この夢はいつ終わる
アイドルへのプレゼントに花は厳禁、と言われるようになってどれくらい経つだろう。それほどに花吐き病は有名になって、季節を問わずその感染予防が呼びかけられている。
「まあ、今回みたいに例外はあるみたいですけどね」
「……そうらしいな」
硬い病室のベッドに腰掛ける私と、パイプ椅子に腰掛ける玄武くん。
簡素なパイプ椅子では足が長い玄武くんには座りにくいだろうに、彼は上手に腰掛けていた。暗い病室で玄武君の手元のスマホだけが煌々と光っていて、その長い指が目的のニュースを見つけては開き、関連のニュースを探しては開き、という動きをを繰り返していた。
「ニュースに出てた?」
玄武くんは顔を上げてちょっと笑って見せた。普通、アイドルのプロデューサーが花吐き病に感染したことなんてニュースにはならないだろうということはわかっているけど。
「SNSには神速一魂のライブが中断したとは書かれていたぜ。原因は不明らしいが」
「そっか、社長がどうにかするって言ってたから、そのあたりは大丈夫かな」
玄武くんはスマホの電源を落として、感染防止のための、ベッドを囲うようにたてられた分厚いアクリル板越しに私の顔を見た。じっくりと、生きていることを確かめるみたいに。そんなによく見ても面白いものではないだろうに。私は一連の出来事を思い返す。
今日は前々から準備を重ねていた神速一魂のライブで、関係者からも彼らのファンからもたくさんのお花が送られていた。一昔前と違うのは、それらが全部作り物の花やバルーンを中心としたものになっていることだろう。花吐き病が広まって以来、生の花を見かける機会はぐんと減った。そして今日、何百と送られてきたものの中に、花吐きに感染した花が混入していた。
今回の事件が誰かしらの悪意によるものなのか不注意によるものなのかはまだ分からなくて、それでも感染したのがアイドルたちでなく私で良かったと思う。
花との接触は2人がステージに上がっている間の出来事で、歌い切った2人が楽屋に戻ってくるまでに、事の全てが片付いていて本当に良かったと思う。もし2人が何か危険な目にあったとしたら、私は悔やんでも悔やみきれなかっただろう。
新薬の開発と普及のおかげで私は今、緊急措置として発症抑制剤を打たれて特別病棟にいる。あんなことがあってもライブを無事にやり遂げた神速一魂の二人が慌てて会いに来てくれて、玄武くんが「話があるから」と言って先に朱雀くんを帰した。
朱雀くんは大人しく先に帰った。自分の相棒が長い間苦しんでいる病気のことを知っているから顔を顰めはしたけど文句は言わなかった。
黒野玄武は花吐き病の第一世代感染者だった。
感染した花に触れて花吐きに感染した第二世代の私と違って、玄武くんは自分の心臓から芽吹いた花によって花吐き病を発症した第一世代の患者だった。
「……何の花だった?」
「いやあ、嘔吐なんて久しぶりだったから驚いて花の種類までは確認できなかったよ。それに、花を見ても玄武くんみたいに名前とか花言葉までわからないし」
「そうか」
頭がいいから玄武くんは発症以来、自分の吐いた花を全部把握していて、そして花言葉にも明るいために自身の花に込められた意味や意図を正確に理解している。
花言葉に造詣の深くない私では、きっと吐いたところで込められた意味は色が好きな人を思わせるとか前にその人が好きだと言っていた花くらいだろう。
「玄武くんは心臓から青い花、だっけ」
「正確には青いカーネーション、ムーンダストだな」
「私、カーネーションの青なんて初めて見たよ」
「遺伝子操作で生まれた花で自然界には無いらしい。今のところ人工の花はどうしたって紫に近いが、ヒトの体からできた花だからそんなことは無視してこの世で1番青いって研究者に言われたな」
「へえ、ロマンチックだね」
玄武くんは私の安い感想に目を細めて、「そうだな」といった。カーネーションは母の日を連想させるし、同じような経緯で生まれた青いバラの花言葉は開発によって「不可能」が「夢は叶う」に変わったそうだから無神経だったかもしれない。青いカーネーションはなんて花言葉なのだろう。疑問に思った私を見て、玄武くんは自嘲気味に顔を歪めて笑った。
「でも吐いた花を全部覚えているのも、ある意味煩わしいだけだ……リナリア、ハナミズキ、ピンクの胡蝶蘭、ブーゲンビリア、ラナンキュラス、ヒマワリ、紅色のバラ、サザンカ……」
「花言葉に、意味があるの?」
