「主、その……今、なんと仰られましたか?」


ぽかんとしているへし切長谷部は、まるで今先ほどの審神者の言葉を信じられていないようだった。そんな長谷部の反応があまりにも予想通りだったため、審神者はくすっと笑って、もう一度先ほど口にした言葉を繰り返す。


「長谷部。これからは、清光が不在時にはお前に近侍を頼みたい。それと清光が補佐を必要としていたなら、その都度助けてやってくれ」


二度も聞いて初めて、審神者の聞き間違いではなかったのだと気づいた長谷部は、審神者の言葉に感極まった様子でいた。今まで審神者は加州清光以外の刀剣を近侍にすることはなかったため、長谷部が驚いてしまうことも、無理のないことではあったけれど。

審神者は以前長谷部の本音を聞いてからずっと、この件についてそう考えていた。


「本当は、もう少し早く言いたかったのだけれど、中々機会がなくてね」


先日のあの騒動のせいで、先延ばしにしてしまっていた。首の跡も薄くなり、薬研藤四郎に貰った軟膏で隠せるようになった今日この頃、審神者は、ようやく長谷部に伝えることができた。


「――引き受けて貰えるだろうか?」


夢を見ているかのような表情、未だ実感がないらしい長谷部にそう問えば、長谷部は目尻に涙を浮かべながら胸を強く押さえて、頭を垂れた。


「もちろんです!」


その力強い言葉に、審神者は頷いた。きっと勤勉で真面目な長谷部のこと、審神者だけではなく、清光の役にも立ってくれるだろうとそんな期待をしていた。














「清光。まだ怒っているのかい?」


むすっと正座をして己をみる清光に、審神者は居心地の悪さを感じながら問いかける。特に仕事の邪魔をしているわけではないが、こうも無言の訴えをされていては、どうにも仕事がやりにくい。


「……別に。怒ってなんかないよ」
「本当か? なら何故、そんな目で私を見るんだ。言いたいことがあるのなら、言って貰えなければ分からないよ」


そろそろと審神者の横で正座をしている清光を見れば、怒っているとしか思えない表情をしている。不満を露わに審神者を真っ直ぐに見ている清光には、審神者は目を逸らしてしまいたい衝動に駆られてしまう。清光のこのような表情が審神者は、とても苦手だったのである。


「長谷部の件なら、ちゃんと説明しただろう?」


心当たりがあるといえば、長谷部を近侍代理及び近侍補佐にしたことのみ。その後清光にはきちんとそのことを説明していた。清光を近侍から遠ざけたわけでもなく、むしろ清光の負担を軽くできること。清光にとっても悪くない話だと思っていたが、話が終わった後も、こうして清光からは無言の訴えを投げられていた。

そういった表情をされてもどうしようもないと、審神者は困ってしまって、ついつい清光から目を逸らして書類に視線を戻してしまう。


「別に、何も言ってないでしょ。近侍は俺だけだって言ったのに、長谷部を近侍にしたこと。俺、一言も文句言ってないよ」


刺々しい言葉が、横からちくちくと審神者のことをさしてくる。審神者は顔をしかめて、はあ、とため息をついた。筆を置き、腰を上げると、清光の目の前に移動して正座をする。審神者の行動を受けても、清光は一切態度を軟化させなかった。むしろ一層、眉間にしわを作るのだ。


「‘代理’だよ、清光。前も言ったことだが、私はお前のことを頼りすぎている。実際、清光が遠征や出陣で出払っている時、手が足りないと思うことも多い。加えて、近侍であることで、清光には他の者より自由な時間が少ないことも、気になってはいたんだ」


ご機嫌ななめ、という表現は相応しくない。これは清光の抗議である。審神者の決定に納得がいっていないための清光の行動に、審神者も真っ直ぐ向き合わなければならない。だからこそ、既に清光に伝えたであろう言葉を繰り返す。


「長谷部も、私の近くで仕事をしたいと言っていたのだから、これが一番良いだろう?」


そう審神者が言った言葉に、清光はむっと唇を引き結んだ。


「俺がいつ文句なんて言ったの? 自由な時間が欲しいなんて、一言も言ったことないんだけど。一番良いなんて、勝手に決めつけないでよ。今までだって、俺がいなくなる前には、俺がいなくても大丈夫なように前日にいっぱい動いていたでしょ? 忘れちゃった?」


怒涛の主張に、審神者は耳を塞いでしまいたくなった。困り切って、肩を落とす。


「……それは、そうだが。先は納得してくれただろう? 何故後になってそんな顔をするんだ」
「……あの時は、だって、あんな言い方されたんじゃ、どうしようも……」


語尾が小さくなっていき、最後には言葉がとぎれてしまう。困ったように口を閉ざした清光に、審神者はなんと言葉をかければよいのか分からずに眉を潜める。


(あんな言い方……?)


清光と話したときのことを思い返す。一語一句覚えているわけではないが、粗方は記憶にある。審神者は確かあの時、このようなことを言ったはずだ。長谷部が近侍になれば、長谷部も、審神者も、清光も助かる。これが一番良い形だと。そのようなことをいった記憶がある。だがこれは、今先程の審神者の言葉とあまり変わらない。

決して、清光を近侍から外すつもりなどない。清光が傷つくようなことを口にした記憶もない。こんな風に清光が不満をもつ必要があるとも思えない。


「とにかく、自由な時間は多いに越したことはないだろう? 清光はもっと、好きなことをやれば良い。これも良い機会だ」


だからこそ、そう答える。すると清光はひどく傷ついた表情を見せて、審神者から顔を隠すように俯いてしまう。その反応に嫌な意味でどきりとした審神者は、ハッと息を飲んだ。


「清光?」


泣いてしまったのではないか。そんな不安が急いて、審神者は清光との距離を縮めて、その顔をのぞき込む。審神者の勘は正しく、清光は既にじわじわと目に涙を浮かべている。

サアッと顔から血の気が引いていく。審神者は何をするでもないのに両手をあげて、不安定に動く指先だけを清光に向けていた。


「な、何も泣くことはないだろう。……でも、すまない、そんなに嫌な物言いをしてしまっただろうか? だが、あまり清光だけに負担をかけてしまうことは……」


おろおろと狼狽しながら清光に触れることもできずに、そんな言葉をかける審神者だった。第三者から見れば、ひどく滑稽な有り様だったに違いない。審神者の心中を考える余裕もなかったであろう清光は、ただほろほろと涙をこぼしながら、小さな声でこう切り出した。


「……なんか、主が遠いよ」


その言葉に審神者は小さく目を見開いて、清光の頬に手を伸ばす。けれど触れる前に躊躇ってしまって、寸前でその手を止めてしまった。


「俺が一番だって言ったじゃん。近侍は俺以外ありえないって、そう言ったのにっ……! なんでそんな風に、俺が我が儘言ってるみたいに言うの?」


顔を上げて、清光は伏せられていた目を審神者に向ける。そして、震える声でこう告げた。


「主の、嘘つき」


そのたったの一言が、簡単に審神者の動きを止めてしまう。

清光は立ち上がり、審神者の返事も反応も待たずに背を向ける。清光の言葉がショックだった審神者は何も言えず、けれど清光を行かせたくはないと辛うじて伸ばした手は、清光に届くことなく空振りしたのだった。










はあああああ。


とても長いため息だった。審神者は誰もいない部屋でため息をつき、動かすことない筆を強く握りしめる。


(嘘つき……か)


先ほど清光に言われた言葉がどうしても耳から離れない。何度も何度も反響するように脳に直接響くそれに、審神者は仕事をする手が止まってしまう。今まで考え事をしながら仕事をすることはあれど、ここまで仕事が手につかなくなることなどなかったというのに。


(嘘つき……嘘つき……か)


良かれと思った。清光も自由な時間が増える。長谷部は望みが叶う。それぞれにメリットがあるのであれば、それで審神者もうれしい。何が問題だというのか。それについては、今でも納得はできずにいる。

ただ、気持ちは分かった。近侍は清光以外にはいないと、審神者は確かにそう告げた。清光と仲良くなりたいと思っていた日にも、その後にも、清光以外を近侍にすることはないと口にした。


(代理でも、それは、清光にとっては裏切りだったのだろうな……今更気づいたところで、既に手遅れだが)


はああああああああああ。

こんなに長いため息などついたことがない。審神者は筆を置いて、机に肘をついて頭を抱えた。あの時、何故清光を追いかけることができなかったのだろう。そう後悔するものの、結局今も、清光に会いに行く気概はわいてこない。今清光に会っても、何を言えばよいのか分からないのである。情けない限りだ。


「今更、何を言えばいいんだ……」


長谷部の近侍代理を解けば納得する、というものではないのだろう。きっと、清光が怒っているのはそこではないのだ。それは審神者にも分かる。故に、ここからどうすればよいのか分からない。

そんな時、ぽんと音がした。実が弾けるような軽快な音である。


「審神者殿、審神者殿」


その音と共に、甲高い声が審神者のことを呼ぶ。


「……こんのすけかい?」
「はい! やや、審神者殿、体調が優れていませんでしたか?」


頭を抱えながら、直接目で声の主を確認することもない審神者に、こんのすけは元気よく返事をする。こんのすけが直接審神者に会いに来る時は、大抵、政府からの急ぎの勅命である。審神者は頭を抱えるのをやめて、背筋を正し、こんのすけに向き合った。


「いいや。構わない。どうしたんだ?」


こんのすけは、とてとてと審神者との距離を縮めて耳をぴこぴこと動かしながら、話を切り出した。


「他本丸の審神者から、審神者殿にご連絡がありました!」
「……? どの本丸だ?」
「管理NO.384927。確か、審神者殿とは既知の仲だと」
「…………内容は?」


