番外編九十九一希
>>番外編
ゆっくり流れて行く川を前にして一希さんはただ黙って立ち尽くしていた。
あまりにも真剣に見つめているから声を掛けるのも憚られて、ただ後ろで見守った。大学生の集団が何やら川の中を掬っては首を振って川に戻し、またすくっては戻し、という動作を繰り返している。父親が投げるボールを受け取っては投げ返す子供、向こう岸の土手では大学生のサークルだろうか、ピクニックをしていた。
「一希さん、冷えませんか」
私の言葉に慌てたように振り向いた一希さんにそっと厚手のストールを差し出すと「プロデューサーこそ、」と私を気遣った。
「私はちゃんと着込んでますから!どうぞ」
「……ありがとう」
ダークカラーのそれは派手な色の服を好まない一希さんによく似合っていた。大きく広げて羽織り、今度は地面に座り込んだ。頭に乗っかった変装用のニット帽が似合っていて可愛らしかった。それから隣に一枚ハンカチを広げ、「座ったらどうだ」と目線で促される。ありがたくハンカチに座り、一希さんに倣って川が流れて行くのをただ見ていた。
「プロデューサー、ありがとう。実は一回座ってみたかったんだ」
「いえ、もうちょっと下流の方だと雰囲気もあって余計に良かったと思うんですけどまあ……人が多いから一希さんだってバレるとまずいので……すみません。何かいい案があったら良かったんですけど」
「いやこれで十分だ。雰囲気が感じられただけで嬉しい」
鴨川の土手に等間隔でカップルが並ぶ光景はあまりにも有名で、一希さんから一般人の思うそれとは違えども一回やってみたいと打ち明けられた。あんまり年頃の男の人のようなことをあれがしたい、これがしたいと言わない一希さんだけど案外流行り廃りに敏感なところがあるから、せっかく京都まで来たのだから是非とも叶えようと思った。
そこで、下流の方だと土手にも、橋の上にも人通りが多いから一希さんがゆっくりできないだろうと思って、神社はあれども人の少ない上流を案内したのだ。
立ち尽くす姿も、体育座りで川を見てるところも美しかった。鮮やかな色の髪が風に舞って、変装用のメガネの上からかぶさった。雰囲気と相まって本当にオフショットさえも雑誌の表紙を飾れそうな勢いだ。
「プロデューサー、御手洗団子とイスラエル料理ならどっちがいい?」
「えっ?」
「しばらくしたらどこか店に入って休憩しよう。川を渡った方にイスラエル料理の店があってそこのミントティーがオススメらしい。後ろに戻れば御手洗団子の起源にも関係する下鴨神社があるし、参拝して帰ってもいいと思う。どうする?」
ぱらりと紙のめくれる音がして、一希さんの手元をのぞけば手帳にそのようなことがメモしてあった。他にもオススメのうどん屋さん、親子丼の美味しい店、並ばずにも食べられる抹茶スイーツの名店、寺社仏閣とその周りの観光スポットなどが細かく書かれている。事前リサーチはばっちりらしく、さすがだなと感心してしまう。
「それなら、神社にお参りして……あとは河合神社に寄ってみませんか?一希さんの美貌にますます磨きがかかるようお願いしに行きましょう」
「……プロデューサー、そこは女性の為の神様だからおれよりもプロデューサーの為だな」
「そ、それはそうですけど……」
一希さんは困ったみたいに眉を寄せたけど私の反応を見てちょっとだけ笑った。やっぱり一希さんのためにもお参りした方がいいんじゃないかしら。
「なら、御手洗団子を食べて夜は予約した料亭……ホテルの近くに人気のラーメン屋があるし明日の朝はブーランジェリーに寄ってパンを買って、涼たちの土産は駅でみよう。それから、プロデューサーさえ良ければ次は夏に来ておれのおすすめの店でかき氷を食べよう。モンブランみたいになってるんだ。それから……」
すらすらと一希さんの口からプランが流れ出て、なんだか私まで嬉しくなってしまう。
川辺特有の強い風が吹いて、一希さんはストールを抑えた。絵になるなあと見とれてしまう。一希さんはどの季節だって綺麗でかっこいいけど、秋が1番似合うと思う。紅葉にはまだ少し早いけれど撮影するなら青い空の下の燃えるような紅葉、冷たい空気をまとう夜空の下の紅葉どちらがいいだろうか。
「プロデューサー、知っているか。美しさにまつわる神社だからか、こんな和歌がある……朝ごとに向かう鏡のくもりなくあらまほしきは心なりけり」
「うっ!わたし、お恥ずかしながら国語は……本当にからっきしで……」
風が吹き始める中冷や汗を垂らすわたしに一希さんは呆れたみたいに、でも優しく微笑んだ。
「わからないなら、いい。でもきっとおれが、九十九一希がそんなに綺麗だなんだと言ってもらえるのはきっと……おれだけのせいじゃないんだ」
「……??そうですね、一希さん事務所を訪ねて来た時もすごくかっこいいって思いましたけど最近ますます素敵ですもんね」
「……そうだといいな」
風が吹き、風がスカートもわたしの髪も、一希さんの髪もストールも巻き上げていった。寒いな、と一希さんが呟いてわたしもそれに同意する。風邪を引かれては困るから、早く行きましょうと声をかけた。神社は木に囲まれてるから川辺よりも寒くはないだろうし、お店にはいればあつあつの御手洗団子とお茶が待ってるはず。
「プロデューサー」
「ん?」
ばさっと一希さんが羽織ったストールを広げて、わたしの肩にかけた。
「なっ!なっにしてるんですか!風邪を引いたら困るのは一希さんの方なんですよ!わたしは着込んでるからいいとして!」
大慌てのわたしに一希さんの唇がふ、と緩んで片方の端が一希さんの長い指にとられていく。左の端はわたしの左肩に、右端は一希さんの右端に。大判のストールだから女のわたしと細身の一希さんを包んでもまだ余裕がある。
「そろそろ行こう……そういえば、水に浸す御神籤があるらしいが、こうも寒いと水もなかなか冷たいかもしれないな」
「なっ!当然のような顔してますけど!こんなの見られたら大変ですよ!」
「そうか……それは残念だな」
「残念って!」
ぎゃあぎゃあ騒ぐわたしをよそに、長い足で一希さんは土手をのぼる。借りていたハンカチを拾うためにもたもたしていたわたしを階段の途中で待っていてくれる。
「足下、気をつけて」
「あっありがとうございます」
手を引かれて一段がいささか高すぎる階段をのぼる。世話がやけるな、と一希さんがまた笑った。それから掴んだ手が互いに冷たくて苦笑する。早くあったかいお茶で暖まりたいなと視線で告げれば、心得たというように一希さんが頷いた。
真面目な顔なのに、ぐうと一希さんのお腹が鳴った。思わず声に出して笑ってしまったら、「笑うな、限界なんだ」と困った顔で言うから余計におかしかった。早くお参りして、それから御手洗団子をと急かすので早足で神社に向かう。
「それから懐石、締めにラーメンですね」
「ああ。どちらもいろんな人に聞いて選んだ店だ……期待してくれ」
紅葉にはまだ早いのに寒い京都、せっかくのお休みなのに連れ出して嫌がられないかなと思ったけど一希さんなりに満喫してくれているようだ。
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