演練会場――それは刀剣男士が、他の本丸所属の刀剣男士と手合わせをするための場である。演練をする以外にも、会議をするための大部屋をはじめ、食事処や甘味処まで設置されている。
(広いな……)
審神者がこの場所に訪れたのは二度目であった。審神者になる前に一度、どういった場所なのかを知るために、師に連れられたきりだったのだ。演練へ出向く刀剣男士に同行する審神者が多数だが、会場には行かずに映像記録や書類記録で確認する審神者も一定数存在する。審神者は後者である。
にも関わらず、今回審神者が演練会場まで出向いた理由は、一つ。弟弟子である審神者と会う為であった。
[chapter:審神者は恋ができないF]
「どう? 主さん。感想は」
審神者の右手をぎゅっと握っていた乱藤四郎は、ふふっと悪戯っぽい笑顔を見せながら審神者にそう問いかけた。久しぶりに訪れた場所に、視線をあちこちに移していた審神者は、どこか放心しているような声で答える。
「……広いな。人も多くて、迷いそうだ」
「主さんは、人混み苦手?」
「そういうわけではないが……あまり、こういう場には来ないから、なんといえばいいか」
町に出たときの比ではない。刀剣男士と審神者が入り乱れるこの会場に度肝を抜かれたといえば大袈裟だが、表現に困ってしまう程度には驚いている。そんな審神者を安心させるように「大丈夫だよ」と声をかけて、乱は審神者との距離を縮め、空いている手を審神者の腕に絡めた。
「ボクが、ちゃあんとそばにいてあげるからね」
甘い声でそう言う乱は、少女のように可愛らしい外見とは裏腹に、審神者を守ろうという強い意志をその瞳に秘めている。審神者が助けを必要としているかどうかはさておき、その心強さに審神者は乱に微笑みを見せた。
「ありがとう、乱」
「ん、任せてね。ここにはお店もいっぱい並んでるんだよ〜? おすすめの甘味処もあるんだ! あとで、主さんと食べたいな」
「ああ。なら、後で食べに行こうか」
「やったあ! 主さん、だーいすき!」
「こら、乱」
すかさず一期一振から窘める声が入る。乱は一期一振から身を隠すように立ち位置を変え、審神者の背中に隠れてしまった。
「主殿、あまり乱を甘やかすのは……」
言われ、審神者は乱から一期一振に視線を移す。怒っているわけではない。苦い表情を浮かべている一期一振は、保護者の顔をしていた。
「少しくらいは良いだろう? こんな機会はそうないのだし……駄目かい?」
「……いえ、駄目だと言っているわけではありませんが」
「いち兄…? だめ?」
「乱…」
粟田口の方針だろうかと思って聞けば、一期一振は途端に困ったような表情を浮かべてしまう。じっと見つめていれば、根負けしたように小さく肩を落としてしまった。
「仕方ありませんね…」
「やったあ! ボク、今日はいっぱい頑張っちゃうよ!」
ぱっと顔を明るくした乱は、審神者の腕に頬ずりをした。それを微笑ましく思いながら、審神者は意識を他に向ける。
「! それ本当…!?」
甘味の話を乱がした時から視線を感じていた。そちらに目を向ければ案の定、感激したように目をきらきらと瞬かせている燭台切の姿があった。
「乱くんの一押しって、あのお店だよね? 期間限定のスイーツを出す度に長蛇の列を作って、しかもそのどれもが最高に美味しいし見た目がお洒落なあのお店だよね?」
「そう! そうだよ〜!」
「っ! わあっ、どうしようっ! あそこのスイーツ、ちょっと高いから滅多に食べられなくって…! 今、確か抹茶スイーツの新作出してるよね?」
「うん! 燭台切さん、ずっとあのお店チェックしてたもんね〜! ボクはね、あそこの苺スイーツが気になってたの。気になってたけど、挑戦できてなかったから〜」
「うわあっ、僕もだよ! ねえねえ、良かったら半分こにしてくれないかい? この機会を残したくないんだ!」
「もちろん良いよー! ボクもいろいろな味を試したいな」
きゃっきゃっと甘味の話題に勤しんでいる二振りを横目に、審神者は今度は己の左手を掴んでいる刀剣男士へと目を向けた。
「………!」
甘味にありつけることに喜んでいるのか、静かに目を輝かせている――和泉守兼定である。和泉守が甘味を喜んでいることは微笑ましく思うが、それはそれとして、審神者は己の左手を見下ろす。
(……迷子になると思われているのだろうか)
演練会場について早々、それが当然だというように審神者の左手を掴んだ和泉守は、それからずっと審神者の隣を維持していた。物申したい審神者が目で訴えても、和泉守はそれに意を向けることはしない。それどころか『うろちょろするなよ』と審神者に言い放った和泉守は、審神者の手を離すつもりはないようだった。よくよく考えればその発言も理不尽である。
(いや、あれは私が迷子になったわけではないのだが……)
以前共に町へ行ったときにはぐれたのは和泉守と堀川の方であり、審神者ではない。なのにこの和泉守の行為はまるで、審神者が勝手な行動をしてはぐれてしまった結果だからとでも言いたげだ。
町に出たときとは比べものにならないくらい人の出入りが激しい場所で、両手を刀剣男士に確保されている審神者は果たしてどれだけいることだろうか。そんな不安を覚えた審神者だったが、いくら考えたところで和泉守は解放してはくれなさそうだったため、考えることをやめた。何せ、和泉守は皆になにを言われても一向に譲る気配を見せなかったのだから、その件についてはどうしようもない。
だが、そろそろ離してもらわなければならない。
「……和泉守。そろそろ、離してくれ」
「あ? ああ、そんな時間か?」
弟弟子の審神者と待ち合わせの場所と時間を考えれば、演練部隊とはここで分かれる頃合いである。ついでに早いところ手を離してもらいたいと思う審神者を、和泉守は心配そうに見てくる。
「大丈夫か? 迷子になるんじゃねえぞ」
「……心配しすぎだ」
どれだけ己は頼りないと思われているのか。審神者は眉間にしわを作りながら物申す。けれど和泉守に審神者の言葉が響いている様子は何もなく、代わりに傍に控えていた長谷部が口を開く。
「主には俺がついている。誰にも手は出させん」
和泉守が審神者の手を繋いでからずっと不機嫌に口を閉ざしていた長谷部は、その声にも露骨に不機嫌さをにじみ出ている。じろりと、和泉守は長谷部を鋭い目で見つめる。
「本当に大丈夫かよ。ちょっとでも目離したら終わりだぞ」
「問題ない。片時も離れるつもりはない」
「マジで頼むぞ。こいつ、本当に危なっかしいからな」
「こいつと言うな。言われなくても、目など離すものか。……それよりお前、いつまで主の手を握っているつもりだ」
「ん? ……ああ、下心はねえって。お前と違って」
「はっ、どうだかな」
「はあ?」
「やめなさい」
窘めるように割り込んでいえば、長谷部は口を閉ざし、反対に和泉守は口を開く。
「主はな、危なっかしいんだよ! ちょっとでも目を離してみろ! 絶対妙なことに巻き込まれるぞ」
「……和泉守」
何故こうも過保護にされなければならないのか。審神者は心の底から納得できない思いである。
「はいはい、そこまで」
見かねたように清光が割って入ってくる。ついでに、和泉守の手と審神者の手を引き離した。
「ここは審神者と刀剣男士しかいないんだから、そんなに深刻に構えなくっていいでしょ」
そう言って、清光は審神者と向かい合って、にっこりと笑う。
「それよりさ、弟さんの話が終わり次第、主は俺たちの演練試合観に来るんだよね?」
「ああ、そのつもりだよ」
今日の演練試合予定は三回ある。控えている時間も合わせて考えれば、そう時間も経たない内に審神者も部隊に合流出来るはずであった。それを把握していた清光は、改めて確認をとれたことで安心したようだった。
「良かった! 楽しみにしてるからね。でもせっかくだから、ゆっくり話はしてきなよ? 主がこんな風に誰かと会うなんて初めてだもんね?」
「……言われてみればそうだな。でなければ、ここまで来ることもなかったかもしれない」
「あの人、いっつも連絡だけはしてきてたよね。連絡だけはマメだったよ」
「内容はともかく、回数だけはな」
「いつも同じこと言ってたよね〜。それでいっつも主に一蹴されてさ。でも……」
「……でも、なんだい?」
妙なところで区切ってしまった清光に聞けば、清光は何でもないと主張するように首を小さく横に振る。
「大したことじゃないよ。あの人が主の弟弟子だっていうんなら、俺も正直会ってみたいかなって思って。それだけ」
言われ、審神者は顔をしかめる。
「……悪い奴ではないが、ろくでもない奴だぞ。会わなくて良いなら、その方がずっと良い」
「主のそういう反応ばっかり見てるから、尚更気になっちゃうんだよね」
「………」
会いたいと言われれば、会わせることは可能である。けれど乗り気ではない。
「そんな顔しないで。言ってみただけだから」
何もいえずにいた審神者に、清光は少しだけ困り顔で付け加えた。そして仕切り直しとでもいいたげに、審神者に向かって笑ってみせた。
「じゃあ、行ってくるからね」
言って、清光は審神者から距離を置く。それに続くように演練部隊の面々も動き出す。燭台切は手を軽く振り、一期一振は小さく会釈をして、和泉守は審神者の頭を撫でてから。乱も、審神者から手を離し、清光に続いていく。
「長谷部さん、主さんに手を出しちゃだめだからね〜」
「……っ、わかっている!」
乱の言葉に顔をしかめて言う長谷部に、審神者も困り顔を浮かべた。相も変わらず、こういう時、どんな表情を浮かべれば良いのかさっぱり分からない。とりあえず燭台切に手を振り返す審神者だったが、死角となる位置から審神者を追い越すようにして姿を表した刀剣男士に、はっとした。
「――大将」
審神者の正面まで移動して、くるりと振り向いて前から向かい合ったのは、薬研である。
審神者は瞬間的に息をのんで――反射で薬研から目をそらした。
(……しまった)
その後で、後悔する。己のこの態度は、明らかに良くないものだ。それはよく分かる。だが、咄嗟にそうしてしまった。それというのも、以前薬研と過ごした夜のことを思い出してしまったからである。顔に熱が集まって、審神者は唇を引き結んだ。
とにかく、これではいけない。醜態を晒さないために、審神者は何も考えないようにと強く意識してから、そろそろと、薬研に視線を向けた。
「……なんだ」
審神者から目を離していなかったのだろう。すぐに視線が合わさって、心臓の鼓動が増す。なんとか平静を保ちながら言うものの、どこか声がうわずっているような気がした。そもそも、以前の出来事から時間がそう経っていないのだ。ここまで至るにも、審神者はなるべく薬研を意識しないように注意を払っていた。つまりは、あまり視界に入らないようにしていたのである。勝負事ではないが、勝てる気がしなかった。対面するにはまだ心が追いついていないのである。
「……いや、今日は目を合わせてくれないだろ? 俺が何か粗相したんなら、早めにその理由を聞いておこうと思ってな。何せ、俺には大将に避けられるようなことをした覚えが全くない」
一歩詰め寄るようにして審神者に近づいた薬研は、飄々とした様子で審神者を問いつめる。その薬研の言葉の一つ一つに突っ込みを入れたいと思いながら、審神者はぐっと押し黙る。
目を合わせることを避ける理由は、審神者が薬研を意識しているためである。などと、他の刀剣男士の視線が向けられた状態で答えられるはずがない。
「……粗相など、何も」
「本当か?」
「ああ。そう思わせてしまったのなら謝る。すまなかった」
「なに、謝ることはねえよ。理由は察しているからな、本当は、特に気にしていないんだ」
真っ直ぐと審神者に目を向けたまま、意味深に薬研は口角を吊り上げた。立ち位置の問題で審神者にだけ自分の表情が見えるのだと把握しているのだろう。そう言う薬研の眼差しは、あの夜と同じもので。
「ただ、アンタの目に俺が写らんのが面白くなかっただけだ」
真っ直ぐな視線と言葉に、審神者は頬の熱が増していくことを自覚した。困ってしまって、けれど言った手前目を逸らすことも出来ないまま、ただ唇をとじ合わせているだけだ。なんとか熱が上がらないようにと考えれば考えるほど、かえって意識してしまう。
「行ってくる。用が済んだら、俺の戦いぶりをその目によく焼き付けといてくれよ。大将?」
審神者の顔が赤くなっていることなど、分かっているだろうに、薬研はそれには一切触れなかった。ただそんな普通のやりとりだけを交わして、審神者に背を向けて歩いていく。審神者の返事も待つことなく歩いていった薬研の背中は、先頭にいた清光さえ追い越していった。
「…………」
清光はその薬研を静かに見ていたものの、特に何を言うこともなく、薬研に続くように審神者に背を向けて歩いていく。
それに遠征部隊が続いて、やがて小さくなっていく背中をそれ以上見ていられず、審神者はうつむいた。耐えきれずに、隠すように頬に手の甲を当てれば、己が思っていた以上に熱が籠もっていた。
(情けない……)
少し目が合っただけである。にも関わらず、こうも意識してしまっているなど、堪え性がないといわれても仕方がない。そうみっともなさを自覚しながら、審神者はほうと息をついた。結局、落ち着くまでに時間を要してしまうのだろう。何か言葉を発しようとしている長谷部の気配は感じ取っていたが、何も聞かれたくはないという思いから、誤魔化すように歩き出す。長谷部も、続くように足を踏み出した。
「行くぞ」
視線を感じる。長谷部から、強い視線を。見ていないのにそれが確信できた審神者は、その理由も大方察しているが故に、どうしたものかと悩んでしまった。
「……そのような目で見るな、長谷部。何でもないんだ、本当に」
空気に耐えられず、足を止めぬまま少しだけ背後を振り返り、審神者は長谷部を見る。審神者とペースを合わせながらも、長谷部はどこか焦りを感じているのか、その足取りにはどこか性急さを覚えた。長谷部は、どちらかといえば規則的に歩く方であるのに。
「そうは見えませんでした」
長谷部は不機嫌に眉間にしわを寄せて、つんけんとそう口にする。珍しく、感情的になっている様子だ。
「薬研と、何があったんですか」
ぎくりとする。だが、長谷部がそう言うことも当然だろう。先程の己の態度に問題があることは、審神者も自覚している。
「……何も」
少なくとも、長谷部に報告しなければならないような、そんな直接的な接触は薬研との間にはなかったのだ。少し気が咎めたが、この返答でも問題ないはずだった。
「見え透いた嘘はおやめください。主の態度を見ていれば、すぐに分かります」
けれど、長谷部は引かなかった。審神者は気まずさを覚えながら、また長谷部から視線を逸らすようにして歩き出す。少しだけ早足になった審神者に対して、長谷部は決して遅れをとることもなくついてくる。
「まるで、生娘のようでした」
「……女扱いをするな。その例えはやめろ」
「では、なんと表現しますか? 貴方のあのような顔――俺は見たことがありません。俺には、説明を聞く権利がある。そうでしょう?」
今度は強く腕を引かれ、審神者は足を止める。否、止めざるをえなかった。振り返った先、己が予想していた以上に近い距離で、長谷部は審神者のことを見つめていた。
泣きそうな――否、怒りを携えた表情だった。
「……あいつを、好きになりましたか?」
審神者は、ぐっと押し黙る。そんなはずがないだろうと一蹴してやりたいところではあったが、生憎と、その一言で片づけられるような態度をとれていなかったのは己である。それ故に後ろめたくもあり、けれど認めるわけにもいかず。
「……皆、私にとって大切な刀剣男士だ。好きというなら皆同じ。一振りだけを特別になど思ってはいない。当然だ」
長谷部の頬に手を伸ばす。そのまま、そっとその肌に触れた。
「……貴方は、俺に言いました。もしもの時は俺に全てを委ねると」
「ああ、言ったな。覚えている。だから何も気にすることはない。……そんな顔をしないでくれ」
愛しそうに、審神者の手に長谷部の手のひらが重ねられた。