一気に真面目に聞く気が失せた。連絡者が誰か分かった審神者は、大した用ではないと悟って、肩の力を抜いた。


「はい! 審神者殿と、近々お会いしたいとのことで――」
「断る。あいつの顔など見たくない」
「えっ、しかしですね、なにやら彼方のこんのすけによるとですね、何やら大事な話があるとのことで――」
「知らん。断ってくれ」


時間の無駄だったと、審神者はふいとこんのすけから目を逸らす。


「政府からではなく、その本丸から直接の連絡だろう? そんな私用でこんのすけを動かすな、とも伝えてくれ。会う気はない」


そういう審神者に、こんのすけは困ったように汗をかく。審神者の反応が驚きだったらしい。


「……本当に、よろしいので?」
「構わん。会うだけ時間の無駄だ」
「で、では、そのように」
「ああ。他に政府からの連絡は?」
「いいえ。今のところは……」
「分かった。すまないが、よろしく頼んだぞ。こんのすけ」


困惑が隠せていないこんのすけの頭に手を置いて、撫でる。こんのすけは審神者の言葉に「はい!」と力強く返事をすると、また、ぽんと音を立てて煙と共に姿を消した。

そうしてこんのすけが綺麗さっぱり姿を消したところを見下ろし、小さく息を吐いた時、廊下に人影が立っていることに気がついた。


「……主。もうお話はお済みでしょうか?」
「ああ。終わったよ。どうした?」


そこに立っていたのは長谷部だった。いつからいたのかは分からないが、律儀にこんのすけとのやり取りが終わるまで待っていたらしい。こちらを伺う長谷部に微笑みかけると、長谷部はほっとしたような顔をして「失礼します」と部屋に足を踏み入れた。


「連絡物をお持ちしました」
「ああ、ありがとう」


急ぎではない連絡物は、形に残る手紙や封書で送られてくる。それを長谷部にとってきてもらっていたのである。長谷部からそれらを受け取り、差出人をざっと確認する。そんな審神者に、長谷部はそっと問いかけてきた。


「主。その……先程のこんのすけとの話を、聞いてしまったのですが」
「構わないよ。聞かれて困る話ではない」


重要な連絡はなさそうだ。そう感じながら、ペーパーナイフで封を開けていく。中の書類を改めながら、片手間で長谷部の言葉に答えると、長谷部は申し訳なさそうに、けれどどこか楽しげに続ける。


「主もあのような話し方をされるのですね」


その長谷部の言葉に審神者は手を止めて、長谷部のことを見る。


「……普段通りだろう?」
「いいえ。普段とは少し……」


そんなつもりはなかったが、そう長谷部がとらえるのであれば、そうだったのかもしれない。審神者は先ほどの己の口調を思い出すが、それほど口調が変わっていたとは思えずに困惑する。


「……嫌な思いをさせただろうか?」
「いいえ。主の新たな一面を知れて、嬉しく思います」
「そうかい? なら、まあ、良いか」


ならば問題ではないと、審神者は連絡物の確認に戻る。内容は審神者業に対する注意喚起のようなものだ。主に、審神者としての振る舞いに関する倫理を今一度改め、自覚すること、本丸及び刀剣男子を私物のように扱わぬようにとのこと。実際の事例と共に、その旨が綴られている。それに気分を害し、審神者は書類を封筒に戻すと、長谷部の目に届かぬ場所にその封筒を置いた。このようなものは、一人の時に見るべきだとの判断である。


「ところで、先程のお誘いは断っても良かったのですか?」


次の封筒を開けながら、そんな質問を受ける。悩むそぶりもなく、審神者は口を開いた。


「構わない。会うだけ無駄だ。仕事絡みの話でないからね」
「あまり、仲が良くないのですか?」
「既知というだけだ。そもそも友ではない」


答えながら、次々と開封し、処分品ともう一度読み直す必要があるものに分けていく。その作業の傍ら長谷部の問いに答えていけば、長谷部は不思議そうな表情を浮かべていた。

そしてまた、弾けるような音と共にこんのすけが姿を現した。


「審神者殿! お返事を持って参りました!」
「要らん。そのまま突き返せ」
「いえっ、そう申し上げたのですが、大事なご用だと仰られるもので……!」


そうして開口一番に告げられた言葉にそう返す。けれどこんのすけにそう言われたことで、審神者は眉間にしわを寄せて、冷たい視線をこんのすけに向ける。正確に言うとこんのすけではなく返事の主に対する目であったが、こんのすけは居心地悪そうに言葉を続ける。


「音声データで、承っております。では繰り返します」


言うなり、こんのすけと審神者の間に、画面のようなものが映し出される。その中には、審神者NOが映し出されている。


『お堅いこといってんなよ! まだ堅物やってんのかお前っ! いいから来い! 俺が来いっつってんだから来い!! どうせアレだろ? 未だに前も後ろも新品なんだろ!? この俺が女遊びの一つや二つ教えてやるってんだから、いいから来いって!! つもる話もあ……』


データの再生を止めて、審神者は無表情でこんのすけを見下ろす。絶対零度の視線を投げられているこんのすけはあわあわとしながら、速やかに審神者から距離をとる。


「こんのすけ」
「は、はいっ」


静かに怒りで震える審神者の言葉に、目に見えてわかる形で狼狽する。そんなこんのすけに何か行動をとることもなく、審神者は静かに言葉を紡いだ。


「今後、その審神者からの連絡は持ってくるな」


怒りで体中の血液が沸騰するように熱く感じる。けれどそれとは裏腹に、ひどく指先も顔も冷たくなっているようにも感じるのである。怒りを抱えた審神者の雰囲気を全身で受けたこんのすけは、何度も何度も首を縦に振る。


「そ、そのようにっ……!」


そうして審神者の次の言葉を待つこともなく姿を消した。こんのすけが居なくなって、審神者はふうと息をつき、なんとか己を落ち着かせようとする。深く刻まれた眉間のしわを伸ばすように指先で押しながら、隣で固まっている長谷部に目を向ける。


「長谷部」
「はいっ」


審神者の言葉に肩を跳ねさせて返事をする長谷部に、審神者は必死に冷静を保とうとする声で言い放つ。


「お茶を持ってきてくれ。とびきり、冷たいやつが良い」
「はい! すぐにお持ちします」


無駄のない動きで長谷部は立ち上がり、速やかに部屋から出ていった。審神者はその背中を目で追いながら、怒りで乱れている呼吸を必死で整えようとした。


(あの馬鹿は、何も変わっていない!)


昔からああだった。常に失礼で無礼で礼儀をわきまえない。審神者に就任して関わりがなくなって安心していたが、今まで彼の審神者にされたことを思い出すと今でも腹が立つ。もしも目の前で対面していたら、一体何をしでかしていたか分からない程度には。

己を落ち着かせようと、審神者は縁側に出て、何をするでもなく庭を見つめる。少なくとも、部屋で正座をしているよりは落ち着くだろうと思ったのである。

腕を組み、柱に体重を預けてそうしていると、ふと、廊下の方から足音が聞こえる。目線だけをそちらに向ければ、廊下の丁度曲がり角のところから、大和守安定が顔を出していた。


「主? あのさ、えっと……今、大丈夫? ちょっと話がしたいなあって思ってきたんだけど……」


おそるおそるといった様子でそう問いかけてくる安定に、審神者は少しの沈黙を置いた後、静かに、できるだけ穏やかになるように意識して口を開いた。


「……すまないが、今は、まともに話ができる状態でない。後でも良いか?」


真っ直ぐに安定の方を見て、そう言えば、安定は顔をひきつらせてから、小さく頷いた。


「だ、だよねー。じゃあ、また後でね」


そう言って、ばたばたと慌ただしい足音を立てて、角の向こうへ消えていく。審神者はそれを見送ることもなく、一刻も早く己を落ち着かせようと庭に視線を戻していた。







長谷部が戻ってきた後、審神者は冷たいお茶を飲みながら、静かに縁側で庭を眺め続けた。


「落ち着かれましたか?」


そしてお茶を飲み終えると、ようやく落ち着いたように息を吐く。そのタイミングを見計らって、そばに控えていた長谷部にそう声をかけられる。


「……ああ。ありがとう、長谷部」


腰を下ろしてそのまま縁側に座りこむと、長谷部に向かって微笑んでみせた。微笑むだけの余裕が審神者に生まれたことで、長谷部も安心したように頬を綻ばせる。そうして少し迷った様子を見せてから、長谷部はこう話を切り出した。


「主。先程の他本丸の審神者の事なのですが。俺はその審神者に会ったことがあるかもしれません」
「……何?」
「いえ。声だけでしたので、確実ではないのですが……おそらく」


落ち着いていたところに再び出てきた話題。不愉快に思う以上に驚いた審神者は、顔をしかめて、隣に座るように手で示す。それに従い審神者の隣に移動すると、長谷部は審神者の目を真っ直ぐにみた。


「演練の時のことです。見知らぬ審神者から、声をかけられたことがありました。やけに酒臭く、じろじろと俺達を眺めていた記憶があります。そして主が来ていないと分かると、千鳥足で去っていきました」


その目に一切の嘘はない。それ以上詳細を確認するまでもなく、その審神者が知人の者で間違いないと察した審神者は、額を押さえて眉を潜めた。


「……頻度は、どれくらい?」
「そう多くは……二、三度程度でしょうか」
「そうか……今後は関わらなくても良い。適当にあしらうか、避けるかしてくれ」
「はい。ですが、主がご所望なのであれば、無礼を働いた代償を……」
「必要ない。時間の無駄だ」


