よしっ、じゃあ、仕事の続きをしようか。ね、主』
『……ん、そうだな』


完全に気圧された審神者が流されるままそう言えば、にっこりと、清光は目を細めたのだった。

そうして仕事の続きに取りかかる審神者。骨喰は部屋の端で正座をしたまま静かにし、鯰尾はふてくされたのか居心地が悪かったのか、部屋の真ん中にうつ伏せで寝転がっていた。

異様なほど静かになった部屋の中、審神者も居心地の悪さを感じながら、黙って仕事を進める。そんな審神者と鯰尾の姿を交互に見ながら、骨喰はじっと待つ。骨喰もまた、居心地が悪そうであった。清光といえば、いつものように近侍の仕事に取り組んでいる。普段通りという点に、余計に怖さを覚えた。



そうして、しばらくした時のことである。ふと、鯰尾が寝息を立て始めた。部屋が静かすぎたこともあるが、決して小さくはないいびきを鯰尾が立て始めたことで審神者はそれに気がついたのである。


『寝てしまったのか…』


視線を鯰尾に向けて、ぽつりと呟く。清光は、はあとため息をついた。


『やあっと眠ってくれたって感じ。丁度いいから、このまま寝かせておこうよ、主。仕事終わったら起こしてあげたらいいよ』


申し訳なさそうに、骨喰は口を開く。


『……主も加州も、すまない。兄弟は護衛係を楽しみにしていたんだ。何をして主と遊ぼうかと、昨夜も遅くまで計画を練っていた』
『いや護衛係は主と遊ぶのが仕事じゃないんだけど。っていうか、もしかして鯰尾寝てないの?』
『いや、少しは寝たと言っていた。……ほら、兄弟のポケットの中に、主とやっておきたいことリストがあるだろう。これを作成するためだと言っていた』
『いや、もうどこに突っ込んでいいか分かんないんだけど……なんなの、もう』


怪訝そうにする清光に、骨喰は移動して鯰尾のポケットの中の紙を取り出した。それを開いた骨喰の隣に移動して、清光はじっとその中を見下ろす。


『何々……? 主と枕投げ。主とプロレス。主と一緒に風呂に入る。主の料理を食べる……このピカピカってなに? 意味わかんない。結構書いてるなあ。いや、遊んでないで護衛しろって話なんだけど』


感心したのか呆れているのか、そうぼやく清光に、骨喰は真剣な顔をして言い放つ。


『護衛係になれば、合法的に主を独占できると聞いた』
『合法的って。言い方言い方。大体、主に何させるつもりなの? 主がプロレスなんて出来る訳ないじゃん』
『……確かにそうかもしれない』
『そうだよ! 主の細腕が折れたらどうするの』

『プロレスだろう? 少しは出来るよ』

『主が怪我したらどうするんだって話だよね! どれも禄でもないし……っていうかこのピカピカってなん――…』


ふと、清光の動きが止まる。そっと視線を審神者に向けて、きょとんとしたまま首を傾げる。


『ごめん。今なんて言った?』
『? プロレスだろう? 少しは、出来るよ。男所帯で育ったからな、覚えはそれなりにある』


何でもないように答えると、清光はなお、聞き取れないとでもいいたげに首を傾げる。審神者の言葉はきちんと聞こえているはずなのに、清光の中できちんと処理はされていないようである。


『キャメルクラッチはできるか? ローリング・ソバットは?』
『? すまない、技の名前は詳しくなくてな。だが、そうだな。締め技と蹴り技はそれなりに出来ると思うよ』
『そうか…! だったら、鯰尾もきっと喜ぶ』


ぱっと雰囲気だけ華やかになる骨喰の隣で、清光は顔を青くさせている。


『主。本当なの…? 主がそういうことやってるの、全然想像できないんだけど』
『そうかい? これでも、そこそこ動ける方ではあるよ。とはいえ……見ることの方が多かったけれどね。危ないからと、滅多にさせてもらえなくて……』


お前は危ないから見ているだけにしておけと、そう言われたことを思い出す。興味があったかと問われれば特に興味のない分野ではあったから、審神者はそれをどうとも思わない。やることにおいて情熱もないが、恐れも何もない。

しかし、清光は苦い顔をして、首をぶんぶんと横に振る。


『はい駄目! 絶対駄目! 主はプロレス禁止だから! 怪我したらどうするの!? 絶対、駄目!』


実際に現場を見ていないというのに、審神者の発言だけで、清光は良くない場面を想像してしまったらしい。審神者を酷く危なっかしいと判断したのだろう清光は、血相を変えて審神者に詰め寄ると、その勢いのまま断言した。圧されて、審神者も首を縦に振る。


『そんな弱くはないと思うが……わかった。プロレスは控える』
『約束だよ! 絶対駄目だからね!』


両の肩を掴まれて言われると、より清光の真剣さが伺えた。清光の目を盗んでプロレスなどとても出来そうもない。プロレスが清光に禁止されてしまったことで少なくともリストの内一つが不可になってしまった鯰尾の気持ちを思ってか、骨喰は肩を落とした。


『残念だ』


主のソバットを見てみたかった。ぽつりと呟いた声は静かに空気に溶けて消えていった。しかし先ほどの清光の抜刀を見ていたからか、骨喰はそれ以上何も言わなかった。








そうして仕事を終わらせて、話は現在に戻る。
寝ながらとはいえ審神者の自由時間を待っている鯰尾には申し訳ないが、審神者は鳴狐の褒美のための料理を作りに行かなければならなかった。


「起こさなくて良いよ。寝かせてあげよう」


それに、鯰尾を起こして厨房まで連れて行くのは気が引ける。不貞寝とはいえ、折角こんなにもぐっすりと眠っているのだから。幸い、鯰尾の審神者とやりたいことリストの中にも審神者の料理を食べるとあっただけで、一緒に料理をするという言葉があったわけではない。


「鯰尾の分も用意して、戻ってきてからで良い。厨房には誰かしらいるだろうから、一人でも問題ないだろうし。何なら骨喰はここで待っていても――…」
「主。怒るよ」
「――…やっぱり、骨喰は共に来て欲しい」


咎めるような清光の言葉に、審神者はすぐさま言い直す。一人になるわけでないのなら良いのではないかと思っていたそれを、審神者はすぐに飲み込んだ。


「分かった。任せてくれ」


時間が時間だ。厨房には誰かしらがいるだろうに。一人になるわけでもないし問題はないだろうと思うものの、先ほどの清光の抜刀を受けた今、すかさずとんできた清光の言葉に逆らうことは出来ない。個人的な事情に骨喰を巻き込むことに申し訳なさを覚えるが、致し方ない。


「主。俺も主の料理を食べてみたい」
「構わないよ。骨喰の分も用意する。味見もして欲しいしね。頼まれてくれるかい?」
「ああ。俺で良いのなら」
「ありがとう。では、今から行こうか。早く作り終えて、鯰尾を起こさなければな」


こくりと頷いて、立ち上がった審神者に続くように立ち上がる。そのまま部屋を出ていく前に、審神者は清光を振り返った。最後にまとめあげた書類の処理を残している清光だが、そう時間もかからない内にそれも終えることだろう。


「清光。それが終わったら今日の仕事は終わりだ。ゆっくり休んでくれ」
「うん。そーする。骨喰、主のこと、頼むからね」
「任せてくれ」


そう返事をして、かつ、骨喰にも念を押す。審神者はつくづく気にかけられていると実感しながら、そっと、少し不安げに清光に視線を向けた。


「……清光」
「なあに?」
「あの、良かったらでいいのだけれど……清光も食べてくれるかい? 味を見てくれると助かるんだが……」


要らない、と言われるかもしれない。そんなことを考えて、審神者は構えてしまう。そんなわけない。そんなはずがない。清光がそんなことを言う刀ではないことを知っておきながら、それでも不安に思って心配をしてしまう。

清光は審神者の言葉に一瞬だけ沈黙する。


「――やったっ。じゃあ、俺、ここで待ってようかな? 鯰尾が起きたときの為にもさ」


けれど、一気に花開いたような笑みを見せてくれた。その反応に審神者は安堵して、微笑む。


「じゃあ、作り終えたら持ってくるよ」
「うん。待ってるからね」


清光の返事を嬉しく思いながら、審神者は部屋を出て厨房へと向かっていく。


「…………」


その後ろを、静かに骨喰が続いていった。







「随分と慣れているな」


とんとんと、包丁とまな板がぶつかる音が耳に心地よい。指先から伝わる振動も、懐かしく感じた。そんな審神者の手元をのぞき込みながら、骨喰は小さな声でつぶやいた。


「まあね。昔から包丁は握っていたから、少しは出来る方だ。歌仙と燭台切に任せる前には、皆の食事も作っていたしな」
「……そうか。俺はまだいなかったから、食べたことがない」
「そうだな。食べたことがある者は――…清光と薬研、小夜と歌仙、青江と大倶利伽羅、そして愛染と今剣、山姥切までだったろうな。その後燭台切が来て、厨房は任せたから」


今日作る品はいなり寿司と油揚げの卵綴じ。それから油揚げの中に挽き肉と野菜をいれて焼いた、油揚げのはさみ焼きである。三品ではあるが要領よく進めればそうは時間がかからない料理でもあるので、長く見積もっても一時間半もあれば十分のはずである。


「おや、君は僕達が来た順番を覚えているのかい?」


骨喰にそう言い終わった後、同じ調理台で夕飯の仕込みをしていた歌仙兼定が、審神者に向けて感心したように言い放つ。その横で同じように仕込みをしていた堀川国広と山姥切国広も続々と口を開く。


「いいなあ。僕が来たのは燭台切さんの後だったから、一度も食べたことないんですよねえ。主さんの料理。せめて、来る順番が燭台切さんと逆だったらなあ」
「主が歌仙に料理の味を伝えているのだから、歌仙の料理が実質主の味だ。味は変わらない。だから、そう残念がることはないだろう」
「兄弟はギリギリで主さんの料理を食べてたからそんな風に言えるんだよ。いいなあ……燭台切さんの後に来た刀は皆声を揃えて言うよ。羨ましいってね」
「そうか? 歌仙の味と同じだぞ」


山のように積まれたジャガイモの皮を向きながら堀川が、人参の皮むきをしながら山姥切が、手を動かしながらそんな会話をしている。山姥切の言葉に機嫌を良くしたらしい歌仙は、大根の皮を向きながら口を開く。


「僕の味は主の味か。ふふっ、嬉しいことを言ってくれるじゃあないか。まあ僕たちと極力関わらなかった主から、僕は唯一、何から何まで懇切丁寧に仕込まれたからね。まあ、当然といえば当然かなっ」


心なしか、大根の皮を向く速さが増していっている。わかりやすい反応だ。審神者はふっと笑った。


「そうだな。歌仙には教えられるだけ教え込んだから、それはおかしなことではない」


こうして彼らが夕餉の仕込みをしている間、少し場所を借りて料理をさせてもらっているのだ。前もって許可を貰っていたため、この騒がしさは想定内である。むしろ、このように話をしながら料理できるというのも、嬉しいものだと感じていた。


「最初こそ歌仙には色々と教えたが――歌仙はとても飲み込みが早かったから、苦労はなかったよ。今は歌仙の方が、私よりも料理の腕は上だ。歌仙の後に私の料理では、きっとがっかりさせてしまう」


初期の頃と比べて、多くの刀剣男士がこの本丸にはいる。その刀剣男士達の料理を一日三食、それも各々食事の消費量は決して少なくない。それだけの量の料理を作りながら、それでも味は落とさず、いつも美味しい料理を作ってくれる。中心となっているのは歌仙と燭台切光忠だが、軸になっているのは間違いなく歌仙である。

歌仙は審神者の言葉にくすぐったそうにはにかんで、頬にはえくぼを作った。


「やめてくれ。君にそう言われるのは嬉しいけれど、僕はまだ君を越えたとは思っていないよ。今でも僕が目標としているのは、君の味なんだからね」


まあ、悪い気はしないけれど。そう付け加えて、歌仙はするすると大根の皮を向いていく。それを見ながら、骨喰は静かに目を細めていた。器用だな、とぽつりとこぼれる声があった。


「燭台切がいたら喜んだろうけどねえ」
「今日は町に出かけるって言ってましたもんね。確か、長谷部さんと大倶利伽羅さんと」
「……ああ、道理で見なかったわけだ」
「まあ今日のメニューはカレーだから。そう複雑な料理ではないし、僕達だけで事足りるからね。そもそも、今日は燭台切は最初から頭数に入っていないだろう」