微かに唇を開いたものの言葉を紡ぐことはなく、長谷部はただただ不安そうな目を審神者に向けている。
審神者は少し悩んだ末に、時間を確かめる。この状態の長谷部を連れ回す気には、どうしてもなれなかった。
「……少し、話をしようか。長谷部」
これからする話は、人通りの多い場でする話ではない。審神者は人気の少ない場所まで長谷部に案内をさせた。そうして連れてこられた場所は、奥の奥、出入り口も厠も店もない一角であった。少し薄暗いその場所には、本当に何もない。ただ申し訳程度に長椅子が置かれているだけだ。そこから少し騒がしい方へ歩けば、演練試合を中継する巨大なパネルがのぞき込めるような、そんな場所だった。
全く人がいないわけではないけれど閑散としているそこに、審神者は感心した。あれだけあった人気が、ここまで少なくなるものとは思わなかった。
「こんな場所があったんだな」
「……ええ。ここまで来る者はそういません。ただ、人に聞かれたくない話をするものはここまで足を運びますね。悪さをして説教されている刀剣男士をたまに見ます」
「ああ、成る程な」
「それから、相談を受けているような場面も見ますね。ここからなら、遠目ではありますが一応パネルも確認できますし」
言われ、審神者は遠目で画面を確認する。大きなパネルはいくつかの試合を同時に中継しているため、その本丸の番号と共に複数に分けられ、それぞれの様子を映し出している。
「ここなら、約束の場所も近いな」
「はい。必ず間に合うように致します」
「ああ。助かるよ、長谷部。ありがとう」
こんな時でも真面目に動いてくれる長谷部に感謝をして、審神者はさて、と佇まいを正す。こうして長谷部を連れ出してしまったが、何から言えばいいのか分からなかった。少しの沈黙を得て、話を切り出したのは長谷部の方だった。
「……俺は、貴方が分かりません」
それに審神者は小さく目を丸くして、けれど長谷部の言葉に静かに耳を傾ける。
「俺達が刀剣男士である以上、貴方は決して好きにはならないと言いました。だから俺は、貴方が誰も選ばない以上は何もしないと、これまで通り仕えるのだと言いました」
わりと手は出されていたような気はするけれど、審神者は長谷部の話に水を差すことはしなかった。とりあえずは、長谷部の話を最後まで聞こうと思ったのである。
「……けれど貴方は、小狐丸に名前を教えました。先程の薬研への態度だって、何もなかったとは到底思えない。誰も選ばないと言いながら、貴方は今にも他の刀と関係を持ちそうで、俺は不安になるんです」
そう言う長谷部は、今にも泣き出しそうに見えた。怒りの感情を多く含んでいるように見えるのに不思議だと、審神者は静かに思う。
「私は誰も選ばない。小狐丸の件は……前も言ったな。あれは、名前という程のものではないんだ。ただの記号でしかない」
「関係ありません。小狐丸が誰より先に貴方の名を知ったのだという事実が、気に入らないのです」
その言葉に、審神者は少しだけ動きを止めた。
「……私の名前なら、清光もとうに知っているぞ」
そこは長谷部にとって重要な点ではないかもしれない。そうは思いつつも、審神者は長谷部にそう訂正する。長谷部は審神者の言葉に目を丸くして、そして唖然とした。審神者は困ったように眉を寄せながら説明を始める。
「清光は昔から、ずっと私のそばにいただろう? これから会う男からの連絡も、そばにいたのだから聞いているはずだ。その時にも私は名を呼ばれていたから、清光が忘れているのでなければ、既に知っているはずだ」
立場上は弟弟子だが、審神者は兄と呼ばれたことは一度もない。いつも名前という番号で呼ばれていた。こんのすけを通して連絡をとっていた時も同様である。出陣や遠征がなければ、清光はいつも審神者のそばにいたのだ。加えて、審神者は連絡が来ても刀剣男士に席を外させることをしたことがない。そのため、清光が審神者の名前を把握している可能性は非常に高かった。
「……長谷部。何度も言うが、本当に大したものではないんだ。だからそんな顔をすることはない」
あまりに衝撃的だったらしい。言葉を失っている長谷部には、審神者も釣られるように青ざめてしまう。審神者は唇をへの字にして、蜂須賀からのアドバイスを思い出した。例え番号だったとしても、迂闊に自分から名を教えることはよくないのだと言っていた、あの言葉を。
それを受けたから、審神者は長谷部に進んで名を教えておくことをしなかった。知られたところで真名ではないのだから問題ないのだが、止められても尚教える必要性は感じなかったのである。
だが、今はそれも必要ではないかと思った。このままの長谷部を放置など出来ない。それに、どのみち弟弟子に会えば名前を呼ばれてしまうのである。勿体ぶる理由もない。まるで苦虫を噛んだような表情で、審神者は口を開く。心の中で、蜂須賀に謝罪した。
「‘八’だ。長谷部。これから会う男は八という。八番目に来たから、八と名付けられた」
中間をとって、審神者はヒントだけを長谷部に与えて黙り込む。後は長谷部自身が、当てるも当てないも好きなように選択したら良い。長谷部は賢い刀である。審神者の名も、これだけいえばすぐに気づくに違いない。予想通り長谷部はすぐにハッとしたようで、真っ直ぐに審神者の目を見つめる。そして緊張するように唾を飲み込んでから、ゆっくりと口を開いた。
「――…いち」
審神者の考えは決して間違いではなかったようである。少しの躊躇いの後に、静かに名が紡がれる。審神者は微かに目を細めて、小さく頷いた。
「――そう。私が一番初めに師匠の元へ来たから、一。真名ではないよ。気になるなら、それを使って試しに何か命じてみると良い」
ふっと笑って、審神者は長谷部と少しだけ距離を縮めた。番号とはいえ、その名を呼ばれるのは久しぶりだった。
「いいえ、俺はそんな……」
「構わない。どうせ効力はないんだ。この際だ、大したものではないと知っておけ」
しばらくは長谷部は戸惑いを見せていたが、やがて、審神者の言葉に従うことに決めたらしい。
「では……」
そっと、手のひらを審神者に向ける。なぞるように丁寧に、唇の形が変わっていく。その唇から紡がれた言葉は、確かに審神者の名だった。
「――手を、」
それから遠慮がちに言われた言葉に、審神者は僅かに目を見開いた。名が効力を発揮したから、ではない。命じられた言葉の意味を理解した衝撃からである。
だが、審神者はそれ以上表情を崩さないまま、長谷部の手のひらの上に己の指をのせた。迷ったが、意を汲んでも良いかと思ったのである。真名として使えるかどうかを試すだけならば命令を聞かないことが正解なのだが、悪戯心が働いてしまった。
「わん」
そうして犬のようにそう言い放てば、長谷部は呆気にとられたような表情を浮かべる。それがどこかおかしくて、審神者はふっと笑った。
「――なんてな。そんなに、私をしつけたかったか?」
まさか、犬にするようにお手を命じられるとは思わなかった。茶化すように言えば――少しの間をおいて、審神者の意図を汲んだ長谷部はかあっと頬に朱を浮かべた。
「私はお前を随分と振り回してしまっているからな……そう思われても仕方がないが……」
「いいえっ、俺はそのようなことは……」
「まるで犬だな」
「ですからっ!」
その内首輪でもつけられてしまいそうだなんて、まるで他人事のように考える。そんな審神者に、弁解するように長谷部は捲くし立てた。
「俺はただっ、和泉守のように……その……手を……」
言われ、ようやく審神者は長谷部の意図に気がついた。犬にするようにお手を命じられたのだと思ってしまった、そんな己の意識の方に問題があったのだと。言われてみれば、長谷部の言葉は、そういう意味にもとれた。
(……私が後ろめたさを感じていたせいか)
まさかその程度のことを命じられるとは思ってもみなかった。審神者はそんな己に恥ずかしさを覚えながらも、それを誤魔化すように長谷部の手をそのままぎゅっと握る。よく考えてみれば真名ではないと散々言っているのだ。妙な命令などするはずもない。
「そんなことか……」
要らぬことを口走ってしまった。そんなことを思いながら長谷部の手を一層強く握る。手袋越しであるため、体温はそう感じられないが、普段から刀を振り回しているのだ。審神者の手よりも逞しい。
感心して、両手で挟むように握る。
「和泉守は少し過保護なんだ。一人にすると、私が何か……問題に巻き込まれると思っている。そんなことはないのだがな……お前からも言ってくれ。私はそこまでひ弱ではない」
そんなことを言いながら、さらにぎゅうっと手を挟み込む。小柄といえば小柄ではあるが、審神者はそこまで小さいわけではない。とはいえ、本丸の中では短刀や脇差を除いて、審神者の体格は圧倒的に華奢な方に分類されてしまう。それは刀剣男士の中にいるからであり、人の中に紛れればそれほど小柄とはいえないのだが、それを今一理解して貰えてはいない。
「……長谷部?」
長谷部の返事がこないことを不思議に思って顔を上げる。そこで目が合った長谷部は、審神者も思わず言葉を失うほどに顔を赤く染め上げていた。先ほどよりも、明らかに悪化している。
「………?」
己がこんな反応をされるような言葉をいつ吐いただろうかと考えていた審神者も、しばらくして、その反応の理由を察することができた。言葉ではなく己の行動が問題なのだと気づいた審神者は、それを確認するつもりで、そのまま長谷部の手に、己の指を絡め合わせる。そうやって深く手を繋いでいけば、ひくりと長谷部の口角がひきつった。
「お前、あれだけのことをしておいて……今更だろう」
呆れた声で審神者は呟いた。言葉にするには躊躇ってしまうような行為も、既に長谷部との間にはある。にも関わらず、たった手が触れ合った程度でここまでの反応をされること自体、審神者はいまいち納得できない。
「っ……あの時とは、状況が違います」
「違う? 何が違う?」
「ですから、主が…」
「私が、どうした?」
試しに、指を更に強く絡ませて、そのまま指先をすりと寄せる。
「っ……」
「………」
ますます赤くなった長谷部に、審神者は片方の眉を吊り上げた。新鮮な反応だ。けれど、何故そんな反応になるのか、審神者にはどうしても理解が追いつかなかった。
離れろ、の一言すら絞り出せていない長谷部は、審神者の手を自力で離そうとしたのか、もう片方の手を挙げる。審神者はなんとなくで、その空いている方の手にも、己の手を伸ばした。
捕まえて、そのまま反対側の手と同じように握りしめる。パシリと、小気味の良い音を立てて。
「〜〜主、お戯れをっ…」
狼狽した長谷部が、今度は身を引いて審神者との距離をとろうとする。普段の審神者ならば、長谷部が困っていることを察して、ここで距離をとるに違いない。けれどこの時ばかりは、疑問が根底にあったからか、それをしなかった。追いかけるように足を踏み出し、逆に長谷部に詰め寄るようにする。
そこまでの距離を移動したわけではない。ほんの一、二歩分のことである。長谷部の背中が壁に当たり、審神者から逃げられなくまでの間。すぐに審神者に追いつめられてしまった長谷部は、ここに来るまでの怒りの片鱗など、少しも見せていない。
「……嫌か? 嫌なら、もう触れない」
試すように口にする。長谷部が審神者を嫌がっているわけではないことは審神者にも理解が出来る。だが、それならばこれだけの接触で逃げようとする長谷部の心境は全くもって理解が出来ない。
揺れる藤色をじっと見上げたまま、審神者は返事を待つ。ここで長谷部が嫌だといえば、審神者は言葉通り、金輪際必要以上に長谷部に触れようとはしなかっただろう。
「い、嫌ではありません…」
逃げ腰の手を逃がさないように指先に力を込めたまま、審神者はそう口にする長谷部の顔をじっと見た。
「ただ、貴方からこうして触れられることなどなかったので……その……どんな表情をすればいいのか…」
「? ……そう珍しいことだろうか? 今までにもなかったか?」
「いいえ。貴方はあまり、触れてはこないので。短刀たちにはよく触れますが、俺にはそんな機会など……」
「そうだったか…?」
だからといってこの程度の行為でそんな反応をするものかと、まるで怖い見たさのように、審神者は長谷部の手を己に近づけて、更にぎゅぎゅっと力を込める。
「……主。遊ばないで下さい、主」
長谷部は咄嗟に唇を噛みしめて一瞬耐えるような仕草をとると、絞り出すようにそう言った。審神者はそう言われたことで、渋々とではあるが手を解放する。珍しいものを見た。そう感心していた。
「すまなかった。もうしない」
謝って、審神者は長谷部から一歩分距離を置いて、同じように壁に背をつける。いつの間にか手袋越しでも伝わってきていた熱が、審神者の手のひらにも残っていた。
(たったこれだけのことで……)
性的な行為ではない。ただ手が触れ合っているだけだ。にも関わらず、あのような反応をされてしまうとは思わなかった。審神者のことを尻軽と呼ぶのは、思いの外長谷部が初だからかもしれない。手は早いくせに、とは審神者は口には出さなかった。余計な言葉は吐くまいという精神である。ろくなことがない。
審神者がぼんやりと己の手のひらを見下ろしている横で、長谷部は慌てていた。
「っ、いいえ! 嫌がっているわけでは……ただ、こういったことをされると……」
「分かっている。困らせたな、すまない」
気を遣わなくても良いという気持ちでそう言って、審神者は話題を変えてしまおうと考えた。
「もう少ししたら、移動しよう」
そう呟いて、審神者は視線を長谷部から移す。なんとなしに、少し前方の床に向けて。長谷部の反応が新鮮で調子にのってしまったが、審神者とて良心は持っている。無駄に振り回してしまった自覚はあった。
隣からまだ何か言いたがっている視線は感じていたが、審神者はそれ以上はその件には触れずに、続けてそわそわしている気配を漂わせている長谷部に向かって、話を切り出すことにした。
「それで……何の話だったか。とにかく、お前の考えているようなことは何もない。私は誰も選んでいないし、誰とも関係を持つこともしない」
確かに薬研への反応は、長谷部の目からは頼りないものに見えたことだろう。長谷部の不安も分かるが、審神者にはあくまでその気はないのである。どうしても、流されそうになってしまうことは問題ではあるが。
「名前の件も分かっただろう。あれはただの記号だ。大した問題ではない」
「……ですが、貴方は自ら小狐丸に名を教えました」
「聞かれたから答えただけだ。私にとって、あれは何の意味もない。もしも私に真名があったのならば、決して小狐丸に名は教えない」
「小狐丸でなければ教えますか? たとえば、薬研や、加州には……」
少しだけ沈黙を挟み、審神者はゆっくりと、力強く口を開く。
「誰にも教えることはしない。加州にも薬研にも、小狐丸にも……長谷部、お前にもだ。決して教えない」
きっぱりとそう言い切れば、長谷部は複雑な表情を浮かべていた。
「お前も、早く諦めてしまえ。お前が思っている以上につまらない男だぞ。何故私にこだわるのか、理解できない。これはお前に限った話ではないが……」
唇を閉ざして、審神者は薬研との夜を思い出す。
「……薬研については、中でも一番、理解に苦しんでいる。何を考えているのか分からない。だから、反応に困っている。それだけのことなんだ。……薬研に、心動かされたわけではない」
それはまるで、己自身に言い聞かせているかのようだった。
安心しろといって、安心できるものではないだろう。審神者はそんなことを思いながら、けれどそれ以上のことは何もいえない。審神者にとって、長谷部に対して出来る最も誠実な返事はしたつもりだった。
「不安に思わせてしまったかもしれない。けれど、誰も選んではいない。何も心配するようなこともない」
審神者はそう言って、視線を長谷部に向けようとした。けれどその前に、視界に見慣れた戦衣装が入り込んだ。顔を上げれば、確かに長谷部が正面から向き合うようにして立っていた。審神者は静かに眉を寄せて、それを見上げる。
「……貴方は俺のものです。そうですよね?」
