番外編デートの話
>>番外編・鯨の話
私はあまりクジラが得意じゃない。
先生に連れられて見に行ったクジラの骨格標本は背骨がびっちり並んでいて大きな口を持ち、どこか不気味だった。科学館のシロナガスクジラの原寸大模型は高いところにあるのもあって怖くて先生に張り付いて説明を聞いた。歌川国芳の書いたクジラの絵も顔が怖くてちょっと苦手だ。
先生がボストンで学会があるので一緒にホエールウォッチングをしに行きませんか、と誘ってくれた時も困った。結局ついて行って、先生の学会が伸びてキャンセルになった時はちょっとガッツポーズをしそうになった。ジンベエザメは平気なのにクジラはあまり得意じゃない。クジラは大きくて頭がいいから怖かった。なんか見透かされそうだし。
ところで先生自身も大きいし穏やかそうな人なのもあって、海でウエットスーツで泳ぎまくる先生を見た生徒からクジラと言われる時もあった。クジラはクジラ、先生は先生だから先生のことは好き。背が高くて、顔が綺麗で、色々な観点からの知識がある。何より海の話をしている時の生き生きした顔は見てるこっちまでドキドキしてしまう。
そういえば、クジラの歌はパートナーや仲間を探しているものらしい。それは人にはわからないけどそう思えば先生が必死に説いた海の魅力は生徒たちに届かなかったけれど、場所を変えれば届くかもしれないと思えた。
「先生は、クジラみたいなアイドルに」
「?」
「クジラみたいな大きいアイドルになれるといいですね」
「!きっと、シロナガスクジラより大きなアイドルになって、ザトウクジラより美しいメロディーを歌えるようになるでしょう。ところで名前、知っていますか。ツノシマクジラは暖かい海でも泳ぐ世界的にも珍しいクジラですが、標本が見られるところがあるそうですよ。立地はよくないですが海に面したところにありますし、あれなら小さいですから名前も怖がらずに観察できるでしょう」
先生に4年付き従って海や生き物の知識を得た割にわざわざクジラというのは稚拙な表現だとは思ったけれど予想以上に先生は喜んでくれた。そして、私があまりクジラが得意でないのを知っていたらしい。隠そうとはしたけどあれだけビビってくっついていれば当然かもしれない。
「いつか、シロナガスクジラにも負けない大きなアイドルになってあなたを迎えに行きます。その時までに名前ももう少しクジラを怖がらなくなってるといいのですが……」
「頑張ります」
先生が本当に残念そうに、でも期待するみたいに言うから私は思わず笑ってしまう。ただ、私は先生に隠してることがある。
先生、クジラは怖いけど、先生があんまり楽しそうに話すから嫌だって言えないんです。科学館のシロナガスクジラの模型なんて屋外なのにすごく怖かった。でも、先生があれこれ展示に書いてないことまで教えてくれるからその間はずっとくっついていられるでしょう。先生は人のことに鈍感なきらいがあるから気づいてないけど、そういう意味では私はクジラ、結構好きなんですよ。先生はそんな私の下心まで知らないからニコニコ嬉しそうにしている。
「名前、クジラの骨格標本を作るプロジェクトをやっているところがあるそうですよ。お誘いいただいたので一緒にいきませんか?触れれば名前もクジラの魅力をより強く感じることができると思いますし、痕跡器官を含む標本ですからきっとあなたの勉強にも役立つでしょう!それから」.
……こんなに純粋な人が悪鬼の巣食う芸能界でやっていけるのだろうか。そしてその後、無事アイドルデビューを果たしたクリス先生をテレビで見るごとに私はその考えを強くすることになるのだった。
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