そう言えば、長谷部は頷き、そして控えめにこう問いかけてくる。


「主。あの審神者とは、一体どのような関係なのですか?」


あの審神者。もう既に長谷部の中で他本丸の審神者の立ち位置が決まっているようである。だが別にその判断は間違っていないと、審神者は顔をしかめたまま、まるで苦虫を噛んでいるかのような声で口を開いた。人生における汚点を見せているような気分だった。


「私の生い立ちについて、こんのすけから聞いたことがあると言っていたな」
「……はい」


納得したように呟く長谷部に頷き、審神者は過去を思い出しながら不快さを露わに目を細める。


「あいつも、私と同じ。審神者になるために育てられた。だが、幼い頃から審神者として育てられていた私と違い、あいつは確か……十二、三の時に連れてこられていたんだ。酷く反抗的で、誰彼構わず当たり散らし、審神者になるべく真剣に学んでいる私にも、何かにつけ絡んできたよ」


学びのための書物に落書きをし、何かにつけ上の者にも反抗的。反抗も一人でやれば良いものを、すぐに他人も巻き込もうとするのだ。それが審神者は気に入らず、事あるごとに衝突していた記憶がある。


「『こんな生き方で良いのか、お前の人生これで良いのか』と、何度も何度も言われた。不満はないと言っているにも関わらず、本当に鬱陶しい奴だった」


目を閉じて、ふうと、小さく息をはいた。口にすればするほど、苦々しい過去の記憶が鮮明に浮かんでくる。


「――審神者になって落ち着いたかと思えば、全く変わっていない。あいつはすぐに僕を巻き込もうとする。あれと一緒くたにされると、本当に気分が悪いよ」


質問の返事というよりも、これではただの愚痴である。長谷部が話しやすいのか、審神者が話し相手を欲しているのか。審神者は瞼を空けて長谷部のことをみた。当の長谷部はといえば、何やら感心した様子で審神者のことをじいっと見ている。


「……長谷部?」


不思議に思って名を呼べば、長谷部ははっと我にかえった様子をみせる。やはり愚痴など気が乗るものではないだろうと思った審神者は、自嘲するように片眉を上げる。


「すまない。つまらない話をしてしまったな」
「いいえ。そんなことは……ただ、その、驚きまして……主が可愛らしい話し方をするものですから」


はにかむように笑う長谷部に、審神者は頭の上にいくつもの疑問符を浮かべる。思い当たる節もなければそんな反応を受けるような失態を見せた記憶もない。一体何が長谷部の笑みを誘ったのか分からないままの審神者に、長谷部はこう続けた。


「ただ、理解はできました。今後演練で顔を合わせることがあろうと、決して必要以上の接触は致しません」
「ああ、そうしてくれ」


話がまとまって、しばらく長谷部の先程の言葉の意味を考えていた審神者だったが、その内どうでもよくなり、ふっと小さく吹き出してしまう。


「こんなことまで話したのは、長谷部が初めてだな」


一人で腹立だしい気持ちを抱え込むよりもずっと、気は楽になる。そうこぼした審神者に、長谷部はぱっと表情を明るくした。


「俺で良ければ、いつでもお聞きしますよ」
「それは助かるよ。なら、私もお前の愚痴を聞こう。いつでも聞くとは言えないが、その都度時間を作るから、いつでもおいで」
「……はい!」


にっこりと微笑めば、長谷部は嬉しそうに頷いた。そして、どこか気まずそうに目を逸らすと、声の大きさを落とし、審神者にむけてそろそろと口を開く。


「それから、こんなことを聞くのは失礼だと思うのですが……どうしてもお聞きしたいことが……」
「構わないよ。何でも聞いてくれ」
「で、では……」


どうせ隠すべきことは何もない。そう思って長谷部にそう言えば、長谷部は少し躊躇う素振りを見せてから、とんでもないことを口にした。


「先程の、主が前も後ろも新品という発言は、事実なのでしょうか?」


とても想定していなかった言葉が飛んできたことで、審神者はかたまってしまう。石化する、なんて言葉がぴったりな反応だと己でも思った。その質問の意図を読み取ると、審神者は不愉快な思いを隠すことなく、顔をしかめた。そして、審神者はまっすぐと長谷部のこと見据える。


「……意味を分かって聞いているのか?」
「はい」
「……そうか」


何も言えなくなるほどの即答であった。まさか即答ではいと返してくるとは思わず、審神者は戸惑い、長谷部から目を逸らす。聞くことを一度躊躇った割には、長谷部の目は実に曇りなき眼をしていた。驚いたせいか、肩の力が抜けてしまう。


(真面目な顔をして、一体何を聞いてくるんだ……)


返事に迷った挙げ句、変に隠して嘘をついても仕方がないと、居心地の悪さを感じながらも口を開く。


「――本当だ。審神者に、必要なことではないからな」


俗な感情や欲望は持つべきではない。そう教わってきたのだ。別に恥ずべきことなどない。知人の審神者のように進んで女遊びに耽る者もいるが、幼い頃から審神者になるべく育てられてきた者については、そういったことに潔癖な者も多い。

そっと、長谷部に目を向ける。すると長谷部は顔の下半分を隠すように手のひらで覆っていて、審神者は静かに苛立ちを覚えた。


「長谷部。そんなに面白いか?」


長谷部との距離を縮めて、詰め寄る。審神者から目を合わせようとしない長谷部の肩をつかんで、審神者はもう片方の手で長谷部の手首をつかんでその手を退かせようとした。けれど長谷部の手はびくりとも動かず、審神者はムキになって顔を覆う手を退かせようと琢磨する。


「審神者に性欲があると、ろくなことがないんだぞ! 刀剣に手を出す審神者も珍しくないんだ! 分かるか?」


教わったから、といっても、審神者には審神者なりの意志があってそういった選択をしているのだ。にも関わらず、こうも小馬鹿にされてしまうことは納得がいかない。おそらく長谷部自身にそういった気はないのだろうが、だからといって流すことはできない。


「分かっています。決して主を嘲笑しているわけでは……」
「では何故顔を隠す」
「いえっ、今は緩んでいるのでっ…!」
「何故緩む……!」


そう審神者が強く問うたせいか、渋々といったように、長谷部が審神者の力に従って、顔を隠していた手のひらを退けた。そうして下から露わになった長谷部は本人の申告通り、緩みきっている。本人は本人なりにどうにかしようとでも考えているのか。けれどどうにもならないように口元がひくひくと動いてしまっている。


「経験がないことがそんなに面白いのか?」


今度は長谷部の両頬を挟むようにして引き寄せ、同時に己の顔を近づける。鼻先が触れ合いそうな距離にまで来ると、長谷部は反射的に体を離そうとしたが、審神者はそれを許さない。


「いいえっ、そんなことはっ……」


じいっと、至近距離で見つめていると、長谷部は目を逸らそうとする。


「長谷部。真っ直ぐ私の目を見ろ」


少々怒りを乗せた審神者の言葉に、長谷部は狼狽えながらも応える。後ろめたいのか、浮かされたような色をみせる瞳をじっと見据えると、段々と、触れていた長谷部の頬は熱を持ってきた。


「いいか。私が欲にまみれた者であれば、お前は主命と称して、今頃私に滅茶苦茶にされていたかもしれないんだ! その恐ろしさが、無念さが、どのようなものか、お前に分かるか?」


過去、政府から知らされた事例の数々。全員がそうということはない。けれど、刀剣男士を我が物のように扱い、嬲り、犯し、痛めつけ、素知らぬ顔をする審神者達のことは確かに存在するのだ。その存在を知った時から、ああはなるまいと誓ったあの時から、そのような者達の二の舞にはならないと審神者は心に決めていたのだ。

そのために必要なことと判断してのこと。
それは決して恥ずべき事ではない。笑われることだとも思えない。


「……主。ですから、笑ってなどおりません」


真っ直ぐと見つめる審神者の視線に応えるように、長谷部の目が揺れた。その一瞬の揺らぎの中で長谷部の中では何が起こったのか――分からぬまま、審神者の視界は反転する。


「っ……」


かけていた体重がひっくり返されるように、縁側の上で押し倒されているのだと気づいた時には、既に後頭部と腰にそれぞれ長谷部の手が回っている。そのせいか、床に体をうちつけることもなかったが、この体勢がよろしくないと理解した審神者は一時言葉を失い、呆然と長谷部のことを見上げていた。


「……俺はただ、主が[[rb:俺達 > 俺]]のために清らかなままでいて下さったことが、嬉しいだけですよ」


熱の浮いたような声と、視線。既視感を覚えるそれは、審神者の何の経験と重なっているのか。そんな審神者の反応を気にかけることなく、長谷部はにっこりと、綺麗すぎるくらいに整った笑みを浮かべて言った。


「もちろん、これからも予定はないのですよね? あの審神者が言っていたような、そう、女遊びなんてものは――」


語尾にいくにつれ冷えていく声に、審神者ははっと我に戻る。一体何に対して既視感を覚えたかなどどうでもよく、審神者は当然のように口を開いた。


「当たり前だ。私は、審神者であるためだけに存在しているのだから」


その言葉に、長谷部はとても満足したように目を細めた。そのままじいっと審神者のことを見下ろしていた長谷部は、小さく歯を覗かせて笑う。


「それでこそ、俺の主です。一生、貴方についていきます」


そう口にした長谷部に、少しの沈黙を抱いたあと、審神者は引き結んでいた唇を緩くした。正直怪しく思うところはあるが、長谷部の言葉に嘘偽りはなさそうだと判断したのである。