心配ない。そんな言葉は何の役にも立たない。その言葉によって、長谷部の心が軽くなることなどない。今目の前に立ち、審神者に向ける長谷部の視線を受けながら、審神者はそれを痛感した。
長谷部に必要なのは、気休めの言葉ではない。
「他の刀を選んだら、の話だろう。――そうだな。もしも私が他の刀を選べば、私はお前のものだ。好きなようにしてくれ」
そのような日は、永劫に来ない。一瞬脳裏の過ぎった夜のことなど見なかった振りをして、審神者はそう口にした。審神者の言葉に、長谷部は切なそうな表情を浮かべて、目を伏せる。
「……それを、どうか忘れないで下さい」
「ああ。忘れない」
「他の奴を好きになっても、決して結ばれることはないのですから。だったら誰も、見ないで下さい……好きに、ならないでください」
「……分かっている」
まだまだ言いたいことがあるだろうことは、審神者も察していた。けれど、これ以上話を膨らませるつもりもなかった。長谷部からどのような気持ちを向けられていようとも、審神者は長谷部を選ぶ気など全くなかったからである。
「……主」
そうして約束の場所へと移動していると、長谷部から声をかけられた。声に陰りはあるが、概ね、普段通りの態度である。
「なんだ」
「その、師の元へ来た順番で、番号が名前として与えられている…ということで間違いはないんですよね?」
「ああ、そうだよ。私たちの師は、そういったものには頓着しないから」
「では、二、三と名前が続いていくのですか?」
「……ああ、いや、番号がそのまま使われているのは私たちだけだな。他は、もう少し名前らしくされている。例えば、二番目の名前は仁だ。三番目は三角。番号が入っているが、名らしいだろう?」
ふっと、笑う。嘲るような自虐に近い笑いだった。
「一と八は、そのまま使えるから、と。そのままだ。八は文句を言っていたな。犬猫じゃないのだからもっと凝った名前にしろと、来たばかりでお師匠様に食ってかかって……とにかく喧嘩早い男だ」
小さなため息をついて、審神者は嘆くように声を絞りだす。
「とにかく粗暴で品のない男だ。私に対して失礼な振る舞いもするだろうが、悪気はない。だから、相手をすることはない」
「そんな男と会う必要などないのでは…?」
「……まあ、陸奥守に頼まれてはな……もしもの可能性もある。会うだけ、会ってみるよ」
そんな会話を交わしながら、目的地へ進んでいく。
約束の時間まではまだあったが、既にそこには刀剣男士が待っていた。刀剣男士から感じる懐かしい霊気に、審神者はすぐさま約束した審神者の刀剣男士だということに気がついた。
「あれだな」
「…? 分かるのですか?」
「ああ。間違いない」
他にも複数の刀剣男士がいたものの、審神者が迷わず視線を向けたのは一振りだけである。まっすぐ歩いていく審神者に続きながら、長谷部は不思議そうにしていた。
「すまない。待たせたか」
声をかければ、審神者を見つけた刀剣男士――にっかり青江は、その瞳をゆっくりと細めて、うっすらと微笑んだ。
「――君が、主のお友達かな?」
「友ではないが……約束の相手で間違いはないよ」
「そうかい? なら、君の名前は、一、で間違いないかな?」
「ああ」
「良かった。僕はにっかり青江――なんて、紹介するまでもないだろうけれど。よろしくね。……うーん、それで、僕は君をなんと呼んだらいいのかな?」
「一で良い。他に呼び方はないからね」
「えっ」と、背後の長谷部が声を漏らしたが、審神者は気にせずに青江を見ているままだった。青江はちらりと長谷部のことを見たものの、意味深に目を細めるのみで、特にそれに触れるそぶりはない。
「分かったよ。じゃあ、いちくんって呼ぼうかな」
「ああ。構わない」
言って、審神者は周囲を見渡す。ここにいるはずの弟弟子の姿が見えなかった。
「それでアイツは――八はどこに?」
「まだ来ていないよ。本当を言うと、僕が君に会いたくて、少し早くに来たんだよね。ちょっと確認しておきたいことがあったから」
「……確認しておきたいこと?」
唇に指先を置いて、青江は審神者のことをじっと見下ろした。頭の先から足先まで、撫でるように緩やかに下に向けられた視線に、審神者は静かに眉を寄せる。品定めのような視線を受けることは初めての経験ではない。だが、それを真っ先にされるとは考えてもみなかったことである。
「……うん。可愛い顔をして、すごいものを持っているんだねえ。……霊力のことだよ」
ふっと声をこぼして、青江は審神者に向かって手を伸ばす。それを避けずにいた審神者に青江の指先が近づき――けれど、触れる前にはたき落とされる。――長谷部がその手を払ったのである。
「長谷部」
「ですが主っ、」
「やめろ。危害は加えられていない」
「……加えられてからでは遅いです」
じと睨む。長谷部は審神者の視線に身を小さくして、けれどどうしても青江が気にくわないのか、意地でも審神者に従わないような意思を含んだ目を見せた。審神者は長谷部と向かい合うように立ち直す。
「敵ではない。そんな態度をとるのならば、先に清光達の元へ戻れ。私も後で行く」
長谷部は確かに、身内にも些か荒い対応をとることもある刀である。けれど、初対面でこんな攻撃的な姿を見せるなんて思わなかった。きっぱりと審神者が突き放すような物言いをしたことが衝撃だったらしく、長谷部は強く唇を噛みしめた。それを見ても審神者は引かずにいる。
「まあまあ。僕は気にしていないから、そう怒らないであげなよ。いちくん?」
軽い口振りで背後からそう口にした青江に、審神者は静かに口を開く。
「……すまない、青江」
「別に、君に謝ってもらわなくていいけど。君が命じたわけじゃあるまいし」
「長谷部は私の刀だ。何をしようとも、責任は私にある」
青江に正面から向き合うように、立ち位置を更に変える。同時に、長谷部を下げるように背中に隠した。
「――青江。すまなかった」
頭を下げて、再度謝罪をする。そうして顔を上げてから、審神者は青江と目を合わせる。青江は少しぽかんとしていたようだったが、その後ふっと微笑んでしまう。
「堅いねえ。主から聞いていた通りだ。とにかく、僕は気にしていないから、これ以上謝らないでくれるかな? 君の大事な長谷部くんが卒倒してしまうよ」
言われ、審神者は振り返って長谷部を見る。
「……長谷部」
真っ青な顔色で言葉を失っている長谷部の姿に、審神者は呆れたように眉をハの字に変える。先ほどまで青江に向けていた態度とはまるで違っている。
「……も、申し訳ありません。主に頭を下げさせるなど」
「私に謝ることではない。分かるな?」
「……………悪かった、青江」
「うん。だから、いいって。気にしてないから」
飄々とそれを受けて、青江は舌をちろりと覗かせて笑った。それにしても、と。存外、楽しそうな声が漏れてくる。視線は、長谷部に向いていた。
「君は随分と、彼に惚れ込んでいるんだねえ?」
「っ……」
「おや、否定しないのかい? いやあ、熱いねえ」
反応するよりも先にこの話題を終わらせようと考えた審神者は、その話題には触れずに話を切り出した。
「青江。それで、話とはなんだ」
「そうそう、話だった。話っていうか、事情を知っておきたいだけなんだけど……少し、耳を貸してもらえるかな? 大きな声では出来ない話なんだ」
審神者の肩を抱きながら、青江は視線を長谷部に向ける。ひくりと、長谷部の口角がつっていた。
「君の耳にも入れておきたくない話だから、少し、彼を連れていくね」
「………俺は主の護衛で来ている。俺の目に入らない場所へ連れて行かれるのは……」
「大丈夫大丈夫。ちゃあんと、君の目の届く場所にいるから。さ、行こうか」
縋るような視線が審神者に送られる。審神者は困ったように眉間にしわを作りながら、長谷部に声をかけた。
「大人しくしておいてくれ。すぐに戻る」
「………………主命、ならば」
渋々と言葉を無理矢理に絞り出した長谷部に、審神者は小さく息を吐いてから、一度青江から離れる。そうして長谷部のすぐ傍にまで近づくと、その頬を両手で挟み込んだ。露骨に嫌そうな表情が崩れるのを見届けて、審神者は手のひらを今度は長谷部の頭に移し、優しく撫でる。
「お前は私の刀だろう。なら、ちゃんと待てるな?」
優しい声。けれど、肯以外の返事など聞くつもりはない、そんな強い口調だった。そんな審神者の言葉に、長谷部の表情が徐々に明るくなっていく。はい、と長谷部が唇から紡いだのを確認して、審神者はゆっくりと長谷部を解放した。
そうして青江の元へ歩いていき、少し離れた場にまで移動する。長谷部の視界から見えなくなる位置に来たわけではないので、ずっと長谷部から視線は感じていた。
「愛されているねえ」
隣で、茶化すように青江が口にする。
「……私が主だからだよ。でなければ、ここまで慕われはしない」
そう答えた審神者の返事が意外だったのか、それとも予想通りのものだったのか。青江はそう、と短い返事だけをして、審神者の肩に手を置くと自身の方へと引き寄せる。耳元へ唇が寄せられ、審神者は体を強ばらせた。
「――主に対する反応ではないよね。長谷部くんのあれは」
「過保護なんだ。長谷部に限らず、私の本丸の刀は皆そうだ」
「そうなのかい? ならよほど、君は愛されているんだねえ。僕の主は皆に世話を焼かれているけれど、あんな風に嫉妬をされているところなんて、見たことないけどなあ」
「……何がいいたい?」
「何だろうね?」
青江を見上げながら問いかける。前髪で隠れていた片目が、審神者のことをしかととらえていた。
「……ともかく、主は君のことを心配していたんだ。色々とね。君と僕の主は仲が良くないと聞いていたけど、良かったら最後まで話を聞いてあげてほしい。――で、話は変わるけれど、僕が確かめておきたかったのは、僕たちの本丸についてだよ」
にっこりと笑って、青江は審神者の肩から手を離す。そうして青江が問いかけてきた質問に、審神者は合点がいったという風に声を漏らす。弟弟子である審神者の耳には入れずに己に確認して起きたかったという青江の意図が理解できた審神者は、青江の求める答えを紡いでいったのだった。
「――うん。納得したよ。随分と仰々しい建物だったから、何故だろうと思っていたのだけれど」
小首を傾げた青江は、そう口にした。納得しての仕草には思えなかったが、青江らしい反応といえばそうだ。審神者はふと目を細めて、小さな笑みを浮かべる。
「やはり、アイツは恵まれているな。初鍛刀が青江で……次いで石切丸となれば、偶然では済まされない」
「運命のようなものかもしれないね? 初めての思い入れというものは侮れないから、必要な縁を引き寄せるものなのかも。ところで、君の初鍛刀は誰なんだい?」
審神者は少しの沈黙のあと、口を開く。
「――薬研藤四郎。次いで、小夜左文字。お前のいう運命などは感じてはいないが、どちらも、私には必要な刀だったよ」
にっこりと笑って、青江はそう、と呟いた。そして、ゆっくりと指をさす。長谷部の立っていただろう場所を。
「ごらん。主がきたようだ」
言われ、その指の先を追いかける。そこでは陸奥守吉行と見覚えのある男が、長谷部を挟むようにして立っていた。絡まれているのか、既に両側から肩を組まれている長谷部は困り顔だ。
「……良い子だねえ。君の教えをちゃんと守っているよ」
「長谷部は元々そういう刀だ。先ほどのような失礼な真似など、そうはしない」
「知っているよ。長谷部くんは僕の本丸にもいるから。彼は主さえ絡まなければ、話の分かる刀だよねえ。まあでもうちの長谷部くんは、ちょっと主が触られただけであんな激しい表情なんて見せないけど」
意味深にそう口にした青江に、審神者は一瞥だけをして長谷部の元へ歩いていく。先ほどから、青江は審神者に何かを言わせたいようだった。知らぬふりをしてその話題に触れることもせず、審神者は青江から目を逸らした。
「離れろ。長谷部が困っている」
近くに行き、声をかける。すると、長谷部に絡んでいた男の視線は審神者に向いた。
「――…お前〜〜」
低い声だ。審神者よりも一回り上にも見える青年は、審神者の姿を確認するなり、長谷部から離れて審神者と向き合うように立つ。上から下まで舐めるように見下ろした男の視線は、先ほどの青江から受けたものとそっくりだった。
男が口を開くよりも先に、審神者はくすんだ金の髪をじっと見て、呆れたように口を開いた。
「なんだその頭は」
以前見たときは、まだ髪の色は黒だった。顔自体は見覚えがあるのに、髪の色がどうにも昔の記憶と合致しない。そう言い放った審神者の言葉に、男は不機嫌そうに顔をしかめる。きっちりと剃られていない顎髭を指で弄びながら、上から喧嘩を売るような目つきで審神者を睨み、舌を打つ。
「第一声がそれか。もっと気の利いた台詞はいえねえのか? 一年ぶりに顔合わせたんだぞ」
「……ああ、そうだったな。すまない。それでお前、ちゃんと仕事はこなしているんだろうな。女遊びに耽って、皆に迷惑はかけていないか? 問題を起こしていないだろうな?」
「そういうことじゃねえんだよなあ。じゃなくて、ほら、あるだろう。もっとかわいげのある反応ってもんが! 会えて嬉しい!とか元気してたか!とか」
「そんなことより、その半端な髭を剃ったらどうだ。みっともない」
「わざと残してんだよ〜! 髭の生えないお子ちゃまには分かんねえかな〜?」
審神者の顎に向かって、男の手が伸ばされる。長谷部が手を動かしかけたが、ぐっとこらえてみせる。審神者はそれを知らぬまま、不作法に伸ばされてきたいかつい手を、己で叩き落とした。
久々に会ったものの、特に中身は変わっていないらしい。どこか昔を懐かしく思いながらも、審神者は話を切り出した。
「それで、話とは何だ」
手を落とされたことが気に入らないのか、男は更に審神者に触れようと手を伸ばしてくる。それを全部払いながら、会話は続いていく。
「ちったあ会話をしようと! しろ! お前はそういうところが駄目なんだ!」
「いいから、早く話を終わらせろ」
いい加減手を止めろと主張するように、審神者は男の手首を掴んで止める。そのまま、男を睨みつけた。
「陸奥守から連絡がきた。重要な話なのだろう? なら早く、本題に入れ」
きっぱりと突き放すように言えば、男は審神者の手を乱暴に振り払った。それに抗うことをせずに手を引き、審神者は手を下ろす。感情的だった熱を下げたようで、眉間に深いしわを作って、男はぼりぼりと頭をかきむしった。
「ここじゃあ、出来ん話だ」
「……移動するか?」
「いや、長くなる。場所を変えたい」
「だから、移動するのだろう?」
「わからねえ奴だなお前は」
要領を得ない。訝しげな表情を浮かべる審神者に、男はにやりと笑ってみせた。
「久々に会ったんだ。酒くらい汲み交わさんとつまらん! 飲みに行くぞ! お前の刀剣も連れてこい! 今夜は派手にやるぞ!」
「……なに?」
審神者は目を丸くして、男を見上げる。その隙をついて、男は審神者の頬を挟んでしまった。べちべちと粗雑な触れ方をされ、審神者は露骨に顔をしかめる。その手を、審神者は乱暴に振り払った。
「……駄目だ」
「はあ? なんで」
「お前と会わせたくない。ろくなことをしないからな、お前。悪影響だ」
「……失礼ほざきやがって。こっちのセリフだこの根暗! いいから連れてこい、派手に飲むったら飲むんだよ!」
「飲みたいだけなら本丸で飲め。真面目な話でないなら、僕は帰るぞ」
きっぱりとそう言えば、男は苛立ちを露わにキッと審神者を睨みつける。そうして、目線を隣にいた陸奥守と青江に交互に向けたのだった。それを合図に、二振りが前から後ろから、審神者を挟み込んだ。
背後から肩の上に手を乗せて、ささやくように青江が声をかけてくる。
「そこをなんとかならないかなあ? 大丈夫。全部、主の奢りだよ」
「青江。悪いが私は……」
「主は素直じゃないから、こういう誘い方しかできないのさ。君も知っているはずだろう?」
「いや、青江…」
「頼むよ。僕達の主は、決して悪い人ではないから。そう邪険にしないでおくれ。良い子だから。僕に免じて。ね?」
