再び第14夜
君が笑ってくれれば、それだけで私は幸せだよ。だから、いつか絶対に虎牙道のみんなで世界でいちばんになって、最高の笑顔を見せてね。
漣くんへ叫んだその声が届いたかはよくわからない。でも、そうであるといい。バァーカ!の声の後に続くのが「当たり前だろ!!」であるといい。漣くんもそうなりたいと望んでくれたなら、私はそれ以外に何も望まない。
意識が浮上して、静かに目を開けるとあたりは真っ暗だった。やっぱりあれは夢だったのだと安心して身を起こす。その途端、目の前の黒い山がぬっと動いて私は悲鳴をあげそうになった。
「社長……!!あっ、仕事、終わってないっ、あの本当にすみません……!!」
ボケボケの頭が徐々に覚醒して、布団の上で勢いよく頭を下げた。私が見間違えた黒い山、社長は全く動じず、倒れた原因は過労だと告げ、自身の管理の至らなさを私に謝罪した。当然私は自身の体調管理が原因だと頭を下げ返す。
社長は帰りのタクシーを手配しておいたから、このまま帰るように告げて、明日以降、わたしに休暇を出した。漣くんも参加するだろう次の選抜ライブの担当も別の人に変えて、ゆっくり休めということだ。
悔しかった。連続してユニットを超えた大きなライブを担当させてもらうのは初めてだったから、降ろされたことが何より辛かった。大人になっても自分がまともに体調管理もできないことが原因なのは恥ずかしくてたまらなくて、申し訳なかった。働きすぎだ、と社長は言った。私の反省や悔しさを察した上での言葉だとわかって私はうなだれた。新しい会社だ。誰よりも一生懸命やらなければ担当アイドルは人の目にも触れない。彼らのために、彼らが輝くためにと思いつめすぎた結果だった。
社長がそのまま病室を出て、私は一人取り残された。タクシーが待っているならはやく帰る準備をしなければ、と脱がされたジャケットを探して体を起こす。その時、足に違和感を感じた。重たいのだ。体じゅうがだるいし重かったがそこだけ不自然に。
その姿を目にして私は2度目の悲鳴をあげそうになった。私の足に覆いかぶさるように上半身をベットに投げ出している。銀色の髪がゆるやかな呼吸に合わせて上下する。漣くんだった。
「れ、漣くん」
体をゆすると眠いのかとろとろしている黄色の目が露わになった。
「待っててくれたの、ありがとうね」
「……生きてんのか」
「うん?」
漣くんが体を起こすと、銀の髪が青白い月光できらきら光った。
「ごめんね、次のライブの担当降ろされちゃったよ」
漣くんは何か言いたげに口を開けたけれど、結局眉根を寄せて黙り込んだ。変な漣くん。いつもだったらバァァカ!!!!って真っ先に言いそうなのに、妙におとなしい。漣くんだけが、さっきの変な夢の中のままのようだ。
「タクシー呼んでもらったからさ、帰ろうか」
ジャケットを着てカバンを肩にかけ、廊下に出るとひんやりとした夜の冷気が足元から這い上がってきた。思わず身震いした。
身震いしたそばから漣くんの温かい手に腕を掴まれ、歩き出す。冷え切った指先がじわじわ熱を持つ。
「漣くん、ナースステーション寄らなきゃ」
漣くんは何も答えない。腕を引かれたままナースステーションを早足で通り過ぎる。優しげな看護師さんにお大事になさってくださいと微笑まれ頭を下げた。その間も漣くんはずんずん先に進んでいく。
突然視界が開けて、屋外に出たのだとわかった。漣くんはぱっと私の手を離すと、軽々と柵に飛び乗った。心臓が止まりそうになった。身軽だと知ってはいたけれど柵に飛び乗るだなんて危ないことするのは初めて見た。
ぎょっとして私はれれれ漣くん、と声を荒げるが漣くんはどこ吹く風といった表情だ。
「あの、ギンパツとは、どうなった」
「え?」
「あのシツレーな女、ギンパツの」
「失礼って、貴音さんのこと?いつも言ってるけどそんな言い方しちゃダメだよ」
「うるせー」
漣くんの黄色の目が爛々と光っていた。貴音さんと漣くんはどこか似ている。銀色の髪、たまに出てくる不思議な言葉とか、色の白いところとか。