確かに、よほど具の大きさに偏りさえなければ、失敗することもないような料理だ。だからこそ、ただただ具材となる野菜を切っていく作業が中心となっているらしい。単調な作業のせいか、話しながらやる余裕もあるようだ。


「俺も、何か手伝うか?」
「ありがとう。でも、大丈夫だよ。椅子があるだろう? 座って待っていて良いよ」
「……平気だ。でも、ここで見ていたい」
「? 骨喰がそれで良いのなら、構わないよ」


何が楽しいのか分からないが、断る理由もない。


「ところで、その鳴狐のための料理だが……今日は練習だけなんだろう? 良かったら僕にも少し貰えないかい? 僕も久しぶりに、君の料理を食べたいんだ」
「わっ、いいなあ。主さん、僕も良いですか? 僕も主さんの料理食べてみたいです!」
「構わないよ。あまり多くはないけれど、それでも良いかい?」
「はい!」

「……主、なら俺も、」
「兄弟は要らないよね? 歌仙さんの料理で十分だって、さっき言ってたもんね? 兄弟の分は僕が貰って、兼さんと食べることにするよ」
「っ…! い、いや、それはダメだ。それとこれとは話が別だ」
「一緒だよ。それに兄弟はもう主さんの料理食べたことあるしね〜」
「い、いや、ダメだ。主のいなり寿司は食べたことない。食べたい。絶対食べたい」

「……少し多めに作ろうか。和泉守には、その分を持っていくと良い」


料理当番である彼らの会話に、審神者は予め多めに購入しておいた食材を見比べて考えを変える。鯰尾の元へ早くに戻るためにも、半分ほどだけの材料で作ろうと考えていたのだけれど、この様子だともっと多くあった方が良いらしい。審神者は骨喰に顔を向ける。


「骨喰。そこの棚に残りの食材を入れてあるんだ。全部持ってきてくれるかい?」
「分かった」


時間は少し押すかもしれない。けれど、時間が倍以上かかることもないだろう。そんな風に考えて、審神者は更に調理を進めていく。


「わあ、やった! ありがとうございます!」
「多めに作るなら、多めに持って行ってもいいか? 山伏の兄弟にも食べさせたい」

「ああ、良いよ」

「ありがとうございます! 兼さんも喜びますよ!」
「ああ、兄弟もきっと喜ぶ」


そう答えれば、堀川と山姥切は顔を合わせて嬉しそうな表情を浮かべる。それを見ると審神者まで嬉しくなってきて、微笑んだ。
そんな堀川と山姥切の二振りと審神者を見て、歌仙はにんまりと笑ってみせた。


「君はそのように笑うんだね。昔の僕が知ったら、きっと驚くだろうに」


言われて、審神者は過去の己を思い出して、言葉をなくしてしまう。

料理など大層なことではない。軽く頼まれて、軽く作ることの出来る作業である。毎食作ることになれば勿論大変だろうけれど、単発で作るのであればそう苦労もない。けれど、そんな些細な頼みも出来ないほど、審神者は刀剣男士と希薄な関係だったのだ。


「……すまない。お前達にはずっと苦労をかけて――…」
「違うよ、主。責めているわけじゃない」


それを思いだし、審神者は申し訳ない気持ちで口にする。けれど、途中で歌仙にそれを遮られた。


「嬉しいのさ。君とこんな風に関わることが出来てね。良い傾向だ。僕は、変わろうとした君の決断を誇りに思うよ。でなければ、君がこんなに甘やかす方だったなんて知らなかっただろうから。これからも、こんな風に親睦を深められたら嬉しいね」


審神者はその言葉に目を丸くして、けれど、その言葉を有り難く思って目を細めた。


「ありがとう。そう言って貰えると、嬉しい」
「どういたしまして。まあ――親睦を深めすぎるのもどうかと思うけどね。君の貞操はまだ無事かい?」
「……歌仙」


このような場でする話ではない。元をたどれば審神者の責任ではあるが、そのような話題の振り方などやめてほしい。浮かべていた笑みは引っ込み、代わりに苦虫を噛んだような表情を浮かべてしまう。

その代わりか、山姥切が口を開く。


「雅じゃないぞ。歌仙」
「ああ、これは失敬。すまなかった、主。悪気はなかったんだ。言い訳させて貰えば、老婆心だよ。決して、君を困らせたいわけじゃなかった」


話がそのような形に逸れるのは嫌だ。心配されているとはいえ、そのような話をしたいわけでもなく。けれど悪意を持って言われた言葉でもないのだから、怒るわけにもいかない。かといってさらりと流すことも出来ずに不満の色を浮かべていた審神者に、歌仙はふっと笑った。


「そんな顔をしないでおくれ。詫びといってはなんだが、今日の君の夕餉は一品おまけしてあげよう。だから機嫌をなおしてくれるかい?」
「……別に、気を悪くしているわけではないよ」
「そうかい? なら良いけどね」


ふふっと笑いながら言う歌仙は、そんな審神者の反応含めて楽しんでいるようである。申し訳ないとは思っていなさそうだ。


「……審神者が刀剣男士に手を出すことは許されない。あってはならないことだ。これで、この話は終わりだ」
「ああ、分かったよ」


審神者は手元に視線を移して、調理にいっそう気を払う。気が乱されて手元が狂うなどあってはならない。

そんな審神者へ、歌仙は慈しむような視線を向けていた。








「出来たか?」
「いや、まだだ。けれど、もう終わるよ。待たせてしまったな」


酢飯を油揚げに詰めながら、審神者は手元をじっとみる骨喰の質問に答える。二品は完成している。残りの作業は、味をつけた油揚げに具材を混ぜこんだ酢飯を詰め込むだけである。ここまで待っていたせいか、骨喰からの視線は徐々に強くなっていっているような気がした。

手を動かす傍ら、そっと骨喰を見れば、視線は審神者の手元に釘付けになっている。じいっと見られていては手も動かしづらい。出来上がったいなり寿司を大皿に積んでいけば、置くまでの動きを骨喰の視線がなぞっていく。

審神者は気まずさを覚え、唸りのような音が骨喰の腹から響きわたると、ついに耐えきれなくなってしまった。


「……骨喰。ほら、口を開けてくれ」
「! ……いいのか?」


米を詰め終えたいなり寿司を一つ、骨喰の口元へ持って行く。表情こそあまり変わらないが、骨喰が喜んでいることが目に見えて分かって、審神者は口元を緩ませた。ぱっと口を開いた骨喰の口にいなり寿司を持って行くと、そのまま半分ほどまでかじりつく。

そのまま黙々と咀嚼をする骨喰をじっと見つめる。感情の起伏が少ないがために、表情からは味がどんなものだったか読みとれない。


(……味は、おかしくないだろうか?)


聞きたいが、まだ咀嚼している相手には聞きにくい。骨喰が食べ終わるのを、審神者はどきどきしながら待っている。ごくんと喉を上下させた骨喰は、また口を開けると、審神者の持っていたいなり寿司の残り半分にまた噛みつく。そうしてまたもぐもぐと食べる骨喰に審神者は戦々恐々である。無言無表情で食べられることは、やはり気まずいことこの上ない。


「……主」


またごくりと飲み込んだ後、骨喰はじっと審神者の目を見上げる。審神者は緊張で、唾を飲み込んだ。


「おかわりはあるか?」
「……あるよ。だが、その…口にはあったか?」


ふっと、骨喰の眼差しが柔らなった。


「ああ。あった。美味い」
「っ…そうか。なら先にお前の分は取り分けておこうか。小皿をとってくれるかい?」
「分かった。急いでとってくる」


そう言って、ぱたぱたと忙しなく歩いていく。見た目ではよく分からないが、どうやら骨喰の口にはあったらしい。ほっとして、審神者は脱力してしまう。変に力んでしまっていたようだと、その時になって自覚する。


「骨喰。走ってはいけないよ。それから、なくならないうちに僕の分も確保しておいてくれ」
「あっ、僕の分もお願いします! 兼さんと二人分なので、多めに!」
「俺と山伏の兄弟の分も頼む」

「ああ、分かった」


大量のゆで卵の殻をむいている歌仙と、一旦洗い物をしている堀川と、具材を入れて煮ている大鍋の中をかき回しながら言う山姥切。もう少しすれば、料理当番の三振りも一息つけそうであった。


「鯰尾と、清光の分も一緒に頼む」
「分かった」


骨喰が皿をとってくるその間も、審神者は黙々と酢飯を油揚げの中に詰めていく。あっという間に大きく積まれていくいなり寿司を見下ろしながら、審神者はふと、口を開いた。


「……骨喰。あと、もう一皿頼む」


鯰尾と清光。歌仙に堀川。山姥切に山伏国広。骨喰の分と、もう一人分は用意できそうだったと思ったのだ。そうなると、ふと、思い浮かんでしまった存在がいた。また今度でいいと思う反面、脳裏を掠めた存在は審神者の頭から離れてくれなかったのである。


「自分用かい?」
「いや、違う」


ぺりぺりと卵の殻を剥いていた歌仙に尋ねられて、審神者はそう答える。隠す方がかえってどうかという考えで、審神者は何気なく口を開いた。


「小狐丸にも持って行こうと思ってね」


言った瞬間、厨房の空気が変わった気がした。しんとした反応に、審神者は手を止めて顔を上げる。


「……あの、大丈夫ですか?」
「? 味かい? ちゃんと、自分でも味は確認して渡しに行くつもりだが……」

「犯されたいのか、主。自殺行為だぞ」


山姥切に言われた言葉。審神者はようやく、大丈夫かと問われた理由に気がついた。まさか山姥切にまでそのような言葉を言われるとは思わなかった。さあっと顔を青くして、審神者は慌てて口を開く。


「――っ、山姥切、お前は小狐丸を一体何だと思っているんだ…」


いなり寿司を持って行こうと口にしただけだ。にも関わらず、どうしてそんなにも直接的な話になってしまうのだろう。
爆弾発言をした割には澄ました顔をしているままの山姥切は、じっとりとした視線を審神者に向ける。まるで、おかしいのは審神者であると主張せんばかりに。


「アンタを心配しているだけだ。恋愛事に首を突っ込むつもりはないが、無理矢理は良くない」
「それは、確かに同意見だが……」
「言っておくが、小狐丸がアンタを見る目はヤバいぞ。俺から見てもヤバい」
「そ、それほどか…? お前が警戒しすぎなのではないか?」


遠征から帰ってきてから、小狐丸はまた審神者の部屋に度々訪れるようになった。夜にもたまに来るが、主に朝、毛並みを整えて貰うという口実でやってきては、審神者とスキンシップをとり、そうして、最後に審神者の頬に口づけをして、口づけを返して貰ってから自身の部屋に戻るのである。

無論、その間にも傍には護衛係が控えているし、触れあい自体は多いものの、それ以上の不埒な行為は一つもされていない。近侍手伝いの長谷部が殺気立っていれば、それらも断わりもする。不満そうではあるが、小狐丸もそれをきちんと受け入れるのである。


「最近は、小狐丸も大人しくしてくれている」
「でも、主さんの部屋に毎日通っているんでしょう?」
「毛並みの手入れのためだよ。決して私に乱暴をしているわけではない」


小狐丸があまりに危険視されていれば、かえって小狐丸を追いつめることになる。あまりその風潮が広まっては困ると思いながら、最近の小狐丸の様子を説明する。


「だが、小狐丸は必ず主に口づけしてもらってからでないと帰らない」


けれど、骨喰の一言でまた厨房内が静まりかえる。


「後、隙を見つけては主の顔に口づけをしている。朝だけで三回はされていた」


トドメであった。


「……主。加州が泣くよ。君を守るために、彼がどれだけ尽力していると思っているんだい?」
「言いたいことは分かるが、そう遠ざけすぎるわけにもいかないだろう。ある程度触れ合うぐらいならば、問題はない」
「口づけは許容範囲なのかい?」
「唇以外ならば、そうなるな。元々、短刀達にはしていたんだ。大したことじゃない」


言えば、歌仙と山姥切は、まるで揃えているかのように同じタイミングでため息をついた。審神者に聞かせたがっているようなため息だった。


「順調に毒されているな。アレだ。アンタは、一時でも護衛から離れたら貞操はなくなると覚悟しておいた方がいい」
「そうだね。君はある程度覚悟を決めておかないと。君に恋慕しているのは、揃いも揃って嫉妬深い刀ばかりだからね。何がきっかけで爆発するか分からないし、愚鈍なままだと、本当につけ込まれてしまうよ」