審神者の良心を狙うような口調であった。真っ直ぐと訴えかけるような視線に、審神者は困ったように眉を寄せた。そして首を動かして見た青江の表情がまた、審神者の良心を打ち抜くようなものだから堪らない。
「………」
次に、審神者の頬を挟むように伸びてきた手によって、視線は前に戻される。そこでは、真剣な表情を浮かべた陸奥守が、審神者のことを真っ直ぐと見つめている。
「……陸奥守」
「おう。こうして直接顔を合わせるんは初めてじゃのぉ?」
じっと、見てくるその視線に圧されそうになる。名を呼べば、陸奥守は元気のない声で口を開いた。
「わしは、おんしに会えるのを今日まで楽しみにしちょったんじゃが、もういってしまうんか? ちょっとぐらい、えいじゃろう?」
「しかし……」
「なあ、頼むぜよ! 大事な用件やき、なんなら、主の代わりにわしが何でもする! 主が悪さしたら、これで一発がつんといくき、任せとうせ」
懐から拳銃を取り出して、陸奥守は力強く言い放った。風圧を伴う素振りをしてみせれば、陸奥守の背後の男は顔を青くした。
「縁起でもねえ!」
後ろでぼやく男のことは気にせず、陸奥守は審神者に縋るように、少しだけ眉を下げてしまう。
「……いかんやか?」
うっと、審神者は口を噤む。弟弟子だろうとなんだろうと人に何を言われても響かないが、刀剣男士が相手となると、男に対するように邪険には扱えない。愛情があるからではない。刀剣男士に害をなしてはならないと、幼い頃から叩きこまれてしまったからこそである。
審神者は、観念したように肩を落とした。
「私の部隊は、演練を終えた後に用事が入っている。一応声はかけるが、来れないかもしれない。それでも良いか?」
「ああ! それでも、おんしは、飲みにくるんじゃろう?」
「……ああ」
陸奥守と青江が男を向けば、男は握り拳に親指を立てている。鼻息荒く、やり遂げたような感情で満ちあふれていた。
「よっしゃ! やっちゅうぞ主!」
「良かったねえ、主」
「よくやったお前等っ!」
審神者を挟むようにして、陸奥守と青江が両手を合わせている。俗にいうハイタッチである。
審神者は横に待機していた長谷部に目をやる。長谷部は非常に物申したい表情を浮かべてはいたが、先ほどのことが響いているのか、口を開こうとはしていない。けれど、何故話を受けたのか、という視線は審神者に向けられている。
「……長谷部。ついてきてくれるな?」
聞けば、長谷部は渋々といったように、頷いた。
「もちろんです。主の見……護衛として、その役目を果たします」
見張りといいかけた長谷部が不安に思っている内容は大方想像がつく。審神者は顔をしかめて、けれどやましいことは何もないのだからと、特に言うこともなかった。「ああ、頼む」とだけ口にして、足を踏み出した。
「ならもう良いな? 僕は演練に戻る」
甘味処に行きたがっていた演練部隊が、その予定をなくしてまで審神者についてくるとは思わない。誘うだけ誘うが、誘いにはのってくるはずがないという自信があった審神者は、誘いは受けたものの楽観的であった。必要だろうお金だけを清光に預け、長谷部だけを連れて行こうと、そう考えていたのである。
あれほどまでに甘味を楽しみにしていたのだ。審神者が誘ったところで、よく知りもしない余所の審神者と共に飲むなんてつまらないと断られるに決まっている。
「――というわけだが、お前達は甘味処に行くといっていただろう? お金は渡しておくから、お前達だけで――…」
「行くっ!」
そう思っていた審神者は特に期待もせずに軽く誘ったのだけれど、まさかの結果であった。
「絶対行く! 俺は主についていくから!」
「主さん、ボクも! ボクもそっちに行くっ。甘味は残念だけど、主さんの弟さんにボクも会ってみたいっ!」
「……楽しいことなどないぞ。ろくでもない男だ」
「いいの!」
「それはそれ、これはこれだよ、主さん! ……あ、でも、甘味はまた今度つれてってほしいな?」
力を入れた声でそう間髪入れずに答えたのは、清光だった。次いで、乱。
「主殿、私も同行致します」
「俺も行く。大将がそこまで言うんだ。かえって興味がわく」
そして一期一振に、薬研。
「お前達もか? 本当に、楽しいことはないぞ」
残るは燭台切と和泉守である。燭台切は甘味を選ぶかもしれないと思いながら見れば、燭台切もやけにきらきらと目を輝かせていた。
「甘味はまた今度でもいいよ! 僕もそっちに行きたいな!」
「酒も飲めるんだろ? 俺も行く。ついでに、主の弟とやらの顔も拝んでおきてえしな」
これで全員である。弟弟子である審神者に己の刀剣男士を会わせなければならない事実に、審神者はかつてないほど渋い表情を浮かべた。嫌々そうに、けれど当人達が望んでいる以上何も言えず、ぐっと、こらえる。
「…………………分かった」
絞り出したような声で返事をする審神者を、皆、物珍しそうな目で見つめていた。
[newpage]
「かんぱ――い!!」
男の声が響きわたる。
乾杯の音頭と共に、コップ同士がぶつけられる音があちこちでする。審神者自身も乾杯を受けながら、この先の展開に不安を覚えずにはいられなかった。
(問題なく終われば良いが……)
男が予約したという居酒屋の広々とした個室の中で、審神者と男は向かい合うように座っている。そしてその隣に、それぞれの本丸に所属している刀剣男士が並んで座っている状態であった。
「よし、じゃあ、改めて自己紹介といっとくか!」
目の前でビールをぐびぐびと口にした男は、口の周りに泡をつけたまま言い放つ。そうして、コップを置いて自身を指さすと、大声で話し始めた。ここが個室でなければ、窘めていたくらいの声量である。
「――俺は八! ふざけた名前だろう? だがもちろん、審神者名で本名じゃあねえ! 俺についてどんな説明を受けていたかは知らんが コ イ ツ よりはよっぽど大人だ! よろしくな! 気軽にはっちゃんって呼んでくれ!」
「「キャー! はっちゃーん!」」
コイツ、の部分を強調して言い放つ。男と審神者、それぞれの乱が、声を揃えてはやし立てた。
「よしよし乱ぇ! ノリの良いやつめ! あとでお小遣いをやろうな!」
「きゃー。ありがと、はっちゃん」
「はっちゃんやさしー!」
そんな会話を挟みながら、次いで、男は自分の隣に並んでいた刀剣男士に目をやった。
「で、だ! こいつらは――まあ、紹介するまでもないが、一応な。初期刀の陸奥と青江、後は今剣と信濃、乱と宗三だな」
名を呼ばれるたび、審神者達に向けて何かしらの反応を見せながら、男側の自己紹介は終わる。
審神者側の刀剣男士が反応をする中、今度は自然と、審神者へ視線が集まった。審神者の番のようだ。男のように溌剌な自己紹介などなく、審神者は静かに口を開く。
「一だ。お前達の主――八の、兄弟子にあたる。他に弟弟子は六人いたが コ イ ツ ほど手のかかる奴はいなかった。何かあればいつでも言ってくれ。可愛くなくとも弟だ。手助けはする。よろしく頼む」
同じく、コイツ、の部分を強調して言う。コイツと呼ばれた弟弟子はかちんときた様子だが、審神者はとりあうこともなく、隣に座っている面々をみた。
「初期刀の清光と、薬研、長谷部に燭台切、和泉守に乱、そして一期一振」
弟弟子の刀剣男士と同じように反応を見せながら、紹介が終わる。すると弟弟子は間髪入れずに、審神者に威圧的に指を向けた。
「何が兄弟子だ。いつまでも兄貴面してんじゃねえぞ!」
「大将の方が年上なのに、弟なんて変なの。逆じゃないの?」
「そうだ信濃! よく聞いてくれた!」
不思議そうな信濃を前に、弟弟子は苛立ちを露わにまくし立てていく。
「俺らはなあ、来た順番で上下が決まるんだ。だからだ、俺らの中でも 一番チビで! 一番ガキのこいつが! 俺らの中で一番上の兄弟子ってことになった! おかげでまあこんな生意気なガキに育ちやがって!」
ぎゃんぎゃんと騒ぎながら、弟弟子は審神者を睨みつける。
審神者はそれを涼しい顔で受けながら、コップに口をつけた。そして一口烏龍茶を飲むと、呆れた物言いで口を開く。
「もう酔っているのか? 構わんがお前、程々にしておけよ」
「るっせえ! バーカ! なあ信濃、生意気だろう、コイツは!」
酒に良い思い出がないため茶を頼んだ審神者は、早くも酔っぱらいの予兆をみせる弟弟子に釘をさす。だが気が大きくなっているのだろう、審神者の言葉に聞く耳など弟弟子は持っていなかった。
「え〜? うーん、そう?」
「そうなんだよ!」
ぐびぐびと酒を飲みながら話しているせいか、既に顔は赤い。怒りからかもしれないが、そうだとしても審神者は特に何も感じなかった。
「あそこじゃ俺が下だったが、外に出りゃ俺がお前の上だ! いいか? 俺がお前の兄貴なんだよ! わかるか? そら、兄様って呼んでみろ! 敬え! この根暗野郎!」
てんで相手にしていない反応に、弟弟子は更に不機嫌に顔をしかめてそう言い放つ。比例するように、二人のやりとりを見守っていた刀剣男士達の表情は曇っていった。迷わず審神者の隣を陣取っていた長谷部や血の気の多い和泉守は既に、こめかみに青筋を浮かべてしまっている状態だ。
審神者は、ゆっくりと口を開く。ちょうど、全員が静まりかえったタイミングだった。
「――僕は、一人で厠に行けない男を兄とは呼ばん」
それだけを口にして、弟弟子が言い返す前に、続ける。
「はじめは皆一人で厠に行けなかったものだが、最後の最後まで一人で厠に行けなかったのはお前だけだ」
「ばっ! おまっ…!」
「言っておくが、夜中お前に起こされて厠に付き添った時も、寝小便したお前の後始末をしてやったのも、」
「あーあーあー! やめろやめろ! くそやめろ!」
「夜中に布団に潜り込んでくるお前を受け入れたのも――全ては僕がお前の兄弟子の立場だったからだ。間違っても、刀剣男士に強要するなよ! 厠には一人で行け」
「あ〜〜クソガキ! 言いやがった! 死ね!」
がしがしと両手で乱暴に頭をかきむしりながら、弟弟子はそのまま勢いで背中から後ろに倒れていく。畳の個室で良かったと思いながら、審神者は撃沈した弟弟子を冷ややかな目で見下ろしていた。
「仕方ねえだろ! あんなオンボロ幽霊屋敷! 慣れるほうがおかしいってもんだ!」
「あー……だから大将は厠に一緒に行きたがったんだ〜?」
「つれだっていくのがおとこのこみゅにけーしょんとかいっていたのはなんだったんでしょうか」
「主さんったらかわいー! 大丈夫だよ! そういうことなら、厠までの廊下、電気つけっぱなしでいいように長谷部さんにたのんであげるから」
「無駄遣いだ節電だと、うるさいですからねえ。でもまあ、そういう事情なら、我が儘も聞いてくれるでしょう」
「ありがとよ!! チクショー!」
短刀達と宗三の言葉に、弟弟子は自暴自棄に返事をする。そうやって畳に横になった弟弟子を横目に、今度は、陸奥守と青江が審神者に向けて声をかけてきた。
「ごめんね、いちくん。うちの主が…」
「すまんのう……悪い男ではないんじゃが。酒を飲むとすぐこれじゃ」
「知っている。気にしないでくれ。それに酒を飲んでいなくとも、僕に対してはいつもこうだ」
そう言って、審神者はそのまま己の刀剣男士に向けて口を開く。
「口は悪くて粗暴だが、悪気はない。気を悪くしないでくれ」
審神者に対する暴言のせいか、一様に弟弟子に対して眼孔がするどくなってしまっている。審神者がそう言って少しは表情も軟化したものの、皆の表情はぎこちない。仕方がないかとも思うが、審神者はやはり連れてくるべきではなかったかとも考える。
むうっと頬を膨らませて口を開いたのは、審神者の乱であった。
「もー! はっちゃんさん、主さんにひどいこというのやめてよ。ボクの主さんなんだからね!」
可愛らしい顔立ちをキッと引き締めて、審神者の乱が弟弟子に言い放つ。弟弟子はゆっくりと上半身を起こして、涙目で審神者を指さした。
「今ひどいこと言われたのは俺だぞ!? 何も、コイツらの前で言うこたあねえだろ!」
「……ああ、そうだな。すまない。お前に兄面されたくなかったんだ」
「くそ腹立つ! バーカ! 死ね!」
ぴくりと、長谷部が反応をみせる。
「口癖だ。聞き流せ。自分の分が悪くなると口走る」
「うるせえ! そのしたり顔やめろや!」
「今がその時だ」
「主。ですが……」
「長谷部。頃合いがきたら、自分でどうにかする。折角だ。お前も楽しんでくれ。な?」
騒がしい弟弟子の声でかき消されぬよう長谷部に身を寄せて、聞こえる音量で審神者は口にした。審神者の言葉に少しの沈黙をおいてから、長谷部は頷いた。わかりました、と言う声は、明らかに納得いっていないようであったが。
「口が悪いと、皆窘めるんだけどねえ……直らないんだよこれが。僕からも謝るよ。いちくんに会えて興奮してるんだよ。こう言ってるけど、主は君を慕っているからね」
「青江ぇ! 適当いうな!」
「はいはい、ごめんごめん」
弟弟子が慣れた様子で青江にあしらわれている姿を見れば、うまくつき合えているのだろうことは伺えた。審神者はそれを見て、どこか安堵する。性格に癖のある弟弟子であるが故に心配もあったが、どうやら杞憂だったらしい。
「――っていうかボク、主さんの名前初めて知ったなあ。一っていうんだ、かわいい名前だね」
「あっ、そうだね。僕も、主の名前って聞いたことなかったよ」
乱と燭台切にそう言われ、審神者はああ、と声をこぼした。
「まあ、使う機会もなかったからな」
事実、名前など使わなくとも支障はなかった。こうして審神者を区別して呼ばなければならない場面に直面したことなど一度もないのだから。
「えへへ、一かあ……いち兄とおそろいだね。ね、いち兄?」
「え? そうかい? ……ああ、でも、そうなる、かな」
「そんな大層な名ではないよ。同じ文字が使われていたとしても、こちらには大した意味は何もない」
「ああ全く、その通りだ!」
舌を出して、弟弟子は苛立ち露わに表情を歪めさせる。
「一番にきたから一? 八番目にきたから八? ジジイのセンスのなさには反吐が出らあ! 他の奴はまだ名前らしい名前なのによお…」
「仮名なのだから何でも良いだろう。それにお前には、別に真名もある」
「それとこれとは別だろうが! なんで犬みたいに名付けられなきゃならんのだって話だ」
名前にこだわりのない審神者は、怒り心頭の弟弟子の感情を軽く受け流してしまう。名前の話になると弟弟子はいつもこうであったと、審神者は懐かしく思った。
「お前もちったあ怒れよ。名前ってのはなあ、意味があるものの方がいいに決まってらあ!」
「どうでも良い。使わないのなら、仮名も必要ない」
「っとーにつまらんガキだお前は!」
嫌々そうに首を横に振り、弟弟子は聞かせることが目的のような、長いため息をついた。そして、視線を審神者の刀剣男士達に向ける。
「コイツはこんなんだからなあ、おまえ等もさぞ苦労したんだろうよ。笑わねえわ喋らねえわ、他人に無関心だわ荒っぽいわで、本当に、つまんねえガキだよなあ」
審神者を再び指さしながら口にして、今度は、清光へ視線を向ける。
「なあ、加州よ。初期刀ってんなら知ってんだろ。こいつはやることやっときゃそれで全部こなしてる気でいる奴だ。本当にやんなきゃいけねえことはその先にあることを、こいつはなあんにも分かっちゃあいない。だろう?」
清光の返事を待たずに、弟弟子は審神者へ視線を向けた。
「なあ一、お前、何度加州を泣かせてきた? お前の無関心さは、加州清光って刀にはさぞ応えただろうよ。相性最悪じゃねえか」
言われ、審神者は言葉に詰まる。弟弟子の言葉は、痛いところを的確についてきていた。何も言わずとも、審神者の反応で弟弟子は全て理解したようだった。
「やっぱりなあ。可哀相に」
真剣な表情で呟く弟弟子に、清光が口を開きかける。けれど、それを制止するように弟弟子は清光に手を向けた。その視線は先程までのように軽いものではなく、清光は吐き出しかけた言葉を飲む。
再び審神者と向き合い、弟弟子は真剣な声で話し始める。
「お前、他の奴らとは連絡をとっているか」
「……いいや」