「……分かったから、起こしてくれ」


おそらく、審神者が強引に手を退かせたことに対する意趣返しなのだろう。痛くはないが、この体勢はおかしい。そんな思いで言えば、長谷部は少し残念そうに眉を寄せてから「はい」と答えたのだった。








結局その後清光は姿を見せることなく、審神者はもやもやとした気持ちを抱えながら執務に励んでいた。こんのすけが来てからばたばたしていたせいで一時は頭から離れていたが、またも一人になり仕事をしていると、清光の言葉と涙がまたも蘇る。


(今回ばかりは、嫌われてしまっただろうか)


もう夕方になってしまうが、あれから一度も清光は姿を見せてはくれなかった。長谷部にも手伝ってもらっているとはいえ、今日の近侍は清光に任せていたにも関わらずである。


(こんなことは初めてだ)


今までは、たとえ機嫌が悪くなろうとも、清光は近侍としての仕事は全うしていた。だが、あれから、清光は近侍の仕事もせずに、審神者の前に姿を表そうともしない。怒りはない。ただただ、清光がそれだけ傷ついているのだろうことに、どうすれば良いのか分からなくなってしまっているだけだ。

清光と仲直りをすることは、果たして可能なのだろうか。今の審神者には、清光と仲直りができる明確な見通しはわいてこない。


(安定にも、会いに行かなければ)


きちんと向き合えそうにないからと、安定の誘いを断ったことにも、対応をしなければならないだろう。後で時間を作って、安定の元へ会いに行かなければならない。後回しにしてしまったが、一体何の用だったのだろうか。そんなことを思いながら、審神者は行き場のないため息をつく。

最近は、あまり物事がうまくいっていない。そんな感覚があった。


「――よし」


筆を置き、立ち上がる。仕事はまだ残っているが、急ぎのものは優先的に片づけている。今少しばかり席を外したところで何の問題もないだろう。この件を先に片づけた方が結果的に早く仕事が片づく。気の影響は侮ることは出来ないのだから。

受け身であることは己の短所。清光が来てくれることを待ってはいられない。
動かなければ、何も変わらない。


(――まずは、安定のことを片づけよう)


真っ先に清光の問題に行かないあたり、まだまだ少し逃げ腰であるが、少しの進歩はあったことだろう。








「安定。いるかい?」


清光と安定は同室である。ここに来るまでに気づいたが、ここに安定がいる可能性と、清光がいる可能性は同じくらい存在している。気づいたからといってどうにかなることもなく、ひとまず部屋の前で、審神者はそう声をかけていた。ぴったりと閉じられた障子戸。中の様子は分からない。


「……安定?」


不在かもしれない。そう思って、もう一度呼びかけてみる。少し待っても返事がなかったら、その時は出直そうと決めて。


「ご、ごめん。主。ちょっと待ってくれる?」


不在だろうと思い始めた矢先、そう中から安定の声がする。審神者はほっとして、口を開いた。


「ああ。分かった」


片づけでもしているのだろうか。ばたばたと中から物音がして、しばらく。ゆっくりと空けられた障子戸の隙間から、不安そうに瞳を揺らした安定の顔が覗いてくる。


「主。ごめんね。待たせちゃって」
「構わない。こちらこそ、先はすまなかった。色々あったんだ」


中に入るように促す安定に合わせ、審神者は部屋の中に入った。先程慌ただしくしていただけあって、所々雑に物が配置されていたようだった。だが審神者は何も考えずに、差し出された座布団の上に正座をした。部屋の中をジロジロと観察する必要はない。


「いいんだ。ところでさ、主。あの時何があったの? なんていうか……こわい顔してたからさ」


そう言われ、審神者は静かに眉を寄せた。嫌いな者のことを思いだしてしまったことが不快で、安定に気取られぬように気をつけながら、何でもないように、多少無理矢理にでも口角を吊り上げてみせる。


「……少し、問題が起こったんだ。些細な問題だが、あまり気持ちの良いことではなくてね。だが、もういいんだ」


これ以上は話すこともないと、審神者は話を進めるように続けた。


「それで、話とは何だったんだ?」


安定の話を聞きにきたのだから、己の話を長々とすることはない。そう言えば、安定は顔を強ばらせて、不明瞭な声をこぼしていた。
何やら、審神者の対応が思っていたものと違っていたようだ。


「……いや、それはさ、えっと……最近、主の調子はどうなのかなって思って。世間話?」


言われ、審神者は眉を寄せる。あの時、審神者に話をしようと持ちかけてきた安定の顔は、とてもそのようには見えなかったのである。もしも仮に安定の言うとおりに世間話をしたいだけなのだとしても、仕事中にしにくるほど、安定は気を遣わないタイプではないのだから。


「ほら、主って皆に好かれているから! そろそろ、僕たちの中の誰かと恋仲になるんじゃないかな〜って」
「……本当に、そんな話をしにきたのか。安定」


明らかに嘘をついている。安定とはあまり親しいといえないのだろうが、それでも、それくらいは分かった。審神者は静かに、そう確認を問うた。審神者の一言に安定は「ひっ」と声を漏らしてから、がっくりと肩を落とす。


「……ううん。本当は、清光が元気なかったから、また主となんかあったんだろうなあって思って。主から話を聞いておきたかっただけなんだ。でも、主がすっごい怒ってるみたいだったからさ」


言われ、審神者は納得がいった。清光よりも先に安定の問題をと思ったが、この二つは繋がっていたらしい。審神者は安定の言葉に口を閉ざし、そっと視線を畳に落とした。


「主と喧嘩なんて何度目なんだよって正直笑ったんだけど、でも、清光さ、今までで一番悲しそうにしてたから。ま、どうせいつもの痴話喧嘩だろうって、思ってたんだけど」


続けられた言葉に、審神者は顔を上げる。安定は話しづらそうにしているものの、はっきりと物事をいってくれている。安定の言葉通り、きっと清光はひどく傷ついていたのだろうと、それが容易に想像ができた。


「――主。あんまり清光を泣かせないでよ」


真っ直ぐと目を見据えられて、告げられる。審神者はその真っ直ぐさと言葉にどきりとして、思わず目を逸らしてしまいたい衝動に駆られてしまった。返す言葉がないと、審神者は唇を引き結び、黙り込む。

沈黙が支配する部屋の中で、安定は続けた。


「清光は、主が思っているより、主のことが好きなんだからね。本当に面倒くさい性格してるよ。ちょっとしたことで拗ねるし怒るし嫉妬するし、正直主に同情するレベルだよ」


言い過ぎではないだろうか。だがそんな指摘など出来ないくらい、安定は怒りからか、矢つぎ早に話を続けたのである。


「主がちょっと褒めるだけで何日もご機嫌だし、寝るときまで主ののろけ話みっちりするし。反対に主と何かあるとすぐに拗ねて泣いて愚痴って僕の睡眠時間ものすごく圧迫されるんだよね!」
「……すまない。安定」
「本当だよ! もっと清光のこと上手にコントロールしてくれないと困るんだから!」


頭が上がらないとはこのことである。巻き込んでしまっているだけの安定の受ける影響といったら、きっと、口頭で説明されるより遥かにとんでもないことなのだろう。審神者が直接何かをしているわけではないが、原因は審神者にもあるため、言い逃れするつもりもなく頭を下げて謝罪した。すると、ぷんすかと安定はそう返してくる。そして益々、審神者は申し訳ない気持ちになった。

そうして、ゆっくりと審神者の目の前にまで移動する。


「……ねえ、主。もしも清光がさ、主のこと独り占めしたいっていったら、どうする? その時は清光の気持ちに、主は応えてあげられる?」


そう質問されて、審神者は顔を上げた。そうして安定の顔を見れば、混じりけのない真っ直ぐな視線を、安定は審神者に向けていた。


「……それは、どういう意味だ?」


質問の意図が読めず、審神者はそう問いかける。どういった意味合いでそのような質問をされているのか、審神者には理解ができなかった。近侍のことを言っているのかとも思ったのだが、安定の表情を見るに、そのこととは意味合いが違うような気がしたのである。


「どういう意味だと思う?」


質問をそのまま返されて、審神者は首を傾げた。そもそも、安定の質問に意味があるのか、意味深にいっているだけで実際深い意味はないのか、そのどちらなのかも判断がつかない。

無言でいた審神者に、安定は静かに微笑んだ。


「――とにかくさ、清光もそろそろ落ち着いて主のところにいくと思うんだ。だからさ、その時に、あんまり優しくない反応はしないでほしいなって、そういうこと」


話は終わったというように、安定は審神者から距離をとって楽な姿勢で座り込む。


「ごめんね。主には、わけわかんないかもだけど」


そう呟いて、安定はそっと口を閉じた。そんな安定に何と答えて良いのか分からず、けれど、安定が清光を想いやっていることだけは分かる審神者は、少しの沈黙の後、ゆっくりと口を開いた。


「……そうだな。けれど、分かりたいとは思っている。……清光のことを、私も、もっと理解したい」


分かる。など大層なことは言えない。けれど、この気持ちは本物である。現時点で審神者に言えることはこれだけだが、安定は、それで満足したようだった。


「……ねえねえ、じゃあ、主が怒ってたのって、清光が原因じゃないんだよね?」


聞かれて、審神者は静かに眉を寄せる。


「まさか。それは別件だよ」


すぐさま否定をすれば、安定は安堵したように、あははと笑った。


「良かった〜。主、ものすごく怖い顔をしてたから、これはもうダメかもって思ったよ。仲直りできそうでよかった」


軽い口調で言われ、審神者は己の顔に手をやる。


「そんなに怖い顔をしていたか……?」
「してたよー! 主のあんな表情、初めて見たかも」
「そうか……あまり自覚はなかったが……今後は気をつけるよ。すまなかった」


そう言うものの、今後がないことを祈る気持ちの方が大きい。確かに、この本丸でここまで不愉快な思いをしたことなどなかった。悩んだり迷ったり、怒ったりもするけれど、あんなにも不快な思いは今日が初めてだったのだから。