「大袈裟じゃないか? 小狐丸にはきちんと話をしている。そんな乱暴なことはしないと思うが……」


すうううっと、大きく歌仙と山姥切は息を吸い込んだ。そうしてまた、それをため息として吐き出した。


「それがアンタの選択ならば仕方ない。せめて、アンタの骨ぐらいは拾おう」
「諦めるな、山姥切。そうだね……主、忠告するよ。無事でいたければ出来るだけ僕の目の届く範囲で行動することだ。そうすれば、護衛係でなくとも、僕が君を守ってあげられるからね。逆に言えば、僕の目の届かない範囲では、君はされるがままになるしかないと思ってくれ」


酷いのか優しいのか判断に困る内容だった。山姥切はともかく、歌仙の言葉は。


「で、それでも小狐丸のところへ行くのか」
「いなり寿司を渡すだけなんだが……どうしてそう構えるようなことを言うんだ」
「心配している」
「ほ、本当なのかそれは。面白がってないかい?」
「それほど面白くはない」
「少しは面白いのか……!?」

「俺はな、主」


急に真面目な顔になって、山姥切は口を開く。構えた審神者は、山姥切の真剣な表情に、ぐっと口をとじ合わせた。真面目な発言が出てくると思ったのである。


「――主が加州とくっつく、に、手持ちのほとんどを賭けているんだ」
「私で賭博するのはやめなさい…!」


真面目に構えて損をした。今度は審神者がため息をついて、最後の一つのいなり寿司を完成させる。最後に作った三つのいなり寿司を小皿の上に置いて、埃がかぶらぬように布をかぶせた。


「よし、これで全部だな」


三品。歌仙達に渡す分は分けている。後は渡しに行くだけである。その前に、片づけられるものを片づけていこうと、審神者は洗いものをまとめてから、洗い場に運んでいく。もうほとんど洗い物を終えていた堀川と入れ違いに洗い物を始めれば、隣で堀川が心配そうな目を向けてくる。


「主さん。本当に大丈夫ですか? 渡すだけなら、僕が小狐丸さんに渡してきますけど」
「いや、直接渡しにいくよ。それに、今は料理の途中だろう? ただでさえ場所を借りているんだ。これ以上は、邪魔するような真似は出来ないよ」
「邪魔なんて。僕達は、主さんとお喋りしながら料理できて楽しかったですよ。それに、主さんの料理も堪能できますし、役得です!」


本音から言っているような、弾んだ声だ。おそらく、その気持ちは嘘ではないのだろう。嬉しくて、審神者はついつい微笑みを浮かべてしまう。


「ありがとう。そう言ってもらえるのは、本当に嬉しいよ」


礼を言えば、きょとんとしたような表情を浮かべてから、堀川は笑う。


「主さんは、笑顔が可愛いですよね」


そうして何でもないように言うものだから、審神者はつい、洗剤を泡立てたスポンジを掴んだまま固まってしまう。可愛いと刀剣男士にいうことがあれど、可愛いと言われることなどない。というよりも、初めてのことかもしれなかった。全裸を見られて可愛いと言われたことはあるが、などと考えて、審神者は速攻でその記憶を奥へ奥へ押し込もうとする間違いなく消してしまいたい記憶である。


「……可愛くなどないよ」


萎んだような声で呟けば、堀川はくすりと笑って、すみません、と軽く流すように口にした。その反応に増々困ってしまって自然と口を閉ざしてしまう審神者に、何でもないように堀川は口を開く。


「兄弟は加州さんに賭けてますし面白がっていますけど、僕はそういうの、一切関わってないです。兼さんもそうですよ。兼さんは主さんのこと、とっても心配していました。なんていうか、皆、主さんとくっついてほしい相手がいたりするみたいですけど……僕と兼さんは、完全に中立です。主さんの意思を尊重しますし、そのためなら何でも協力しますよ。ですから、何か困ったことがあれば何でも言ってきて下さいね」
「堀川……ありがとう。とても心強いな」
「僕は主さんの刀ですからね。任せて下さい」

「兄弟、今日俺への当たりが強くないか?」
「君が主の料理自慢をしたからだろう」
「あれは自慢じゃない。事実だ」
「そういうところだよ山姥切」


堀川の言葉に感動する傍ら、背後でそんな会話が繰り広げられていた。


「主。もうおかわりはないのか?」


自分の取り分を全て食した骨喰が皿を持って審神者の元へおかわりに来たのは、洗い物が全て終わった頃だった。



[newpage]





手にはいなり寿司が乗った小皿。それを持って目的の人物を見つけた審神者は、静かに、けれど早足で向かっていく。


「――小狐丸」


途中でそう名前を呼べば、縁側で今剣と並んで座っていた小狐丸がゆるりと審神者の方へ振り返る。その手には、今まさに飲んでいたのだろう。お茶の入った湯飲みが握られている。内番着で髪を一つに結っていたせいで、その髪が小狐丸の動きと合わせて揺れていた。


「ぬしさま?」


小狐丸は審神者の姿を見ると、驚いたように目を丸くした。まるでこの世のものではない何かを見たときのような反応だった。ぱちぱちと瞬きをする小狐丸の元に近づけば、審神者から見て手前に座っていた今剣と目が合った。

小狐丸と話をしていて既に笑顔だったのだろう今剣は、審神者の存在を確認すると、更に顔を綻ばせた。身軽に立ち上がると、ぱたぱたと忙しなく審神者の元へかけよってくる。そのまま腰に抱きついてきた今剣の頭を、審神者は空いている手で優しく撫でてあげた。


「あるじさま! どうしたんですか? こんなところまで、めずらしいですね」
「ああ、少し、小狐丸に用事があってね」

「……私に、ですか?」


答えれば、小狐丸は更に驚いたらしい。審神者は小狐丸に見せるように皿を掲げてみせる。


「いなり寿司だよ。作ったんだ。お前にも食べて貰いたくて持ってきた」
「! ぬしさまの…? ……そのためにここまで?」
「ああ。良かったら、今剣も食べてくれ。味見もしたけれど、そう悪い味ではなかったから」

「俺も食べた。美味いぞ。大丈夫だ」


斜め後ろ。護衛係としてついてきた骨喰が付け加えるように言う。骨喰の分として取り分けたいなり寿司を食べ、おかわりし、他の二品もぱくぱくと食べ進めていた骨喰の姿は、審神者の自信になっている。渡しても大丈夫であると、審神者はそう判断した。表情こそないが、夢中になって食べ進める姿は見ていてとても嬉しいものだった。


「いなりずし! 小狐丸のだいこうぶつですね、ぼくもだいすきです!」
「良かった。では、受け取ってくれ」


腰に抱きついたまますりすりと審神者の腹に顔を埋めた今剣の前に、布をかぶせたいなり寿司の載った皿を持って行く。審神者から手を離して受け取った今剣は、布をめくって、感嘆のような声を上げた。


「とってもおいしそうですね! ありがとうございます!」
「ああ、どういたしまして。良かったら、後で感想を聞かせてくれ」


断られなくて良かった。最後に今剣の頭を撫でて、審神者はくるりと踵を返す。「行こうか」と骨喰に言えば、骨喰は小さく頷いて審神者と同じように小狐丸と今剣に背中を向けて歩いていく。


「ぬしさま!」


そうやって二、三歩歩いたところで、背後から呼び止められる。振り返れば、焦った表情を浮かべている小狐丸が審神者のことを見つめていた。縋るような視線に、審神者は首を傾げた。


「どうした?」


問いかければ、戸惑うように小狐丸は言葉を選んでいる最中だった。用事があって審神者のことを呼び止めたはず。けれど言わないと言うことは、言いにくいことだということだろうか。審神者は言い淀むばかりの小狐丸に不安を覚えて、小狐丸に逃げ道を与えるように言葉を選んで発言する。


「気分でないなら、無理に食べなくても良いよ。余ったら私が食べるから、残しておいてくれ。何ならその分今持って行くが――」
「ちがいます! 食べたくないわけではありません!」
「では、なんだい? 何かしてしまっただろうか?」
「いいえ、ですがこれは……」


骨喰がぴくりと反応する。


「要らないのか? なら俺が食べても良いだろうか」
「聞かんか! 食べると言っておろうが! ではなく――…ぬしさま、ぬしさまは、もう行ってしまわれるのでしょうか?」
「ああ、今日は渡しにきただけだからね。他の者にも渡しに行かなければならないしな。食べ終わったら皿は厨房へ運んでくれるかい? また私が取りに来ても良いが……小狐丸?」


困ったような表情を浮かべている小狐丸に、審神者は怪訝に思う。少しも意図を理解しない審神者に痺れを切らしたのか、小狐丸は言いにくそうであるが、控えめに口を開いた。


「……ぬしさま。これは、ぬしさまと一緒に食べとうございます」


甘えるような視線である。小さく肩を落として小首を傾げる、清光に言わせれば‘あざとい’と表現されるだろうその仕草に、審神者はようやく小狐丸が言いたかったことを理解する。ああ、と納得したような声を漏らして、審神者は少し考え込んだ。ちらりと骨喰を見る。部屋においてきている鯰尾の元へ早くいきたいだろう骨喰のことを思うと、すぐには頷けない。


(先に行って良いとは言えないしな……)


護衛を必ず一振りはつけなければならないと定められている今、骨喰だけ先に戻すわけにはいかない。共にいる相手が小狐丸ならばなおさら、そんなことをしては清光にどれだけ怒られることか。


「……駄目でしょうか?」
「そんなことはないが……部屋で鯰尾と清光を待たせてしまっているからな。料理も持って行きたいし、骨喰も鯰尾の元に行かせたい」


隠すのも感じが悪いかと当たり障りない言葉で曖昧に伝える。小狐丸と食べるのが嫌ということはない。だが、今回は断ったほうが良いかもしれない。


「俺は構わない。だが、起きたとき主がいなければ、兄弟はまた拗ねるぞ。それで加州に怒られるのは可哀想だ」
「おや、鯰尾は加州におこられたのですか?」
「……ああ、少し、はしゃぎすぎてな」
「ふうん、なるほど。そういうことですか」


やはり断ろうと小狐丸を見れば、それを察したのか既にしょんぼりとしている。良心が痛み、審神者はぐっと言葉を飲んだ。小狐丸を日々甘やかしてしまっている自覚があるだけに、余計厄介な感情だ。


「では、こうしましょう!」


惑う審神者に、今剣は妙案を思いついたとばかりに提案する。


「骨喰はりょうりを鯰尾のところへもっていってください。そのあいだのごえいかかりは、ぼくがひきうけますから。ね? それならもんだいはないでしょう? 鯰尾も、りょうりがあればちょっとくらいまてるはずです!」


これで問題は全て解決する。そう言わんばかりの笑顔と主張に押されて、審神者は瞬きをした。


「たべるだけですから、そんなにじかんはかかりません! ちょっとくらい、よいではないですか」


そう言われてしまっては弱い。骨喰の代わりに今剣が護衛係としていてくれるのなら、それはそれで問題もないといえないだろうが。少し悩んで、最後に小狐丸を見れば、今剣の発言を受けてか、期待に満ちた眼差しを審神者に向けているところだった。


「ぬしさま」


縋るようにそう言われては、無碍には出来ない。観念して、審神者は決断する。


「……そうだな。骨喰は厨房にある料理を持って部屋に持って行ってくれるかい? 私は、少しここに残る」
「……護衛は俺じゃないのか」
「勿論そうだ。だが、鯰尾をあのままにもしておきたくないだろう? 骨喰、頼む」


二つ返事とはいかない。骨喰は迷っているような素振りを見せていた。けれど審神者にそう頼まれたことで、渋々といったように頷いた。


「……分かった。主がそういうのなら。鯰尾に料理を渡したら、すぐに戻る」
「ああ、ありがとう。頼むぞ、骨喰」


ぽんと頭の上に手を置いていえば、骨喰はこくりと頷いた。


「では、きまりですね!」


今剣は、楽しそうに目を細めて笑った。どこか後ろ髪を引かれるようではあったが、骨喰は足早に歩いていく。行き先は厨房。そこで鯰尾と清光のためにとりわけた料理を持って審神者の部屋に持って行き、そうしてまたここに戻ってくる。そんなに時間はかからないだろう。加えて、急いでいるのならかかる時間はもっと短いことだろう。


(やはり、鯰尾のことが気になっていたのだろうな)


仲の良いことだ。先に骨喰を戻して良かった。そんなことを考えながら、今剣に手を引かれるまま、審神者は小狐丸の元へ連れて行かれた。


「さ、いただきましょう。小狐丸はおおめにとってもいいですよ!」


小狐丸の隣に座って、自身を挟むようにして間に審神者を座らせる。足を揺らしながら、今剣は小狐丸に手に持っていた皿を渡した。それを受け取って、小狐丸は目を一等輝かせた。色んな角度から見た目を堪能するように眺めてから、審神者に目を向ける。


