何度季節が巡っても

学生時代にそこそこに親しい花屋のお兄さんがいた。慣れないヒールで転んでヒールが折れたところをお店に連れてって手当てしてくれたのがきっかけだったと思う。それからだんだん親しくなってちょっとしたお店の手伝いをしたり花の名前を教えてもらうようになった。


大学の院試の勉強でひいひい言ってる時もお兄さんは愚痴を聞いてくれたり研究室の冬場の乾燥した環境を心配してハンドクリームをプレゼントしてくれたりと優しい人だった。

「私、花吐き病の研究所に就職することになりました。みのりさんのおかげで花に興味を持って、それで自分のできることをしたいって思ったんです」
みのりさんはすごく喜んでくれて、応援してくれた。引っ越すので、今みたいに会いに行けなくなりますと伝えた。みのりさんは眉を下げて残念だねって言った。

「また遊びに来てもいいですか?」
「うん、俺は名前さんのこと、ずっと覚えてるよ」
就職先や研究室に通う日が続き、みのりさんとはそれっきりになった。
淡い恋だったのか単なる憧れだったのかわからないままに次の春、私は社会人になった。

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「先生、今年のポスター来ましたよ!誰だと思います?」
「うーん去年は凛ちゃんだったから、今年はハイジョの秋山くん」
「先生、卒倒しないでくださいね……じゃじゃーん!先生が大好きな渡辺みのりでした!」
「嘘!ちょっと待って……あ、本当だ」
今や広くこの国に蔓延する花吐き病は、火災予防や節水と同じように花吐き病の周知ポスターが作られ、イメージキャラクターには人気の有名人が起用される。ここで働き始めて数年が経つが去年のイメージキャラクターは渋谷凛ちゃん、その前は雪歩ちゃんだった。そうか、今年は渡辺みのりか……

「はー……みのりさんかっこいい……」
「先生本当に渡辺みのり大好きですね」
「大ファンだよ。ああ、研究所行っても病院に行っても、市役所に行っても保健所に行っても学校訪問でも今年1年どこ行ってもみのりさんのポスターが微笑んでるなんて……人より見る機会が多い職場で役得だ……」
「そんなに先生のやる気が上がるならうちの病院と研究所は来年も剥がさずに置きましょうかね」
「来年と言わずその次も、ずっと貼っておいて」

ポスターではみのりさんが口元に指を当ててウインク、それから「1人で悩まないで。感染したらすぐに相談!」の文字。感染者の中心である思春期の子たちもこの優しい笑顔を見たらちゃんと言われた通りに行動に移すと思う。イメージキャラクターに求められるのは対象者への共感や親しみやすさだから協会は本当にいい仕事をした。

「さて、今年もポスター見て受診する子がドッと増えるはずだから来月は大変だよ。去年も凛ちゃんの効果すごかったからね」
看護師と2人で昨年を思い出していると内線が鳴った。救急からの緊迫したコールは何度受けても緊張する。

「苗字先生、救急です!二次処置が終わりましたので病室向かってください」
「はい、承知しました」
「それと、VIP対応の感染者です。資料収集は可能ですが丁重に対応お願いしますってセンター長から……」
「へえ。先生、有名人ですかね」
「うーんいろんな悩みがあるからね……」

ここは都内の大きな研究所兼病院なので、学生でありながらアイドルとして活動している子が運び込まれてくることもある。仕事とプライベートに板挟みになった子の症例を収集するのは正直心が痛いが、そういう子を増やさないための収集なのだから、落ち着いて対応しなければ。白衣を羽織りペンをポケットにさしゴムのぴっちりした手袋をはめ、カルテを受け取りながら1人で特別個室に入る。ああ、いやな緊張感がドア越しでも感じられる。


「失礼します……センターより参りました研究員の苗字と申します。この度はご協力いただきありがとうございます」
「いえ……うちのアイドルをよろしくお願いします」
立ち上がったのはベッドサイドのスーツの男の人。やっぱりアイドルかと思いながら、名刺を受け取り、そしてその奥のベッドにいる人に息を飲んだ。

「……みのりさん?」
「はは、久しぶり」
「まさか、みのりさん」
「先生、救急でとったメモお持ちしました。確認お願いします」
「は、はい。ありがとうございます」
そうだ仕事しなくちゃ。預かったメモと症状を照らし合わせてプロデューサーにも確認しながら間違いはないか1つずつチェックしていく。どうして、みのりさんが。

今回、雑誌の取材を終えて事務所に戻ったところに急に具合が悪くなり花を吐いた。特に精神的ストレスを与えるような質問やシチュエーションはなかった。花のサンプルは回収済み。ラン、カーネーション、スターチスなど。吐花サンプルとしては何も珍しい点はなし。発作当時、事務員やプロデューサー、元医師警官など知識のある人が周辺にいて処置したため、周辺にいた人たちの感染は確認されていない。

「最後に吐花対象者に心当たりがあれば、教えてください。今までの質問や状況も個人を特定できないようデータベース化した後、今後の研究に利用させていただいています。ですが、渡辺さんの場合アイドルですので……もちろん研究施設内での情報管理は厳しく統制されています」
「吐花対象者っていうのは……その」
「誰を思って花を吐いたか、ということです」
「はあ……」
プロデューサーはすっかり眉を下げてみのりさんの顔を見た。
「みのりさん……渡辺もいい大人ですので私からは何とも……ただ、事務所としては公表できないのはご承知いただけますと……」
「はい、勿論です」
相手の女性が世間に知られれば大ニュースだ。こちらも守秘義務に関しては厳しく決められているが、事務所の対応も厳しく決められているのだろう。