「だろうなあ。あのなあ、一。俺は、全員と連絡をとっている。二、三からは連絡を拒否されているが、他は全員と近況を報告しあっている。分かるか? お前含めた古株三人は、徹底的に情ってもんが欠けてんだよ。それが人として一番大切な部分だって知らねえまま審神者になっちまってよお」
大袈裟にも思えるようなため息をついて、続ける。
「俺はいい。だが、せめて四摩にぐらいは、連絡を入れとけ。お前は一度も連絡を寄越さないとぼやいていたぞ」
「……用があるのなら、向こうから連絡を寄越すだろう」
「別に用がなくてもいいだろ! 用がなくても声ぐらいかけるもんなんだ! 元気にしてるかと、悩みはないかと、一言聞くだけでいい」
「必要がない。お前が連絡をとっているのだろう? なら、それで十分だ。元々、四摩はお前によくなついていたからな。……僕の元へ来るのは、いつも助けが必要な時だけだ」
弟弟子が苛立ちを隠さず舌打ちをしても、審神者の主張は何も変わらなかった。
「四摩はお前を慕っている。お前が求められているのなら、それで良いだろう。わざわざ僕が出る必要はない」
「――それはお前が興味を持たんからだ。問題がなけりゃ放置する、必要でないなら動かない! その無関心さが問題だといっている。だからみんな、用がなけりゃお前に声をかけられない! それをお前は――…」
「お料理お持ちしましたー!」
ヒートアップしようとした弟弟子の話を、襖をあけて入ってきた店員が遮った。弟弟子は出鼻をくじかれたように口を閉じ、料理に目を向ける。次々とテーブルに並べられていく料理に、ふんと鼻をならした。
注文はほとんど他の者に任せていたが、やはり肉料理が多めであった。
「青江ぇ! 唐揚げ! 山盛りで頼む! 野菜はいらん! 肉をくれ!」
「……はいはい。でも、野菜もちゃんと食べなよ? とってあげるから」
「……主。取り分けますよ。何が良いですか?」
「任せる。好き嫌いはない」
一番の奥に座しているため、取り分けてもらう。肉多め野菜少なめの皿を弟弟子が、肉も野菜も魚も、バランスよく配置された皿を審神者は受け取った。礼をいえば、長谷部は少し心配そうに審神者のことを見ていた。
「で、だ! 話の続きだが――」
「箸を向けるな」
「話の腰をおるんじゃねえ! とにかく、四摩には連絡入れろ!」
「だから、用もなく連絡をとる必要がないと言っている。――お前も知っているだろう。四摩は僕を好いてはいない」
「どっからどうみても好いてるわ! 気を引きたがってんだよアレは!」
「そんなわけがあるか」
「あるから言ってんだよてめえは本当に面倒くせえな! 死ね!」
「食べながら話すな、行儀が悪い」
こうも話をかけられては、食べるタイミングが中々つかめない。お構いなしに口に唐揚げを含みながら喋る弟弟子に、審神者はやはり冷ややかな目を向けた。
「その‘しま’ってのは誰だ?」
話に割り込んできたのは、薬研だった。弟弟子は薬研に目を向けて、口に含んでいた分を飲み込むと、審神者に対するよりも落ち着きを見せて話し出す。
「四摩はなあ、俺らの中で四番目に来たやつだ。俺らはなあ、来た順番で、ちゃんと面倒みろよーって、こう、順番に特に面倒みるように新入りを当てられんだよ。一から三番目が一番上で、次に来た奴はその三人の下に、直属の弟として、一人一人、後輩をあてがっていく。四番目は一の下。五番目は二の下。六番目は三の下。ってな。八番目の俺は一と四の下。九番目は二の下。……審神者引退したジジイの下で集められたのは、これで全員。ってな感じで、……大丈夫か? わかるか?」
「ああ、わかる」
審神者に対してではないからか、弟弟子はわかりやすくなるようにと、指折りながら、かみ砕くようにしながら話していった。審神者はその間に、サラダに口へ運んだ。矢継ぎ早に話されるせいで、食べるタイミングがつかめなかったからである。
「……だが、足りんな。七番目はどこにいったんだ?」
「ああ、七は……俺が来る前にどっか行った。それまでは、一が面倒を見ていたはずだ。おい、七は結局なんでよそ行ったんだっけか」
言われ、審神者は口に含んでいたサラダを飲み込んで、ゆっくりと口を開く。
「七子か」
呟いて、審神者は昔を思い出した。一時的に面倒をみたことがある子供だった。小夜ぐらいの背丈だっただろうかと思って、少しだけ、柔らかく目を細めた。
「元々、一時預かりの予定だった。女人は少ないからな、基本的に、女人の審神者の本丸で育てられる。受け入れ先の体勢が整ったから移動しただけだ。七子がいたら、八は私の弟ではなかったからな……残念だ」
「おいコラ、可愛い弟になんてこといいやがる」
「お前を可愛いと思ったことがない」
「はー? 七子ちゃんは可愛かったってかあ? 悪かったなむさ苦しい男で!」
噛みつくように言ってから、弟弟子は審神者の刀剣男士に向けてへらへらと笑ってみせた。
「とまあ、こんな具合だ。お前等の主のことはよく知ってるからなあ、教えてほしいことがあったら何でも聞いてくれ! これでも長い付き合いだからな。お前等の目にはとても仲が良いように見えんだろうが、俺は何でも知っているぞ!」
「また適当なことを……」
呆れたように呟いて、審神者は肩を落とす。余計なことを口走らなければよいけれど、と。そんな不安が、ずっと胸の中に渦巻いている。
「じゃあ、いいかな?」
燭台切がそろりそろりと手を挙げる。燭台切!と声をあげて弟弟子が指名すれば、燭台切は審神者をちらちらと見ながら口を開いた。
「何でもだよね? ……だったら、主の好物とか知りたいなあ。昔の主のこととか」
「なんだあ? 控えめな質問だな! いいけどよ、もっとこう、好きな異性のタイプとか知りたくねえのか? この堅物の攻略法も、教えてやれるんだぜ俺は」
「えっ! そんなことまで!?」
「だから、適当を言うなと」
ぎらりと、一部の刀剣男士の目が光った気がする。あることないこと触れ回られたのではたまらないと、審神者は腕を組んで睨みつける。弟弟子は一呼吸を置いてから、やれやれとため息をついてみせた。
「好物なんてものはねえ。この男にはな、好きも嫌いも存在しねえんだよ」
「え…?」
「食えるか食えねえか、あるのはそれだけだ。一に限った話じゃねえが、何にも執心しないように育てられてんだよ。上三人の古株どもは。全くつまらんだろ? お前等、どうにかしてやってくれ」
「え……えっと……」
「やめろ、八。困らせるな」
「困らせてんのはおまえだ。好き嫌いするなとお前は言うが、好き嫌いのない人生ほどつまらん生き方はないぞ! それくらいはっきりさせとけ!」
しかめ面で審神者に言って、今度は、弟弟子はにやりと笑ってみせた。そうして、審神者のことを指さしたまま、再び審神者の刀剣男士達を見渡した。
「じゃあ、これも知らんだろうな? 知っているか? お前等」
審神者は眉を潜め、何を言い出すのかと構える。ろくでもないことを言い出したら物理的に黙らせておこうと考えていた頃合いである。
「こいつは、まだ成人もしてない子供なんだぞ」
その一言に、個室の中は静まりかえる。審神者は、静かにため息をついた。
(……そんなことか。何を言うかと思えば……)
審神者は呆れてしまう。その程度の情報を、何をしたり顔で口にしているのかとも思ったくらいである。どうでもよいことだった。
「「――ええ!?」」
けれど、食事に戻ろうとする審神者の耳に、審神者の刀剣男士の驚愕の声が入ってきた。
「はあ!? マジかよそれ!」
「主は大人じゃないの!?」
「っ…それ、は真なのですか…?」
「待って俺初めて聞いたんだけど!」
それに驚き、審神者は箸を落としてしまう。テーブルの上に落ちたそれを手に取るよりも先に、審神者は隣から距離を詰めてきた長谷部に目を向けた。
「主。本当なのですか…!?」
思いもがけない反応であった。審神者はぱちぱちと瞬きを繰り返しながら、静かに口を開いた。
「……現世の基準でいえばの話だ」
答えれば、一層、刀剣男士達はざわついた。その動揺っぷりが理解できず、審神者は眉を潜めた。
「十五で審神者になったから、今は十六か? ま、現世から離れて暮らしてんだから、わざわざ現世基準にしなくてもいいけどよ。にしたって、ガキだろ〜? 歳ぐらい教えとけよ、お前も」
「必要ないだろう。……だが、ここまで驚かれるとは思わなかった…」
年齢を知られたらここまで驚かれてしまうほど、己は老けているのかと考える。己の顔をそのように思ったことがない審神者は、納得できない思いで首を傾げる。
「そんなに意外か?」
隣にずらりと並んで座る面々の顔は、審神者とてなかなか見ないような驚き顔である。新鮮にも思えるが、少々複雑な心境だった。
問えば、動揺を隠し切れてない様子で清光が口を開いた。
「……ううん、確かに主は可愛い顔してるし、言われてみたら納得なんだけど……」
「主はその…すごく落ち着いてるでしょ? 大人びてるっていうか…勝手に大人なんだと思いこんじゃってて」
そこまでで止まってしまった清光の言葉を引き継ぐように、燭台切が続けて言った。
そう言った燭台切の言葉に、弟弟子側に座って日本酒を楽しんでいた宗三が口を開いた。
「良い主ですね。僕は逆に、主が成人していると知って驚愕しましたよ。こんなにもけたたましくやかましい大人がよくもまあ審神者になれたものだと」
「主は子供みたいだったからね。ま、元気なのは良いことじゃないか」
青江が苦い顔で笑いながらも、弟弟子のことをフォローする。
その会話が耳に入っていないらしかった和泉守は、テーブルの上に身を乗り出して、審神者に大声で言い放った。
「それならそうと、もっと子供らしくしてろよ! 全然気付かなかったぜ!」
「それは……私に八のようになれと言っているのか?」
「どういう意味だよ!」
露骨に嫌そうにする審神者に噛みつくように体を向けて、弟弟子は皿に積まれていた唐揚げに勢いよく箸を突き立てた。
「お前には人間味が欠けてるってことだろ! お前はもっと外に出るべきなんだ! 友人を作れ! 恋人を作れ! ゆくゆくは嫁さんもらって、家族を作れ! そうすりゃ、情は勝手についてくる」
それをむしゃむしゃと食べながら、弟弟子は語っていく。
「必要ない」
審神者は、弟弟子の言葉に心を動かされることなく淡々と答えた。しかし弟弟子も負けじと続けていく。
「強がるな強がるな! 俺はな、お前のために出会いの場を用意してやろうと思っている! なんと相手は女の審神者だ! きっとお前と話も合うだろう」
「要らんといっている」
「ほら見ろ。写真もあるぞ、お前好みの――」
「しつこいぞ、お前」
審神者が低い声で苛立ちを込めて言い放てば、弟弟子の表情が曇る。その先は審神者のようで、どうにも審神者以外と視線が交わっているようにも思えた。
「そんな話をするなら帰る。今日僕をここへ呼んだ、その本題に入れ」
それに気付かない審神者は、吐き捨てるように言う。弟弟子の誘いが本気で不要なものであると判断したと同時に、その話題がこの場にそぐわないものであるという認識もあるためだ。隣にいる長谷部も、その隣の清光、薬研の顔を見ることも、審神者は出来ずにいる。
「――っとに、お前のとこは……わぁーったよ」
少しだけ顔を青ざめさせてそう呟いた弟弟子は、諦めたようなため息をつく。そうして、審神者を前に弟弟子は姿勢を改める。その行動に驚き、審神者は目を丸くした。けれど、弟弟子がそのつもりであるならばと、審神者自身も姿勢を整える。
「実はな――男を捜している。お前に協力してもらいたい」
刀剣男士達も口を閉ざし、弟弟子の言葉に耳を傾けている。
「男?」
「ああ、そうだ。頼まれてな。一度、審神者御用達の町で会ったっきりの男らしい。刀剣男士を連れて、主と呼ばれていた。審神者で間違いない」
よほど大事な用件なのだろう。審神者は静かに眉間にしわを寄せて、口を開く。
「……力になってやりたいが、僕に人脈はない。役には立てないぞ」
「別にお前にそんなもんは望んでねえよ。だがな、そいつが捜している審神者の風貌ってのが、お前とよく似ている」
審神者は静かに、口を閉ざす。他人に捜される心当たりが全くない審神者である。期待が含まれた視線を哀れにすら思った。ここまで連れ出しておいて戦果のない弟弟子に同情しながら、それでも一度は最後まで話を聞いてやろうと考える。
「お前、よその審神者と揉めたことがないか? ――その時、和泉守と堀川にその審神者の相手をさせたことは」
けれど続けられた言葉で、審神者はふと、昔の記憶を思い返す。皆の視線が審神者と――和泉守に向けられる。和泉守は静かに眉を寄せており、審神者は涼しい顔を保っていた。
「……知らんな。それで、その男を捜してどうするつもりだ? 報復の片棒でも担ぐつもりか、お前」
問いかければ、弟弟子は静かに目を鋭くさせた。
「理由が報復なら俺は動かん。だがその男の情報が、どうしても必要なんだ。お前じゃないのか? 俺はその話を聞いた瞬間に、お前しかいないと思ったが」
「知らんと言っている」
「そうか――和泉守兼定ァ! お前はどうだ! 覚えはないか!」
「いきなり大声を出すな!」
弟弟子の声に、その場にいた者が皆驚きをみせる。そうして、視線は和泉守に向けられた。通路から見て一番手前に座っていた和泉守は、突如として声をかけられたにも関わらず、一切表情を崩していなかった。
「――……知らねえなあ。どこの誰が知らんが、俺を相手にするなんて哀れな奴もいたもんだ」
ハッと鼻でわらう和泉守に、今度は露骨に疑いの表情を浮かべた弟弟子が再度問いかける。
「ほんとうに、ほんっとーに、お前等の話じゃねえんだな? 間違いねえんだな?」
「しつけえよ。知らねえっつったら知らねえ」
涼しい表情とは裏腹に、審神者は心の中で安堵する。真っ直ぐな気性の和泉守のこと、もしかしたら喋ってしまうかもしれないと考えていたからである。頬杖をついて知らん顔でやり過ごす和泉守には、素直に感心した。
「……残念でしたね。主。どうやら、思惑が外れたようで」
「いや、絶対こいつだと思ったんだよなあ……ハズレかよお…」
宗三の言葉に、弟弟子は大きなため息をついた。
「お前ぐらいの年齢で、お前ぐらいの身長。和服で、育ちが良さそうで、とにかく顔が良いときた。ここまで条件が揃ってりゃ間違ってないと思ったんだがなあ」
「まあ、良いじゃないか。いちくんでないのなら、それが何よりだ。もしそうだったら、あまりに彼が可哀想だからね」
弟弟子の刀剣男士が次々に口にする。
「残念だな〜。これで、大将も落ち着いてくれると思ったのにー」
「本当本当、いちさんってかわいいから、ボクも間違いないと思ったのに」
「もくろみがはずれましたね。あるじさま、どうするんですか? ぷらんびーでいきますか?」
「まー、いや、引く。こいつじゃねえなら、巻き込むのはさすがに気が咎める。良心がなー」
「おや、貴方に良心があったんですか?」
「良かった、君にも人並みの理性があって」
「ほんとぜよ。これでガツンといかんでよかっただけで収穫じゃあ」
「お前等辛辣すぎんだろ! 俺はお前等の主だぞ!」
話が盛り上がる反対側の席を見ながら、清光が口を開く。
「あのさー。よく分かんないんだけど、最初から説明してくれない? さすがに、ちょっとついていけない」
「ですな。人違いとはいえ、主殿が巻き込まれそうになった以上、我々にも聞く権利はあるかと」
続けて、一期一振。それでようやく、審神者側からの視線に気がついた一行だった。
「あのねー。大将は今、壮絶な片思いをしてるんだよ。相手は他の本丸の審神者さんで、小さい頃から審神者やってたんだって。だからさあ、向こうの刀剣男士に溺愛されてて。特に向こうの初期刀の歌仙さんが、手強いのなんのって」
話し始めたのは、信濃である。コップの中のメロンソーダをストローでかき混ぜながら、カラカラと氷を鳴らして遊んでいる。
「だから、主さんいっぱい頑張ったんだよ? こっちの歌仙さん監修で、文を送ったり何度も向こうの本丸に通ったりして。百日通いってやつ。それで、やっと向こうの歌仙さんがお友達からならって雰囲気になったんだけど……」
「さいごにひとつじょうけんをだしてきたんです」