「ぬしさま、いただきます」
「ああ。口に合えば良いが」
「いただきます!」


小狐丸も今剣も、一ついなり寿司を掴んで口元に持って行く。そうして豪快にかぶりついた二振りの様子を、審神者はじっと伺う。例え不味くとも、不味いとは口に出したりはしないだろう。けれど、表情には素直に出るはずだ。そんなことを思いながら眺めている。

己でも味見を済ませたものだ。おかしい味ではないと分かっている。じゅわりと出汁の染み込んだ油揚げと、丁度良く味をつけた酢飯はよく合っていたと思う。けれど、美味い不味いの前に、好みというものがある。審神者の好みが、小狐丸にも今剣にも合致していると嬉しい。


「――…どう、だろうか?」


観察しながら、そう問いかける。審神者に一口目を飲み込んだ二振りは、とても良い笑顔を浮かべて口を開いた。


「美味しゅうございます。今まで食べたどの料理よりもずっと」
「ええ、とってもおいしいですよ! ばっちりです!」

「本当かい? ……なら、良かった」


その表情は、世辞を言っているような表情には見えない。
安堵して、ふっと笑う。目の前で食べて貰う瞬間は、いつも緊張してしまうものらしいと実感した。でも、一番嬉しい瞬間であるともいえるだろう。


「これならいつでもおよめにいけますね」
「私は男だから、嫁にはいかないよ。でもありがとう。褒め言葉として受け取っておく」


少しずれているような気がするが、褒め言葉の一つである。審神者は笑って流して、今剣の頭を撫でた。その様子を見ていた小狐丸が、寂しそうに眉間に皺を作ってしまう。


「ぬしさま。もっとおそばへ行きたいのですが、良いですか?」


間に今剣を挟んでいるせいか、審神者との距離に不満があるらしい。スキンシップの多さはこの本丸でも一番といっていいだろう小狐丸のこと、体の小さい今剣が間に入っているだけでも嫌らしいかった。その言葉に少しは構えたものの、護衛係として今剣がいることで、その心配は不要かと判断する。


「構わないよ。……では、そちらに移動するか」
「いえいえ、あるじさまはじっとしていてください。ぼくがいどうします。ついでに、あるじさまのおちゃももってきますね」


にっこりと笑って、ぺろりといなり寿司を一個平らげた今剣が立ち上がる。そのまま背後の部屋に走って駆け込んでいった。


「ああ、今剣。構わないでくれ。すぐに部屋に戻るから」
「いいえ! いっぱいぐらいうけとってください。おいしいいなりずしのおれいですよ」


部屋の中から審神者に向かってにこにことご満悦な笑みを浮かべる今剣は、部屋の中のテーブルの上に置かれたポットの元へ向かっていく。


「せっかくですから、よいちゃをいれましょう♪ ええっと、どこにあったかなあ……?」


審神者のために茶葉を探しているらしい今剣は、まだまだ時間がかかりそうだった。本当に、そこまで気を遣わなくても良かったのにと申し訳なく思う。骨喰が戻り次第、審神者は部屋に戻る心づもりでいるのだから。


「良いではありませんか。無理を言ってしまったのです。これくらいはさせてください」
「だが……」
「小狐丸のいうとおりですよ! あるじさまは、そこでゆっくりしておいてくださいね!」

「……わかった。ありがとう、今剣」


ここまで言われてしまっては、断る方が失礼というもの。判断を下した審神者は、そう返事をする。するとそれを聞いた小狐丸は、審神者と距離を詰めるように隣に移動した。皿の上には最後の一個が載っている。こんなにも早く一つを食べるのであれば、もっと量が合っても良かっただろうか。しかし、あまり大量に作って夕餉が入らなくなっても困る。塩梅が難しいところである。

上機嫌で食べ進める小狐丸を、審神者はじっと見ていた。とても美味しそうに食してくれるからである。審神者が食べるものはないし飲み物もないのだから、自然とそうする他なくなってしまうという理由もあるが。


(……ともかく、喜んでもらえてよかった)


そんなことを思いながら観察する。犬歯の目立つ並びの良い歯がいなり寿司にかぶりつき、噛みちぎって半分を口内に入れ込むと、小狐丸は幸せそうに目を細めて咀嚼をする。その様を見ていると、その無邪気さがとても可愛らしく思えてきてしまった。


(美味そうに食べてくれるな)


とても、この本丸で一番危険人物として警戒されているとは思えないくらい無邪気な表情である。なんだか不思議な心持ちだった。ぬしさまぬしさま、と。そう無邪気に審神者にかけよってくる小狐丸は、毛並みの手入れをしてほしい、触れて欲しいと強請ってくる小狐丸は、いたって無害にしか見えない。ただただ、審神者に可愛がって欲しいだけの刀に思える。

なのに、この刀剣男士が、一番審神者を無理矢理手にかけようとしている。未遂とはいえ襲われたり押し倒されたりとしていたが、その経験をもってもなお、審神者はこの小狐丸がそこまでひどいことをするのだろうかとこの期に及んで疑問に思ってしまう。皆、大袈裟なのではないだろうか、なんて。審神者のこういうところを、皆、警戒心がないと評価するのであろう。


「ぬしさま、美味しゅうございます」


最後の一口を食べる前に、満面の笑みを浮かべてそう告げてくる。まるで花が舞っているかのような笑みに、自然と審神者もつられてしまう。


「それは良かった」


はにかむように笑ってそう言えば、審神者の反応に満足したのか、小狐丸は最後の一口をぱくりと口に入れてしまう。それをじいっと見つめて、喉が上下するまでしっかり見届けた後。小狐丸はぺろりと唇をなめて視線をまた審神者に移した。


「御馳走様でした」
「ああ。お粗末様」


軽くなった皿を受け取って、小脇に置く。そうやってまた小狐丸に目を向ければ、審神者のことを見ていたのだろう小狐丸と、ばっちり目があってしまう。もういなり寿司に意識がいっていないからだろうか。意識が全て己に向けられていることが分かって、審神者はどこか緊張してしまう。


「有り難うございます、ぬしさま。私は皆に警戒されている故……ぬしさまに会いに行くのも難しく――こうして会いに来て下さったことを、心より嬉しく思います」
「……少し大袈裟ではないか? 少なくとも朝は、毎日会っているだろう?」
「それは最近のことです。それまでは毎日が地獄のようでした。全く、私よりも厄介な刀がぬしさまの近くにはいるというのに……」
「? 長谷部のことを言っているのか?」


薬研とは、あの一件以来話をしていない。まともに顔を合わせることさえしていない。審神者がどうというよりも、薬研の方が、審神者に近寄る気がないように思えた。そう考えると、あの場にいた刀は小狐丸と薬研を抜いた長谷部のみ。


「元々、近侍の勤めも果たしてくれていたからな。護衛係なんて役割が出来た今、遠ざける理由もないだろう?」


だからこそ、小狐丸は審神者の部屋に訪れることができるのである。長谷部を遠ざけるのであれば、小狐丸も同様にしなければ不公平だからである。決して、明確な格差のようなものがあったわけではない。そう言った審神者に、小狐丸は不満の色を浮かべる。


「……心配です。ぬしさま。他の刀に不埒なことなどされていませんか?」
「されていない。大丈夫だ、心配するようなことは何もないよ」
「ならば良いのですが。……迫られてはいませんか?」
「ん、何もない。だから、そう不安そうな顔をするな」


小狐丸の頬に手を当てて、声をかける。小狐丸は嫉妬深いところがある。だが、小狐丸が心配するような事態になど陥っていない。むしろ、そうならないための説教を、もう何振りからされていることだろうか。警戒ばかりしていて、実際に危険な目になどあったことなどない。少なくとも、護衛がつくようになってからは。

……長谷部の件については、少し不安要素があったものの、大倶利伽羅に絞られた以降は何と言うこともなし、その後は取り立てて何の問題もなかった。だから審神者は、あの時のことをあまり気にしてはいない。流石に、護衛係を一振りは必ずそばに置くという意識は根付いたけれど。


「私は審神者だ。刀剣男士には決して手を出さないよ。誰とも結ばれない。刀剣男士だけではなく、人が相手でも同じことだ。妻を娶る気だってない。ずっと、お前達の主でいる」


決してやましい気持ちはない。念を押すように言えば、小狐丸はすっと目を細める。審神者の言葉に、どうにも納得できずにいたようだった。


「……それは、誰も愛さない保証にはなりませぬ。人の心は移ろうもの。それは忠心も親愛も色恋も全て同じこと、人の心において確実なものなどありませぬ。――人の歴史にはいつも、裏切りがつきまとっている。それこそが、その証拠ではありませんか?」
「……小狐丸」


そのように言われては弱かった。確かに、審神者や刀剣男士が守らなければならない歴史には、深く裏切りというものが根付いている。その裏切りが歴史を動かし、未来を作っている。その裏切りのせいで元の主が亡くなった刀剣男士は、この本丸にいるだけで何振りいることだろうか。その言葉を否定することは、審神者には出来ない。


「……私の気が変わって、刀剣男士に手を出すと疑っているのか?」
「いいえ。むしろ逆ですよ。ぬしさまが絆されることを心配しているのです。現にこうして、また私に近づいて来るではありませんか」


ふっと、歪に小狐丸の口角がつり上がる。審神者は構えてしまう。


「あの時私は、確かに忠告をしました。ぬしさまの意思など関係なく、必ずぬしさまを頂くと。それでも尚、こうしてぬしさまは私の元へやって来るのですから――…食べられたいとしか思えませぬ」
「……小狐丸。私は、」
「無防備で、疑うことを知らないぬしさま。優しさを捨て切れぬ、甘いぬしさま」


そっと、頬に手が当てられる。大きな手が、審神者の頬をなでた。


「どうか誰より早く、私の物になって下さいませんでしょうか?」


優しい物言い。優しい触れ方。それとは裏腹に――舌なめずりする姿は野生そのもの。審神者は戸惑い、口を閉ざして少し。護衛係である今剣を探して、視線を泳がせる。けれどそばの部屋とはいえ、今剣は今、茶葉を探すことに夢中になっているようだった。

出来れば、護衛係である今剣に小狐丸を止めて欲しかった。けれど、それは望めないらしい。ここで今剣を大声で呼んでも良いが、騒ぎになるのも必要以上に小狐丸を拒絶するような行動もとりたくない。どのみち、骨喰がすぐに戻ってくるのだ。助けを求めなければならないほどの状況だとも思えない。

審神者は小狐丸に視線を戻すと、戸惑いを隠せない声で口を開く。


「ならない」


戸惑いも困惑もある。けれど、返事は変わらない。


「……私では不満でしょうか?」
「違う。審神者には色恋は不要なんだ。ましてや、刀剣男士を相手にするなど論外だ。小狐丸。お前のことは大切に思っている。だが、それは審神者としてだ」


説明するように告げて、小狐丸からの返事を待つ。


「ぬしさまは、そればかりですね」


静かな声だった。感情に大きく左右されている声とはとてもいえないそれは、小狐丸が理性的であるような印象を審神者に植え付けた。けれど、すぐに理解する。小狐丸が決して理性的な状態ではないことを。


「審神者だから審神者だからと――そのような言葉で遠ざけようなどと、惨い所業だとは思いませぬか? どうしようもない。どうすることも出来ない。ぬしさまにも我々にもどうにも出来ぬ理由で遠ざけられ、近寄ることを制限されるなど、納得できようもないというのに」


視線が自身からそらされぬように、小狐丸は審神者の頬を両側から包み込むようにして強引に目を合わせる。怒りを含んでいるようにも感じるが、それよりもずっと、それは真剣な眼差しに思えた。審神者は口ごもるように唇を閉じて、無意識に逃げようと背中を反らす。


「ぬしさま」


けれどそれを窘めるように呼ばれ、その動きを止めてしまう。


「ぬしさまのお気持ちはどうなのですか? ぬしさまは私に触れられることを不快に思うのですか?」
「不快などと……思うわけがない」
「でしょうね。ぬしさまはあの時確かに言いました。想われることは決して嫌ではなかった、と。好意を持たれることも、嬉しかったと。違いますか?」


少しの沈黙。けれど、返事は一つしかない。


「……違わない」


ばくばくと心臓がうるさい。けれど、それは目の前の小狐丸を恐れているからではない。審神者でない部分に、小狐丸は触れてこようとしている。そのような予感にも満ちたそれが、審神者の平常心を脅かしているのである。


