エンドロールまで

社長との電話中に社長が席を外した。切っても良かったが玄武くんが受話器を取って、話し相手になってくれた。大人しくしてるかい、の声が本当に不安そうで、大丈夫だよと返した私の声の方がよほど元気だった。

「なあ、番長さん。大事な人がちゃんと待っててくれるってのは、本当にいいもんだな。安心立命の境地で仕事かできるぜ」
前にもそのようなことを言っていたが、今再びその言葉を聞いて早く帰らなければという気持ちは一気に小さくなった。完全に治して、安心させなければ。大事なアイドルに心配かけるのは、今回で最後にしなければ。また電話してね、というすがるような声にも玄武くんは嬉しそうに約束してくれた。

そのあと再び電話を取った社長に、体調が回復に向かっていることを告げると、元気になるまで帰ってくるななんて言うからいっそう反省した。


梅雨の明けきらぬ初夏、私は暇をつぶすように離れで自炊するようになっていた。ただ寝てるだけでは落ち着かなかったのだ。北斗さんのお家の人に浴衣を着せてもらって買い物に出た。本当によくしてもらっていると思う。下駄にも慣れて、今日もエコバックにたくさんの荷物を入れて坂を上り、帰路につく。

夕日が綺麗で目を細めた。その前を修学旅行生が坂を下っていった。結構長いことここにいるような気がしていたけど、観光地で生活してることに未だ慣れていない。

坂の向こうの景色を眺めて休憩していると下の方からリズミカルに地面を蹴る音が近づいてくる。部活動に励む高校生だろうか。この坂は、夕方になると運動部の生徒が外周に出てくる。道の端に避け、先に行ってもらおうと立ち止まる。荷物もあるし、さすがにまだ現役高校生に追いつけるほど体力がない。

「プロデューサー!」
懐かしいその声に思わず振り向き、姿を確かめようとしたが叶わなかった。きつく抱きすくめられる。どさっと買い物袋が落ちた。あ、卵……

私も彼も、2人ともに息が荒くて、困惑する。シャツとそれから硬い骨の感触、力強く抱きしめられて顔を見ることすらできない。やっとの事で名前を呼ぶ。

「と、冬馬くん」
「やっと見つけたぜ……!」
「え?!探してくれてたの……っていうか汗すごいよ!?」
久しぶりの顔を見るために胸を押しやると、冬馬くんが汗まみれなことに気がついた。ほら、はやくこれで拭いてと懐に挟んでいた手ぬぐいを渡す。冬馬くんはぎょっとしたけど、はやくと急かせば、体を離して汗をぬぐった。ずっと走ってきたのか疲れた顔をしているが、駆け上がるテンポも良く、掴む力も強かった。さすが現役高校生。

その隙にスマホを見ると北斗さんからの連絡が入っていた。気づくのが遅かった。
「冬馬くん、ドラマの撮影に来てたんだね」
「そうだよ、あんたがいなくなってからのこと知ってるか?事務所の奴らにあんたがどこにいるのか聞いても誰も知らねえって言うし、突然消えたっていうのに気にしないようにしてる。おかしいだろ、そんなの……!北斗は絶対知ってんのに笑ってごまかすし、撮影でこっちに来て問い詰めて、やっと見つけたんだぜ」
怒りを堪えきれないように冬馬くんが眉根を寄せた。冬馬くんの発言内容は北斗さんからの連絡と大体同じだ。彼からのメッセージには爆発寸前だったので冬馬にバラしてしまいました。問い詰められると思いますけど、暗くなる前に帰してくださいね。と続いていたけど。

「帰るぜ、プロデューサー。あんたもこんなところで大人しくしてられるような奴じゃないだろ」
冬馬くんは私がその手を取るのは当然、とでも言わんばかりに右手を差し出した。自信に満ちた、その姿が眩しくて息を止めた。

「……ごめんね」
でも、私は決めたのだ。もう所属アイドル達に迷惑をかけないために完治して今まで通りバリバリ営業できるようになるまで帰らない。

社長がまだ帰ってくるなと言ったのも、桜庭さんが真っ青な顔で診断を聞いたのも、北斗さんの逃げ出さないように、との言葉も玄武くんの居場所がわかると安心するという言葉も、私のためのものだ。彼らの、体を大事にしてほしいという思いを、痛いほど知った。