残りを乱と今剣が継いでいく。そうして今剣が言い終わった途端に、大きなため息をついてみせる。審神者の薬研が、「条件?」と声を漏らし、対面する刀剣男士はそれに頷いていった。
「それが、その審神者さんのお兄さんから、許可をもらうことだったんだ。そして、その許可を貰うための条件が、さっきの少年を捜し出して連れてくることだったのさ」
「そいで、その条件におんしがよく当てはまるっちゅうて、もしかしたらおんしがその捜しとる相手やないがと主は考えたわけじゃ。もしもそうなら、どうにか協力を頼めんがかと思ってなあ」
青江と陸奥守が続けて、弟弟子は大きなため息と共に審神者を見た。
「一、俺がお前を知っているように、お前も俺を知っているはずだ」
「……ああ、そうだな」
「俺が家族を作りたいと思っていることも、知っているな?」
「知っている」
「女遊びが激しいといわれたこともあるが、それは俺が本気で相手を捜しているからだ。それを知っているから、こいつらも俺に協力してくれている」
すうと大きく息を吸って、弟弟子は真っ直ぐと審神者を見据えた。
「今更審神者を辞める気はねえ。だが、俺はどうしても家族が欲しい。もう誰にも取り上げられない家族が、どうしても、だ!」
「ああ。お前は、そうだろうな」
赤子の頃から国元にいた審神者とは違い、弟弟子は家族と暮らしている中で、国元にその身を移した。だからこそ、人一倍家族を欲していることを、審神者は知っていた。
審神者に軽口を叩いていたときとは打って変わって、弟弟子のその目はとても真剣である。審神者も冷ややかな目で見る気が起きずに、同じように、真剣な表情を弟弟子に返している。
「それに――俺はこれでも、本気でその相手を好いている。どうしても、嫁さんになってほしい」
よく見れば、弟弟子の耳が絵の具で塗られているかのように染まってしまっている。ほう、と、審神者は感心して、小さく口角を上げた。
「……良いんじゃないか。お前は口も態度も素行も悪いが、誰より情に厚い男だ。きっと、うまくいく」
「そう思うか!? 実は、もう相手からは好印象の返事はもらっていてな、後の障害はその兄貴だけなんだ! だからどうしても、その男を捜している!」
「……そうか」
そういう事情ならば協力したいところではある。弟弟子の捜している相手は――間違いなく審神者のことで間違いない。以前審神者が町へ出たとき、審神者に声をかけてきた男を和泉守と堀川が追い払ったことは記憶に残っている。加えて、条件に審神者が当てはまっているとくれば、もう間違いはない。
だが、と。審神者は静かに眉をひそめる。
報復目的で捜されているのだとすれば、気安く返事はできない。己の刀剣男士を巻き込むことも、審神者は御免だった。
「……その男は何が目的で、その相手を捜している。報復以外に理由などないだろう」
もしも報復目当てで、一発や二発は殴りたいという希望なら、なんとかきいてやれるかもしれない。だがそれ以上は、と。とにかく情報を求めようとした審神者に、弟弟子は拍子抜けしたような表情を向けた。
「分かってねえなあ、お前は。そういう理由じゃあないから、なおさら断れねえんだよ」
きょとんとする審神者に向けて、弟弟子の代わりに口を開いたのは宗三である。
「俗にいう、一目惚れというやつですよ」
「……………は?」
あまりに予想外な言葉に、審神者は呆気にとられる。そうやって口からこぼれ落ちたのは、そんな間の抜けた声だった。そんな審神者の反応に呆れたような冷ややかな視線を向けて、宗三は続けていく。
「元々、男色趣味だったそうですよ。ただ、激しく選り好みをする質のようで……理想の相手に出会えることもなく、半ば諦めていたそうです。そこに現れたのが、件の少年です。とにかく外見が、彼の好みにはまったらしいですよ」
ただ、と続けて、宗三は目の前に座る和泉守を見やる。日本酒であろう透明の液体が注がれたコップを通して向けられるは、品定めをするような視線であった。
「この機会を逃すものかと声をかけ、少々強引に連れて行こうとしたことが、付き添いの二振りの逆鱗に触れたようです。弁明する余地も与えられずに、和泉守兼定と堀川国広に、乱暴に追い払われたのだと。――本当に、心当たりはありませんか?」
そう質問している体ではあるが、宗三の目には、明らかに疑いの眼差しが宿っている。審神者は和泉守が応えてしまわないか心配になり、けれど喋るなと声をかけることも出来ずに、事を見守っている。
「知らねえっつってんだろうよ」
言えば、宗三の目が僅かに細められた。
「それは本当に?」
「ああ。そう言ってんだろ」
「……そうですか。それは良かった。彼はその少年について、こうも言っていましたから」
ことりとコップをテーブルの上に置き、そのコップの縁を指先でなぞりながら、宗三は淡々と話し出す。
「――あのお高く止まった澄まし顔が崩れる様を想像すると、たまらなく興奮する。早く自分好みに調教してやって、従順になるように躾けてやりたい、と。あとはなんでしたか――…ああ、そうでした。少し声をかけただけで、付き添いだった二振りがあれほど怒ったのだから――あの少年はきっと、本丸で日頃から自分の刀剣男士に色目でも使っているのだろう、と。あれは確実に色狂いの素質があるとも言ってました」
ふ、と、笑う。和泉守の拳に血管が浮き出ていることを確認して、宗三は尚も煽るような口調で続けていく。審神者はといえば、宗三から語られる耳を塞ぎたくなるような発言に真っ青になるばかりである。
「――邪魔さえ入らなければ、今頃、とうに抱き潰していた頃だとも。ああ勿論、責任はとると言っていましたよ。貴方達の主を犬のように従順に躾けた後は、彼に変わって貴方達の本丸の棟梁として、指揮をとってやってもいいと仰って――…」
遮るは、拳をテーブルに叩きつける音。食器が一瞬浮いてしまうほどの衝撃を受けたテーブルは、派手に揺れてしまった。それが和泉守の拳であることを、その場にいた全員が理解していた。
「――上等だ」
審神者は慌てて口を開こうとする。けれどもう、手遅れだった。
「その変態に伝えとけっ! ――次はてめえの顎外してやるってなっ!!」
びりびりと響きわたる怒声。――件の少年が審神者であることが、証明されてしまった瞬間であった。一同の視線を集めていた和泉守から、視線が個々に審神者に向けられていく。その全てと向き合うことも出来ず、審神者は両手で額を押さえ込んで、テーブルに肘をついた。
「――やっぱお前のことじゃねえかっ! やった! やったぞおまえら! ついに見つけたぞオラァ!!」
一時の間を置いて、審神者の目の前から声が上がる。間違いなく、喜びの声であった。
「やったね! 大将!」
「長かったけど、ようやく報われるんだね主さん!」
傍ら、しれっとした様子で、宗三は和泉守に向かって口を開く。
「ああ、先程の発言は勿論嘘ですよ。ボロをだしてくれないかと、少し大袈裟に言ってみただけです」
「っ……!? 騙しやがったな!」
「騙されてしまう方が愚かなんですよ」
うっかり漏らしてしまった和泉守は、顔面蒼白である。はめられてしまったのだと、ようやく気がついたようだった。
「――まあ、言ってることは大体同じでしたけどね。ここまで露骨には言ってませんでしたよ」
「ふざけんなよお前っ! なら駄目じゃねえか!」
「貴方が自爆してくれて良かった。おかげで、僕は助かりました。これで主が黙って本丸を不在にする回数も減るでしょう」
「よくやった宗三ァ!」
「触らないで下さい」
辛辣な声と共に手が弾かれる音がする。審神者は己の本丸の刀剣男士から向けられる視線に、未だに向き合う勇気が沸いてこない。審神者に対して言及する声が一つもないことが、余計に恐怖を煽った。
(折角和泉守は黙ろうとしてくれていたのに……)
宗三を和泉守の席の前に派遣したのはこの為だったのだろうかという邪推までする審神者に、意気揚々と弟弟子は声をかけてくる。
「頼む! 掘られてこいとはいわん! ちょっと会って、酌してやるくらいでいい! それ以上は贅沢いわん! 行ってくれるな!?」
はあ、と一つため息。
「行くわけがないだろうが」
「気持ちは分かるが俺の為だ! 可愛い弟のためだ! 頼むぜ兄様ァ!」
「お前はこんな時だけ……」
静かに顔を上げて、期待の眼差しを向けている弟弟子に審神者は顔をしかめた。もしも一目会うだけならともかく、あの宗三の発言の後で快く返事などできるわけもない。
「本気なんだ! さっき言ったろ!? お前も、応援してくれるんだよな!?」
「……応援はする。だが、先の言葉を聞いて協力など……」
「そこをなんとか! 頼む! 俺が本丸を抜け出すことがなくなれば、こいつらも助かる! さ、お前達からも頼んでくれ!」
「おいっ…」
審神者の視線は、視線を弟弟子の周りにいる刀剣男士に向けられる。真っ先に目の前にやってきたのは、乱と信濃であった。
「お願い、いちさん!」
「大将は軽く見えるけど、今回は本気なんだって! ね? お願い!」
両手を組んで祈るようにしている信濃と乱に、審神者は居心地悪そうに身構えた。
「主さんを応援してあげたいのっ」
「俺、なんでもするよ? 大将のためだもん! お願いだよいちさん!」
見る見るうちに、二振りの目には水膜が張っていく。その圧力に、審神者はぐっと息を呑んだ。断りの言葉が、出てこなくなったのである。
「――ご安心下さい主殿。あれは嘘泣きです」
「そうだよー? ボクが言うんだから間違いないって。だから、騙されちゃ駄目だよ? ね? 主さん」
圧されていた審神者の横で、やっと審神者側の刀剣男士が口を開く。そこで初めて審神者は一期一振と乱をみる。穏やかな声だった一期一振も、愛嬌のある表情を浮かべていた乱も、その目は決して笑ってはいない。
「違う本丸といえど我が弟のこと――間違えようもない。信濃と乱を連れてきたのは、上手く主殿の気を引くためでしょう。ま、適任ですな」
「まあ、ボクは可愛いから、しょうがないよね〜」
「っ…やだなーいち兄! 俺たち大将のために本気で…」
「そうだよ! だから、ね? いち兄も協力してほしいな?」
「……その為に、不届き者に主殿を差し出せと言うのかい? 悪いけれど、それは主殿には関係のない事情だよ」
「大体、あざとすぎなんだよね〜。言っておくけど、主さんがOK出しても、ボクら絶対許さないから。そんな変態さんに、主さんは渡さないよ」
火花を散らせながら会話する粟田口刀派に、審神者は何も言えないままでいる。しかし中でも一番反応が不安な薬研は、何も言わずにいた。審神者からは表情も見えず、柔らかな黒髪が、さらりと流れているだけ。それがかえって恐ろしい。
「いや、確かに宗三くんはああ言ったけれど、意外と純愛なんだよ。和泉守くん達に仕返しとかじゃなくて、ただ、いちくんにもう一度会いたいって、それはもう情熱的にさ。ね? 陸奥守くん?」
「へっ!? えっ、ああ、そうじゃのお。確かに熱意は飛び抜けてちょった。報酬も弾むから必ず連れてきてほしいと言うちょったしなあ?」
「余計危険じゃないかな? ……ねえ、逆の立場だったら、君たちは自分達の主を差し出したの?」
「ああいや、そう言われるといたいけんど……まあ、好みっちゅうんは色々あるしなあ。一が良いと言うんじゃったらそれも良いかと思っちゅう。なあ青江?」
「そうそう。確かに蛇みたいにしつこい印象だったけど、審神者としては大先輩に当たる人だから、役に立つ情報とかも教えてくれると思うよ? 資材に余裕があるから、援助してもいいって言ってたしね」
「おう! 貴重な富士札を、こう、わんさかと!」
困惑を見せながらも怒りを携えている燭台切に、青江と陸奥守はそう答えていく。けれど強くいえないあたりに、その男の人柄を察するは容易だった。だが、そこで弟弟子は何やら思い出したようだった。
「そうそう。それに資材の援助も戦の指南も、俺らがまだ出てない戦場の情報も教えてくれるっつってたぞ。最前線で戦う立派な審神者だ。お前にとっても悪い話じゃないだろ。言ってることはアレだが、審神者としては優秀な男だぞ」
どうやら、交渉の武器を見つけたようである。審神者にも得があるのだと主張する弟弟子に審神者は少し考えようとするも――先ほどの宗三の言葉がネックになってそこから思考が動かない。
「……援助を必要とするほど、困窮などしていない」
「だが鍛刀には資材がいるだろう? 俺たちの中で天下五剣を一振りもだしていないのは、お前の本丸だけだぞ。お前も、上からせっつかれているんだろう? だったら、資材はあればあるだけいい! そうだろ!?」
「日課ならばこなしている。無理に資材をつぎ込む必要はない」
「お前が良くたってなあ、近しい関係の刀剣男士に会いたがってる奴もいるだろう。なあ、資材を貰えれば鍛刀できる回数も増える。そうやって新しい刀剣男士が顕現できれば、お前のとこの奴らも笑顔になる! 良いことずくめじゃねえか!」
「っ……それは……」
審神者は鍛刀運がない。そう言われはするが、審神者はそう思ったことはない。縁があるかないか、それだけである。縁のないものを追いかけて資材を使い果たすよりも、縁があった刀剣男士を大切にしたい、その意志は変わってはいない。
だが、仲間を待つ刀剣男士の気持ちを、といわれれば、さすがに耳が痛い。口を閉ざした審神者に脈があると判断したのか、弟弟子は追い打ちをかけるように続けた。
「なあ、お前の刀剣男士のためにも、一度会ってくれよ! 頼む!」
審神者は答えられぬまま、迷うように沈黙を貫く。くらくらと思考と感情がぐちゃぐちゃに絡んでしまっていて、正常な判断ができそうになかった。根負けして了承してしまうのは、最早時間の問題である。
「ねえ」
けれど、審神者の代わりに口を開いたのは、清光であった。
「俺らのためって、何? 何が、俺らのためになるっていうの?」
可笑しそうに言う。審神者が顔を上げれば、そこには怒りを含んだ表情を浮かべた清光の姿がある。
「新しい仲間は欲しいよ? でも、主を差し出してでもとか考えている奴なんかうちの本丸にはいないから」
赤い瞳が、静かに細められる。
「さっきも俺を可哀想だとか言ってたけどさあ、俺はそんな風に感じたこと、一度もないんだよねえ。二人だけに分かる関係だか何だか知らないけど――すっごく、気分悪い。俺は主のためだけの刀だから、これ以上はつき合ってられない」
清光が立ち上がるのを合図に、審神者の刀剣男士は次々に立ち上がる。最後まで立ち上がれなかった審神者に、清光は、小さく微笑んだ。
「帰ろ、主」
その優しい声が、先程弟弟子に向けられていたのと同じ口から出てきたなどにわかに信じられない。言われるまま、審神者は立ち上がろうとするが――膝の上に飛び乗ってきた存在に、動きを止めた。
「今剣…?」
「――おねがいします! あるじさまをたすけてあげてください。ぼくにできることなら、なんでもしますからっ」
きゅっと審神者の衣服を掴んでいたのは、今剣だった。大きな瞳はすでに涙でいっぱいで、すがるような視線を審神者に向けている。無碍に断ってしまえば今剣がとてつもなく傷ついてしまうだろうことをすぐに察して、審神者は困り顔を浮かべた。
「……すまないが、力にはなれない」
「でも、いちさまはいったではないですか! あるじさまはおとうとなのだからちからになると! うそだったんですか?」
「っ……確かに、そうは言ったが……」
「おねがいします! どんなことでもしますから、あるじさまをたすけてください……」
ぽろりと、大きな瞳から大粒の涙がこぼれ落ちる。審神者は慌てて手ぬぐいを取り出して、今剣の涙を拭う。けれど、拭っても拭っても溢れ出てくるそれに、審神者まで泣きそうな顔を浮かべてしまう。いやな汗が、だらだらと流れ出ているような感覚だ。
「ひとめ、あってくれるだけでよいのです。それいじょうはなにももとめません……これがあるじさまのさいごのちゃんすなのです。おねがいします……どんなことでもしますから……」
審神者はおろおろとしながら、言葉を探す。宗三のあの発言を受けて、敵意を出している己の刀剣男士を前にして、審神者はイエスとも言えず、けれどノーということもできてない。
「……すまない、助けてやりたいが、」