だが、改善は必要である。表情がないとは言われてきたこと。もっと気をつけなければ。そう思いながらも、審神者はじいっと、安定の様子を伺うように目をやった。


「……清光は、今どこに?」


清光の様子を知っているようだった安定は、きっと居所も把握しているはず。このまま清光に会うという勇気がなくとも、それは把握しておきたいと審神者が問いかければ、安定は少し困ったように笑って言う。


「……今は、ダメだよ。教えられない」


柔らかな口調とは裏腹に、その中には曲げることのない意思が含まれている。審神者は静かに、なんとか食い下がろうと言葉を探す。そんな審神者の魂胆を見透かしたように、安定は膝を抱えるようにして座り直しながら、こう口にした。


「だって主、清光のこと、まだちゃんと考えてないでしょ?」


そう言って、くすりと笑う。


「大丈夫。どうせ耐えきれなくなって、清光の方から主のところへ行くよ。ずっと、そうだったんだからさ。主も分かるはずだよ? それまでは、待っててあげてよ」


そう紡がれた言葉に、審神者は静かに口を閉ざした。今まで受け身で、いつも清光の方から審神者の元へ来ていたことを、遠回しに避難されているのだと感じた。そしてそう感じてしまうことは、審神者もそのことを自覚しているから。だからこそ、安定の言葉の奥の奥に気がついてしまうのだ。


「……そうか。そうだな」


ぽつりとこぼした言葉に、安定は探るような視線を寄越す。それを感じながら、審神者は小さく唇をとじ合わせて、立ち上がる。そうして安定を見下ろすと、安定は表情を変えずにその挙動を観察していた。


「分かった。今日は引き上げるよ。近侍の仕事のことは気にしなくて良いから、今日明日はゆっくりしてくれと伝えておいてくれ」
「……近侍はクビ? 長谷部さんがいるから?」
「‘代理’だよ。近侍は清光だけだ」


そこまで言って、一度口を閉じる。重苦しい声で、また口を開いた。


「だが、無理強いをしたいわけではない。清光が近侍を嫌だというなら、それでも良い。――けれど、それでも、清光にはそばにいてほしい」


そう言うと、安定は真剣な目を審神者に向ける。


「どうして? 清光だけは主のそばにいてほしいって、それ、どんな気持ちで言っているの?」


聞かれ、審神者は口を閉ざした。
清光にそばにいてほしい。それに、それ以外の理由など必要なのだろうか。そばにいてもらいたいという気持ちに、特別な気持ちは必要なのだろうか。それ以上なんて、今まで考えたこともなかった。


「――どうして……?」


安定の質問に対する返事が、出てこない。喉元まで出てきているような気がする。けれど、だからといって、それだけだ。審神者は言葉を吐こうとして、けれど何も出てこない事実を突きつけられて口を閉ざす。


「清光が主に会いに行った時には、その答えを教えてあげてね」


少しだけ、悲しそうな顔をする。そんな安定にそれ以上何も言えず、審神者は小さく目を伏せて、安定の部屋から出ていった。縦にも横にも、首を振る事すら出来なかった。

廊下を歩いて審神者の部屋にむかう。静かに歩いているつもりでも、きしきしと床板は音を鳴らしていた。


(……清光が、清光だけが、特別な理由……?)


あの時、安定は審神者からどんな返事がくることを望んだのだろうか。審神者は安定からの質問と己の心を照らし合わせながら、ぼんやりと己のことを考えた。







部屋に戻った審神者は、考え込む。

清光は初期刀である。一番最初から、今の今まで審神者のそばで支えてくれていた。審神者になるための知識がどれだけ頭の中にあったとしても、それを実践で活用できるというわけではない。審神者は失敗や試行錯誤を繰り返して、ここまで本丸を大きくしてきたのである。そしてそれは、清光の近侍としての支えがあってこそと言っても良い。故にその分だけ、他の刀剣よりも清光を信頼している。それは別に、おかしな話ではない。


(その分心を許している……安心感がある……だからこそ、そばにいてくれることが支えになる)


考えてすぐの結論はそれだ。けれど、安定の問いの答えにしては、何故か不完全であるような気がした。審神者はうんと悩ませて、部屋の中で己自身が納得できるような答えを探していく。


(清光と他の者の違い……なんだろうか?)


違いは分かる。他の刀剣たちよりもずっと長く、近くで過ごしてきたのだ。その分情が移ってしまっているといっても、それはおかしな話ではない。でも、それだけではない。他に、何か理由があるはずである。

机の上の、手をつけていない書類を何をするでもなく見下ろしながら、審神者は小さく目を細めた。

学んできた知識や志で、審神者としてそうあるべきとして日々過ごしてきた。堅苦しく、刀剣達には知らず知らずの内に我慢を強いてきたものであったが、審神者はそのことにまるで気づいていなかった。
そんな審神者の形を変えた理由は、ただ一つ。近侍である清光の笑顔が、見たかったからである。


(それについて後悔はない……刀剣達に無理を強いるよりも、今の形の方がずっと良い)


おそらく清光なしでは、審神者は何も変われなかっただろう。今他の刀剣達と関わりを進んで持つようになった全てのきっかけは、清光だったのだから。

清光が笑っていると、審神者は嬉しくなる。
清光が泣いていると、審神者は悲しくなる。

嫌われるかもしれない、嫌われてしまったかもしれない。そう考えると、どうしようもなく辛くて、嫌われたくないと強く強く思う。嫌われないためならば、どんなことでもしたくなる。


(ずっとそばにいてくれていたから……。もしも、そうでなければ、一体私は、何を清光に求めているのだろう)


そばにいてほしい。近侍の役を清光が拒否したとしても、それでも、いつも手が届く場所にいてほしい。それはもう、近侍としての役目をこなす清光を必要としているからとは言い切れないだろう。


「……清光」


名前を呼ぶ。己が納得する答えすらでていないのに、審神者は無性に清光に会いたくなった。少し会わないだけでこんなにも恋しく思うのは、普通なのだろうか。こんな気持ちを抱くのは清光だけだが、それは、つき合いが長いからというだけなのだろうか。

額をおさえて、机の上に顔を伏せる。
瞼を閉じてすぐに思い浮かぶのは、最後に見た、清光の泣き顔だった。安定は清光の現状を知っているのだろう、落ち着いたら来てくれるとのことであったが、審神者はそれが疑わしく思えてしまった。


(……いい加減、愛想をつかされてしまったかもしれない)


もう来てくれないかもしれない。ぼんやりと、そんなことを思う。落ち着くことができるようにと、明日の近侍の仕事も休みにしてしまっていたが、そのことを既に後悔している。あんなことを口走らなければ、明日は清光がここに来てくれていたかもしれないというのに。


また、ため息。清光のことになると、どうにも、己が不安定になってしまうことだけは、はっきりと自覚をした。









寝る間際になっても答えはでなかった。審神者は手足を伸ばして布団の上に寝ころびながら、天井を見上げた。明かりも灯していないため薄暗いが、夜目にも慣れると、天井の形もそれなりにわかった。手のひらを天井に掲げてそれをぼんやりと眺めながら、審神者はやはり清光のことを想っていた。どうにも眠る気にはなれず、同じ問いばかりを己に問いかけていたのである。
目を瞑れば、いつしか眠ることが出来たのかもしれない。けれど、目を閉じれば、余計に清光の姿が浮かんでしまうのだ。審神者はそれが辛くて、かといって眠らない選択をするわけでもなく、現実逃避をするように天井を眺め続けている。

それから、どれくらいの時間が経っただろう。ふと部屋の音で足音が聞こえて、審神者は外に視線を向けた。


「……小狐丸かい?」


夜更けに訪れてくる者といえば。真っ先に思い浮かぶ名前を、咄嗟に口にした。小狐丸は未だ審神者の部屋に出入り禁止にしているが、我慢できずに、部屋まで来てしまったのかもしれない。


(しかし、足音がするとは……)


途中から布団に入られることも、先に布団に入られていることも、実際に目にする前に音で審神者が気がついたことはない。小狐丸の足音など、そもそも聞いたことがないのだ。妙に感じ、審神者は体を起こして、障子戸の前に移動する。

そして、ゆっくりと障子を開けて、廊下を見る。


「……清光?」


そこに立っていた者は、小狐丸ではなかった。背格好や雰囲気から咄嗟にそう呼んだものの、抱えていた枕で顔を隠されていたので、それが清光本人かどうかは定かではなかった。

けれど清光かもしれない可能性だけで、胸の中が一等激しくざわついた。


「……小狐丸じゃなくて、がっかりした?」


そっと、枕を下げ、目を覗かせる。その姿で、声で、間違いなく清光だと分かった審神者は、無言で、けれど強く首を横に振った。


「そっか……ね、俺、今日ここで寝てもいい……?」


不安そうな声で、そう言う。清光の言葉に、審神者はどきりとした。もしかすると己は今夢でも見ているのではないだろうかと思い、けれどこんな鮮明な夢など見たことがないと思い直す。間違いなく、現実である。


