僕は弱いけど
きっかけは本当にささいなことで、私が寝てる間に靴下を脱いでしまう癖があって久しぶりに私の部屋に来た旬くんがベッドの間からたくさんの片方だけの靴下を見つけたとかそんなのからだった。
旬くんは整った顔をみるみる嫌そうに歪めて靴下をつまみあげて「名前、靴下」と言った。
「ああ、なんでか脱げちゃうんだよねえ。困る」
「困る、じゃないでしょう!朝起きたらちゃんと拾って2つ揃えて洗わないからいつも片方しか靴下がないんです!!いつも言ってるのに、君は……毎回しまえばこんなに片方の靴下だけがたまることはないんですよ!!」
「旬くんうるさい!いいでしょ靴下なくても探せば見つかるんだから」
「探せば見つかるって……まさか名前、洗ってないのを履いたりなんてしてるんですか!?」
「は?旬くんには私が靴下片っぽ拾って履いてても関係ないでしょ!?」
「だからっ……!!はあ、もういいです。洗濯機回すので貸してください。他の服もまとめて洗えばいいか……」
「もういいってなに!?いい、そんな旬くんこっちこそ願い下げ」
「名前!」
財布をとって靴を突っかけると私はドアを閉めてアパートの階段をダッシュで降りた。
だいたい何!?大学生になって旬くんはあの大きなお家を出て一人暮らしを始めた。都内なんだからわざわざ家を出ることないのにと思ったけど高校の時から変わらず続けているお仕事や大学に通うためにはその方がよかったみたい。
お坊っちゃんのはずが家事も全部自分でするようになってから旬くんの口うるささはとどまることを知らない。いわく緑黄色野菜も食べろ、鳥ばっかりじゃなくて豚肉も食べろ、乳製品と魚も摂れ、皿はすぐに洗え、掃除は毎日こまめにしろ、シンクは皿を洗った後にそのまま磨け、洗濯したら部屋干しかベランダに干すなら下着は影に干せだの、夜遅くまでのバイトはやめろだのサークルの飲みにいくなら連絡しろだのなんだの。
この間まで全部人に任せっきりだったはずの家事も旬くんは仕事や勉強の合間に覚えてしまい、今まで怒られるのは勉強とかのことばっかりだったのに一気にバリエーションが増えた。靴下もその散々言われる中の1つだ。
うちを出たすぐのとこにコンビニがある。ちょっと時間潰して帰ろ、と適当に雑誌を物色する。高校時代と変わらずニコニコ笑顔のハイジョが表紙のテレビ雑誌は冷めた目でスルーしてとなりの鷹城恭二くんが表紙でグラビアを披露している女性誌をめくった。
やっぱり背が高くてちょっと口下手な美形はいい。目の保養になる。インタビューでは今までのことやアイドルとしての仕事について答えていてその真面目な回答にも好感が持てる。質問が恋愛関係になった途端ちょっと困りがちなところもいい。今年で何歳だっけ、22だか23くらいだっけ。オトナの男感が増してていい。主人公のOLに俺じゃダメなのかよって迫ってた先週の月9は最高にきゅんきゅんした。旬くんにはまだまだできない芸当だ。
旬くんは背は伸びたけどやっぱりまだまだいけるので今季は学園ドラマに出ている。デビューした時と同じ高校二年生の役だ。超お嬢様学校の理事長の息子で実力を兼ね備えた冷徹な生徒会長役は昔のツンケンしてたころを思い出させて結構いい。旬くんは撮影が進んでいても守秘義務ですとか言ってネタバレをしないから確かじゃないけど3週間後くらいには主人公の熱意に負けて味方になってる気がする。そういう役どころが似合う顔をしていると思う。
旬くんのことを考えていたら手が止まっていたので慌ててページをめくる。次のページでは真っ白なシーツに身を投げた鷹城くんが優しく笑ってこちらに手を伸ばしているのがチラ見えしている。いい。きゅんきゅんする。
「馬鹿、こんなところで……何考えてるんですか」
「げっ」
はあはあと息を切らした旬くんがページをめくりかけた手をがっつり掴んでいた。雑誌の表紙と違って不機嫌全開の顔をしている。
「げっ、ってなんですか。何か都合が悪いことでもあったんですか」
「……ありませんけど?」
全く……帰りますよと旬くんが言うので渋々雑誌を置き、ヨーグルトドリンクを手に取りレジに向かう。旬くんは芸能人バレするとまずいからか黙ってうつむきがちで私の後ろをついていた。