「ああ。リナリアはこの恋に気づいて、ハナミズキが私の想いを受けて、胡蝶蘭はあなたを愛している、ブーゲンビリアはあなたしか見えない、ラナンキュラスの光輝を放つ、ヒマワリはあなただけを見つめる、サザンカは永遠の愛、紅色のバラは死ぬほどあなたに焦がれる……」
「よく、覚えてるね」
「自分のカラダのことだから把握しておくに越したことはない、悪あがきみてぇなもんだけどな」
私は玄武くんの口からそんなロマンチックな花言葉がつらつら並べたてられたことにちょっと驚いて、でも玄武くん自身は全く照れたりする様子が無かったので茶化すこともしなかった。彼にとっては病状を把握する貴重な方法の1つなのだろうから。
「私も、花言葉を覚えたら、花言葉に応じた花を吐くのかな」
「それは……どうだろうな」
色にこだわる人もいるし、なんの意味もなく無差別な花を吐く人もいる。でもきっと、私が次に花を吐くときにはリナリアにハナミズキに胡蝶蘭、ブーゲンビリアやラナンキュラス、玄武くんが教えてくれた花を吐くだろう。同じように花吐きに苦しむ彼には、アイドルの彼には、絶対言えないけど、私は彼が好きだった。
「もし興味があるなら、今度植物図鑑でも…ッ」
「玄武くん、」
ぐっと何かが胸につかえたようで、玄武くんは言葉を切った。
苦しそうに左胸を押さえて、咳き込み、なかなか止まずに喉がひゅうひゅうと嫌な音を立てた。ぐちゃっと何かが潰れる音が玄武くんの左胸から聞こえた。強く抑えられた左胸、指の間から千切れた青い花びらが落ちた。
前にバラを吐いた時のように喉を痛めてしまうのではないか、と私は焦ってナースコールに手を伸ばした。
呼ぶな、というように玄武くんは私との間に置かれたアクリルの壁を握ったままの拳で強く叩いた。その荒々しさに一瞬怯んで、それから彼の顔を見た。
ライブ終わりにもかかわらず綺麗にセットされた前髪は乱れて、その間から鋭い眼光が覗いていた。はあはあと荒い息がとめどなく続き、言葉はなく、それでも私を睨みつけるように見ていた。
何も言わずに玄武くんは、吐いたトルコキキョウをぐしゃっと握りつぶした。思わず顔を見ると、トルコキキョウの花言葉は希望だって、死にそうな声で教えてくれた。希望なんて、持つだけ無駄だって。
「……そんなことないよ」
「じゃあ何ができる?身寄りがないのに、アイドルのくせに応援してくれる人たちを、相棒や、番長さんを裏切って………好きになって、花吐き病になった俺が何を望んでいい?!」
やめてよ、そんなこと言わないで、そんなに自分を卑下しちゃだめ、泣かないで、否定しないで。自分の可能性に気づいてるのにいつだって彼はそれを疑って一歩立ち止まってしまう。
言いたいことはいっぱいあるのに、こんなに玄武くんが声を荒げるのを見るのは初めてで、私はばたばた涙をこぼす間にそう言う事ことしかできなかった。
彼にアイドルになってほしいと言ったのは私なのに、アイドルとしての彼を認める言葉が何も出なかった。
「……すまねぇ、番長さん。恩義を感じるだけじゃなくて、勝手に好きになった俺が悪いんだ」
「違う、違うんだよ。誰かを好きになっちゃだめなことなんてないって、言ったはずだよ」
昔に事務所に結婚イベントの仕事が来た時に「いつか本当に好きな人に会えたら、その誰かを好きになっていいんだよ」と話をした。私を好きになっちゃだめだよ、っていうのはさすがに自意識過剰だから言わずに止めた。
私は男性アイドルと関わるこの会社に就職した時、会社の不利益になるような恋愛はしないと決めたし、玄武くんを好きになっても告白したら会社の不利益になるのは明らかだったから黙っていた。しかし今、彼の気持ちに応えることは不利益になるのか?利益をうむのか?
困惑している私をよそに、玄武くんは覚悟を決めたように私を見た。私たちを仕切る、感染防止の分厚いガラスのケースをよどみない手つきで開けて、口を開く。
「俺を好きになってくれ、頼む、黒野玄武に価値があるなら、どうか俺を」
俺を認めてくれ、番長さん。
ぎらぎらと尋常でない光を放つ彼の目を見て、私は息を止めた。熱に浮かされたような様子で、いつも彼の瞳がたたえていた理知的な光は失われてただどくどくと熱を孕んでいた。
私は浅く息を吸った。さもなくば殺してくれ、とでも続きそうな声に心が締め付けられた。
どうせ死ぬなら共に、どうせ死ぬなら共に地獄へ、だなんて馬鹿な考えだった。
彼はアイドルで、それでも1人の男の子だった。不安そうに伸ばされた手を掴み、口を開き、そうして、目を合わせた。彼の熱を孕んだ目に私の泣きそうな顔が映っていた。
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