「ああ、もちろん」


辛うじてそれだけを答えると、清光は「ありがと」と小さく呟いて、部屋に足を踏み入れた。そうして中に入ると、布団の上に足を崩して座って、審神者の動向をじっと観察していた。審神者は障子を閉めながら、同じように布団の上に腰をおろして正座をする。


「清光。今日は、すまなかった。お前の気持ちも考えずに、無神経なことをしてしまった」


真っ先に、頭を下げてそう謝罪をした。安定の質問の答えは未だ出ていないが、だからといって謝らない理由にはならない。


「あるじ……ううん、いいんだ。俺も、ごめんね。また主を困らせちゃったね」


抱えていた枕を強く強く抱きしめ、申し訳なさそうに目だけを審神者に向けていた清光は、くぐもった声でそう答える。その声はすっきりしているようには思えないものの、無理をしているようにも感じられなかった。

枕を膝の上に置いて、清光はじっと審神者を見た。暗がりの中でもそれを察した審神者は、その目を見つめ返す。


「……あのさ、長谷部の件だけど、俺、もう怒ってないから。確かに、俺ばっかり近侍でいたら、俺がいないとき、主も困るもんね」


布団の上に手をついて、清光は審神者との距離を詰めた。顔をのぞき込まれるような体勢になって、審神者は戸惑いを覚える。


「清光。灯りをつけるよ。その方が話しやすいだろう?」


表情が見えないと、不安になる。無理をしているのではないか。今、泣きそうな表情を浮かべてしまっているのではないか。そんなことを懸念してしまうのだ。


「このままがいい」


灯りをつけるために立ち上がろうとした審神者の手をつかんで、引き寄せる。それに合わせて再び布団の上に座り込んだ審神者は、触れた体温に思わず黙り込んだ。


「俺、絶対、変な顔しちゃってるから。見ないでほしいんだ」
「……わかった」


そう言われてしまっては、灯りを無理につける必要はない。審神者は掴まれている己の手を見下ろしながら、表情がよく見えない清光が、まるで己の知らない清光であるような気を感じてしまう。ざわざわと騒ぎ出す心に見て見ぬ振りをするように、審神者は小さく口を開く。


「清光。私はお前に……伝えなければいけないことがあるのだと思う。けれど、自分の中でも、うまくまとまっていないんだ。それでも一つだけ、はっきりといえることがある」


清光の手を、審神者の方からも掴み直す。清光であることを確かめるようにぎゅっと力を指先にこめれば、清光はそれに応えるように審神者の指先を自身のそれと絡ませた。審神者に何かを言うわけではなかったが、それが清光からの返事であるような気がして、審神者はゆっくりと、口を開く。


「そばにいてほしい。お前が必要なんだ、清光」


何故かといわれれば、明確な答えは審神者の中にはまだない。手が届きそうなのに、遠いところにあるような、そんな気はしている。だが、それだけである。今の審神者に言えることは、ここまで。


「長谷部を近侍代理にしたからといって、清光に対してそういった感情はないんだ。だから、お前が嫌でなければ――今まで通り、そばにいてほしいと思っている」
「――どうして?」
「……それはまだ、わからない」


審神者は迷い、目を伏せる。


「付き合いが長いから、その分大事に思っているのだと思っていた。お前に嫌われたくないと思うことも、その延長のようなものだと」


静かに、口を開いた。


「実は今日、安定に言われたんだ。清光の気持ちを分かっていないと」
「うん。安定から、俺も聞いてる。ごめんね。あいつ、お節介だから」
「いいや。きっと、私には必要な言葉だったと思う」


言って、審神者は自嘲するように笑った。


「私はお前に甘えていたのだと思う。清光ならば分かってくれると、そう信じ込んでいて――結果として、また清光のことを傷つけてしまった。だから、半端な気持ちで、無責任なことを言うのは――…」


そう言うと、ふと、審神者の手から、清光の手が離れていく。その一瞬だけで不安に苛まれた審神者だったが、そのすぐ後に、清光に抱きしめられ、それはあっという間に払拭されてしまう。


「いいよ、もう。何も言わないで」
「……きよ、みつ」


背中に回された清光の手に、ぎゅっと力が籠もる。審神者はふっと、胸の奥が楽になったような、つんとしているような、妙な感覚を覚えた。そろそろと清光の背中に手を回し、同じような力で抱きしめ返すと、普段よりもずっと近く、清光のことを感じた。


「主。俺はね、主に話したいことがあったんだ」


清光に体を預けるように体重をかけると、それを受け入れつつ、くすりと清光は笑った。背中に回していた手を腰にやると、そのまま強く審神者のことを引き寄せる。


「俺、主のことが好きだよ」


そうして、耳元でそんなことを言われた。ぞくぞくとして、審神者は思わず清光の寝間着を強く握りしめる。あまりにも真剣な声でそう言われるものだから、一瞬言葉に詰まり、けれど清光に他意はないのだと己に言い聞かせる。


「……私も、好きだ」


静かにそう言えば、清光は少し困ったような声で笑った。


「主なら、そう言うかなって思ってた。でも、多分ね、俺が主に言う好きと、主の好きは違うと思うんだ」
「……清光?」


体を離し、のぞきこむようにして顔を近づける。
戸惑った様子の審神者に、清光は小さく微笑んだ。


「……実をいうとさ、俺もよく分からないんだけど」


そう言って、清光は審神者から体を離して座り直す。名残惜しそうに離れていく己の手に困惑しながら、審神者は不安そうに清光のことを見た。


「安定に言われてさ、そうなのかもってなって――ちょっと思ったくらい。それでも、聞いてくれる?」


言われ、審神者は小さく頷いた。暗くて分かるかどうか不安に思ったものの、清光から小さな声で「ありがと」と言われて、清光には見えているものだということが分かった。

体は離れたものの、清光は審神者の手だけは離してはいなかった。包み込むように、両手で握りしめられる。


「最近俺、嫉妬ばかりしてるんだ。主、心当たりあるでしょう?」
「……長谷部のことかい?」
「うん。それもあるけど……薬研のこととかも」


ぎゅっと審神者の手を握りしめながら、清光は口を開く。


「俺が一番主の近くにいたのに、薬研も長谷部も小狐丸も、皆俺の知らない主を知ってるんだって、最近、ずっともやもやしてたんだ。だから、長谷部が近侍の代理をするって聞いたとき、俺、主に飽きられたんじゃないかって……悲しかった」
「清光、そんなわけが……」
「分かってるよ。主がそんな風におもってないことはさ。でも不安なんだよ」


その手が審神者の首に伸びて、触れる。もう跡もうっすらしか残っていないそこをすっと撫でられると、審神者は小さく肩を上下させた。


「痛かった?」
「いや……その、くすぐったくて、少し、落ち着かないだけだよ」
「……そう」


格好悪いところを見られてしまったと、羞恥で頬が熱くなる。そんな審神者の心を知ってか知らずか、清光はそのまま、上から下に向けて流していくように指先でなぞっていく。


「っ……きよみつ、」


ぞわぞわと産毛が逆立つ感覚に、たまらず審神者は清光の手をつかんで止める。熱い手の感触に戸惑いながら、審神者は慌てて口を開く。


「い、痛くはないが、その……困る」
「俺に触られるのは、嫌?」
「違う。けれど、落ち着かないだろう……」


言葉を選んでそう言うも、清光はいまいち納得できていないらしい。暗い中でも、むっとしていることを感じ取る。


「清光?」


不安に思ってそう呼べば、清光は審神者との距離を縮めて、こう言った。


「長谷部も薬研も、主が首弱いって知ってるんでしょ? でも俺、そんなこと知らなかったよ。……小狐丸も、知ってたのかな」


拗ねているような口調だった。困ったことを言い出している、そのことだけは重々理解した審神者は、顔をしかめた。どこから指摘してよいものか、分からなかった。


「……別に、首が弱いなんてことは」


存外審神者も混乱しているのか、そんなどうでも良いことを否定してしまう。口にしてしまった後に、そこまで重要なことではなかったと思うものの、今更どうしようもない。


「嘘」


審神者の制止など、それほど意味をなさない。清光は再び審神者の首に触れ、今度はやや乱暴になぞっていった。このような行動に清光が出ることは珍しい。戸惑い、反応が遅れた審神者は、訴えかけるように清光の名を呼んだ。


「待て、清光っ…!」
「やだ。俺だけ主のこと知らないなんて、やだ」
「なにも、そんなことに張り合う必要はないだろうっ…!?」


背中を反らして、指から逃れようとする。しかし清光はそれを許さないと、もう片方の手を審神者の腰に回して引き寄せる。逃げるに逃げられず、審神者は清光の胸を押して抗議する。


「……そんなに、俺に触られるのは嫌?」


すると動きを止めて、今度はそのようなことを言い始める。拗ねているようで、その実甘えているかのような声。審神者は、清光のこのような声に弱かった。胸を押すのをやめて、審神者は困ったような声を漏らす。


「別に、お前に触られることが嫌なわけではないよ。ただ……その、くすぐったいんだ」
「じゃあ、ゆっくり触ればいい?」
「そ、ういう問題じゃない」


指で首に触れない代わりに、ぎりぎりにまで唇を寄せて、そんなことを尋ねてくる。吐息が直に感じられて、審神者の声は震えてしまう。今まで、こんな風に清光が己に触れてきたことはない。頭の中がこんがらがって、審神者は清光の体を引き離そうともがいた。


「……俺だけ、だめなの?」


別に、他の刀剣に許可したことは一度もない。清光だけに禁止しているわけでもない。にも関わらず心が傷んでしまうのは、やはり、審神者が清光に入れ込んでいるからだろうか。


