かけた月より数多の星より


「そろそろだよ〜」
「何が……ああ」
名前さんが歯磨きしながらベランダに出て行ってにこにこしながら戻ってきた。皆既月食だと朝からニュースでやっていたのを思い出して時計を見る。時間的にはもう始まっているけど欠けがまだ小さかったようだ。

「玄武くんも見る?なんたらかんたらスーパーらしいから今日はすごいよ」
「そうだな……」
仕事も増えて忙しく、月をゆっくり眺める暇なんてしばらくなかった。せっかくだからと立ち上がる。

この時期に外に出るには薄着すぎる名前さんを呼び止めて上着を着せ、マフラーを巻く。風呂上がりにそんな薄着じゃ風邪をひくと何度言っても彼女にはあまり通じていないらしい。髪をちゃんと乾かしているだけ上等だ。

「すごいね、本当に月が欠けるんだね」
「……見えねぇ」
「え?」
「気づかないうちに視力が落ちてたみてぇだ」
「見えないって?あの明るい月がよく見えないってこと?」
「輪郭がぼやけてどこがどういう線で欠けてるのか説明に困る」
「大変だね……」
ぎゅっと目に力を入れて目を凝らせばなんとなく一瞬見えるような気がするが、目が疲れるうえ結局どこがどう欠けているのかはわかりにくい。名前さん、はしゃいでたのによく見えないなんて悪いことしちまったなと反省する。

「でもさ、皆既月食って私たちが生きてる間にまたあるよね?たぶん、彗星よりはいっぱい見られるよね」
「ああ、そうだな」
「今度眼鏡直しに行こ。それで、また目が悪くなったら直してまた次の月食は万全の状態で見ようよ、一緒に」
「……また、か」

初めて月食を見たのはいつだったんだろう。図書館で調べ、ひとり夜に外に出て月を見たのは小学生の時だっただろうか。あの時は雲がかかっていたけど月が明るくて、夢みたいに綺麗だった。地球が丸いことの間接的な証明にわくわくして、誰かに話したくて、それで。

「玄武くん?寒い?そろそろ戻る?」
黙ったままの俺に名前さんは気遣わしげに顔を下から覗き込んで声をかけて、上着をひらひらと振ってみせた。
「たしかに名前さんと比べたら薄着だが、鍛え方が違うのさ」
「そう?でも私が寒いから手を繋いでもいい?」
名前さんと手を繋ぐ時、この時ばかりは天から与えられたこの身長がもどかしい。手を繋ぐだけじゃなくて一緒にいる時は何かと身長の差が邪魔をする。名前さんが寒いねと言って俺の手を包むみたいに両手で握った。
「そうだな、今年は寒い日が多い」
「だよね?東京なのにこんなに寒いし雪降るし……でも寒いと夜空が綺麗に見えるんだよね」
名前さんの言う通り、月の周りは明るくて見えないが外れの方はいくつも星が光っている。

「私玄武くんのおかげで星結構覚えたよ。前はオリオン座しか知らなかったけど……」
「なら復習テストでもするか?」
「い、いやだ……緊張して間違えそう……それなら玄武くんの解説が聞きたい……」
そんなことを言う割に名前さんはちゃんと覚えていてオリオン座のペテルギウス、リゲル、西にアルデバランと指で示した。それだけわかれは上出来だろうと言えば「神話付きで解説してくれる玄武くんを前にしたら私は何も言えません」と苦笑した。
「アルデバランって、後をついていくものっていう意味なんだっけ」
「プレヤデス星団の後に出て来る星だからな」
「プレヤデスプレヤデス……また新しい名前が……私ねえ大層なことを言うようだけど玄武くんのアルデバランになりたいなあ。な、なんて重い?」
「重いわけがあるか……ありがとうよ」
「……いっいやだ、言っておきながら恥ずかしくなってきた……!しかも今の話聞いて玄武くんはごちゃごちゃっと星が集まってる星団より一個ぱっと光る方が似合うし……あー勉強不足が露呈した……!!次はもっと勉強してからにします……」
羞恥からか顔は赤いが触れた指先も耳も冷たくなっちまった。せっかく風呂に入ったのにな、と名前さんの華奢な体が風邪を引かないか心配になる。

「戻って何か温かい飲み物でも飲まねぇか」
「飲む!実はちょっと高いココアを先日手に入れました!」
外履きのサンダルを揃えて並べ、名前さんに続いて部屋に戻り、窓の鍵をかけカーテンを閉める。せっかくのブルームーンにして赤銅色の皆既月食が隠れるが惜しい気持ちはあまりなかった。次はもっと鮮明な月を2人一緒に。

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