「私は、ぬしさまを愛しております。なのに返事は、審神者だから応えられぬと、たったそれだけ。私の気が迷惑だと言わず、嬉しいと言いながら、それでも審神者だから応えられぬという――では、審神者でなかったのなら、ぬしさまは私に何と返事をするのですか?」


ぐっと、距離が縮まる。噛みつかれそうな距離。


「小狐丸、はなしてくれ…」
「駄目ですよ。ぬしさま。逃げないでください」
「言っているだろう……私は審神者なのだから、」
「まだ言いますか。私は、審神者ではないぬしさまに聞いているのですよ。貴方が私のことをどう思っているのか、それを聞いているのです!」
「っ……」


審神者は、狼狽えながら言葉を探す。痛いところを突かれたような気持ちだった。綺麗な言葉では逃げられない。審神者は焦り、惑い、けれど非難されていることが納得いかないと、喉をついて出る言葉をそのまま出してしまう。

己の表情が歪み始めている、その自覚はあった。


「……おかしなことを言うのだな、小狐丸。審神者でなければ、お前は決して私を愛したりはしなかったぞ」


吐き出さないと決めていた言葉。審神者に対する刷り込みのような感情であると、あえて閉ざしていた言葉。審神者は、漏らしてしまう。


「――…なあ、お前が、一体私の何を知っているというんだ。良い審神者でありたいと動く私を見て愛していると口にするお前は、本来の私をどれだけ知っている? お前が見ているのは、知っているのは、審神者である私だけだろうが」


静かに、小狐丸の瞳が揺れる。


「審神者である私を好きだというお前に、審神者としての私以外の感情で応えて何の意味がある? お前のそれは、恋愛でも何でもない」


言ってしまった。焦ることなく、心の中でそう呟く。言ってはいけないことだった。そう思う反面、審神者は思う。ここで言わなければ、いつまでこの状態を保っていかなければならないのかと。断っても尚、中途半端に気を引いてしまっている状態で、口説かれるような状態でずっといることに何の意味があるというのか。

断ち切れるのならば、主従以外の関係などない方が円滑に進むはずだ。審神者も有耶無耶に流していくことには疑問がある。一体いつまで、護衛係など伴い、同じ本丸の刀剣男士を警戒しなければならないというのか。


「――いいか、小狐丸。審神者でない僕は、お前が思う以上に醜悪だ。それを知らずに、審神者でない僕に返事など求めるな」


審神者の頬を挟んでいた小狐丸の手を、内側から引き離す。


「審神者の私を好きになったお前には、審神者の私から返事をする。審神者に愛は必要ない。私に‘それ’を求めるな。――私はお前の気持ちに応えることなど生涯しない」


感情的な声だった。衝動的に言った後で、思う。これでは、小狐丸と今度距離が出来てしまうかもしれないと。審神者の刀剣男士でいることを、今度こそ拒否してしまうかもしれないと。言い過ぎている。言葉が悪かった。そんな後悔が頭を巡る。

けれど撤回は出来ない。それでは意味がない。
小狐丸が審神者に色恋を求めたまま、拒絶がなければ諦められないというのならば、いずれはこれを伝えておかなければいけなかったのだ。遅いか早いかだけの違いである。


「私は審神者として、主として、お前を愛している。何をされても変わらない。お前を大切に思っている。私達の関係は、それで十分なはずだ」


きっぱりと言ったそれに、小狐丸は何を思ったのだろう。


「……そうですか。わかりました」


表情を動かすことなく、そう呟く。審神者は、その言葉を聞きとげて安堵する。理解してもらえたのならそれが何よりだ。未だすっきりしているとは言い難い胸の内を理解しながら、審神者はこの場をおさめようとする。


「すまない、小狐丸。だが、分かってくれて――…」


うれしい、と続けられなかった。審神者は目を丸くして、唇を閉ざす。すぐそばにまで迫ってきた小狐丸の顔と、両の肩を強く掴んだ小狐丸の指が――強く食い込んでいるそれが、射抜くような視線が。審神者の動きを止めてしまう。


「では、‘ぬしさま’ではない貴方の姿を見せて下さい。それがどれだけ醜くおぞましい姿だろうが構いません。その上で、私は貴方を手に入れます。であれば、最早貴方に私を拒絶する理由などありません。でしょう?」


くくっと、笑う。笑っているはずなのに、審神者は背中が粟立つのを感じ取る。まるで、起こしてはいけない獣の目を不用意に覚ましてしまったような、そんな焦燥を覚えたのだ。


「ぬしさまは誤解しております。隠しているのが自分だけだと、愚かにも考えている。――私が貴方に、何もかもをさらけ出しているとでもお思いですか? 同じ言葉で問いましょう」


細められた赤い瞳の中には、確かに審神者の姿が捕らえられていた。


「貴方が私の何を知っているのですか?」


掴まれた肩が、押さえ込まれる。乱暴に、叩きつけられるように縁側の上に押し倒された。


「一体何度、夢の中で貴方を犯したことか。嫌がる貴方を、私を拒む貴方を、擦り切れてしまうまで無理矢理にかき抱いて、隠してしまいたいと思う私の気など、貴方は少しも理解してはいない」


後頭部と背中に当たっている堅い床の感触。上から見下ろす小狐丸の目から視線を逸らすことが出来ないまま、審神者はただただ呆然としてしまっている。


「――貴方の本性を見てこの気がなくなるというのであれば、それも重畳。この愛が冷めるのというのならば、早く貴方の本性とやらを見せて下さい」


肩を押さえていた手が首に移動する。片手で、締めるように審神者の首を掴んでしまう。呼吸の邪魔にはならない。けれど、動けない。そのような力加減だった。

もう片方の手で、審神者の髪を梳くようにして撫でながら、そっと、頬に口づけられた。それは次いで耳の下へ、唇が落とされる感触。吐息が当たって、審神者は身をよじらせた。


(――本性を見せろなど、簡単に言ってくれる)


小狐丸の手を引きはがすように手首に己の手を重ねて、審神者は、ぎりっと、それを締め付けるように握りしめる。


「やめろ」


苛立ちを隠さないまま、言い放つ。けれど、小狐丸は一度は止まったものの、そのままやめるようなことはしなかった。今度は、審神者の目をのぞき込んで、審神者の反応を待つように止まる。


「……いつになったら見せてくれるのですか? 貴方の本性とやらは。それとも、それは全てを剥いでしまわなければ見られないものなのでしょうか?」


小狐丸はそう言うと、そっと、審神者と唇を重ね合わせた。触れる薄い皮の感触。ぴったりと触れさせたまま、数秒。審神者はそれを拒否することなく、下からじっと小狐丸をみつめていた。そうやって何度か唇を重ねて、そっと離れた小狐丸は、また、じいっと審神者のことを見つめていた。


「……小狐丸、」


呼んで、しばらく。審神者は諦めたようにため息をついた。
小狐丸の手首を掴んでいた手を離して、そのまま小狐丸の首の後ろに両腕を回す。


「この体勢は背中が痛い。起こしてくれ」


くいくいと、己の方へ引きながら、急かすようにそう口にする。小狐丸は少しの無言の後、審神者の背中に手を回して、片手で審神者の体を起こしてしまう。そうして、向かい合うように抱きしめあうような体勢になった後、審神者は静かに、小狐丸の唇に、己の唇を寄せた。


「……ぬしさ、」


微かに動揺を見せた瞳。構わず、最後まで呼ばせることなく――審神者は自ら、小狐丸と唇を重ね合わせた。


「小狐丸」


触れるだけのそれを少しだけ離した後、吐息が唇に触れるような距離で審神者は淡々と口を開く。


「何ということもない。ただ触れているだけだ」


戸惑いはない。動揺も、声には一切含まれない。小狐丸は審神者でない審神者を求めた。審神者は、少しだけ、それに応えることにした。それで気持ちが消えてしまうというのであれば、消えてしまえばいい。


「僕は、こんな風に誰かに触れたいと思ったことがない。繋がりが欲しいと思ったことがない。欲は持たぬことこそ審神者には必要だと教えられ、僕もそれを正しいことだと思っている。審神者は誰も愛してはいけない。いつでも死ねるように。生に依存する弱みを持たぬように」


審神者は薄い笑みを浮かべる。そのまま、小狐丸の胸にもたれかけるようにして、頭を預けた。


「ぬしさま、」


呼ばれ、審神者は顔を上げた。小狐丸の顔をのぞき込めば、あれほど禍々しかった表情はどこへいったのか、小狐丸は審神者の気を伺うような視線を向けていた。

それが妙におかしくて、審神者は目を細めて、小狐丸の頬を撫でる。


「審神者ではない私に価値はない。審神者であること以外は、何も私の中にはない」


ぴったりと、頬をくっつけて、優しい声で審神者は告げる。


「愛しているぞ小狐丸。審神者として――私はお前をずっと大切にする」


言って、離れる。まっすぐと審神者のことを見つめる小狐丸の目を見つめ返す。小狐丸は、言葉を選んでいるようであった。けれど何も言わず、再び審神者と唇を重ね合わせる。審神者は抵抗せずに、それを受け入れた。瞼を閉じて、唇が離れると、また瞼を開く。

視線が交差する。そうなってやっと、小狐丸は口を開く。


「私も、愛しています」
「……審神者の私をか?」
「ええ。そうですよ」
「はは、良かった。なら両思いだな、小狐丸」


少々茶化すように言えば、小狐丸は柔らかく目を細めて、今度は不意をつくようなタイミングで、審神者の唇を奪う。急なことで驚いた審神者は、小さく目を丸くした。

そうして、小狐丸は口角を吊り上げた。


「それから、私は貴方のことも愛します。自分には何もないと思っている貴方のことも、必ず」


とんと、指先で胸を押される。心臓の上、服越しに触れる感触に、審神者はしばらく小狐丸の言葉の意図を読むことができなかった。


「……無理だろう」


審神者でなければ。顕現させていなければ。決して好きなどと言われるはずがなかったのに。喉をついて出てきた言葉に、小狐丸は歯をのぞかせて笑う。


「やってみなければ分かりません。人の心に絶対などありませんから」


何かが吹っ切れたような声。審神者はそれが理解できずに、それ以上何も言わなかった。
静かに、小狐丸の指が審神者の顔に伸びた。けれどそれを邪魔するように、部屋の中から気配が動く。


「そこまでですよ」


舌足らずなしゃべり方。声の主は勿論今剣だった。審神者が目を向ければ、そこでは短刀を抜いている今剣の姿があった。大きな瞳を殺気でか大きく見開いて小狐丸を見ている今剣に、審神者は小狐丸よりも先に口を開く。


「大丈夫だ、今剣」
「おそくなってごめんなさい、あるじさま。きづくのがおくれてしまいました。でも、」
「問題ないといっている。刀をしまいなさい」
「……わかりました」


審神者の言葉に従い、今剣が短刀をしまいこむ。けれど小狐丸に審神者を離させたいらしく、キッと小狐丸のことをにらみつける。小狐丸はそれにため息をついて、渋々といったように審神者から距離を置く。その間にねじ込むようにして、今剣は審神者と小狐丸の間に座りこんだ。


「ごめんなさい。よいちゃをとおもったのですが、ちゃばがみつかりませんでした」
「構わないよ。そう長くはいなかっただろうからね。そろそろ、骨喰も戻ってくる頃合いだろうから、気にしないでくれ。その気持ちだけで嬉しいよ」


言いながら、優しく今剣の頭を撫でる。よっぽど茶葉を探すことに夢中になっていたのだろう。行動が遅くなってしまったことに自責の念を覚えているのか、今剣は落ち込んでいるようだった。確かに護衛係として頼りにしたかった思いもあったが、決して護衛係に守って貰うことに好意的ではない審神者は、強く注意する気も何もなく。

もはや骨喰が戻ってくるときに誤解されるような状況でなければ良い。

そんなことを考えていたからか――丁度良いタイミングで、どたどたと忙しない足音が聞こえてくる。審神者は骨喰が戻ってきたのだろうと判断して、立ち上がった。


「では、私はもう行くよ。骨喰が戻ってきたみたいだ」


空になった皿を持って去っていこうとする。


「あるじさま! つぎはちゃんと、おいしいおちゃをよういしますからね!」
「ああ、ありがとう。楽しみにしておくよ」


次いで、視線が小狐丸と絡む。


「……また、会いにいきます。何度でも」


告げられた言葉。審神者は品定めをするように冷ややかに目を細めて、口を開く。


「ああ。好きにしなさい」


それだけを返して、審神者は歩いていく。もうすぐにまで迫っていた足音、角を曲がればもうすぐにいるのだろう。足を進めて歩いていく。そうして角を曲がった後は、骨喰を先に行かせてしまったことを謝らなければ。