漣くんの顔を見つめていると、ずいっと顔を近づけられる。彼の黄色の目が、銀の睫毛が、静かに揺れた。綺麗な顔をしている。ほんとうに。
「シジョウタカネと、何があったって聞いてんだよ」
「何もなかったよ、ほんとうに」
どこの世界に担当アイドルに、自身の交友関係を詳細に教えるプロデューサーがいるというのだろう。赤羽根さんも武内さんもきっと、アイドルたちは「実は彼らについて何も知らない」と首をひねっているはずだ。彼らは勘のいい人たちだから察してはいるはずだけど、それを知っていて何も言わずにアイドルたちを導き、背中を押す。
プロデューサーは、アイドルを輝かせるためだけにあればいい。不安な顔をさせてはいけない。プロデューサーは笑顔だけを彼らにもたらさなければならない。それ以外を望んではいけない。
「笑っててほしいって、ウソついたのかよ」
「えっ」
「世界一になって笑ってほしいって、わざわざウソついたのかよ」
なのに、漣くんはそれを私に許してくれないみたいだ。きっとプロデューサーの思惑なんて何一つ考えていないのに、彼は今までに培った勘で全て的確に狙ってくる。敵わないのだ、漣くんには。
夢の中で漣くんに言ったことを今の漣くんが知っていても私はあまり疑わなかった。
「嘘じゃないよ。ずっとそう思ってる」
見定めるように漣くんが私を見ていた。
貴音さんが事務所に来たあの日、私は冬馬さんに「貴音さんの出身をご存知ですか」と聞いた。冬馬さんは「月から来たかもしれないってヤツだろ」と呆れたように答えてくれた。アイドルにちょっと興味がある人なら誰でも知っているような噂話だ。四条貴音は月から来たお姫さまなのでないか、というのは。
「冬馬さんはどう思いますか」と重ねた質問に冬馬さんは「あながち間違ってないと思う」と指先を見つめた。住んでた世界が違うっていうか、本当の常識で渡り合えないところがある、かと思えば全然しらないことを知っていたりする、と冬馬さんは言った。
私は漣くんについて全然しらない。元拳法家のアイドルである漣くんしかしらない。同じように漣くんは私のことを全然しらないだろうし、プロデューサーとしての私しかしらない。
それでいいと今までずっと思っていたのに、いま、私は漣くんのことを知りたくて仕方なかった。嘘じゃないって伝えるために、漣くんに私のことを知ってほしいと思ったし漣くんのことを知りたかった。
「おいオマエ、黙ってんなよ」
「漣くん、あのね、私」
奇しくも言葉が重なって、珍しく漣くんが続く私の言葉を待った。
「なんだよ」
「私、漣くんのことをもっと知りたい」
黄色い目が驚いたようにまんまるになって、そのまま緩んだ。
「オレ様が最強、オマエ、それだけじゃ足りねーって言うのか!」
くはは!と漣くんは心底嬉しそうに笑った。
ひょいっと柵の上に立ち上がり、片足立ちの戦闘ポーズを披露する。
「いーぜ、何でも教えてやるよ!」
今夜も貴音さんと会ったのと同じ満月だった。月の光で漣くんの髪が静かに光った。漣くんは私の鞄を取り上げてさっさと柵の上を跳ねていく。
「ちょっと、漣くん待ってよ!」
必死な私の声に漣くんは柵の上でくるりと振り向いた。
「腹減ったからとりあえずらーめん屋のとこ行くぞ!」
柵の上からそろりと差し出された手の意味がわからなくて固まった。ああ、手を繋いでくれるのか。そっと手を重ねると力加減無しにぎゅっと握られる。その差が漣くんらしくて笑ってしまう。
「何笑ってんだよ」
「いや、そんなに握られると手が痛いよ」
「!」
ぱっと手が放されたあと、再び、今度は恐る恐る手が握られる。
ケータイが鳴って、道流とタケルくんはまだ店で待ってくれてるのだと知った。ならば、急いで向かわないと。不安げに手が握り直された。力加減、そんなに心配しなくても大丈夫だよ、と笑いながら握り返す。私より温度の高い指先に安堵して、視界が歪んだ。漣くん、これでやっとまた、手が届いたね。
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