「長谷部の時も薬研の時も、私は止めた。小狐丸はそんなことしてない。お前が気にするようなことは、何もないんだ。だから――っ」


ぞくぞくと、体が震える。言葉の途中で、清光がふうと息を吹きかけてきたからだ。


「――清光!」


咄嗟に咎めるように名を呼べば、しょげた口振りで清光は口を開いた。


「――俺、変かな。主が嫌がってるのに、皆がこの主を知らないんだって思うと、もっとこういうことしたくなる」


腰に回した手で、そっと審神者の腰を撫でていく。そのまま審神者の体をを布団の上に押し倒すと、清光は審神者の胸の上に頭を置くようにして、審神者の上に寝ころんだ。襲う、という言葉はふさわしくない。まるで、甘えるような姿勢だ。


「皆が知らない、俺だけの主が見たいんだ。俺が言っているのは、そういう‘好き’なんだよ。多分」


ずっしりとした重みが胸の上に乗り、そう言う清光の姿が、どうしてか、微笑ましく思えた。それと同時に、形容しがたい気持ちが胸にこみ上げる。心を直接くすぐられているようで、どうにも、たまらなくなる。


(驚いた……こんな甘え方、されたことがない。いや――本当は、こんな風に甘えたかったのだろうか)


そんなことを思いながら、審神者はそっと清光の頭の上に手を置いて、なでる。柔らかな髪質は、しっとりと指になじんで心地が良かった。


「……そんなことを気にしなくても、清光は私の特別だよ。それでは駄目かい?」


そんなことを聞いてみる。なにも、長谷部や薬研藤四郎と張り合うことはないのだ。そんな形で、一番を争う必要など微塵もない。


「………やだ。もっと、わかりやすい形にしてほしい」
「そう言われてもな……」


弄ぶように髪に触れながら、審神者は頭を悩ませる。清光のいうことも分からなくはないが、他の刀剣に張り合うことで清光の納得する形となると、それは審神者の方としても困る形しかないのである。


「……主は、思わない?」


髪に触れていた審神者の手を捕まえて、指を絡ませながら、清光が問いかける。審神者は肘をつく形で上半身を緩く起こして、そんな清光を見下ろした。


「俺が主に思うみたいに――誰も知らない俺のこと、知りたいって」


清光は少しだけ体を起こすと、そのまま審神者に顔を近づけた。


「――清光」


ぴたりと、寸前で動きを止めた清光を呼ぶものの、返事はない。帰ってくるのは、静かな吐息だけ。清光が以降の決断を審神者に委ねているのだと、そういった直感を抱いた。審神者は戸惑い、清光を受け入れることも突き放すこともできずにいるままだった。

絡ませられていた指が、もっと深く繋がりあう。


(……そういうこと、か?)


疎い審神者にも、なんとなく、なにを望まれているのかが分かった。だからこそ戸惑っている。他の刀剣にしたように、やめろ、離れろ、という言葉が出てこなかったからである。清光が相手でもそのような行為をするつもりなどはなかったというのに、それでも、目の前の清光を拒絶することが、どうしてもできなかった。

数秒ほどだったのだろう。けれどその間の沈黙は、ひどく、長い時間のものだったように審神者には思えたのだ。


「嫌がらないなら、続けるよ?」


少しだけ、期待に浮かされたような声。はっとして、清光から離れようとした時には――すぐそこにまで清光の顔が迫っていた。それでも、十分突き放せる間があった。清光の顔を引き離すことができた。

けれど――審神者はそれをしなかった。


「ん、」


唇に触れた感触が一体何だったのかなど、考えるまでもない。一秒ほど触れていたそれは、すんなりと離れ、今度はじいっと審神者の目をのぞき込むようにして見つめてくる。暗がりで鮮明には見えないが、それが審神者を狼狽えさせて、視線を逸らしてしまう。

いろいろと考えるべきことがあったのだろうが、深く考えられなかった。再び、清光の唇が己に触れたからである。触れている熱につられたように、審神者の顔に熱が集まっていく。


「っ…」


やわく擦れて、下唇を甘噛みされる。その小さな刺激に、肩が小さく跳ねて、吐息が漏れた。ちゅっと音を立てて離れた時には、審神者はの頭の中は既に真っ白になっていた。そんな中、清光に触れられていることを、まるで他人事のように受け止めている。いや、現実から逃避していたと表す方が適切かもしれない。

最後に、角度を変えて深く口づけて、清光は審神者から顔を離すと――とても嬉しそうに笑った。


「――あるじっ!!」


そしてそのまま飛びかかるようにして審神者を抱きしめる。必然的に、審神者は布団の上で押し倒されてしまった。押し潰された、と言う表現の方がしっくりくるような体勢で、清光は審神者の首に手を回してぎゅぎゅっと抱きしめる。そして清光は頬ずりをしながら、弾んだ声で続けた。


「嬉しいっ……主も、俺と同じ気持ちだったんだね!」


具体的にどの気持ちと同じだと思われているのか。審神者は言葉に詰まって顔をしかめ、けれど清光が笑っていることが嬉しくて、水を差すようなことを言うことが出来ずにいた。

それでも、こういった行為を肯定することができない。清光の背中に手を回しながらも、注意はしておかなければいけない。


「――こういうことは、本来、してはいけないことなんだ。清光」


清光を傷つけぬように、柔らかい物腰で伝えたつもりだった。けれど機嫌を損ねたのか、清光の声のトーンが低くなる。


「……でも、乱にはしてたじゃん。主は、好きな相手にはするんだよね?」
「あれは、頬にだろう?」
「薬研は口にしてた」
「薬研はっ……ちゃんと、怒っただろう?」


そう言った直後、体を小さく起こして、至近距離に清光の顔が迫る。まっすぐと上から審神者の目を見下ろす清光の目に、どこか禍々しいものを感じて、審神者は思わず唇を閉じあわせた。


「長谷部は? したんでしょ? こうやって、主を押し倒してさ」
「それはっ……」


そんなはずはない。そう思うものの、静かな殺意のようなものを感じて、審神者はつい、そう口ごもってしまう。馬鹿正直に長谷部にされたことを話すほど愚かではないが、スマートに嘘をつくこともできない半端さで、清光は審神者の答えを察したようだった。


「――だったら、許してよ。主が他の奴にこれ以上のことをされなかったら、俺も、これ以上のことはしないから」


そう言うと、普段の雰囲気に戻って、ふふっと笑いをこぼす。


「主。大好きだよ!」


いつもの調子で頬ずりされながらそんなことを言われれば、強く引き離すことも出来ない。結局のところ――清光は審神者にとっての特別なのだから。安定に出来る質問の答えは出ないままであるが、それを今、審神者は強く痛感した。ここまでされて拒否が出来ないということは、きっと、他に何か理由があるのだ。己にとっても、清光にとっても、大切な理由が。

清光にあまり刺激を与えてはいけないと己に言い聞かせながら、審神者は清光の背中を返事代わりにぽんぽんと叩いていた。


(だが清光のこれは恋愛感情……とは違う、だろうな。嫉妬の延長、か)


一時はそのような危惧もしたものだが、清光のこだわりをみるに、つまりは、そういうことのようだ。安定の口調から、もっと違う感情の可能性も頭を過っていたが、どうやら取り越し苦労だったらしい。


(まあ、良い。これで満足して、それで清光が笑ってくれるのなら)


本当にそう思ってしまったのかもしれない。それか、連日に続く刀剣たちからの要望のせいで、ある程度感覚が麻痺をしたのかもしれない。

ただ、己が望まない審神者としての振る舞いをする気はない。例え相手が清光であろうとも、己が定めた一線は越えることのないようにと改めて己に言い聞かせる。

理想とする審神者の形から明らかに道が逸れていることに対する自覚は、まだこの時はなかった。







そうして後日。


「加州。持ってきたぞ」
「ん、ありがと。それで、これなんだけどさ――」


背後で近侍の仕事を長谷部に教える清光の声を聞きながら、審神者はいつものように書類を片づけていく。あの日、審神者が清光を受け入れたことで、清光は随分と気持ちを持ち直したようだった。自信がついた、とでもいえばいいのか。今も積極的に、長谷部に近侍の仕事を教えているところである。


(あの一度で、こうなるなら、無駄なことではなかったといえる……のだろうな。間違ってはいなかった、と)


あの晩の清光を受け入れてしまったこと、本当に正しかったのか。審神者はあれから何度か、そんなことを考えてしまっていた。審神者は刀剣に手を出してはいけない。そんな強い意思が審神者の中にあるせいか、あれから、罪悪感のような負い目がふつふつと胸の中に表れるのだ。


(いや、やはり道を違えているのではないだろうか……これでは私は……)


そういった風に悪い方向にばかり思考が傾いて、審神者の仕事をする手は止まってしまう。


「待て。ならば――の時は――」
「ああ、その時はね――」


近くで交わされている会話の内容も、頭に入ってこない。これではいけないと、審神者は気を引き締めるように、顔をしかめた。考えに耽って仕事に支障を来すなど、あってはならないことである。


「――だから、これ、頼んでいい?」
「分かった」


そんな二人の会話の後、一人分の足音が部屋を出ていく。部分的とはいえ聞いた会話から察するに、どうやら長谷部が部屋から出て行ったらしい。だからどうということもないが、それを認識した審神者の隣で、誰かが腰を下ろす。出て行った者が長谷部ならば、清光以外ありえないが、視界ではまだ確認できていない。