春名と輝さんもそうだ。私とたまたま会っても(それが本当に偶然なのかはわからないけれど)、私を探す冬馬くんには伝えなかった。帰ってくるのを待っていても、連れ戻そうとしなかった。

「ずっと探してた。でも他の奴らがあんたのことを思って探さないのもわかってた……あんたが無理をしてるのも皆見てた。俺が、甘かったんだ。あんたのこと、見てたのに」
腕に力が込められた。申し訳なくて、顔が上げられなくなった。

「翔太が、北斗に具合が、そんなに悪いのって聞いてんのを見て、やっと知った……ただの休暇じゃねえって」
「黙ってて、ごめんなさい。邪魔にならないようお休みしてたのに、冬馬くんのお仕事の邪魔になっちゃったね」
冬馬くんの手から力が抜けて、落ちていく。そういうことが言いたいんじゃねえよ、と怒ったように呟く。一歩、迷うように彼の方から近づいた。

「……心配したんだ」
怒ってるのか、泣きたいのかわからない顔をしている。それから、耐えかねたように肩に顔が伏せられた。久しぶりに見たのがこんな顔で私まで泣きたくなる。

「あんたも、こんなとこで立ち止まってるような奴じゃねえだろ」
肩に広がる熱に反して、心が急速にそれを失うのを感じた。帰れないと、決意したばかりのはずが、それを跳ね除けるように帰りたいという思いが強くなる。やっぱり冬馬くんは強い。

陽は沈んで紫色の空に変わり始めていた。一緒に帰ろうといえば、冬馬くんは連れて帰ってくれるだろう。こんなところで止まってられる私じゃないだろうと言って。

その通りに、私はここで止まってられるようなプロデューサーじゃなかった。仕事は、何よりアイドルたちのことを考えて輝かせること。それを冬馬くんが気づいて認めてくれたのが嬉しかった。だからこそ、揺らがされてもいう言葉は決まっていた。

冬馬くんの背中に腕を回す。今までで一番距離が近かった。撮影やら何やらで女性に近づくのはためらうのに、冬馬くんはひとつも動揺していなかった。その信頼が、嬉しかった。

「……ありがとう、でも帰るのはもう少し待ってほしいんだ」
「……」
「完全に復帰できるまで、帰らないって決めたの。中途半端なまま戻ってまた迷惑も心配もかけるわけにはいかないでしょう」
「そうかよ」
物わかりのいい言葉と裏腹に覇気のない声だった。冬馬くんの体が離れて、濡れた肩が気化熱で冷えた。

「俺は、アイドルの頂点を目指してる…だから、あんたが見せてくれた景色も、俺が見せてやった景色も全部そのためのものだ……わすれんなよ」
彼の濡れた頬が徐々に暗くなる空で隠されていく。そっと背伸びして拭ったその熱がこの世の何よりわたしの心を重くした。

タクシーを呼んでやると、冬馬くんは落ちた荷物を拾い上げてくれて、それから坂の上から灯のつき始めた街並みを見ていた。ゆっくりとヘッドライトが近づいてくる。プロデューサーになってから、見送ってばかりだがここ最近は特にそうだ。

「……ちゃんと帰ってくるよな?」
まっすぐな目で見つめられなくても、答えは決まっていた。しっかり頷くと冬馬くんは今日初めての笑顔を見せてくれた。

そこで、私は今日冬馬くんと会ってからの心の落ち着かなさをようやく理解した。冬馬くんだけが私の性根を理解して、連れ戻そうとした。それに応えたかった私は、彼に失望されたくなかったのだ。

「冬馬くん、今度は私が、冬馬くんを追いかけて会いに行くから待っててね」
タクシーに乗り込む背中に声をかけた。トップアイドルを目指す冬馬くんには、待ってる気なんてさらさら無いんだろうけどど、それでもちゃんと追いかけてこいよ!と言った。その年相応で、それでいて少し苦しげな笑顔に、私は、罪悪感を覚えながらも今も昔もこの上なく救われている。帰ってやることはただひとつに決まっている。あなたたちを輝かせるために、また頑張る。今度は死なない程度に。


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