そんなことを考えながら曲がった先――そこにいたのは、骨喰ではなく、鯰尾だった。


「ッ〜〜いたっ!」


息を切らせながら、鯰尾は涙を目に浮かべていた。そうして大きな涙声で、こう叫んだのだった。


「主さんのばかあああああーー!!!!」



[newpage]



審神者の部屋に戻ってから、どれほどの時間が経ったことだろう。
えぐえぐと泣きながら審神者の膝に乗り、そのまま抱きつくようにして審神者を拘束しながら、鯰尾は恨み辛みを口にしていた。


「ひどいですひどいです! 俺が主さんと遊ぶの楽しみにしてたって知ってるのに置いていくなんて!!」
「ああ、そうだな。すまなかった。起こした方が良かったかい?」
「当たり前ですよお! 俺、ずっとずっと楽しみにしてたのに! 骨喰とだけ一緒に料理して主さんのご飯食べてっっ!! なんで!? なんで俺の分はないんですかああ!!」


正確にいえば骨喰は見ていただけで一緒に料理をしていたわけではない。けれどそのような細かいところの訂正など必要ないだろう。審神者は訂正することなく聞き流す。


「すまない、まさか全部食べられてしまうとは思わなくてな……」
「真っ先に俺のところに持ってきてくれないからじゃあないですか! 主さんのばかー!! なんで小狐丸さんのところに行ったんですかー!」
「そうだな。私の判断が間違っていた。今度はちゃんと、お前の分も作るからな」
「当たり前じゃあないですかあ! じゃないとぜったい許しませんからね!!」


ぽんぽんとあやすように背中を叩きながら、意地でも審神者から決して離れないという強い意志を感じる抱擁を受け入れる。抱擁というよりも、拘束と表現した方が適しているだろうそれに、審神者はほとほと困り果てていた。泣きじゃくりながら、鯰尾は審神者への怒りを口にする。


「――どうして名前を書いておかなかったんですか! な・ま・ず・お・と・う・し・ろ・う!って! 名前書いてないならそりゃあ食べられますよ戦ですよ!? 飢えた刀の食い意地舐めないで下さいよ!!」
「舐めていたわけではないのだが……いや、すまない」


厨房に残しておいた鯰尾と清光の分の料理を持って、先に審神者の部屋にいるだろう二振りに持って行くこと。骨喰に頼んだそれは、結果的にいえば果たされなかった。

というのも、骨喰が厨房に戻ったときには既に、審神者の料理は全てなくなっていたからである。審神者の作った料理は全て平らげてしまわれた後であり、そこには皿しか残されていなかった。


「気持ちは分かるけど、主は悪くないでしょ〜? 怒るなら、勝手に食べた陸奥守と和泉守に言いなよねー! あと安定! 安定には俺からも言っておくけど! とにかく、いつまで主に文句たれるつもりなわけ??」


食べてしまったのは陸奥守吉行と大和守安定、そして和泉守兼定である。流れとしては匂いにつられてつまみ食いをさせて貰おうとやってきた陸奥守と通りすがりの和泉守と安定が、夕餉の献立でない料理を発見し、それが審神者が‘練習’で作った料理なのだと知って手を出してしまったことにある。

詳しいことは聞いていないが、手を止めずに片づけをしていた食事当番は、残された料理が鯰尾と清光用に残されたものであると言い損ねていたのである。練習ならば少し貰っても問題はないだろうと、そういった気持ちから一口。そしてまた一口。残りの二振りもつられて手を出して、あっという間になくなってしまったらしい。

全部平らげられていたことに動転した骨喰は、まず審神者の元へ戻ろうとしたらしいのだが、まさにその最悪ともいえるタイミングで鯰尾が興奮状態で厨房へと入ってきたのだという。不貞寝から目を覚ました後、清光から事情を聞いて、審神者の料理を食べにきたらしい。


『骨喰! 俺の分は? 俺の分!』


目を輝かせながら問われた骨喰は、嘘がつけない性質のせいで、慌てていたこともあり、正直に告げてしまった。


『全部食われてしまった。もう何も残っていない』


審神者の仕事が終わって時間が経っていたこと。護衛係の自分が置いて行かれてしまっていたこと。目を覚ましたら審神者がおらず、楽しみにしてリストまで作っていた自分を抜かして行動していたこと。慌てて追いかけたら、自分の分の料理がなくなっていたこと。

そうして鯰尾は衝動のまま――骨喰を問いつめ、審神者を追いかけてきたらしい。それで開口一番の台詞が審神者への文句だったのだ。


「だってっ! 俺、すっごい楽しみにしてたのに! 楽しみにしてたって知ってたのにぃ!」
「だから、主はちゃんと残してくれてたじゃん! それに、知らなかったとはいえ食べちゃった面子は歌仙がきっちり締め上げてんだから、もうどうしようもないでしょ!?」


しばらくは鯰尾を様子見していた清光も、いい加減見過ごせなかったらしい。鯰尾を審神者から引き離そうと鯰尾の体を引っ張り、鯰尾は抵抗して審神者への拘束を強くする。呼吸がしにくいと審神者が顔をしかめる。

またすぐにでも作って上げたいが、食材は全て使ってしまった。もう残ってはいない。


「すまない、兄弟。俺が目を離したばかりに……」
「骨喰のせいではないよ。私が、すぐに鯰尾の元へ戻らなかったせいだ」


あやすように鯰尾の背中をとんとんと叩きながら、審神者は申し訳なさそうに横で正座している骨喰に目線を送る。ずっと骨喰は鯰尾のことを気にしていた。にも関わらず現状こうなってしまっているのは、審神者の判断が招いたことに違いない。


「鯰尾。今度はきちんと、お前の為だけに作るよ。だから、許してくれないだろうか?」

「……もう、いいです。いりません。主さんなんて知りません」


拗ねた声でそういいながら、今度は審神者の肩に顔を埋めてぐりぐりと頭を押しつける。審神者を拘束する力は強まるばかりで、審神者は困って眉を下げてしまう。甘えられることはあれどこのような態度をとられることはあまりない。本当に審神者が嫌ならばそもそも抱きついてなどいないだろう。逃がさないとでもいうように抱きしめながらいらないなどと、真面目に受け入れることもなし。だが、鯰尾の気持ちを思えば、胸が痛くなる。


「……すまない、鯰尾。全部私のせいだな。悪かった」


審神者がそう謝れば、清光はいよいよ看過できなくなったらしい。険しい表情を浮かべて鯰尾を掴みかかろうとした清光を目線で止める。清光は鯰尾の態度に色々と思うことがあったらしいが、審神者の気持ちを汲んで、不機嫌に唇をへの字にして腕を組んで手を出すのをやめた。


「代わりに、私に出来ることはあるだろうか?」


そう言うと、そろそろと鯰尾は審神者の首に手を回して膝の上に向かい合うように座ったまま少しだけ空間をつくるように身を離す。涙を浮かべたまま、審神者の顔をのぞき込んできた。


「……なんでもいいんですか?」
「ああ。私に出来ることなら、何でも」


言うと、鯰尾は豪快に鼻をすすって、ごそごそとポケットに手を突っ込んで、中身を取り出す。一度開いて見た紙だ。審神者としたいことのリストである。とうに中身を見られているとは知らないのか、鯰尾はその紙が何であるかを説明する。


「これ、主さんとやりたいことをまとめたやつです。昨日、これずっとまとめてて、」
「そうか」
「それで、主さんと料理もしたかったけど、駄目だったから、後は主さんとプロレスとかしたいです。枕投げも。一緒に風呂も入ります。背中だって流しますし、髪を洗って下さい」


概ね、清光が音読していた内容と一致する。


「構わないよ。だがプロレスは出来ないんだ。…枕投げも、襖が破れても困るしな……それ以外なら構わない」
「!? じゃあ出来るのお風呂だけじゃないですか! どうして!? プロレス嫌いなんですか?」
「嫌いではないが、禁止されている」
「誰にですか!? 教えて下さい、どこのどいつがそんなこと言ったんですか!? 俺がそいつにがつんと言ってやります! 馬糞投げてやりましょう! で、誰なんですか!?」

「俺だけど。なに? やるの?」

「だったらしかたないですね!! じゃあもうお風呂だけでいいです! ちゃんとトリートメントもして下さいね!」
「ああ、分かった」


清光が出た途端に物分かりが良くなった鯰尾は、妥協したと言わんばかりにまた審神者の肩口に頭をぐりぐりと押しつけてくる。その鯰尾の頭を撫でながら、審神者は優しい声で言う。


「他には? してほしいことはあるかい?」


問えば、そろそろと、鯰尾が照れくさそうな声で口にする。


「……実は、もう一個、あります」
「そうか。それで、私は何をすればいい?」
「俺を、主さんにピカピカにしてほしいです」
「……ピカピカ?」
「………」


分からないのだからどうしようもない。聞くと、鯰尾はもごもごと口ごもりながらまた審神者から少しだけ距離を離してしまう。そうやって、本体である脇差を顕現させると、頬を赤らめながら、それを審神者に差し出した。


「……えっと、主さんに手入れをしてほしくて。怪我じゃないけど、きれいにしてほしいなって。別に、それだけなんですけど」


審神者は瞬きを何度かした後、鯰尾から渡された本体を受け取り、微笑む。傷ついているわけでない。けれど、審神者に綺麗に磨いてほしいと、そういうことなのだと理解した。大事に両の手を使って受け取ると、何故か照れをみせている鯰尾に笑ってみせた。


「分かった。ピカピカにしよう。私にとっても、とても、大事な刀だ」


鯰尾はそれを受けて、しばし呆然としたあとに、口元をふにゃふにゃに緩ませる。そのまま勢いよく審神者に飛びついて審神者を畳みの上に押し倒した後、怒った清光にようやくひっぺはがされていた。







刀の手入れをした後は、鯰尾の機嫌も元に戻っていた。夕餉のカレーライスもぺろりと平らげて、その後一緒に湯船に浸かりながら、聞いたことのないような鼻歌を口ずさんでいたくらいには。その様子に安堵したらしい骨喰は、表情こそいつも通りではあるが、どことなく疲労しているように見えた。

手ぬぐいを使って浮き袋を作りながら、鯰尾は上機嫌に言う。


「主さんって優しいですよねえ。どうして、俺のこと怒らなかったんですか? 料理のことだって、別に、主さんが謝ることじゃなかったのに」


首の件もあってここのところずっと使用している小浴場で、そんなことを切り出してくる。首の跡はもう問題ないと清光に許可を貰っているので、大浴場でも良いのだが、一緒に風呂に入るのは鯰尾のリクエストだ。ならば此方の方が良いだろうと、現在鯰尾と骨喰と共に湯船に浸かっている状態だ。審神者は肩まで浸かった状態のまま、間延びした声で返事をする。


「鯰尾が悪いわけでもないだろう」


返事になっているようで、なっていない。鯰尾はそう考えたのだろう、よく分からないと言わんばかりにへの字に口を歪めて、ちゃぷちゃぷと音を立てながら、審神者の元へ近寄り、隣に座る。そうして審神者の顔をのぞき込むと、不思議そうに口を開いた。


「主さんって、怒ったことあるんですか? 俺、多分見たことないですけど」
「そうかい?」
「そうですよ! 加州さんなら見たことあったのかなあ。骨喰は?」
「……いや、ない」
「そうだよなあ、やっぱり、骨喰も見たことないよなあ」
「怒ることはあるよ。まあ確かに、回数はそんなにないかもしれないな」


怒るようなことをされることの方が非常に稀なこの本丸で、怒る姿を刀剣男士に認知されている方が審神者としては問題である。なので、それ事態は構わない。何も問題はないと判断する。


「どんな時に怒るんですか? っていうか、誰に怒ったんですか?」


聞かれ、審神者は口を閉ざした。返事に困ったからではない。返事をする気が起きない質問だったからだ。己のことを振り返って考えてみる。怒らなければいけないと考えたのはいつだって――…ろくな状況下ではなかった。


「覚えていない」


さらりとかわすようにそう言ってしまえば、鯰尾はつまらなさそうに不満の声を上げる。


「絶対嘘だ」
「そんなことを知ってどうする? 怒られたいのかい?」


まっすぐと鯰尾の視線に向き合ってそう問いかける。鯰尾は、うーんと考え込んでから、審神者の肩に自分の肩をくっつけるように並んで座った。


「怒られたいわけじゃないですけど。でも、たまにはいつもと違う主さんを見たいな〜って思います。珍しい主さんの姿が見たいのかも」
「珍しい、か。難しいな」
「そうですか? う〜ん。そうなのかも」


