続・花嫁修行

>>これのつづき
>>スパイシティの後の話

突然に視界が開けて、音が聞こえてくる現象は今までに何度も経験したものだった。

意識した途端に電気もつけない部屋の暗さだけでなく、階下の静かなためいき、ジュリアスが寝返りをうち、姫が原稿用紙をくしゃくしゃに丸め、リーダーは部屋をうろうろしている、といった館の中の現象が音や気配から想像された。それなら、栗井栄太以外のためいきをついたひとりは名前だろうと考えて、あまりの悪趣味さに頭を振った。作業に集中しすぎるとこういう余計なことをしたくなるからよくない。

今朝は、ジュリアスが「ウイロウ、生きてる?学校行ってくるよ」とドアを叩いてようやく朝が来たのに気づいたのだった。朝食だって用意できなくてジュリアスは作り置きの何かと買い置きの何かを食べて家を出たのだろう。

こういう時にこそ、姫がいてくれれば自分が作業していてもおかまいなしに壊す勢いでドアを叩いて朝食を要求してくれたはずだ。しかしながら姫は冒険作家としての締め切りが近く、館にはしばらく顔を出していなかった。リーダーは帰宅が遅かった時には起きてくるのが昼過ぎになる。いつものことながら、館には生活能力のない人間が多すぎることが問題だった。

低血糖で震える手でなんとか名前に電話をかけて、名前はワンコールで電話に出ると俺に何も言わせずに「わかったから、寝て」と電話を切ったのだった。これで、ジュリアスの飯はどうにかなった。俺は再び作業に没頭し、気づけば夜になっていた。



階段を下ってキッチンに繋がるドアを押し開ければ、電気もつけずに名前がコーヒーを飲んでいた。
「ごはん?」
そういえば、何も食べていなかった。返事をする気力もなくて黙って味噌汁の入った鍋を火にかけて、名前がカツをオーブントースターに押し込んだ。米、煮物、サラダ、と順番に並べて名前は最後にコップにミネラルウォーターを注いで俺によこした。

「今日ね、ジュリアスが味噌汁とカツ手伝ってくれたの」
「へえ」
衣は厚さが不均一だが、温め直しても美味しい、味噌汁は何を手伝ったのだろう。いつもの名前が作る里芋の味噌汁だった。
「ジュリアスが作るよって言ったら姫も来てくれてね、ふたりとも喜んでくれて嬉しそうだったよ」
「明日言うよ」
「うん。心配してたよ」
「……」
「教育実習で疲れちゃった?」
「……いや」

教育実習はリーダーに言われて行くことになったが、どうにかこうにか課題をこなす事はもちろん朝起きて良き先生であるように努め、多くの人間に囲まれての生活を送る事の方が大変だった。殴られた後頭部はとっくになおっているのにまだ痛いような気がする。間違いなく気のせいだが、かりそめの先生という立場が感覚を鈍らせた事は間違いなかった。それで、スパイごっこでもやらかした。あれは遊びに過ぎなかったが、実際の戦闘においても弱くなっていたら……戦わないことはいいことなのかもしれなくても、戦わなければ生きていけない自分が今以上に弱くなったどうすればいいのだろう。戦うべしと脳に訴えかける本能は、弱くなっても変わらなかった。それで、いつものように行動置換――創作に没頭した。それで、またこのザマだ。

「……困っちゃったね?」
名前がコーヒーの入ったカップをおろして静かに笑った。本当に、困っている。そもそも、気づいたときにはこの平和な社会にとって迷惑以外の何物でもない闘争心を持て余して困っていたし、こうして吐き出す場を得てもまだ困っている。ゲーム作りは闘争心の発露に不十分だった。だからこのご時世にわざわざ危険地帯まで足を運んで傭兵なんてアルバイトに手を出している。
「……どうしたらいいんだろうな」
「うーん、柳川さんにわからないことが私にわかるかな……」
名前は考え込むように頬杖をついて、俺は衣の厚いヒレカツをかじった。適正がある(主にめんどくさい人間に付き合える、あるいは面倒を見る適正)と思ってハード屋として”栗井栄太”に引きずり込んだが、思いのほか面倒見の良さで活躍してくれている。今日みたいな日のメシスタントといい、リアル・RPGといい、リーダーも正式加盟させる気はあるのに本人だけが線を引きたがる。