「あるじさまはずっとずっとがんばってきたんです。みなもそうです。あるじさまのためにいっぱいがんばりました!」
「………」
「ぼく、おこづかいをためてきたんです! ぜんぶ、ぜんぶいちさまにさしあげます! だからっ……」
良心がキリキリと痛む。ここまで刀剣男士に泣きつかれてしまっては、審神者は否を唱えることは出来なくなり。既に嫌悪を感じつつある相手のことを思いながらも、審神者は渋々と口を開く。
「――わかっ」
しかし、最後まで審神者が口にするよりも早く、手袋越しの手が、背後から審神者の口を塞いでしまう。審神者は小さく目を見開き、今剣は邪魔をされたことできっと表情を険しくする。
「貴方という人は――本当に、押しに弱いですね」
そのまま後ろに引かれ、審神者の後頭部に長谷部の胸があたる。堅い感触と、怒りを含んだその声は、男が探している少年が審神者であることを知ってから初めて聞く、長谷部の声だった。
「帰りますよ」
刺々しい声でそう言い放ち、審神者の腰を抱くと、膝の上に乗っている今剣のことなどお構いなしに強引に立ち上がらせてしまう。そうしてやっと長谷部は審神者の口から手を離し、審神者の顔をのぞき込んだ。
何もいわれはしなかったが、その瞳にはありありと怒りが浮かんでいて、審神者は思わず口を閉ざす。
「へし切、じゃまをしないでください!」
「へし切と呼ぶな! 邪魔なのはどちらだ。そんな変態に主を渡すわけがないだろうが!」
「よいではありませんかちょっとぐらい!」
「良いわけあるか! へし切るぞ貴様!」
ぎゃんぎゃんと言い合う横――審神者のそばで、黒髪の長髪が揺れた。
「っ…和泉守!」
それが和泉守だと気づいた時には既に、審神者は、和泉守の肩に担がれていた。
「だからフラフラさせらんねえんだよ。おら、帰るぞ」
「主さんの履き物はこれだよね〜? ボクが運ぶから、任せて」
「ついてきて本当に良かったね。主だけだったら、絶対丸め込まれてたよ」
審神者を抱えたまま、器用に自分の履き物に足を入れる和泉守のそばで、審神者の履き物を手にとった乱と、心配そうな表情で審神者をみる燭台切が待機していた。既に靴を履いて帰れる状態であった二振りは、靴を履くなり早足で歩き出した和泉守にあわせてついてくる。
「待て和泉守、このまま出て行ってしまうのは……」
「失礼ってか? 戻るなんていうなよ。アンタみたいなポヤポヤした奴、簡単に泣きつかれて折れちまうに決まってんだろ」
「……だが、あのままでは…」
「放っておきゃいいんだよ。惚れた女くらい、自分の力で落としゃあいい。なんでアンタがあの変態につき合わなきゃならん。顎外しときゃ良かったぜマジで」
困ったように、審神者は黙り込む。了承する前に連れ出して貰えてほっとした部分もある。けれど、先程審神者に涙ながらに懇願した刀剣男士達の姿が、どうしても頭から離れない。
「本当だよ。失礼しちゃうよね。大体、泣き落としなんかでボクらは揺らいだりしないよ〜っと」
「確か、八さんの奢りなんだよね? じゃあ、このまま出て行って大丈夫だね」
審神者は和泉守の肩を支えにするようにして、なんとか上半身を起こす。和泉守に片腕で抱かれている状態で、腿の下に通された腕に座るような体勢になった審神者は、静かに口を開いた。
「……和泉守、おろしてくれ」
「いいから、ジッとしてろ」
「だが、あのままでは…」
「心配すんな。あいつらも馬鹿じゃない。問題になるようなことはしねえよ」
いいながら、居酒屋の外へとでる。冷たくなった夏の夜風が、外に出た四人を包んでいく。審神者は和泉守のつむじを見下ろし、静かに目を細める。
「……すまない」
「……まあ、言っちまったのは俺だしな。気にすんな。言わんと約束したから黙っておこうとしたんだが……宗三の野郎にまんまと一杯喰わされた」
「良いさ。元より、私は疑われていたのだから。いくらでもやりようがあった。いつまでも隠しておけなかった」
そっと、審神者から気まずそうに目を逸らしてしまっている和泉守の頬に手を添えて、己の方を向くようにする。そうしてぎこちない動きで審神者と目を合わせた和泉守に、審神者はぎこちないながらも笑みを浮かべようとする。
「そんな顔をするな。お前のせいではないから」
和泉守は自分のことを責めている。うっかり宗三の挑発に乗って暴露してしまったことか、そもそも、妙な男相手に後手をとってしまったこと自体にか。そのどちらかは分からない。その両方かもしれない。とはいえ、とにかく、審神者はそう言わねばならないと感じていた。
「……少しくらい子供らしくしろよ。だから、アンタが子供だと誰も気付かなかったんだ」
「お前達の時代でいえば、とうに元服している歳だよ。子供扱いはしなくて良い」
言って、審神者は乱を見た。
「乱。履き物を」
「はあい」
乱は審神者の足下へ履き物を置き、ゆっくりと下ろされた審神者は、それに足を通す。そうして地に足をついた時、居酒屋から一期一振が出てきた。一期一振は審神者達を見つけると、にっこりと微笑んでみせる。
「お待たせ致しました。あと少しで残りの者も出てきますから、決して中には戻らぬよう」
物腰穏やかではあるが、異論は許さないという物言いであった。審神者は心配そうに表情を曇らせて、問いかける。残るは清光と薬研、長谷部の三振りである。どう考えても不安しかない面子であった。
「……三人は何をしている」
返事によっては、すぐに中に戻らなければならない。例えどんなに止められようとも、それは譲れない。そんな審神者に、一期一振は静かに口を開く。
「――少々、牽制と口止めを」
返された言葉に、審神者は一瞬、頭が白くなったような錯覚を受けた。すぐに中へ戻ろうと、その場をかけようとしたものの、その前に足が地から浮いてしまう。
「おろせ、和泉守!」
「行くなっつってんだろ。聞いてたか?」
あっという間に抱えられて、おろされたばかりだというのに先程と同じ体勢になる。それでもと、もがく審神者の顔をのぞき込むように位置を移動すると、一期一振は真剣な表情を審神者に向けた。
「ご心配なく。あくまで、口頭での牽制と口止めです。相手は主殿の弟弟子。ならば、決して手荒い真似は致しません」
そっと、金色の瞳が細められる。
「ですが件の審神者については、その限りではありません。例えどんなに泣きつかれようと、決して会いにいってはなりません。良いですか?」
「……言っておくが、生身の人間が相手ならば、私は引けなどとらないぞ。自分の身は自分で守れる。そこまで過保護にされる必要は――っ!」
言い掛けて、ぱぁんと音がする。審神者の尻に大きな手が当てられたのだと気付いたのは、一瞬遅れてからだ。目の前にあった一期一振の顔は驚きのものに変わっており、審神者の尻はじんじんと熱さとも感じられる痛みを訴えていた。
「〜〜和泉守っ、いったい何を……」
何故尻を叩かれないといけないのか、審神者は納得できずに取り乱してしまう。
「ついさっき絆されそうになったばかりじゃねえか。いいから大人しくしてろ。おろしてやんねえぞ」
「だからそれはっ、……とにかく、例えその男と会ったとしても自力で対処はできるから問題ないと――ひぁっ」
「子供は子供らしくしとけ。このままずっと抱えられてえか?」
「っ〜〜尻を叩くなっ! その子供扱いをやめろっ!」
今までは子供扱いなどされたことがなかった。けれど隠してなかったとはいえ、年齢を暴露されてしまってからは、和泉守は審神者のことをはっきりと子供扱いしてしまっている。納得できず、噛みつくように審神者が言えば、和泉守は楽しそうにけらけら笑う。
「そうしてると年相応だな。アンタはまず、自分の本丸をなんとかすることを考えろ」
そう言われると、審神者は少し考え込んでしまう。
「………そう、だな」
日課分はこなしていても、審神者の本丸には新しい刀剣男士は中々こない。審神者は縁のあるものを優先したいという考えの元、必要以上に鍛刀に資材をつぎ込んではいなかったが、考えを改める必要があるのだろうかと、ぼんやりと考えた。
「主? 大丈夫?」
黙り込んでしまった審神者を、心配そうに刀剣男士が見ていた。
燭台切に声をかけられ、審神者は力なく、問いかける。
「……燭台切」
「なに、主?」
「……やはり、新しい刀剣男士は必要か? 早急に皆に縁のある刀剣男士をと思えば――…私は、少しぐらいならば、会っても構わな――…っ!」
そう言い掛けたところで、三発目。審神者は身を縮こませて、キッと和泉守をにらみつける。けれど今度は和泉守は笑っておらず、審神者を真っ向から睨みつけている。審神者以上に鋭い眼光だった。
「次はねえぞ。黙って、大人しくしてろ」
「っ……」
「和泉守くん、やりすぎだよ!」
思わず口を閉ざす審神者の脇に、後ろから手が通される。そのまま後ろに引かれ――今度は燭台切の腕に抱えられていた。
「でも、今のは主も悪いからね?」
審神者が燭台切を見下ろせば、燭台切は困ったような表情を浮かべていた。
「確かに新しい仲間は欲しいけれど、主が我慢なんてすることないし――何より、主には長谷部くんがいるじゃないか。余所見なんてしちゃいけないって、和泉守くんは言ってるんだよ」
「別に長谷部がとは言ってねえよ」
「そうだよ。主さんには薬研がいるもんね〜?」
「いや薬研とも言ってねえよ」
燭台切に抱えられた審神者のそばで言った乱に、すかさず和泉守がつっこみを入れる。傍ら、一期一振は静かに肩をすくめていた。
「加州殿も言われましたが、貴方を犠牲にしてまで欲しいとは思っておりません。我ら一同、一振りたりとも。いずれ縁がありましょう。焦っても仕方がありません」
静かにそう告げれば、審神者はやっと己の失言を自覚して、肩を落とす。
「……すまない」
審神者を捜しているという男のことは、審神者は決して脅威だとは感じていない。生理的に嫌悪は覚えるが、それほど興味もない。審神者は人の身が相手ならば、決して遅れをとるようなひ弱な人間ではないという自負があった。だから少し会うくらいならば問題ないと考えたが、その傲慢さは刀剣男士には理解してもらえなかったようである。結果、また要らぬ心配をかけただけだった。
「分かりゃいいんだよ」
満足そうに、和泉守は鼻をならして言った。
それから数分後――ようやく、三振りが店から顔を出した。大きく伸びをしながら普段通りの素振りを見せる清光。普段よりも眉間にしわを刻み込んだ長谷部。そして、無言無表情で最後に出てきた薬研。
「ごめん、お待たせ〜」
「清光」
既に燭台切におろしてもらっていた審神者は、一番に出てきた清光の元へとかけよった。
「大丈夫か? その…」
「なあに? 俺らが刀振り回したとでも思ってるの?」
「そんなことはないが、時間がかかっていただろう? 何か言われたりはしていないか? 嫌な思いは…?」
問えば、清光は呆れたように笑う。
「俺たちの心配してる場合? だーいじょうぶだって。別に、主に手は出さないでくれって、お願いしてきただけだし」
「そうですよ。主を困らせるような真似など、決して致しません。ご安心を」
清光に引き続き長谷部にもそう言われ、審神者はひとまず安心する。けれど残る最後の一振り、薬研に目を向けると――薬研は何も言わずに目を細めた。それは怒りと表現するには適していない表情ではあったが、審神者は背筋に冷たいものを感じてしまう。
「……怒っているか?」
自然とこぼれ落ちた質問に、薬研は口角を上げた。上がったでなく、上げた。
「そりゃあな。――どこの馬の骨とも分からん男に手出されてたまるか。札にも資材にも目眩ますなよ、大将」
ぐっと息をのむ。先程の言葉を薬研に聞かれずにいて良かった。
「今までもそうだったけど、改めていうね。これからは、外に出るときは護衛必須だから」
「本丸の皆にも通達しておきますので、主もそのつもりでお願いします」
「! 待て、まさか説明するつもりか? 会うつもりなどないと言っているだろう……」
「ついさっき、絆されてたよね。駄目。絶対駄目」
「主が泣き落としに弱いことも通達しておきますね。余所の刀剣男士が泣きついていたら要注意だと」
「大体、どうして言ってくれなかったの? そんなことがあったなんて、俺何も聞いてないし! 人違いの話かと思って、行動遅れちゃったでしょ?」
「どうして……など」
審神者は少しの間口ごもって、けれどはっきり言っておかねばと口を開く。最近の審神者に対する印象は、ひどく頼りないものばかりなのだから。
「私は、人の身が相手ならば遅れはとらない。自分の身は自分で守れる。それだけの力は持っている。和泉守と堀川に口止めをしていたのは、これ以上、お前達にひ弱だと思われたくなかったからだ」
たったの一度、知らぬ男に絡まれただけである。反応が遅れてしまったことは審神者自身も認めるが、だがそれだけのことが、ここまでの大事に発展するなど、一体誰が思うというのか。
「本丸の外でまで厳重に守られなければならないほど、私は弱くないぞ。わざわざそんな情報を共有する必要はない…! だから、そんなことをする必要はないよ、清光」
敵からの攻撃からだとでもいうのならばともかく、あまりに主としての格好がつかない。情けない醜態を更に晒されてしまうだけのことである。
「……主。ちょっといい?」
「……?」
そんな審神者の言葉を全て聞き終えてから、清光は指先を審神者に近づける。そのまま審神者の目と目の間に持っていくと、ぺちんと軽い音を立てて、審神者の額を小突いてしまった。審神者は驚きに目を丸くして、小突かれた額をおさえる。
「……清光?」
何故いきなりこんなことをされたのか分からず、困惑したまま、審神者は不安げに清光を見る。それを見ていた清光も、そばにいた長谷部も、意味深に審神者の様子を伺っている。
「振り回してしまったことは謝る……けれど私は、お前達が思っているほど弱くはない」
「……主」
ふっと、清光は微笑む。その反応に、審神者は理解して貰えたのだと思って、少しだけ表情を柔らかくさせた。
「駄目だよ。俺、こう見えて結構怒ってるんだからね。危ないことがあったのに内緒にするなんて、絶対許さない。今度から同じようなことがあったらちゃんと報告してくれるって、約束できる?」
けれど、その表情とは裏腹に、その声のなんと冷たいことか。
「……そう何度もあるわけないだろう? 大袈裟な話になっているが、一回だけのことだ。お前達が思っているほど、大した問題ではないよ」
「大した問題だから。一回会ったっきりでも、向こうは血眼で主を捜しているってことでしょ? で、主のことがバレちゃったんだから、あとは時間の問題。主は押しと泣き落としに簡単に引っかかるから、駄目」
「清光!」
「そんな顔しても駄目。さ、帰るよ」
何を言っても聞いてくれない状態だと察して、審神者は口を閉ざす。清光という刀がこの構えをとってしまったら断固として譲らないことを、審神者は知ってしまっていた。帰れば、間違いなく話に尾ひれがついた状態で本丸に広まってしまうだろう。分かっていても、これ以上は打つ手がない。
「………」
やはり、八という男と関わるとろくなことがない。審神者が沈んでいると、審神者の手を乱の細い指がさらった。
「主さんを弱いなんて思ってないよ。主さんが大好きだから、守ってあげたいって思ってるだけだもん」
「……乱」
「あと、主さんに悪さしようとするその人が単純に憎いだけ。その人に何もしない代わりに、その分主さんを守るの」
「………」
もうなんと返事をしていいのか分からない。苦い顔を浮かべる審神者の左手を、今度は反対側から当然のように和泉守に掴まれてしまう。そうなっては、審神者はもう何も言う気力が湧いてこなかった。
(庇護というより、これは……)
弟弟子である男も審神者のように過保護にされているのだろうか、一瞬だけ考える。だが弟弟子と刀剣男士の様子を見ていれば、そうではないことは明白。すぐに考えを改めた。むしろ、弟弟子の気性や癖を理解して、そしてそれを認めている関係という印象を受けた。あの砕けたような話し方も、刀剣男士との信頼関係があってのことだろう。
(――引き替え、僕はどうだ?)