こてんと肩にもたれかかって、鯰尾は今にも寝てしまいそうなくらいののんびりした声で口を開く。


「主さん、俺、主さんに触られるの好きなんですよね。だから、あれ、すごい嬉しい。本体を手入されるの、一番すき。また時々してほしいです」
「良いよ。仕事中でなければね」
「邪魔したら加州さんに刺されちゃいますからね」


思い出せば、今でも背筋がぞっとする。


「……本当に、清光を怒らせるのはやめてくれ。生きた心地がしない」


ぼやくように言えば、鯰尾はけらけらと楽しそうに笑った。


「確かに! 俺もあの時死んだって思いました! 目の前で畳に刀突き刺さって! ……あの穴どうやって塞ぐんですか?」
「ああ…畳の張り替えをするほどでもないからな……あれくらいの穴ならばそう困らないだろうし、布でも詰めておくか」


刀剣男士の部屋ならばともかく、審神者の部屋ならば穴ぐらい気にしない。物を落として困る大きさでもないから、何の問題もない。そんな判断である。


「主さんって以外とずぼらなんですね」
「かもしれないな。支障がなければそれで良いさ」
「いいですねえ、ざっくりしてて!」


ご機嫌はまだ続いている。鯰尾は湯船の水面をぱしゃぱしゃと叩きながら飛沫をあげていく。


「それで、何もなかったんですか? ほら、小狐丸さんのところに行ったんでしょう? 今剣が護衛係代わったっていってたけど、今剣は小狐丸と主さんをくっつけたがっているじゃないですか。だからひょっとしたら、何かされても護衛されなかったりするんじゃないかなあと」
「……今剣が…?」
「そうですよー。今剣が、というか、三条はだいたい小狐丸さん応援してますし」
「……………応援?」


聞き捨てならない。というよりも、流してやれない発言である。あの時、最後の方まで今剣が出てこなかった理由が、鯰尾の発言で一気に審神者の頭の中に浮上してきた。湯船に浸かっている状態であるが、嫌な汗が流れてきそうな感覚である。

確かに、今剣が本気で護衛をしようというのであれば……そう、小狐丸が審神者を押し倒したあの音で、気づかないはずがないのである。


「……主。顔色が良くない。大丈夫か?」
「ああ、問題ない」


審神者の変化に気づいた骨喰が、鯰尾のように審神者の隣に移動する。顔をのぞき込んできた骨喰の視線から隠すように顔を覆って、審神者は眉間にしわを寄せた。


「それは…粟田口と薬研のような関係、ということか?」
「その通りです! 俺たちが薬研と主さんにくっついてほしいように、三条一派は小狐丸さんと主さんをくっつけたがっています! 主さんったら、モテモテですよね! よっ! 色男! なんちゃって」

「…………」


笑うに笑えない。額を押さえて無言になった審神者の反応に、鯰尾と骨喰はぴくりと反応した。神妙な表情に変わっていき、おそるおそるといったように口を開く。


「……え、まさか、ホントに何かされたりしてないですよね?」
「――…主。俺がいない間に、何をされた」

「な、にも、されていない」


スマートに返事が出来ないまま、口を閉ざしてしまう。噛んでしまって違和感しかない言葉を発した審神者の肩が、両側から掴まれる。


「されたのか」
「されたんですね?」

「だから、なにもされていないと――…」


言い掛けた審神者の言葉を遮って、鯰尾がはっとした様子をみせた。何かに気がついたようで、その反応に自然と審神者と骨喰の視線は鯰尾に向けられる。


「主さん、跡残されてますよ」
「っ…!」


咄嗟に隠すように、手のひらで押さえる。押さえるそこは、小狐丸に触れられていた耳の下あたりである。触れただけで、跡を残されるように吸いつかれた訳でもないのに、跡が残るはずがない。けれど、跡が残っているというのであれば、そこ以外に心当たりはない。


「これはっ、違う。そういうものでは――…」
「嘘ですよ主さん。何も残ってないです」


そして再び、鯰尾の言葉で口を閉ざす。はめられたのだと気づいたのは、不機嫌に顔をしかめた鯰尾と唇を一文字にした骨喰に向けられた視線に気づいた瞬間だった。目が合って、その目が何を審神者に訴えているのかすぐに気づいた審神者は、ひくりと頬をひきつらせる。


「……されたのか。俺がいない間に」


先に口を開いたのは骨喰だった。骨喰は審神者の手首を掴み、引っ剥がす。その下にある肌に何もないことを確認しつつも、骨喰にしては珍しく、感情のこもった声で口にする。


「言え。何をされた」


心なしか口調も崩れ、命令に近い声に、審神者はたじろぐ。ぐっと言葉に詰まり、何も言葉を発することもできないまま、骨喰から目を離すことも出来ずにいた。骨喰はそれ以上何も急かすことはしないが、ただただ真っ直ぐに主張するように審神者と目を合わせたままである。徐々に距離を詰められていくことに、審神者は逃げるようにその場を立ち上がろうと足に力を入れる。


「どこ行くんですか? 話終わってないですけど」


太股の上に手を置かれ、もう片方の手で肩を上から押しつけられる。脇差である二振りがこのような行動をとることを予測していなかった審神者は、だらだらと嫌な汗を流しながら、どう誤魔化したものかとあまり動かない頭を稼働させる。


「……大したことではない。いつものことだ。お前達も、小狐丸の甘え癖は知っているだろう? その延長で、少し、触れられただけだ。お前達が思うようなことはない」


嘘に聞こえないように発言できていたら良い。そんな薄い希望を抱きながらそう言えば、その審神者の言葉の審議を確かめるように、じいっと視線を向けられる。


「……まあ、だったら良いですけど」


不満げに頬を膨らませて、鯰尾は審神者から離れて座り直す。鯰尾の反応をふまえて骨喰も安心したのかもしれない。静かに座り直していた。


(危なかった……)


下手に迂闊な発言をしなくて良かった。そんなことを思いながら、審神者は息をつく。そんな審神者の様子を、一瞬、両側に座る二振りが睨みつけるように伺っていたことには、気づかぬままである。





風呂からあがった後、審神者の部屋に戻る。そこでは清光が縁側に座って審神者と二振りの帰りを待っていたようだった。


「おかえり、主」
「清光?」
「待ってたんだ。渡したい物があって」
「渡したいもの?」


不思議に思いながら問えば、審神者の背中から鯰尾がひょっこりと顔を出す。


「加州さん、どうしたんですか? 部屋に戻るって言ってませんでした?」
「言ってたね。でも、用事ができたから、来たの。主より、どっちかっていうと、鯰尾にね」
「俺にですか? え〜なんかこわいなあ。なんですか?」


用があるのが鯰尾ならばと、部屋に入って布団の準備を始める審神者と、それを手伝う骨喰。その背後にある縁側で繰り広げられるだろう会話は、自然と耳に入ってきた。


「実はさ、ほら。和泉守が主の作った料理食べちゃったでしょ? それで、その和泉守の分を、堀川がとってたんだよ。でも、和泉守はもう食べちゃったでしょ? だから、その分を鯰尾と俺に、ってさ。食べる?」


押入を開いて布団を抱えたまま審神者は手を止めて、骨喰と目をあわせる。そうか。その手があったか。声には出さないものの、考えていることは同じだったようだ。


「食べるーーー!!!!」


本丸中に響くような大声。普段なら叱るだろう声だったが、審神者も、清光もそうはしなかった。


「もー! うるさすぎ!」


仕方ないなあと言いたげに、微笑む清光は、布をかぶせていた料理を取りだして言う。


「よし、じゃあ、食べちゃおうか。お茶も持ってきたんだよ?」
「さっすが加州さん! 俺、加州さんのことホント大好きですっ!! 愛してますよ〜!!」
「ほんっと調子良いよね、まあ、悪い気はしないけどさ、」


もっと早く気づけば良かっただろうか。そんなことを思いながらも、審神者はほほえましい気持ちで布団を敷くのを再開する。埃を立てぬように、ゆっくりと静かに置くと、骨喰が布団の端を引いて広げてくれた。


「骨喰――!!」
「ああ。聞いていた。良かったな、主の料理は美味しいぞ」


引きながら、視線を鯰尾に向けて、骨喰は言う。鯰尾の視線は今度は審神者に移り。


「主さん、食べます! 俺、食べます!」
「聞いていたよ。お前が食べる分が残っていて良かった。……口にあえばいいが」
「大丈夫ですよ! 馬糞みたいな味でも美味しいっていいます!」


フォローのつもりだろうがフォローになりきれていないそれに、清光はキッと眉毛を吊り上げる。


「失礼でしょ!? 主の料理は世界一美味しいの! ね、ある――」
「何故馬糞の味を知っている。あれは食べ物じゃないぞ」
「そこじゃないよ主! 鯰尾も食べたことはないから! 多分! だよね鯰尾!?」
「もちろんですよ! 馬糞を食べようなんて気が狂ってるとしか思えません。不衛生じゃないですか!」
「だよね、良かっ……いや、お前よくわし掴みしてるじゃん!」


突っ込みすぎて疲れたのか、脱力して肩を落とすと、清光はもーいいや、と呟いた。


「ほら、早く食べよー」
「はーい!」


鯰尾はそれに従い、清光の隣に座って、鯰尾に用意された分を手にとる。布団を敷きながら耳だけは其方に向けて、反応を伺ってしまうことも仕方ないだろう。


「――おいしい! 美味しいです主さん! 美味しいです!!」


何度も言われるたび、うれしさがこみ上げる。目を向ければ、満面の笑みを浮かべた鯰尾が審神者のことを見ていた。審神者は、自然と顔を綻ばせてしまう。


「――良かった」


つられるように満面の笑みで答えれば、鯰尾は一層嬉しそうに笑った。そうして、残りの料理を次々と口にする。夕餉も済ませたというのに、その食欲に衰えは見あたらない。喜んでもらえたことが嬉しくて、審神者は口元を緩めたまま布団を引いていく。骨喰が手伝ってくれたこともあってすぐに終わり、審神者は布団の上に腰を下ろして、縁側に座る鯰尾と清光を眺めることにした。


「主」


足を伸ばして、ふうと息を吐いた審神者の隣に骨喰がちょこんと座り、淡々としたしゃべり方で口を開く。


「どうした?」
「今夜は、主と寝たい。いいか?」
「構わないが……就寝中の護衛は強制ではないよ。それでもここで寝るのかい?」
「ああ。それでいい」


言って、どこか深刻そうに骨喰は審神者のことをみる。


「主。今日のことなんだが――俺は今剣に護衛係を託すべきではなかった……と思う。だから、主も俺に命じないでくれ。護衛係を他の刀に任せるように、と」


背筋を伸ばして言われた台詞。それだけで、審神者は気づく。骨喰は、一時的だろうが今剣に護衛係を任せてしまったことを気にしているのだと。


「……わかった。次はもう、他の刀には任せないよ。例え一時的でもね」
「良かった。主はすぐに口説かれるから心配だった」
「お前が思うようなことはなかったぞ。骨喰」


正直にいうわけにもいかず。認めるわけもいかず。けれど骨喰の言葉を否定するような返事をしてから、審神者は布団の幅を確認する。


「一緒の布団で良いならいいが、もう一組布団があった方が良いなら持参してもらうことになる。それは構わないか?」


こくりと、骨喰が頷く。


「問題ない。共寝する」
「そうか。分かった。まあ、私と骨喰だけならそう困ることもないな」


脇差のサイズならば、そこまで窮屈にはならないだろう。小狐丸と寝られていたのだから何の問題もない。そう軽く考えて口にしたとき、間に割り込むような形で鯰尾が飛び込んできた。


「俺も! 俺も寝ますぅ! 仲間外れにしないでくださいよ!」
「鯰尾、そんな風に飛び込んでくるのはやめなさい」


勢いのせいで布団ごと大きくずれてしまった。骨喰も無表情ながらに驚いたらしく、正座をしたまま固まってしまっていた。そんな骨喰を気にすることなく、鯰尾は、審神者に飛びついて、腰に腕を巻き付けてきた。

寝間着にしている浴衣は普段よりも生地が薄く、いきなりのことで一瞬体が強ばる。下からのぞき込んできた鯰尾とばっちり目があった。


「主さん、俺が守ってあげないと夜這いされますよ? いいんですか? 良くないでしょう? じゃあ、ちゃんと俺をそばに置いて下さい。絶対です。絶対ですからね!」
「夜這いなど……いや、分かった。そうだな、鯰尾。私のそばにいてくれ」