「あるじっ」


案の定、清光の声で呼ばれる。審神者はどんな顔をすればよいのか迷いつつも、清光の声に従って、清光の方を向いた。


「どうし――」


どうしたんだ。そう審神者は言いたかった。
けれどその言葉は、清光の唇に飲み込まれてしまっていた。ぴったりと触れていた唇の感触には覚えがあり、かといって感触があるこの状況の把握も瞬時には出来ず、審神者は呆然とするほかなかった。


ゆっくりと離れていく感触。審神者の視界に残ったのは、頬を染めながらはにかんでいる清光の姿だけだった。


「――えへへ。今、お茶持ってくるからね」


そういうと、恥ずかしそうにくるっと背中を向けて、早足で部屋を出ていってしまう。ぱたぱたと小耳に良い足音を立てながら去っていく清光の後ろ姿に、審神者はぽかんと口を開けたまま固まってしまう。


「…………何故…?」


残された静寂の中で、ようやく、そんな言葉をこぼす。
審神者は道を外してしまったような、罪悪感を覚えてしまっていた。耳まで熱くなるような温度を冷やすべく手で押さえながら、審神者は困りきって顔を伏せってしまった。











「清光……結局、主とどうなったの? その様子だと、うまくいったんだろうけど。どう? 主は落とせたの?」

「んー? どっちだろうね。でも、気持ちは通じてるって思うんだ。それに、主ったらさ……」

「主ったら、なに?」

「――ううん。やっぱり秘密! 主のあんな姿は、俺だけが知ってればいいんだ」

「……はあ? まあ、うまくいったんならいいけどさ。本当、毎度毎度痴話喧嘩に巻き込むのやめてよねー」

「感謝してるよ。安定、ありがとっ」

「ったく……どういたしまして」




[newpage]





重ねるだけの口づけ。
挨拶のよう。親愛を示すための、愛情を確認するための。乱藤四郎にされたような、あれから様々な者にせがまれて、頬にするようなものと同じ。けれど、いつもいつも、唇に落とされる。

そのような、もの。




[chapter:審神者は仲良くなりたい8.5]




審神者は最近、物思いに耽るようになった。その原因は分かっている。明らかである。だがそれ故に、対応に困ることもあるのだ。
いつまでもこの状況を享受するわけにはいかない。

審神者は今一度、審神者としての意思を通すため、目の前の清光に向けて口を開くのだ。


「……清光。だから、駄目だといっているだろう」


初期刀として、近侍として、一番長くそばにいた清光。その分情がわいて、他の刀剣よりも甘やかしてしまいたくなる節がある刀剣。
清光は審神者の悩みを知っているのかいないのか、いつもの甘えん坊のような表情を浮かべて、審神者のことを見下ろしている。


「どうして? 俺のこと、嫌い?」
「好き嫌いの話ではないよ。前にも話しただろう?」


壁に手をつき、審神者を囲うようにしている清光は、審神者の制止にも従わず、あくまで駄々をこねるつもりでいるらしい。ここは審神者の部屋。現在、清光と二人だけなので、第三者の目を気にすることもないのだが、それでも審神者は清光を止めなければならなかった。


「……誰も見てないよ?」
「見ていなくとも、審神者として、これ以上の……こういった行為はするべきではないんだよ。分かってくれるかい?」
「分かんないよ! 皆とはしてるじゃん。主が隙だらけで断れないからって、強請られたら誰にでもしてるキスとなにが違うの」
「な、何もかも違うだろうっ……!」


清光の胸を手で押しながら、審神者は慌てて訴える。確かに、一度乱藤四郎にキスしてしまって以降、出陣帰りや遠征帰りに、刀剣たちから求められることも多くなった。最初は何とか誤魔化そうとしていたが、他の――この場合は乱の例をあげられてしまうと、どうしても断れなかったのである。乱にのみしたという事実は、贔屓でしかないのだ。不平を招きかねない最悪の事態を懸念した結果、望む者には、頬や額など、とにかく唇にするものでなければキスも看過している状況になった。後悔はしているが、今更、もうどうしようもない状態なのである。

にも関わらず、審神者が尻軽のように表現するのはやめてほしい。それが例え、審神者の自業自得なのだとしてもである。


「……こんな風に触れるのは、お前だけだ。清光」
「主……」


確かに今までに数度、他の刀剣に唇に口づけされてしまうこともあった。けれどいずれも、審神者は制止したり、怒ったりとしている。であるが故にこの状況、特別を求める清光には、審神者とて十二分に応えているといえるはずだ。唇を重ねても無理に引き離そうとしない相手は、清光ただ一人だけ。他の刀剣と待遇を比べて、文句をいわれる筋合いはない。

とはいえ、だからといって、二人になる度にこのように触れられてはたまったものではない。審神者の立場としても、審神者自身の気持ちとしても。
だが、そんな審神者の気持ちを汲むことなく、審神者の言葉に感極まったらしい清光は、うっとりと目を潤ませていた。


「嬉しい、主。でも、どうしてダメなの? 他の奴に見られたら困るって主の気持ちは分かるから、俺、ちゃんと二人だけの時にしてるのに」


壁についていない方の手で、清光は審神者の頬に手のひらを当てる。審神者は今までにもう何度重ねたか覚えていない感触を思い出して、目を伏せるようにして清光からそらしてしまう。こうも不意打ちで触れられてしまえば、どうしても意識はしてしまう。


(……私の気も知らず、)


触れられることに不快感はない。胸の鼓動が早くなることも、頬が上気してしまうことも、決して、嫌ではない。

だが、これは審神者と刀剣の然るべき距離からは遠く離れてしまっている。あの時は受け入れてしまったが、今でも、清光に迫られると拒めない状態ではあるが、けれど、この状況はよろしくない。


「審神者として、こういう不埒な行為は良くないんだ。他の刀剣に伝わって、本丸の空気が爛れてしまったらどうする」
「爛れるって、大袈裟。皆そんなに繊細じゃないよ」


すっと鼻先を近づけながら、清光は審神者の顔を上げさせる。伏せていた視界に清光の顔が写り込んで、審神者は顔に集まる熱を誤魔化すように眉間にしわを寄せた。それをどこか満足そうに眺めた清光は、口元を緩ませる。


「でも、確かに。主のこんな姿独り占めしたってバレたら、俺皆に怒られちゃうかな。近侍からも外されそう」
「そんなことはさせない。だが、こういうことは……」
「俺と、こういうことするの嫌?」
「っ…そういう、問題でもないけれど……」


唇を親指でなぞられ、その後ふにふにといじられる。綺麗に整えられた指先が、己の唇に触れている。まだ日が上っている明るい内にそんなことをされてしまうと、お互いの顔が見えない暗さで触れ合ったあの夜とは比べものにならないくらい、強い刺激が与えられてしまうのだ。たったこれだけのことで、いとも簡単に押されてしまう。その事実が、審神者にとっては脅威なのである。


「困るんだ、清光。こういうことは……」
「そうは見えないけどね。満更でもないって、そんな表情してる」
「……していない」
「してるよ。主ったら、ひどい。そんな表情しておいて、ダメなんて言われても、きける筈がないのに」


あれから清光は、決して力づくで触れようとはしなかった。審神者が駄目だといえば、必ず従う。審神者が言葉で、あるいは態度で了承しなければ、それ以上のことなど実行には移さない。

ただ、甘えるように強請るだけ。それだけで清光に甘い審神者はある程度のことは許してしまうことを、目の前の近侍はすっかり理解してしまっているのだ。だから、こうして審神者に制止されている間も、楽しそうに審神者に迫っている。駆け引きを楽しんでいるようにも感じる。つまりは、余裕があるのだ。


「主を困らせるつもりなんてないよ。主のことが大好きなんだからさ。主が嫌だって言うんなら、困らせたくもないし。でも、嫌なわけじゃないんだよね? だったらさ――」


触れるかどうかギリギリの位置にまで、唇を近づける。吐息の当たる距離で、清光はとびきり甘えるような声でささやいた。


「――してもいいでしょ?」
「っ、きよみつ」


ぎゅっと、清光の服をつかんで、審神者は狼狽える。確信犯でそんな言葉を紡ぐ清光の厄介さに、きゅっと唇を引き結んで、けれど負けてはいけないと己に言い聞かせるのだ。堪えるように一瞬目をつむり、そして審神者は口を開く。


「〜〜とにかく、駄目なものは駄目だ!」
「だから、なんで?」
「し、仕事中は……気が散るだろう……」


そう言って、邪な空気を振り払うように、強く清光の胸を押した。人の身を得たとはいえ、刀剣は人ではない。人である審神者が押したとしても、びくともしない。審神者に合わせて力を抜き、流れに従うこともあるだろう。けれど刀剣男子がその気になれば、審神者の腕力程度、何の意味もなさない。

今回、清光は、半分だけ審神者の腕力に従ってくれたようだった。


「――仕事してない時ならいいんだ?」
「いや、今のは……こ、言葉の綾で」
「だーめ。俺、ちゃんと聞いたからね」


審神者との距離を空けて、真っ直ぐと見つめながら、清光はそう言った。その目は期待を含んでいるように見える。


「……だから、それまで待つよ。主を困らせたくないもんね」


言質をとった。浮かべられた笑みには、そうはっきりと書いてあるような気がした。壁についていた手を引いて、清光はいつもの人なつっこい笑顔でいた。その反応がかえって不味いと本能で悟った審神者は、墓穴を掘ってしまったと悟ったのである。


「主、大好きだよ」


これで審神者に触れる大義名分が出来たとでもいいたげな清光に、審神者は言葉選びを間違ってしまったことを後悔した。




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