第0夜
今日は色々な事務所が集まって催されるイベントに虎牙道が呼ばれ、同行している。天気はあまり芳しくないが、屋外ステージに皆テンションは上がりっぱなしのようで、タケルくんも静かながらキラキラした目を私に向けた。わかる、野外ってアガるよね。
「……大きいステージだな」
「緊張してる?」
「いや、それほどでも」
「チビ、キンチョーしてんのかよ」
「わっ」
私の肩口からひょこっと漣くんが顔を出した。そのまま顎を肩に乗せ、タケルくんに絡み始める。肩が痛いのでよしてほしい。
「してないって言っただろ」
「どーだかな」
「も、漣くん肩痛いってば」
「フン」
身長的に厳しい姿勢だろうに、漣くんはぐりぐり顎を肩に押し付けている。
「雨が降りそうだから、打ち合わせって呼ばれてたぞ」
「漣くん伝言に来てくれたの、ありがとうね」
「バァーカ!たまたまだっつーの!!」
「はいはい、タケルくん、あとよろしくね」
「ああ」
「漣くん、あんまり大暴れしちゃダメだよ」
「うっせ」
「……タケルくんホントによろしくね」
「……ああ」
タケルくんは言葉の割に緊張していることがあるし、漣くんに絡まれることで静かにでもやる気が高まってくれればいい。あとは仲良くしてもらえれば……
打ち合わせをしながらも雲が黒く、雨がぽつぽつ降り始めた。どうやら衣装の上にビニールのレインコートを着せることになりそうだ。いくら鍛えているとはいえ、虎牙道の衣装は露出が多いので冷えやすい。雨脚が強まれば着てもらうほかないだろう。動きづらくて嫌がられそうだが、やっぱり体がいちばん大事だ。
「皆納得してくれるかな…」
屋根のない通路に差しかかり、水が跳ねる。野外はたしかにアガるけど、こういうトラブルがなあ。
「名前さん」
可憐な声に振り向くと、四条さんがビニール傘をさして佇んでいた。
「四条さん、こんにちは。そんな薄着で冷えますよ」
競合相手とはいえ、衣装のままで外に立っている女の子を見過ごすことなんてできなかった。あわててジャケットを脱いで肩にかけてやると、四条さんは傘を持たない方の手で襟元を掴んで匂いを嗅ぎ、微笑んだ。
「あなたさまの匂いがします」
「えっ、ちょ、臭かったですか!」
「いいえ、好ましいです……先日負ぶってもらった時と同じで…」
ふふふ、と笑う姿は本当に可憐でかわいらしい。女の子のいない事務所なので(咲さんはいるけれども)久しぶりの感覚だ。
「あの、名前さん、今お忙しいでしょうか」
「いいえ、少しなら平気ですよ」
きれいな顔が寄せられ、いい匂いがして一瞬体が固まった。傘を代わりに持ってやると、彼女は内緒話をするように手を添えた。
身長差を埋めるように体を傾ける。漣くんの顎でなぶられた肩がぴしりと音を上げた。躊躇うように身じろぎ、四条さんの暖かな息が頬に触れてくすぐったい。うっとりと蕩けた目が、つややかな唇が、美しかった。
「……あなたさまを、愛おしく思います……この世のなにものよりも、ずっと」
「えっ」
ぎゅっと腕を握られ、熱く、熟れたまなざしが向けられる。
「……だからどうか、わたくしを選んで」
「四条さん」
「貴音と呼んでくださいませ」
「……貴音さん、私は」
きっぱりと続けようとした言葉は彼女の目があまりに切実で、途絶えた。
つきんとこめかみが痛んだ。漣くんに心配してもらっても私の仕事は減らないから眠れないままだし、ご飯も以前より食べられなくなった。
「私は、315プロダクションの、虎牙道のプロデューサーです。だから、いちばんにあなたを選べません……ごめんなさい」
「名前さん、」
「あなたが女の子だからとかじゃないです……私は……私が、今は事務所のアイドルたちのことでいっぱいいっぱいだから」
あなたのことまで考えてあげられない、とは言えなかった。恋に破れた少女にはあまりにひどい言葉だとわかっていたし、プロデューサーという仕事を盾に逃げたから、これ以上追い詰めたくなかった。
「貴音さん、戻りましょう。皆心配してますよ」
じわりと彼女の目に涙が浮かんだ。私は何も言わずにハンカチを手渡し、俯く彼女の背中を押して室内へ入った。
「名前さん」
顔を上げた貴音さん、その目の光の強さにたじろいだ。その目はまだ涙にぬれているけれど、それでもはっきりと石を宿している。
「わたくしも今……高みからの景色を確かめるために努力しているさなかにいます。散り散りになった民へ、わたくしの存在を知らせ、希望の灯となるように。わたくしが目的を達した暁にはまた……わたくしと仲良くしてくださる?」
テレビで見る通りの気高い、孤高のお姫様だとばかり思っていた。彼女は高みを目指し、たまには涙を流す一人の少女だ。その弱さが愛おしかった。
「いつでも、あなたが私を必要としてくれるなら」
貴音さんは微笑み、それでも涙が一筋伝った。やっぱりアイドルは笑った顔がいちばんいい。
再び頭痛がした。たちの悪いことに目眩までしてきて、思わずよろける。今日に限っていつもより高いハイヒールな上、雨で通路は濡れていた。しばらく前に味わったのと同じ浮遊感、今度こそダメだと衝撃を覚悟する。
伸ばされた真っ白な二本の手、片方だけが私に届いて力強く引き寄せられる。
「バッカ、オマエ何してんだっ」
目を吊り上げて怒る漣くん、また助けに来てくれたんだね、ありがとう。今日はレインコート着ないとダメそうだね、嫌でもちゃんと着てね、大事な体なんだから……
言いたいことも言わなきゃいけないことも何1つ言えなかった。体が重くて、漣くんの体が熱く感じるくらいには冷え切っていた。頭が痛い。気持ち悪い。目が回る。ぎゅっと握られた手の感覚を最後に意識まで消えて無くなった。漣くんが怒鳴って私の肩をはたいた。ごめんね、いつも心配かけてばっかりだね。
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