小狐丸が夜這いなどしてきた試しはない。だが、こういった時、真っ先に危惧されるのは小狐丸だ。審神者はそれを考えて、また、今日の小狐丸とのやりとりをどうにも思い出してしまっていて。小狐丸を警戒しているわけでも何でもなく、ただ鯰尾がそれを求めているからという理由で、頷いた。


「もちろんです!」


腹に顔を埋めるようにしてすりすりと頬ずりする鯰尾の頭を撫でながら、審神者は布団を見下ろす。


「少し、手狭かもしれないな」
「いやー、俺たち三人ならギリギリいけますよ」
「主は細身だからな」
「そこまで細くもないよ」
「えー。細いですよ? ほらっ」
「…やめなさい」


審神者の細身を証明するためか、鯰尾の手が審神者の背中から腹部にかけて撫でられる。背筋を伸ばして鯰尾の手を離れさせようとした審神者に、鯰尾の顔が楽しそうに歪んでいく。その顔はまさに悪戯を企んでいるときのようなものに感じられて。

審神者は、嫌な予感を覚えた。


「くすぐったがりなんですねえ、主さん?」


鯰尾の手が、指が、予測できないような不可解な動きをしながら、審神者の体を撫で回す。嫌な予感が的中して自力で鯰尾の手を引きはがそうとするも、それも鯰尾は予測できていたらしい。


「そおれっ、くすぐっちゃいますよ〜!」
「や、さわるな鯰尾…っ…!」
「ふふーん。逃げられるものなら逃げてごらんなさいな! 逃がさないわよ!」
「ふっ、なんだそのしゃべり方は……っ、やめ、まってくれっ」


上から体重をかけられるようにして、動きが制限される。身動きが思いようにとれないことを分かっていながら、鯰尾は脇の下から脇腹から、腰も背中も、どこを触っても声を漏らす審神者のことを楽しんでいた。


「――っ、んっ」


これ以上は、妙な声が出てしまいそうで、審神者はそれを押さえるために口を覆うように手で押さえつける。身をよじって上にのっている鯰尾をどかそうとするも、それさえも利用される形で弱いところを念入りにくすぐられる。指先で弄ぶように触れられて、審神者はびくりと体を震わせた。


「主さんったらココ、弱いんですねえ。くすぐりがいがあるってもんです!」
「鯰尾」
「あはは、そんな力じゃ俺は止められませんよ〜?」
「鯰尾、鯰尾」
「えっ、骨喰。なに?」
「後ろだ、気をつけろ」


ぎゅっと目をつぶって、なんとか声を抑える審神者の頭上を、骨喰と鯰尾の会話が飛ぶ。内容を深く聞くことも出来ずに、審神者はただただ情けない声が口からこぼれないように耐えるだけである。

そんな中、ゴツンと鈍器で殴られたような音が審神者の耳に入る。同時に、重みがふっとなくなった。


「鯰尾ー…ちょっと厨房まで一緒に行こうか? 片づけ、しにいかないといけないもんねえ?」


瞼を開いて様子をうかがう。審神者の視界に写ったのは、俵をかつぐように鯰尾を抱えている清光の姿である。審神者の視界では鯰尾の下半身しか見えないので、鯰尾の表情は分からない。だが、先ほどの鈍器のような音の正体は、なんとなく察することが出来た。物言わぬ鯰尾が、それが正解なのだと物語っている。


「主、ちょっと鯰尾連れてく」


許可を求めているわけではない。これは間違いなく決定事項である。審神者には選択権などなく。涙目のまま、審神者はこくりと頷いた。


「骨喰。しばらく、主を頼むね?」


続いて、骨喰に言う。それに、骨喰はこくりと神妙な顔で頷いた。


最後に何もいわずに、にっこりと笑って鯰尾を抱えたまま清光は部屋を出ていく。それを見て、どうにも、血の気が引いていく感覚を覚えた。


「……大丈夫か、主」
「………ん、多分な」


色んな意味で力が抜けた。力なくそう答えた審神者に、骨喰がぽつりと呟いた。


「加州は主が大切なんだな」


それに審神者は何も言わずに、ふうと大きく息を吐いて、目を瞑ったのだった。


(私が審神者だからな)


でなければ、今の状況はない。思っても口には出さなかったそれが、紛れもない事実であることを審神者は理解している。

小狐丸との件があったせいか、審神者はそんな風に考えてしまう。考え込んでしまう。審神者が良い審神者であろうと思う限り、刀剣男士を主として以外で愛しようもない。審神者ではない視点で、刀剣男士に好意を持つことなどないだろう。否、それは不可能なのである。

それを今日、改めて思い知った。
好きになったことのない己が恋が何たるかを理解しているわけがない。審神者は清光を好きになっていたのだと思った。思っていた。だが、それは審神者として、ではないだろうか。審神者ではない個人としての感情からではなく、審神者であるが故に、ずっとそばにいた清光に情がわいてしまったのだと。そんな風に思えてきてならなかった。

早い話が錯覚だ。良い審神者であろうとしたが故に起こした勘違いともいえる。


「清光は近侍だからな。私を一番に、支えてくれている。……それだけだよ」


だから好ましい。審神者として、これ以上ないくらいの好意的に感じる存在。

だから好ましい。審神者として、理想のために貢献してくれる存在なのだから。


そう考えると、妙にすとんと附に落ちた。そうだ。冷静に考えれば、己に恋など出来るわけがない。そして恋をする必要もない。むしろ、恋をしてしまうことは己にとって不都合しかない。


(……自惚れていた。僕が恋など、やり方も知らないくせに、調子に乗って、何を勘違いしていたのか)


己の弱さを埋めるための存在に、審神者は清光を利用していたにすぎないのだろう。最低だと思うものの、それならば清光に好意を持っていたのだと考えた理屈にも納得がいった。


『審神者ではない私に価値はない。審神者であること以外は、何も私の中にはない』


小狐丸に告げた言葉を思い返しながら、審神者は考えを改めた。


(私は清光を好いていたわけではない)


あれは恋ではない。良い審神者であろうとしたが故に生まれた弱みでしかない。清光に限らず、刀剣男士に恋など出来ようもない。二度と想いを勘違いすることがないように。


(あれは恋でも何でもない)


もう清光を振り回さないために、審神者は今一度気を引き締めなければならない。



「……?」


そんな審神者の様子を、骨喰は不思議そうに見下ろしていた。













「加州さん、主さんって簡単に押し倒されちゃうんですねえ」

「……そーね。主は俺らに乱暴に出来ないから、結果そうなっちゃうの。力比べなら俺らの方が圧倒的なのに、それでも、刀剣男士を傷つけられないからって、大した抵抗が出来ない人なの、主はね」

「流石永久近侍ですね。やっぱり、主さんのこと、一番に理解してるっていうか」

「どうだろ。俺が一番、主のこと知らないのかもしれないよ。いつだって、主を困らせる奴が一番主のそばにいけるんだ」

「小狐丸さんのことですかー? 確かに、主さん今日も小狐丸さんに口説かれてたみたいですよね。際どいところにも触られてたみたいですし?」

「……は?」

「首なんて、普通触らせないですもんね。主さんが首隠してたのって、跡とかいっぱい残されてたからでしょう? 俺達は刀だけど知識がないわけではないので、もうとっくに察しちゃってますよ。主さんは頑なに隠そうとするけど」

「おおっぴらに見せるわけないでしょ? いいんだよ、それで」

「でも今日、また隠さなきゃならないことをされたみたいですよ? 跡は残ってませんでしたけど」


ぴたりと、清光は足を止めた。抱えていた鯰尾を下ろすと、鯰尾は軽やかな動きで着地して、清光のことを見る。


「――加州さん。俺は薬研と主さんにくっついてほしいので、小狐丸さんと主さんがくっつくのは反対です。そこは、目的が一緒なので、」


にっこりと、笑う。


「ちょっと、情報を共有しませんか?」



[newpage]



[chapter:どえらいもん見てしまった今剣の話]




(……とめたほうがいいのかなあ?)


良い茶葉を探す、などとただの口実である。そのようなものは今剣の部屋には置かれていない。あるのは一種類のみである。ただ、同じ三条のよしみで、小狐丸の恋を応援したいが故に気を回しただけである。護衛係なんてものが出来てから、目に見えて小狐丸は審神者と二人になる機会がなくなった。それは小狐丸だけに限った話ではない。審神者に想いを寄せるものを避けるために護衛係が出来てからというもの、審神者が一人になることはなくなった。

そこにふってきたチャンス。一振りしかいない護衛係の骨喰と一時的に交代するという名目で、今剣は審神者の護衛係になった。そうして、今剣が席を外すことで、小狐丸と審神者を二人きりにすることが出来たのである。

勿論、小狐丸が審神者に乱暴するのであれば、今剣は止めるつもりでいた。恋ではなくとも、今剣とて審神者のことは慕っているのだ。傷ついてほしいわけではない。


(いや、いやがっているとはんだんするのはせいきゅうでしょうか? あるじさまがたすけをもとめていないのは、そういうことかもしれません)


会話は聞こえている。小狐丸と審神者の会話を聞きながら、今剣は茶葉を探すふりをしていた。けれど、何かを叩きつけるような音がして、今剣はすぐに縁側の様子を見にいった。そこでは今剣の予想通り審神者が小狐丸に押し倒されているところであった。静かに刀を顕現させ、すぐに止めようとしたものの、審神者の反応を確認して、静かに様子見の姿勢に入る。

審神者は押し倒されたにも関わらず、静かに、声を荒げることもなく、小狐丸を見上げていた。今剣はまだ入るときではないと判断して、待機する。

その後今剣が見たものは、普段の審神者ではない審神者の姿であった。










鯰尾の絶叫の後――鯰尾と共に審神者がいなくなった後、今剣は小狐丸の隣に座り、大きなため息をついた。


「どえらいものをみてしまいました」


何のことか、とは小狐丸は聞き返さない。考え込むように口を閉ざしていたが、その意識は今剣の言葉よりも、先ほどの審神者の態度に向いているように思えた。


「まさかあるじさまがあのようにおもっていたとは。それに、あるじさまがあんなこうどうにでるともおもってませんでした」


審神者は物腰の柔らかい人間であるといえる。それは、この本丸にいる刀剣男士が揃いも揃って評価するに違いない周知の事実である。

出陣や手入など、戦に関することにおいては審神者は己を譲らず、毅然とした態度で指揮をとる。けれどそれが終わってしまえば、怒ることもせず、皆のわがままを聞く優しい人柄をみせる。それを優しいとするか甘いと判断するかどうかは、本丸の中でも二分にわかれているところである。


「なにもなくたって、あるじさまはあるじさまなのに」


ちょっと小狐丸に協力するつもりが、まさか審神者の意外な一面を見てしまった。驚きは勿論、しかし、他の刀剣男士が知り得ないような姿を見て嬉しく思う。加えて、審神者でなければ好かれるはずがないという審神者に、寂しく思ってしまうのだから、今剣の心境は複雑だ。


「こぎつねまるは、どうおもいましたか? あるじさまへのきもちはかわりませんか?」


問えば、小狐丸はしばらくの無言の後、牙を覗かせて、笑う。


「変わるわけなかろう」


むしろ。そう続けて、血の気たった目を細めてみせる。


「一層、手に入れたくなった」


小狐丸は確信した。審神者を手に入れたいと思うのであれば、良き審神者であろうとするあの皮を剥がさなければならない。その厚い皮を破って、中にある審神者の本性ごと愛していると、そう審神者に実感させなければ手に入れることは出来はしない。

だが、それに気づいているのは小狐丸だけである。審神者のあの態度、既に他の刀剣男士にも同じ事を言っていた後だとは考えにくい。


「あれは私のものです。他の刀になど渡すものか」


自身を落ち着かせるように一呼吸入れて、小狐丸はそう口にする。どんな流れであろうと、審神者の方から小狐丸に触れてきたのは事実。首の後ろに回された腕の温度も強さも、至近距離で煽るようにのぞいてきたあの黒い瞳も。唇の端に誤魔化すように重ねられたのではなく、唇同士を確かに合わさせられたあの瞬間も。

時間さえあれば、邪魔さえなければ。審神者に何をしていたのか、小狐丸ははっきりと理解していた。


「――ああ、はよう抱いてしまいたい」


触れた熱の温度がまだ手のひらにも唇にも、残っている。
おあずけを喰らった犬のように、小狐丸ははっと息を吐き出した。既に小狐丸の頭の中では、審神者が何をされているのか、今剣には容易に想像が出来た。


「むりやりはだめですよ。ごういんなのはいいですけど。ちゃんと、あるじさまのきもちはもらってくださいね」


言って、今剣はわらう。
小狐丸は不適に歪んだ笑みを浮かべるばかり。その言葉に返事はしなかった。


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