守られている。愛でられている。けれど、信頼はされていない。
一人では自分の身一つ守れないのだと、そう思われているに違いなかった。
酒の席で、審神者にとっての課題点を見つけた。刀剣男士に、審神者の情報があまりにも足りていない。それ故に、刀剣男士は審神者を信用しきれていないのだろう。頼りないと判断されている原因は、そこにあったのだ。
(……どうすればいい?)
何とかそれを証明することは出来ないだろうかと、審神者は下唇を噛んで考える。審神者の周りを囲うようにして歩いている刀剣男士達に、手を掴んでいなくとも、引かれなくとも、審神者が己の力だけで歩いていけるのだということを理解させたかった。
――もしも、審神者に執心しているだろう男と一人で会って、無事に帰ってきたら、分かって貰えるだろうか?
ふと、そんな考えが過ぎって、審神者は慌ててその考えを振り払う。あそこまで己の刀剣男士に言わせてしまったというのに、よくよく言いつけられているのに、それでもそのような考えが出てきてしまう己を思慮が浅いと非難した。
握られて離されることのない手、前を歩いていく刀剣男士の背中。己を守ってくれるその存在を前に、審神者は確かに、胸に充満する靄の存在を感じとっていた。
[newpage][chapter:補足:居酒屋を出て行った後で(会話文のみ)]
「〜〜くそ、逃げられたか! あと一押しだったのに…! 宗三ァ! 戦犯はお前だからなぁ!」
「おや、責任転嫁ですか。情けない」
「やかましいわ! お前がえっぐい言い回ししたせいで、未来の義兄が見事にやべえ変態ストーカー扱いされたじゃねえか!」
「すとーかーとは?」
「執拗に付け回す迷惑野郎のことだ!」
「なら事実ではありませんか」
「事実でもなあ、言い回しってのは大事なんだ! 大体、もっとかるーい言い回しだっただろう! 信濃ォ! 覚えてるか?」
「覚えてるよ〜」
「よし、頼む!」
「えー? 長いんだよねあれ……じゃあいくよ? ……コホン……『いや〜あの時会ったあの子が忘れられないんだよねー! 凄くない? 刀剣男士の顔を見慣れてるのに、一目でかわいいって思うって、凄くない? 一目惚れってこういうこというんだよねー! キリッとしててさあ、でもこう、その顔が崩れて困った感じになった時のギャップとかもうすごくいい! 最高! あれだけ可愛かったら、そりゃあ過保護にもなるよねーかわいいから! きっと本丸でも可愛がられてるんだろうなあ。あーあ、邪魔さえ入らなきゃ今頃お友達になれてたかもしれないのになー。いやもっと親しくなってたかもかな? 俺こうみえてそこそこ戦績残してるから、教えられることもいっぱいあるし? 仲良くなったら審神者としての相談にものってあげられるしー。相手として申し分ないじゃん? 最終的にー、いっしょに本丸運営してもいいかな? こう、手取り足取り指導してあげてーってそれは気が早いか! まずはお友達からって感じだから、よろしく!』……だった、よね?」
「完コピだ信濃ォ! すばらしいぞ!」
「わあい! ねえねえ、デザートにアップルパイ頼んでいい?」
「許す!「やったあ!」……で、宗三ァ! お前さっきなんていった!?」
「覚えてません。信濃もよくそんな長々と覚えていられましたねえ」
「だってあの人延々と同じ話するんだもん。耳たこ」
「お前が言ったことそのまま言うぞぉ『あのお高く止まった澄まし顔が崩れる様を想像すると、たまらなく興奮する。早く自分好みに調教してやって、従順になるように躾けてやりたい。少し声をかけただけで、付き添いの二人があれほど怒ったんだから、きっと本丸でも日頃から自分の刀剣男士に色目でも使ってんだろう。あれは確実に色狂いの素質がある。邪魔さえ入らなければ、今頃とうに抱き潰していたし、犬のように従順に躾けた後は、あいつに変わって本丸の棟梁として指揮をとってやってもいい』だ! 間違ってねえが悪意があらあな!?」
「おや…あなたにも人並みの記憶力があったんですねえ。仕方がないでしょう。ああでも言わなければ、間違いなくすっとぼけられてましたよ。彼は迷わず知らぬ振りを決め込んでいましたからね。口では誠実なことを言っておきながら、強かですねえ、色々と」
「それはそうかもしれんが、もっと言い方ってもんが「信濃、僕はこのムースをお願いします」聞けよ!」
「はいはーい。みんなは何にするー?」
「ボク三種のケーキ盛り!」
「わしはこのちょこれーとあいすがいいき!」
「僕は杏仁豆腐で」
「ぼくはこのでらっくすまっちゃぱふぇにします!」
「りょうかーい。大将はー?」
「ふわふわパンケーキ!」
「はーい。じゃあ、店員さん呼ぶね〜」
「それにしてもごさんでした。まさか、いちさんがあれほどできあいされているとは……じゃまさえはいらなければ、いまごろぼくはあのひとをまちがいなくおとしていたのに……」
「ああ、あいつはごねれば最終的には折れるやつだからな。くそっ、折角あざとカワイイやつら集めてきたのに、まさかあんなにモンペ引き連れてるとは思わんかったぞ! あいつの刀剣男士と仲良くなってなあなあに丸め込む作戦が台無しだ!」
「……おや、僕をカワイイ要因で連れてきたんですか、貴方」
「いやお前は外道要因。いたら場が回るだろ。うまいことあいつの逃げ道塞いでくれると思ってな」
「ああそうですか。信濃、僕、デラックス苺パフェ追加でお願いします」
「一人一つだ宗三ァ! 我慢しろ!」
☆
「まあえいじゃろ。あんな子供に、なにもあんなことを頼まんでもええきに。他の方法をさがそうや。わしはな、ほんというと安心しとるぜよ。おまんから色々きいて心配しちょったが、ええ男じゃないが。確かにちょうとつれんが、ちゃんとおんしのことを見とる」
「……あいつは刀剣男士には猫被ってんだよ。それに別に、俺ァあいつを差し出すつもりはねえよ? 会わせるだけだ。あの血の気の多いモンペどもが心配するようなことには絶対にならん。絶対にだ!」
「言い切るねえ……ああでも、さっきも言っていたね。いちくんは主たちの中でも一番喧嘩が強いんだって? あれ本気だったのかい?」
「あー! あれでしょう? 『俺らの中で一番喧嘩が強くて、やり方がえぐいのはアイツだぞ!』ってやつ。ボクびっくりしちゃった。え? あんなにかわいいのに?って。三人だってすっごくビックリしてたよ」
「いきおいでいったのでしょう? そうでもないと、いまにもおそいかかってきそうでしたから。あのさんふりは、とくにさっきまみれでした。まあ、ぜんぜんしんじてませんでしたけど」
「愛されてるんだねえ。大将だって、あそこまで過保護になんてされないのにさあ」
「ボクたちの本丸が特殊なんじゃない?」
「逆だ乱ェ! あいつの本丸が異常なんだ! ふつう、あそこまで溺愛なんてされるか? あの無愛想な堅物が、なにをどうしたらああなるってんだ! ……まさかあい「デザートお持ちいたしましたー!」」
「「「「わーい」」」」
「あ、ムースとデラックスパフェは僕です」
「一人一つっつったろうが宗三ァ!」
☆
「あれはな、本当に気が荒いんだよ。古株の三人がやばいといったが、本当にやばいのは赤ん坊の頃からジジイのとこにいた二人だけだ。三番目は、上二人の真似しているだけだからな」
「えー? やばいって、何が?」
「何がというか、もう全部がやばい。冷血だ冷血。容赦ってもんがまるでねえ。手加減もしらんし躊躇もせん」
「やり方がえぐいっていうのは?」
「ああ……二番目はな、やり方は普通だが刃物をふつうに使うやばいやつだ。でも一はそれ以上にえぐい。執拗に首から上を狙って最終的に腕を潰す」
「っ……そりゃあ、さすがに盛りすぎやよ。あのちっこい体でそんなことができるとは思えんが」
「あの子がねえ…にわかには信じがたいよ。とても、そんな風には見えなかったけどねえ…?」
「マジだマジ! そりゃあ俺らにはそこまでしなかったが、一度、侵入者にそうしてんの見て下の奴らマジで漏らしてたからな。相手が敵なら、一切表情も崩さんで流れ作業みたいに黙々とやるんだよ。俺もちびった」
「主さんたちを守るために頑張っただけじゃないの? そもそも侵入者って……簡単にいってるけど、それってすごく大変なことじゃないの?」
「――あー……ま、大変なことだわな。歴史修正主義者が俺らを殺しに来たわけだし。あれだ、若い芽を積んでおこうってな」
「「「「「「…………」」」」」」
「そんな怖い顔すんなって。俺らは誰も怪我しなかったし。まあ、襲ってきたのが人間だけで、俺らを子供と舐め腐っていた奴だったから、なんとかなったとこはあるな。でも下の奴らがそれでトラウマで不安定になって、……その面倒みてたのも、大体あいつだったな」
「……じゃあ、いちさんはあるじさまのおんじんってことですか?」
「そうなるよね? 君の命を助けたってことだろう」
「まあ、そうなるな……俺だってそりゃあ、あいつには散々手間をかけたとは思ってんだよ。だから、俺がその分あいつの面倒をみてやるつもりでいるんだろ。とりあえず外に連れ出してやろうと思って、何度も連絡もとったがまああいつくそ生意気で……しまいには連絡拒否しやがるし……」
「色町に誘うからじゃろ」
「他に何かなかったの〜? 一緒に甘味食べに行ったりとか」
「男二人でか!? つまらんだろう! 男同士の遊びなんてやることは一つだ!」
「だから拒否されたんだろう? 君は全く…」
「――貴方、そんな相手を男色趣味の変態に売りつけようとしてたんですか?」
「人聞き悪い! だから、あいつなら大丈夫だっつってんだろ。気に入らんことがあったら腕へし折って自力で帰ってくるわ」
「それはそれで話こじれると思わないんですか?」
「会った後のことは知らん!」
「ええ……主さん最低…」
「だから! あいつなら問題ないっつってんだろ! だから何であそこまで弱いと思われてんのかマジで謎だっつーの! どんだけ猫被ったらああなるんだよ! あいつはなあ、危険すぎてプロレス禁止になったぐらいの手加減を知らん荒くれ野郎だぞ」
「プロレス?」
「俺らの中で一時期流行ったんだよ。試しに一もいれたら、もう手加減なしで滅茶苦茶やりやがる。あんなやべーのが溺愛されてるなんて思わねえだろお? なんなんだよあれ、すっげーこわかったわ」
「なんか信じられないなあ。あの人が本当に?って思うよ。――あ、怖かったっていえばさあ、むこうの薬研、すっごい怖くなかった?」
「怖かった怖かった! あれさ、いつ抜刀してもおかしくなかったよねえ。うちの薬研だって、あそこまで殺気立つの戦場でだけだよ?」
「「ねー!」」
「思い出しても寒気するわ…うちの薬研にあの顔されたらショックで寝込むっつの……」
「それで? 主に手を出すなとかまあ色々言われたわけだけど、結局のところどうするつもりなんだい? 実際、彼を連れ出すのは難しいと思うよ?」
「んー……どーすっかなあ。まあとりあえず本人は見つけたって伝えとくか。本丸番号とか渡せば後は勝手になんとかするだろ。そこはもう交渉するっきゃねえわ」
「……彼、君の恩人なんだよね?」
「やめとけやめとけ、かわいそうじゃろうが!」
「――いや、まあなんとかなる! とりあえずあとでアイツに泣き落としして情報だけは流す許可をもらっておけば! ……なんとかなる!」
「知らないよー大将。薬研に柄まで通されても」
「ボクも知ーらないっ」
「ヘし切られる覚悟もしときなよ? 骨は拾ってあげる」
「短いつきあいやったが、おまんとの生活は楽しかったぜよ。加州は可愛い顔しちゅうが、戦いぶりは全然可愛いくないからのう。おまんもよく知っちゅうやろうが」
「やめろやめろ演技でもねえ!」
「うーん。またひとはらんおきそうなきがしますねえ」
「はあ……本当に、とんでもない男が主になったものですよ」
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