「……あまり詳しくないんですじけど、こういう病気って患者のデータをたくさん集める必要があるんですよね?」
「……みのりさん」
プロデューサーの諦めたような咎めるような声にみのりさんは困った顔のまま笑った。
私のビジネスを意識した態度に応じたみのりさんの態度に、心がつきんと音を立てた。嫌な予感がしてならなかったし声が震えないようにするので必死だった。
「……そうです。ご協力いただけますか」
「はい」
「ありがとうございます」
花吐き病の感染者に対しての受診と国民へ理解を促すキャンペーンボーイになったばかりのアイドルが、花吐き病に感染。大変な事件だ。未だ花吐き病に対する偏見は強く、協会もイメージキャラクターの選出には頭を悩ませている。

花吐き病の治療は誰にとっても必要だ。恋愛の成就という形、あるいは決別という形での自然治癒でも、投薬による症状の抑制でも。

そう言い聞かせ震える手で最後の枠を埋めようとペンを取る。友人か、同僚か、見ず知らずの人か。どんな答えでも受け止めて書き入れなければならない。昔の私のみのりさんへの思いは恋だったのかもしれないけど、今の私はアイドルの渡辺みのりの大ファンのただの一般人なのだから。


「君のことが好きだよ。ずっと」

穏やかなみのりさんの声にその場が静まり返った。プロデューサーの息を飲む音だけが響いて、病室の外では待機していたのであろう協会の偉い人が慌てて電話をかける音がした。大変なことになってしまった、それだけけしかわからなかった。

私を見て、確かに君と言ったはずなのに私はまるでドラマのワンシーンを見るかのようにしか見れなかった。みのりさんは感染者の義務で答えただけ、それでも私を好きって言った。私は、一般人の私は、研究者の私は、どうしたらいい?

「結ばれれば、治ります……そう、想う相手と」
扉越しの協会の偉い人の電話の声がいやに大きく聞こえた。こんな患者に聞こえるところで電話するなよ。それにしても、簡単に言ってくれる。相手は人気アイドル、しかも今年度のイメージキャラクターなのに。

仕事と病気に板挟みになった子は見てきた。まさか自分がその立場になるとは夢にも思わなかっただけ。研究者として冷静に学生感染者たちの記録を取っていたのが馬鹿みたいだ。みのりさんも、私もこれからはその立場になるなんて、考えたこともなかった。

私は確かに学生の頃みのりさんへの淡い恋やら憧れをもっていた。叶わないと捨てた恋を今更ほじくり返されて、どうすればいいんだろう。

「俺の心はずっと、君のものだよ」
好きでもない子にあんなに優しくできるほど、俺は人間出来てないよ。みのりさんは優しく微笑んで、手を差し出した。

ただひとつ分かるのは、私が今、この手を取っても私たちはきっと幸せになれない。みのりさんの病気のためにイエスと言えても、協会の偉い人たちの思惑、もしくはアイドル渡辺みのりを守るために握りつぶされてしまう。私は、そんなのは嫌だと思う。

みのりさんも私も泣きそうな顔をしている。私よりずっと大人で、アイドルの世界を知っているみのりさんは、それでも私に手を差し伸べないといけないってちゃんとわかってる。

私が同意すればみのりさんの花吐きは一時的に回復して、それからひたすら薬を飲めば私と結ばれなくても花吐きに苦しまなくて済む。私が同意しなければ、それさえなくてただひたすら苦しむだけ。アイドルに復帰もできず、私と会うことも許されず、花を吐きながら弱っていく。

選ぶ道は1つしかない。どうしてみのりさんが苦しむ道しか選ばせてもらえないんだろう。早く、こんな茶番は終わらせて、薬を持ってきてほしい。症状抑制の薬は確かに副作用が強いけど、こんなに患者に精神的負担をかけてまで"自然治癒"させる必要はない。

黙ったままの私に焦れたようにプロデューサーが腕時計を見た。
「目を閉じたら、あの日に戻れたらいいのに」
手を取ると、あの頃と何ひとつ変わっていなかった。花屋さんの仕事をしてた時と変わらず肉刺の潰れたあとがあって、男の人の手だけどしっかり手入れされている綺麗な手。

「そうだね……でも、何度やり直しても俺は君を好きになるよ」
こんなにうれしい言葉はないのに、悲しくて、涙がぼろぼろ溢れた。みのりさんも目を伏せて、その真っ白な頬を涙が伝った。

もうすぐ、協会の偉い人や専門医が入ってきてそしたらみのりさんは治療へ、私は報告書や取り調べに行かなければならない。

それを最後に私たちはきっと二度と会えなくなる。私たちがこれから生きていくには、今この別れを惜しむ時間は余りにも短い。本当にこれでよかったのだろうか、私が手を取ったことで、本当にみのりさんの病気は楽になるんだろうか。

「それに、それでも俺は何度やり直したってアイドルになるよ」
みのりさんは何も間違っていない。私も何度やり直したってこの仕事につくし、アイドルになった渡辺みのりを応援する。私はどこで、何を間違えてしまったのだろう。今更その時に戻ってやり直せないのに、私は今、何を選べばいいの。



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