愛し君
私の恋人、翔真くん。彼は新進気鋭の若手歌舞伎役者として日々芸を磨き舞台に立っている人だ。
どうしてこんなにかっこいい人とお付き合いすることになったかなんていうのは私に言わせてみれば完全に運、でも翔真くんに言わせれば運命によるもので今でも隣を歩く美人が自分の恋人だと実感しては照れてしまう。
「名前、よく聞いておくれね」
翔真くんと腕を組んで歩くいつもの帰り道、隣でゆれる金色の巻き毛が視界に入るたびにそわそわして浮かれていた私を、翔真くんの真剣な声がバッサリと切り捨てた。
「な、何?」
「アタシね、歌舞伎役者やめて、トップアイドル目指すことにした」
しっかりと目を合わせて、翔真くんはちらりとも笑わなかった。
「……どうしたの、歌舞伎やめてアイドルだなんて。本気……なの?」
「アタシが本気じゃなかったことなんてあったかい?」
「そんな、でもどうして……歌舞伎あんなに大好きなのに」
歌舞伎役者がアイドルに転身?そんなの聞いたことがない。うまくやっていける保障だってない。何より大好きな歌舞伎を諦めてしまうの?と強く問い詰めても翔真くんは表情を変えず、「嘘だよ、アタシはこれからも歌舞伎一本さ」なんて言うこともなかった。
なんでどうして、と問い詰めながらも頭の隅っこは冷静で薄々答えはわかっていた。翔真くん、やっと自分の欲しいものを本気で取りに行くことにしたんだなって。舞台の真ん中に光の当たる場所に。翔真くんがそう望んでいたのはわかっていたから。
「翔真くん」
「我がままで、ごめん。本当に名前にはずっと苦労ばかりかけてる……けど……」
翔真くんは美しい緑の目を伏せて私の手を握った。そのまま困ったように目を閉じて、金のまつげが音を立てそうなほど重たく揺れた。この金色のまつげを見ると私はいつだって初めてあった時のことを思い出す。
お祭りの帰り、彼氏に振られた上に気合を入れてはいた草履の鼻緒も切れ、道端でめそめそしていたところを通りがかった金髪美人に助けられた。彼はわあわあ泣く私に驚きながらも草履を直し、足がぼろぼろの私をえいやっと背負ってみせ、行きつけのお店で足の手当てをしてくれた上飲み物までご馳走してくれた。
それから日を置いてそのお礼をさせてもらい、ならお礼のお礼をしなきゃあねと翔真くんがいい、何回かのお礼のお礼の時に翔真くんに告白されてお付き合いが始まった。
お付き合いするようになってから何度も歌舞伎を見に通った。歌舞伎に詳しくなかったのと彼に惹かれていたのもあって翔真くんの出てる演目は彼しか目に入らなかったし、アタシの役は端役ばっかりだからもっと主役を見な、と遠慮がちに言われたって翔真くんが一番かっこよかった。
華やかな着物を纏い舞台で堂々と振舞う翔真くんは見てる側の気持ちがぱあっと晴れやかになるようで、舞台で一番輝いていた。
歌舞伎に少し詳しくなって翔真くんの出ていない公演を見たときにようやく気付いた。私の贔屓目なんて抜きにしても翔真くんは歌舞伎のものすごい才能を秘めてる人だって。
取材に来る人たちはとっくにそんなこと知ってた。取材では主役を食う勢いと褒められても困った顔をして主役を立てて、紙面はやっぱり主役に遠慮した話になって、翔真くんは端役ばかり。端役だって大事な役だ。でも歌舞伎は生まれた家がものを言うのだと知っていたからいつも私は「今日も素敵だったよ」と興奮交じりに今の彼を褒めるだけだった。次はもっといい役が来るといいねなんて彼の苦労や努力を思うと言えなかった。
「翔真くん、私苦労かけられてるなんて思ってないよ。翔真くん今まで思うところがあっても、大人だから不満も文句も言わないでずっと我慢してたのも知ってる……でも、ちゃんと言って。どうして歌舞伎じゃなくてアイドルじゃなきゃダメなのか教えて。翔真くんの口からちゃんと言ってくれなきゃ嫌」
「名前……」
戸惑ったように目が揺れて、それから私をとらえた。
「舞台の真ん中に立って……光を浴びたい。このままいても生まれが壁になる、それでも今諦めたくない。トップアイドルになって今度こそ……ううん、もう一度夢を叶えたい」
翔真くんはそこで言葉に詰まって、でもトップアイドルになりたいって私に訴えた。思いつめた顔している。歌舞伎が大好きで情にあつい彼がこれを決めるのはどれほど苦しかっただろう。私の方がぼたぼた涙をこぼしてしまう。真っ白な指が涙を拭った。指先まで美しい翔真くんは私と付き合ってしばらくしてから爪をまあるく削るようになって私はそんな優しい翔真くんが好きだ。
拭っても拭っても涙をこぼす私を見て「そんなに泣くと目がとけちまうよ」と初めてあった時と同じ言葉を言う。翔真くんの目にも薄く涙が浮かんでいて私はまた泣きそうになる。
帰り道、翔真くんは何も言わなかった。
私から何か言うべきだろうかと思ったけど、何を言えばいいのかわからなかった。いつだって私は翔真くんのその時の姿を褒めてきたけど翔真くんがどうなりたいかとか未来について口にしたことはなかったのが仇となった。何が翔真くんを傷つけるのか、私にはわからなかった。
「翔真くん」
「足疲れた?」
「ううん、あのね」
前を行く翔真くんの髪がイルミネーションの光に当たってきらきらしている。ああ、アイドルになった翔真くんは変わらずに、いやもっともっとかっこいいんだろうなと私はまた泣きそうになる。
「おめでとう、本当に」
「やだね、まだスタートラインにも立ってないよ」
けらけらと翔真くんが笑って、それでも私は翔真くんが決断したことが涙が出るほど嬉しかった。夢を追う翔真くんは本当にかっこいいから、これから果てのない夢を追う翔真くんはきっと世界一すてきだ。
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