やる気のない店員さんの声に見送られ、自動ドアを出ればバシャバシャ雨が降っていて「うわ傘忘れた」「そうだろうと思って持ってきました」そんなやりとりをしながら旬くんが可愛げのない大きな紺色の傘を広げた。
「濡れるから寄って」
「はあーい」
旬くんにはくっついてない側にさげたビニール袋がゆらゆら揺れて雨でちょっと濡れた。
「怒って出てってもいいですけど、」
「はい?」
「勝手に行き先も言わないでそんな薄着でいなくなるのはやめてください」
「そんなの、勝手でしょ」
「地域メールで不審者が近所に出たとあったのですごく……」
そこで旬くんはスマホに視線を落とし、言葉を切った。不審者は確保されたらしい。
「すごく、何」
「心配しました」
「……嘘でしょ」
「嘘じゃない。恋人の心配くらいするに決まってます」
きっぱり言い切られて私は思わず旬くんの横顔を見上げた。旬くんは照れもせず毅然とした顔で私の視線に気づくと「不満ですか」と聞いた。
「ふ、まんじゃないと思う」
「出歩くときは防犯ブザーを持ってください。それから、喧嘩しても夜に出てくのはやめてください。もし君が怖い目にあってたらと思うと心配だから」
「……じゃあ次からはトイレに引きこもることにする」
「そうしてください。それならドア越しに安全に説得できますから」
部屋着のショーパンのままなのでちょっと寒い。早く部屋に戻ろうと足を進めると旬くんはためらうみたいに口を開いた。
「僕は弱いので、いざという時君を助けに行けないかもしれない」
「?柔道頑張ってたじゃん」
「……なん年前の話をしてるんですか……あのときみたいなこと、突然できるわけないでしょう」
呆れたため息が吐き出され傘の下にたまる。旬くんは真面目な顔をしていた。真面目じゃない旬くんなんて滅多にないけどお仕事の時みたいに口をひき結んで前を見ていた。
大人になったな、と思う。可愛らしさを存分に残していたあの頃から未熟な可愛さを抜き取ってかわりに透明な青年らしさを詰めたら今の旬くんになると思う。大学生の顔だ。
「もし君が、夜道で怖い思いをしたりサークルの飲み会で嫌な思いをしても、僕はすぐに助けに行けない時がある。不甲斐ないし、情けないけどそれが今の僕です。今の僕はアイドルで、ただの大学生で君話を守るためのものを何も持ってない。許してほしいとは言わないけど、」
そこで旬くんは束縛しいで嫌な男だと幻滅しましたか、と小さいため息を吐いた。またため息が傘の下に溜まる。こういう顔は高校生の時と変わらない。
「嫌じゃないよ。これからはちゃんと防犯ブザー目立つところにつけるし、男の子のいる飲みの時、ちゃんと今日男の子と飲みですって言うよ。合コン呼ばれた時もいう。洗濯物もためないし、小魚も食べる。でも私馬鹿だからたまにすっかり忘れてると思う。そしたら旬くんが教えて。忘れてますよって」
「……うん」
旬くんは詰まった声で返事をしてただ黙々と足を進めた。おしゃれな皮靴がちょっと濡れている。帰ったら新聞を詰めて乾かして、それからクリームを塗るんだろうなといつも雨の日に玄関先で背中を丸める旬くんを思い出した。私はあの後ろ姿が結構好きだ。
「ところで合コンってなんのことですか。聞いてませんよ」
「……げえ」
「げえ、じゃない!!彼氏がいるって断ればいい話じゃないんですか!」
「だって〜」
どうせ一回とかじゃないんでしょう、詳しく聞きますからねと旬くんはぷりぷりしている。そういうところは高校生のときから変わらない。
私が出会った旬くんは高校生でバンドをしていてピアノが好きでキーボードも好きでバンドの仲間を大事にしていて、真面目でリアリストでツンツンしている旬くんだった。
今では大学生で背も伸びて顔もお兄さんらしくなってたまには甘やかしてくれたりこっちが驚くくらい優しい顔をしたりする。変わったねと茶化すことはあっても大事なところは何も変わっていないんだなあと私もため息をついた。そしたら「ため息つかない!」と怒られた。この傘は旬くんと私のため息でもういっぱいいっぱいになっている。
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