「強い人の悩みを戦闘力皆無の人間に聞くのが間違ってるんじゃない?……たとえば、内藤くんにきいたらどう」
「……絶対に嫌だ」
ウインクする内藤が脳内をスキップで横切り、俺は本気で嫌だと思った。間違ってもあの子供に弱みを見せたくない、相方に秒で伝わって馬鹿にされる想像がたやすく想像できる。名前は俺の嫌そうな顔を見て嬉しそうにした。日ごろ現場で”栗井栄太”にいじめられている分こういうところがめんどくさい。

「でも本当に困っちゃうね……柳川さんがそんな状態で新作実行できるかな」
名前は出来上がってもいない新作の心配をして俺に野菜も食えとサラダを押しやった。
「時間が解決することもあるでしょう」
「どうかな」
「……私はね、柳川さんは先生になってもいいんじゃないかなって思ったよ」
名前が内藤くんに授業のこと聞いたんだよねと続けて俺は渋い顔をした。先生”らしい”皮をかぶった俺を見て、姫やリーダーだけでなく、名前までもが大爆笑したくせに。名前はいつもの顔を見ているのに、同じ顔のはずなのにこんなにもスーツが似合いすぎてておかしい、と俺の背中をたたきまくって写真を撮った。めちゃくちゃむかついたのでスーツに皺がつくのも気にせず腕挫十字固をかけてやったら写真は消したが、その後も見るたびに笑いをこらえていた(姫は動画も写真も消さなかったし、技をかけられる名前の動画も撮っていた)。人混みも人とのコミュニケーションも避けられるものなら避けたい人間には向いていない仕事に決まってるのに。

「柳川さんなら何でもなれるよ。戦えなくたって、多分他にも道はたくさんありそう」
「こんな生き物でも?」
「人間でしょ、規格外なだけで……料理もできるし大学のこと仕事にしてもいいしそれに強い」
名前がため息をついてコーヒーのお代わりを入れた。残りを俺のコップに注いで両方に牛乳を入れる。ブラックばかり飲んでいるが、以前締め切りが近い姫と名前と3人で徹夜のためにコーヒーを飲みまくっていたらジュリアスに「ウイロウも姫も、名前さんもがぶ飲みはカフェイン中毒と意を壊す原因になるからやめた方がいい」と本気で呆れられたので近頃は牛乳を入れている。ぬるいコーヒーを2人で啜った。

「どうにかなるよ……きっとね、柳川さんが自分でどうにかする」
なんにも参考にならない意見を名前がつぶやいて、ため息をつく。自分が動かないとどうにもならないのなら、まずは抱えている案件を片付けて、また外に渡って戦えばいい。そうしてじわじわと燻っている闘争心の火を小さく小さくしてこの館に戻る。帰ってきた俺にリーダーは軽く手を挙げて、姫は食事を急かし、ジュリアスは風呂に入れと言うだろう。そしてそんな栗井栄太の面々を見て名前が安堵のため息を漏らすのだろう。今までと何も変わらない繰り返しの中で答えが見つかるというのなら、何度だって繰り返せばいい。ゲームを作ればあの中学生たちは間違いなく乗ってくるから内藤と戦うこともできる。リーダーが隠している目下の敵にも負けたままでいられない。死ぬまで繰り返す、なんだかんだ言ってあの人たちは付き合ってくれる。栗井栄太はとりあえずは最高のゲームを作る日までは一心同体の予定だ。

「なんだ、柳川さん全然大丈夫そう」
「……大丈夫そうに見えるか?」
「降りてきたときはゾンビかと思ったんだけど、なんだかんだ人間の顔になったよ」
「そういう意味じゃなくて」
「どうして?ごはん準備できないくらい追い詰められてるんだと思ってた。やっぱり寝不足はよくないね」
名前がお皿洗っとくからお風呂入って寝て、と俺から皿を取り上げた。何を言うべきか黙って顔を見ると待って、柳川さんふつうに臭いからせめてシャワーは頑張ってね?と手で追いやられる。何日風呂に入っていないのか数えようとしてやめた。

「ちゃんと寝てるか見に行くからね」
ダイニングを出ていく俺に名前が笑った。徹夜明けだろうが寝ていようが、部屋に入ってくる人間がいたら覚醒するのは知っているはずなのに、そういうことを言う。
「来るまでは起きててやろうか」
「起きててくれてもいいけど、お願いだからお風呂は入ってね……」
名前が顔を引きつらせて俺を見た。不信や違和感は拭えなくても、ここ暫くでいちばん気分がよかった。


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